やさしさの順番
親愛なるあなたへ。
「やさしい人になりたい」と思っていた時期がありました。
人に笑顔を向けられる人、
困っている人を助けられる人、
どんなときも穏やかでいられる人。
でも、気づいたら私はいつも疲れていました。
誰かに優しくするたびに、
心のどこかが少しずつ擦り減っていくのを感じていたのです。
夜になると、
“どうしてあの人のために頑張れなかったんだろう”
“もっと笑ってあげればよかった”
そんな小さな後悔を抱えたまま、
ベッドの上で目を閉じる。
人のために生きたいと思っていたのに、
気づけば自分のために生きる余白を失っていました。
ある日、
カフェの窓辺でコーヒーを飲みながら、
そんな自分をふと俯瞰しました。
湯気の向こうで街を行き交う人々を見ていると、
それぞれの人生に“やさしさの形”があるのだと気づく。
買い物袋を支えてあげる人、
子どもの手を引く人、
電話越しに「大丈夫だよ」と声をかける人。
その誰もが“自分の持てる分だけ”を差し出している。
だけど、その“持てる分”を見誤ると、
やさしさは重荷になる。
私の中に残っていた疲れも、
その順番を間違えた結果だったのかもしれません。
「自分ファースト」って言葉があります。
でも、それを口にすると、
どこか“わがまま”とか“自己中心的”と感じてしまう。
けれど、本当は違うんです。
“自分ファースト”は、
自分を後回しにしないこと。
“他人より先に”ではなく、
“自分をちゃんと含める”ということ。
飛行機の安全案内のように、
「酸素マスクは、まず自分につけてから子どもに」
あの一言にこそ、やさしさの順番の本質がある気がします。
人にやさしくしたいなら、
まず自分を大切にすること。
それは利己的なことじゃなくて、
“持続できる思いやり”の形。
やさしさは、
自分を犠牲にして燃やすものではなく、
静かに灯を継いでいくあかり。
消えないために、
ときどき自分の火を守ってあげなければいけないんです。
この手紙は、
そんな「やさしさの順番」に気づいた日の話です。
他人を思う心と、
自分を思う心のあいだにある、
その小さな境界線を見つめながら――。
人に優しくありたいと思うのは、悪いことじゃない。
むしろ、それが私の小さな誇りだった。
誰かが困っていたら助ける。
落ち込んでいたら話を聞く。
頼まれごとは断らない。
そうやって過ごしていると、
周りの人たちはよく「あなたは優しいね」と言ってくれた。
その言葉が嬉しくて、
私はもっと頑張った。
けれど、あの頃の私は知らなかった。
やさしさにも“順番”があることを。
ある日の夜、職場で遅くまで残業していたときのこと。
同僚が疲れた顔をしていたので、
私は「大丈夫?」と声をかけた。
ついでに手伝おうかと言って、
自分の仕事を後回しにした。
彼女は少し笑って「助かる」と言ってくれた。
その笑顔を見た瞬間、
私は少し救われた気がした。
だけど、残った自分の仕事を終える頃には、
時計の針が深夜を回っていた。
電車の中、窓に映る自分の顔はどこかぼんやりしていた。
“優しくしたのに、どうしてこんなに疲れているんだろう。”
次の日、私は寝不足のまま出勤した。
周りには「昨日は大丈夫だった?」と気遣う声があったけど、
自分のことを聞いてくれる人はいなかった。
それも当然だ。
私はいつも、「大丈夫」と笑っていたから。
優しさの矛先を、
いつも自分の外側にしか向けていなかった。
でもその反動で、
心の内側はどんどん乾いていった。
“疲れた”という言葉が喉まで来ても、
口に出せなかった。
その一言を出したら、
“優しい自分”が崩れてしまう気がしたから。
帰り道、駅前のカフェに寄った。
その日は小雨が降っていて、
店の窓に水の粒がいくつも流れていた。
私は席に着いて、
注文したコーヒーを待っている間に、
何も考えずぼんやりと外を眺めていた。
通りを行く人たちは、
傘を差しながら急ぎ足で通り過ぎていく。
その中に、
小さな子どもの手を引く母親の姿が見えた。
子どもはぐずっていたけれど、
母親はしゃがんで、
子どもの目線に合わせて何かを話していた。
その姿が、妙に胸に残った。
“あの人は、いま子どもを優先している。
でも、いつかその手を離したとき、
きっと自分のためにコーヒーを飲みに来る日もあるんだろう。”
そう思ったら、
なんだか少し泣きそうになった。
店員が運んできたコーヒーの香りが、
ふわりと漂った。
その香りに包まれながら、
私はようやく気づいた。
“私のやさしさは、いつも他人に向かっていた。”
それは悪いことじゃないけれど、
それを続けるには、
自分の心にもちゃんと酸素が必要なんだ。
飛行機のアナウンスのように、
「酸素マスクは、まず自分につけてから子どもに。」
あの言葉を思い出したとき、
少しだけ肩の力が抜けた。
私が息をしていなければ、
誰かを助けることなんてできない。
それは、冷たさではなく、
“持続するやさしさ”の第一歩なのかもしれない。
コーヒーを一口飲むと、
その苦味がじんわりと体に染みていった。
私はカップを両手で包みながら、
自分に小さく言いました。
「今は、誰かを助けなくてもいい。」
その言葉は、
不思議と温かかった。
罪悪感よりも、
静かな安堵が胸に広がった。
カフェを出る頃には、雨はやんでいた。
濡れた街灯の下、
足元に映る水たまりの光が
まるで夜の景色をやさしく照らしているようだった。
“やさしさは、順番を間違えなければ、
きっと枯れない。”
私は傘をたたんで、
空を見上げた。
濡れた風が頬を撫でていく。
少しだけ、自分の中に風が通った気がした。
あの日の夜、
私は久しぶりに早く家に帰った。
誰かの相談にも乗らず、
誘われていた飲み会も断って。
家の鍵を開ける音が、
やけに大きく響いた。
誰もいない部屋の明かりをつけて、
その静けさに一瞬、息をのむ。
“ああ、私は今、誰のためでもなく帰ってきたんだな。”
それが、少しだけ不安で、
少しだけうれしかった。
部屋の隅に置いてある観葉植物に水をやりながら、
ふと思う。
この葉っぱにも、きっと「順番」がある。
根が水を吸い上げ、
茎が運び、
それから葉に届く。
根が枯れてしまえば、
どんなに光をあてても葉はしおれてしまう。
“自分ファースト”という言葉が頭に浮かんだ。
以前なら、
その響きに少し抵抗を感じていたと思う。
まるで他人を無視しているような言葉に聞こえたから。
でも今は、違う。
自分の根っこに水をあげることは、
他人に花を咲かせるための準備なんだ。
翌朝、
同僚からメッセージが届いた。
「昨日の会議資料、手伝ってもらえる?」
一瞬、いつもの癖で「いいよ」と打ちかけて、
私は手を止めた。
今日は少し疲れている。
それに、まだ自分の仕事も終わっていない。
ほんの一秒の沈黙のあと、
私は“初めて”違う言葉を送った。
「今日は自分の作業があるから、また今度でもいい?」
送信ボタンを押したあと、
指先が少し震えた。
罪悪感が胸の奥に浮かんでくる。
「冷たいと思われたかな」
「困ってるのに助けてあげられなかった」
その気持ちが、
しばらく心の中で重く漂っていた。
けれど、昼休み。
同僚が私の席に来て、笑って言った。
「ありがとうね、ちゃんと断ってくれて。
無理して倒れられたら、こっちも困るし。」
その言葉に、肩の力がふっと抜けた。
“あ、断ってもいいんだ。”
それが、
思っていた以上に深い安堵を連れてきた。
人は「頼る」ことばかりを考えがちだけど、
「断る」こともまた信頼の一部なんだと思った。
相手を信じているから、正直に言える。
それも、やさしさのひとつ。
帰り道、電車の窓に映る自分を見ながら思った。
“自分を大切にすることは、
他人を大切にすることのリハーサルなんだ。”
自分を粗末に扱う人は、
結局、他人の痛みも雑に扱ってしまう。
逆に、
自分にやさしくできる人は、
誰かの不器用さも許せるようになる。
だから“自分ファースト”は、
けっして自己中心じゃない。
それは“やさしさのスタートライン”。
自分を後回しにしないことが、
本当のやさしさを生むんだ。
夜、ベランダに出ると風が吹いていた。
小さな街灯が、
植木鉢の葉を淡く照らしている。
その光が、
私の胸の奥の重たさを少しずつ溶かしていく。
「自分を優先してもいい。」
「それは、誰かを傷つけることじゃない。」
心の中で、何度も繰り返した。
すると不思議と、
胸の奥が少し温かくなった。
自分にやさしくすることを“許す”って、
こんなに静かで穏やかなことなんだ。
私は明日、
また同じように仕事をして、
誰かと笑い合うだろう。
でもその時には、
“自分を犠牲にしない優しさ”を選べる気がする。
コーヒーを淹れるときのように、
焦らず、
ゆっくりと、
自分の中に香りを満たしてから差し出す。
やさしさは、急がなくていい。
順番さえ間違えなければ、
きっと、ずっと続いていく。
朝が来ました。
カーテンの隙間から差し込む光が、
床にまっすぐ線を描いている。
その光を見ながら、
私は静かに深呼吸をしました。
昨日の夜に感じた罪悪感は、
もうどこか遠くに行ったように思えます。
代わりに胸の奥にあるのは、
小さな安堵――
「これでいいんだ」という確かな手触り。
自分を優先しても、
世界はちゃんと回っている。
誰も責めなかったし、
誰も壊れなかった。
それだけで、
なんだか泣きたくなるほど救われた気がしました。
朝の通勤電車。
窓の外に広がる空は、
昨日より少し明るい。
車内で隣に座った女性が、
ハンカチを落としました。
いつもなら、
「拾ってあげなきゃ」と反射的に動いていたと思う。
でも今日は違った。
私は一瞬、その人を見て、
そしてゆっくりと手を伸ばした。
「落としましたよ。」
小さな声だったけれど、
女性は驚いたように顔を上げ、
「ありがとうございます」と笑った。
その笑顔を見て、
私はようやく理解した。
昨日の夜、自分に向けた優しさは、
こうして外の世界へ静かに溶けていくんだ。
自分を満たしたぶんだけ、
他人に自然とあたたかくできる。
駅に着いて、
ホームの階段を上がる途中、
スマホにメッセージが届いた。
昨日断った同僚からだった。
「昨日はありがとう。
ちゃんと寝た?
また今度、ゆっくりランチしよう。」
その短い言葉を見て、
私はふっと笑った。
“ありがとう”が、自分に向けられると、
こんなに軽やかなんだ。
優しさは、
“してあげるもの”ではなく、
“受け取ってもいいもの”なんだね。
昼休み。
会社のベランダに出ると、
少し冷たい風が吹いていた。
ビルの合間に見える空は、
春の手前みたいに淡く霞んでいる。
手すりにもたれながら、
私はふと考えた。
「やさしさって、形を変えるんだな。」
与えるときは温もりで、
受け取るときは光で、
そして自分に向けるときは静けさで。
順番を守ることで、
やさしさは消えない。
むしろ、
順番を間違えない限り、
永遠にめぐっていく。
仕事を終えて、帰り道。
西日に照らされたカフェの窓の前を通る。
ふと立ち止まり、
ガラス越しに見えた自分の姿に、
少しだけ笑ってしまった。
前よりも、
少し穏やかな顔をしている気がする。
心の奥に、
ひとり分の余白ができたような感覚。
その余白が、
やさしさの居場所になるのだと思った。
詰め込みすぎた優しさは、
やがて息苦しくなる。
でも、余白に置いたやさしさは、
時間をかけて育っていく。
帰宅して部屋に灯りをつける。
観葉植物の葉が、
朝よりも少し上を向いていた。
昨日あげた水が、
ゆっくり根から吸い上げられたのだろう。
私はその姿を見ながら、
また小さく頷いた。
「自分にも、ちゃんと水をあげてよかった。」
自分を満たした分だけ、
世界がやわらかく見える。
そのことを、
この小さな緑が教えてくれた気がした。
夜。
ベッドに入る前に、
ふとスマホのメモを開いた。
そこには、
数ヶ月前に書いた言葉が残っていた。
「人のために生きたい。」
それを見て、私は微笑んだ。
あの頃と今では、
その言葉の重みが違う。
今の私は、こう書き直したい。
「自分を大切にして生きたい。
そうすれば、きっと人にもやさしくできる。」
やさしさの順番は、
とても静かで、
とてもあたたかい。
他人を思う前に、
まず自分を思いやること。
それは、
自分勝手でも、自己中でもなく、
“心を長く灯し続けるための仕組み”。
やさしさは、
差し出すものじゃなく、めぐるもの。
今日もまた、
その流れの中で、私は生きている。
敬具。
「やさしさ」という言葉は、あまりにも優等生すぎて、
時々うまく扱えない。
優しくあろうとするほど、
誰かの痛みに敏感になって、
その分、自分の痛みには鈍くなっていく。
まるで他人の涙を拭くために、
自分の袖を濡らすように。
だけど、この物語を書きながら、
私はようやく気づいたんです。
ほんとうのやさしさは、
“誰かのために頑張る”ことじゃなくて、
“自分の声を無視しない”ことから始まるのだと。
「自分ファースト」って言葉を、
私はずっと避けてきた。
それを口にすることは、
まるでわがままを宣言するように感じていたから。
でも今は、そう思わない。
自分を大切にすることは、
他人を大切にするための準備なんだ。
順番を間違えなければ、
やさしさは枯れない。
むしろ、自分をいたわることによって、
初めて他人の弱さにもやさしくなれる。
そのことを、
この“自己共感編”で何度も確かめることができた。
書きながら何度も思った。
やさしさは、
差し出すより、めぐるほうが美しい。
誰かに渡した思いやりが、
いつか形を変えて戻ってくる。
それは、感謝の言葉だったり、
静かな微笑みだったり、
あるいは自分の中に芽生える“安心”という名の光かもしれない。
この100通近くの手紙を通して、
私はようやく「自分にも優しくする勇気」を
少しだけ、持てるようになりました。
もしかしたら読者の中にも、
誰かのために疲れてしまった人がいるかもしれません。
そんな人に、この手紙が届くなら――
私はきっと、
あの日の私を少し救える気がします。
やさしさの順番。
それは、
自分からはじまり、
世界へとめぐっていく光の循環。
この流れが、
読む人の胸の奥で静かに灯りますように。
草花みおん




