風に吹かれる者
淡く黄色い光に投げかける。
「あなたは何?」
この問いは、光の正体だけを暴こうというものではない。何を目的に、どうして私をここへ呼び出したかというものも含んでいる。
光は答えた。
「私は世界の核です。後々、世界の脅威となる貴女に警告をするために、ここへ呼び出しました」
私は世界に興味はない。存在を許されるのなら、それで良いのだ。
光は心の声を読んだかのように、淡々と話し始める。
「脅威ともなれば、この世界に存在することなど許されないでしょう」
「あなたは私にどうしろと?」
「騎士団を抜け、反旗を翻しなさい」
言葉が頭に反響する。森の中の泉だったそこは、幻だったように廃墟の森と化した。棘のように鋭い木の幹を躱しながら、雲で霞んだ空を見上げる。
世界は私がなそうとしていることに気づいているというのだろうか。しかし、私一人でどうにかなるものではない。明日、隣国への宣戦布告が言い渡される。そして、毒で汚染された水の放出、国の乗っ取り――実行役は私だが、私がいなくなったとしても滞りなく作戦は行なわれるだろう。
私は、私であるならそれで良い。誰からどんな非難を浴びようとも。それが、この国の王女であり、騎士団に入れられた私に与えられた役割だ。
城に戻る気にもなれず、絶望にまみれた溜め息を吐く。この思いは、誰かに届くのだろうか。闇夜の中でうずくまり、一粒の涙を零した。
翌日、私がいなくなった城は騒然となったらしい。父王が、計画を漏らされては困ると息を荒らげたのだ。いっそのこと、このまま城へ戻らずに、隣国へ亡命しようか。計画を洗いざらい白状してしまおうか。考えたが、実行に移す手段がない。仕方なく、重い足取りで城の門をくぐった。
その時に、すれ違ったのだ。黒髪の、隣国の民族衣装を身にまとった青年と。思わずその腕を掴み、引っ張っていた。
「国に帰ってはいけません」
囁くと、そっと手を離す。私と会う前に、内情を悟ったらしい。彼は微笑みながらも、真剣な目をまっすぐに私に注ぐ。
「貴女はリリアンヌ王女殿下ですね?」
今はドレスだって、ティアラだって身につけてはいない。ただ、目鼻立ちは父王を彷彿とさせる。
衛兵が見ている前では、下手な真似は出来ない。肯定も否定も出来ず、静かに目を伏せた。
「俺と一緒に来ていただきましょう」
彼が私の首に一撃を見舞うと、意識は真っ逆さまに落ちていった。
闇の中に、淡い黄色い光が灯る。
「そうです。そのまま抗いなさい。世界は貴女に味方するでしょう」
どこかで聞いたことのある声だった。
瞼を開けると、茶色の天井が視界に写る。ここは城ではない。城であるのなら、天井は白い筈なのだ。
「目が覚めましたね。手荒なことをして申し訳ありませんでした。連れ出すには、あれしか方法がなかった」
城で会った青年は、ほっと吐息をついて私を見下ろす。
「貴方は何者です? 私をどうしようと?」
跳ね起きて、掛けられていた薄布を胸元へと手繰り寄せる。目をつりあげても、彼は余裕の笑みを見せるだけだ。
「俺はゼファーという者です。貴女には俺の騎士団に来ていただきたい」
ゼファーと名乗る青年は、胸に手を当てて小さく頭を下げる。
「何を言うのです! 私は、ユグナイア国に勝利をもたらさねばならないのです」
「それは重々承知です。だからこそ、我々には貴女の力が必要なのです」
この時、初めてゼファーの灰色の瞳が揺れた。
「俺の祖国、ナミリニア国は、貴女の国、ユグナイア国から宣戦布告を受けました。王女であり、騎士である貴女なら、計画の全容を知っている筈だ」
「知らないと言ったら?」
「生きては返さない」
完全に、私の命と未来はゼファーに握られている。まだ私は自由にはなれないらしい。一瞬だけ沸いた希望が潰えた瞬間だった。
「……国には帰らない方が良い。ナミリニア国には毒が撒かれるでしょうから」
小さく吐き捨てると、ゼファーの目は見開かれた。
「そんなことをされれば、俺の国は全滅だ。すぐに書状を……!」
ゼファーは青ざめた顔のまま、頼りない足取りで机へと向かった。無心に何かを書き、大慌てで部屋を出る。
この隙に部屋を出てしまえば――気がつけば逃げ道を探し、薄布を投げ捨ててベッドを飛び降りていた。ドアへと駆け寄り、ノブを回す。――しまった、鍵を締められた。音を立てて私を拒絶するドアに、涙が溢れ出す。
「どうして開いてくれないの……!」
何もかも、私の思い通りにはなってくれない。
間もなく、ゼファーは戻ってきた。ドアの前でうずくまる私を気にかけ、そっと飴玉をくれた。何故、敵国の王女に情けをかけられるのだろう。厳しさしか知らない私は、初めて触れた優しさに涙が滲んだ。
それから私はナミリニアへ連れていかれた。乱雑に扱われるかと思いきや、客人として扱われたのだ。なんて優しく、尊いと思わせてくれる国なのだろう。私の心を動かすのに、そう時間はかからなかった。
私の申告で、戦況は信じ難い程に変わっていった。戦地は私が生まれ育った城――敵国であった筈のナミリニアの国旗を掲げ、仲間であった筈のユグナイアの騎士を薙ぎ倒す。私の心は、たった一ヶ月でゼファーへと傾いていた。私を敵国の王女ではなく、救国の聖女として立ててくれたのだ。常に私を支えてくれた、温かな灰色の瞳は忘れられない。
「王女が裏切った……!」
そんな声も聞こえたが、ユグナイア国は私のことなど戦いの駒としか見ていなかっただろう。そんな国に『祖国』を名乗る資格はない。
掲げる国旗の先には、あの黄色の光がある。まるで、私の行く先が正しいと言っているかのように。
計画が全て漏れたユグナイア国の戦況は悪化していった。ナミリニア国ではなく、近隣諸国全てに敵とみなされたのだ。光の言葉がなければ、ゼファーがいなければ、私は世界の敵となっていただろう。そして、父王と共に処刑をされていただろう。
私は生涯をナミリニア国と共にしよう。騎士団長であるゼファーに誓いを立て、ユグナイア国から守られた菜の花畑で式を挙げる。
「あの時、リリアンヌが声をかけてくれなければ、この美しい景色もなかったんだな」
「ゼファーがいなければ、私は最悪の存在になっていましたよ」
たった二人で頬を寄せ合い、儚く微笑む。
「あそこに黄色い光が飛んでいない?」
「えっ?」
もしや、私を導いてくれた光だろうか。目を凝らしてみたが、ゼファーが指差す場所には何もなかった。
戦いの傷跡も、残った自然も内包するかのように、穏やかな風が吹き抜ける。その風の先に、あの光があるような気がして、そっと目を細めた。