燻火が起こした狼煙
西暦2106年5月10日、地球標準時12:30。アルシア王国の王都は、焼け跡と瓦礫に覆われていた。 連合陸軍の戦車隊が王都中心部を進み、鋼の履帯が石畳を砕き、灰を巻き上げる。空は煙に覆われ、風が焦げ臭い匂いを運ぶ。
戦車長マイク・リードは、砲塔のハッチから顔を出し、双眼鏡で周囲を睨んでいた。先ほどの冒険者たちとの交戦が頭に残り、彼の胸には重い感覚が広がる。
「あいつら、まだ戦う気か……」
彼の呟きが風に消え、無線に冷たく報告する。
「司令部へ。抵抗者を追跡中。制圧を継続」
瓦礫の影に潜むギルドの有志冒険者たちは、負傷しながらも再び立ち上がっていた。シルバー級の魔術師リリスが先頭に立ち、青いローブが血と灰に汚れている。肩の傷が疼き、杖を握る手が震えるが、瞳には決意が宿る。
「ガレン、リハル……あいつらの死を無駄にはしない」
彼女の声は低く、仲間を失った悲しみが胸を締め付ける。だが、それ以上に、彼女の心を突き動かすのは、とある希望だった。
「陛下が神罰魔法を使えば……奴らに一発入れられる」
彼女の頭に、アルシア国王レオニスが秘蔵する禁断の魔法――神罰魔法の伝説が浮かぶ。
今の陛下自身も実際に使った事はないらしいが、王家の血筋にのみ許されたその力は、一撃で大地を裂き、敵を灰にすると言われている。
彼女の背後には、残った7人の冒険者が続く。カッパー級の寄せ集めだ、槍使い、盗賊、斥候、そして弓使いと剣士が2人づつの小さなパーティー、リリスは彼らを見回し、静かに言った。
「陛下が儀式を終えるまで、時間を稼ぐ、それが私たちの役目」
槍使いが槍を握り、震える声で応える。
「陛下は…実際にそれを使えるんですか?」
リリスは頷き、力強く答えた。
「使えるさ。陛下なら必ず。私たちはその時まで持ちこたえる」
陛下から勅命があったわけでもないにも関わらず、あるいは、むしろ命令がないからかもしれない。彼女の言葉に、冒険者たちの瞳に微かな希望が灯る。
リリスは瓦礫の陰から戦車隊を見た。鋼の怪物が整然と進み、奇妙な兵士が黒い筒を構えて警戒している。
「攻撃を通すのは難しいかもしれない…でも、時間を稼ぐには奴らを動揺させるしかない」
彼女の頭に、ガレンの大剣が跳ね返され、リハルの矢が散った光景が蘇る。だが、ここで諦めるわけにはいかない。
「みんなは敵を惹きつけて、私が魔法で仕掛ける。陛下に時間を与えるんだ」
彼女は深呼吸し、仲間たちに指示を出した。
カッパー級の冒険者たちが動き出した。弓使いが弓を手に瓦礫を跳び越え、矢を放つ。
「こっちだ、怪物ども! 王城に着くまでにかかってこい!」
彼の声が響き、矢が歩兵に襲いかかる。彼の胸に、神罰魔法への信仰が燃える。
「俺達が時間を稼げば、陛下が奴らを倒してくれる!」
剣使いが剣を振り、戦車にソニックブームを飛ばす、盗賊は素早く動き、瓦礫の間を縫って歩兵の注意を引く。彼の投げナイフが歩兵の足を掠め、血が飛び散った。
マイクはコックピットで反応し、「またか! 小賢しい連中だ!」と機銃を撃つ。すぐに弾丸が斥候の腕を掠め、呻いて倒れた。
一人の剣士が影から戦車に剣を叩きつけるが、装甲に跳ね返され、アサルトライフルの弾が彼の心臓を貫いた。
カッパー級達が次々と犠牲になる中、リリスは杖を構える。
呪文を唱え、叫んだ。
「火焔よ、燃え盛れ!」
赤い火球が杖から飛び出し、戦車隊に向かう。
ただ、それは捨て石の覚悟で放った火焔、戦果は期待していない。
だが…それは、この王国の、この世界の複雑に絡みつく運命の糸の形を少し変えることになる。
それは、王国に平時以上の強風が吹いていた事、リリスの足元の瓦礫が不安定で、火焔発射と同時に少し体勢を崩したことで起きた。
不安定な状態と状況で放たれ、強風に曝された火焔は、木々をすり抜けるしなやかな蛇のような弧を描き、ボウリングの変化球のような軌道を辿った。
そして…神の悪戯か、本来の目標ではなかったものの、別の戦車の後部エンジンに直撃したのだ。
突然、誘爆が起き、黒煙が立ち上り、戦車がガクンと止まる。
紅蓮の矢が、鉄獣の心臓を貫いた。
「何!?」
マイクが叫び、指揮下の戦車が爆発するのを見た。エンジンから炎が上がり、戦車は行動不能に陥いる。
爆発したのは後部エンジンのみで、弾薬庫まで誘爆を起こしていなかったため、あくまで半壊であったが、なにも負傷者が出ていない訳ではない。
リリスが目を丸くし、叫んだ。
「当たった! 後部だ、後部が弱点だ!」
冒険者たちの間に喜びが広がる。槍使いが槍を手に叫び、
「やったぞ!希望はある!」
「これなら時間が稼げる!」
盗賊が短剣を握り直し、笑みを浮かべる。
「攻撃が通じたぞ!」
彼らはそれぞれの傷を押さえながら立ち上がり、声を上げた。一瞬、絶望が希望に変わった。
マイクは電子カメラを使用し、状況を確認した。
「後部エンジンをやられた!」
被害を受けた戦車長が無線に叫ぶ。
「中隊へ。敵の攻撃で損傷。全機、後方を警戒しろ!」
彼の声に焦りが滲み、胸に苛立ちが広がる。
「こいつら、どこまでやる気だ?」
頭に、冒険者たちの決意が焼き付く。だが、任務は任務だ。彼は援護を要請した。
「援護を急げ! こいつらを潰せ!」
喜びも束の間、またすぐに連合陸軍の反撃が始まった。マイクを含めた、別のM-77クレイトンが狙いを定め、砲塔を旋回し、主砲を放つ。砲弾が冒険者たちの足元で爆発し、衝撃波が瓦礫を吹き飛ばす。
歩兵の銃弾、瓦礫の破片、榴弾が彼らに襲いかかり、彼らの胸を貫いた。弓使いは弓を落とし、剣士の横で息絶えた。盗賊の背中にガラス片が突き刺さり、ライフル弾が槍使いの首を貫く。
その時、魔法防御を展開していたリリスを、衝撃波で飛翔する大量の瓦礫片が打ち砕き、車両の正面衝突のように彼女を吹き飛ばした。
速度を伴った瓦礫は、リリスの内側から筋肉と内臓をズタズタに破壊し、リリスに一瞬で死を悟らせた。
刹那の瞬間、思考する。
「やられる…」
彼女の肩の傷が疼き、血がローブを染める。彼女の頭に、ガレンやリハルの笑顔が浮かび、涙が溢れる。だが、彼女は最後の決意を固めた。
リリスは最後の力を振り絞り、ガレンから受け取っていた、腰の冒険者用魔道通信器を手に取った。全域魔道通信――王国全土に届く最後の手段だ。
魔術式の制限の関係で、王国軍に繋げる事はできないが…
盗賊、剣闘士、せいぜい他の冒険者が受け取れば御の字程度の物である。
だからといって、彼女に何もしないなんて選択肢は取れなかった。
希望は残さなければならない。
彼女の指が震え、血が通信器を汚す。
「誰か……聞いて…」
彼女の声は掠れ、息が弱い。
「今、地上を闊歩してる怪物…後ろが弱点……そこを狙って……敵は…たぶんわざと王城を残してる…神罰魔法が…使える…」
彼女の視界が暗くなり、通信器が瓦礫に落ちる。彼女の瞳が閉じ、息が止まる。
だが、通信は途切れず、微かな魔力の波が王国全域に広がった。
マイクは戦車から冒険者たちの死体を見下ろし、無線に報告した。
「司令部へ。抵抗者を制圧。進軍を再開」
彼の声は冷たく、だが胸に重いものが残る。
「クソっ…九名ロスト…」
彼の頭に、リリスの火焔魔法と叫びが蘇る。戦車隊が動き出し、瓦礫を踏みにじるが、彼の心は沈んでいた。
―――――――――――――――――――――――同時刻 アルシア王国 崩壊した王国壁
王国壁の東側、崩れた塔の地下に、なんと王国軍総司令官ドゴランが潜んでいた。60代、白髪と髭に覆われた顔に深い傷が刻まれ、鋼の鎧が灰に汚れている。
幸運にも、彼は爆撃を生き延び、他の生存者と共に地下壕に身を隠していたのだ。
50人ほどの生き残り――農夫、職人、負傷した騎士――が彼の周囲に集まり、疲れ切った顔で息を整えている。
ドゴランは剣を手に膝をつき、呟いた。
「あの攻撃、もう王城も破壊されているだろうな…」
彼らの全員が、悲観に暮れていた。陛下さえ生きていれば。
しかし、彼らは絶望の淵にいるが、希望はまだ残っていた。
それは、またも神の悪戯なのかは分からない、だが、ドゴランの部隊が生存者を保護していたことは、軍事通信以外の通信手段を持っていたことは、重要なインシデントとして王国の歴史に記されることになる。
彼らがまとまらない思考を反復していると、突然、市民の生き残りである鍛治職人の腹部が照らされた。
彼の腰に装着されていた仕事用魔導通信器が光り始めたのだ。
ほんの微かな声が響いた。女性の掠れた声だ。
ドゴランは即座に声に気付き、目を丸くして声を張り上げた。
「何!? 誰だ!?」
彼の叫びが、狭く暗い地下に響き、寄せ集め部隊が顔を上げる。
通信に気づいていなかったのか、当の鍛治職人まで驚いた様子だ。
彼らは静かに、耳に神経を集中させた。
通信はある一人の冒険者が発信したようで、怪物の弱点と、王城がまだ陥落していない事が語られていた。
通信は途切れ、静寂が戻るが、ドゴランと、他の生存者達の胸にも希望が燃え始めていた…
当然だ、あんな絶望を目の当たりにしてからのコレである。
「弱点……後部だと? そして王城が残っている?」
彼は立ち上がり、部隊を見た。
「冒険者たちが戦ってる! 陛下に時間を稼ぐためだ! 王国はまだ終わってない!」
彼の声に力が宿り、鎧が軋む。負傷した騎士の一人が困惑しながら呟いた。
「総司令官、神罰魔法って…伝説で聞いた事はありますが…」
ドゴランは剣を握り直し、応えた。
「長い間使っていないらしいが…空から雷を降らせるらしい、陛下なら必ず使える。この情報があれば、奴らを倒せるぞ」
彼は剣を手に呟いた。
「彼らが命を賭けてる、必ず活かす。貴様らの死は無駄にしない」
彼の瞳には復讐の炎が燃え上がり、一般市民の生存者まで連れて、彼は地下壕のある場所に向かった。
迷路のような通路を抜けた先には奇妙な小部屋があった。
その部屋は、何十年間も使われていなかったようで、ドアノブには大量の埃が積もっている。
ドゴランは躊躇なく、そのドアノブを握り中に入った。
小部屋の壁面には複雑な魔法陣が壁を埋め尽くすように描かれており、太陽が届かない地下の中、僅かな蒼い光を放っている。
「まだ使えるぞ…さすが我が軍の魔法式だ」
そこは、王国軍の地下魔導通信室だった。
全ての駐屯地や兵士に淀みなく繋ぐ事はもちろん、ありとあらゆる魔導通信機をジャックして声を届けられる。
伝えなければ、先ほどの有志の事を、弱点のことを、何よりも、まだ王城が残っている事を、同じく地下壕に潜む物達に。
ドゴランは左手を魔法陣の紋章に捧げ、魔力を込める。
「こちら、アルシア王立軍総司令官マリエス・ドゴラン。この通信を聞いているものがいれば、この瞬間にもすぐに戦いの準備をしてほしい」
言葉を、剣のように紡ぐ。
「現在、我らの王国は大規模な攻撃を受けている…だが、希望はある」
彼は瞼を少し締める。伝えるべき事を思い返していた。
「まだアルシア王城が残っている…つまり、陛下は生きている!諸君らも神罰魔法の事を聞いたことがあるだろう!準備時間さえ稼げれば!それさえ確保できれば!そして、神罰を起動すれば!奴等を、灰に還せるのだ!」
大きく息を吸い込む。
「総司令より緊急命令!未だ地下に残っている兵士達!どこかの建物に身を隠している兵士達!動ける物は直ちに遅滞戦闘を開始しろ!陛下の準備が終わるまでに!」
その瞬間、ある衛兵は、地下壕の揺れを感じた。
「これより我々は!悪魔を殺すのだ!」
瓦礫の隙間から見える空には、連合陸軍の影が広がるが、ドゴランの心は再び戦う決意で満たされていた。