72:屁鹿こいてません
「……私が孤児だという話はしたと思う」
「うん。確か早くにお母さんを……」
この島では全員が片親状態なので、その人を喪えば即孤児になってしまう。
「その後に……金銭等々で面倒を見てくれたのが、ウィドナ様なんだ」
「ああ……」
この時点で、何故俺の永住賛成に投票できないかは察した。それをエレザも感じ取ったようで、
「そういうことだ。私は基本的に彼女には逆らえない」
と、補足だけする。
「それを踏まえると……今朝いきなり駆り出されたってのは」
「護衛だ」
エレザは肩をすくめてみせる。
「どうも昨晩、ロスマリーが何やら人の放屁に似た激臭を放つ鹿と遭遇したらしくてな」
「……」
……昨晩。ロスマリー。人の放屁。激臭。鹿。
「あっ……」
もしかして:来女木暁?
「ん? 何か気になることが?」
「あ、いや。ゴメン。続けて」
咄嗟に俺のせいかも、とは言えなかった。俺の放屁と鹿の出現が重なったせいで、ロスマリーは勘違いして2つを結びつけてしまったっぽいけど。
……正直に話したら、盗み聞きしてた件まで暴露しちゃうからな。
「つい最近もポーラが未知の皮膚病に罹ったことで、ウィドナ様は神経質になっているようでな」
エレザは力なく笑う。
異臭を放つ野生動物が、未知の病気をもたらすかも知れないと警戒するのは、島長としては正しい判断だけども。
「調査と護衛……ということで、私も連れて行かれたワケだ」
朝も早くから。気難しそうな婆さんと突発イベント。それが恐らく俺のせいという……申し訳なさで胸が一杯だ。
「結局、見つからなかったんだが……私に引き続き調査と捕縛ないし殺処分を命じて、彼女は帰って行った」
「うわあ」
「そのうえ、アキラの監視も怠るなと言う。私の体は1つしかないのに。でも逆らえない」
無茶振りに続いて、マルチタスク。反駁も許されず「やります」と言うしかない状況。マジメなエレザがパンクしてしまうのは必然だろう。
「それで半分は、アナタに責任があると……考えてしまって」
「いや、それは。俺がこの島に来さえしなければ、エレザの仕事が増えることはなかったんだから……」
言いかけたところで、エレザはブンブンと首を横に振った。ポニーテールも合わせて大きく揺れる。
「私は! アキラがこの島に来てくれて良かったと。本当にそう思ってるんだ」
信じてくれ、という風に。切実な響きがあった。
結局また抱き締めることになる。ギューと閉じ込めて、頬にキスをした。なんか愛おしさが止まらない。安心させたい。その一心だった。
「大丈夫。分かってる。あんなに色々と手伝ってくれてたもんな」
ただ。絶対に逆らえない相手から頭を押さえつけるように命じられたら、掛かったその圧をどこかに逃さないと堪らない。それだけの話だ。
「……手伝いも……純粋な厚意だけじゃなかったんだ。実は弓の話をした時も、心のどこかで作ってくれるかも知れないという下心があったんだ」
もう全部吐き出すつもりらしく、腕の中で怯えながら告白してくる。だけど、そんなのマイナスにはならない。
「みんなそんなモンだよ。俺だって、弓を作ってエレザに喜んで欲しいという気持ちと同時に、巨大豆を撃ってもらおうと皮算用してたからな」
人と人の繋がりは、そういうものだ。互恵性なくして良好な関係もない。悪く言えば打算、良く言えば期待。相手にそれを求めてしまうのは止めようもないと思う。
「大丈夫。大丈夫。俺はエレザのこと大好きだよ」
まだここに来て数日だというのに、幾度となく助けられた。さっきも彼女が来てくれなかったら、ケツアナが確定していただろう。それだけの恵を与えてくれたんだから、その見返りの恵を求めることは全く罪深くないんだ。
「アキラ……! 私も大好きだ。なんだろう、この気持ち。母さん以外に好きだなんて言われたのは初めてだ」
それだけで、ウィドナ婆さんのことが窺い知れる。エレザの養育だって、義務感……いや、もしかしたら自分の優秀な手駒を得るための先行投資……とまで考えるのは穿ちすぎか。
「キス……いつでもして良い。胸を触ったり、顔を埋めるのも、いくらでも」
と、とんでもないフリーパスを得てしまった。
「い、良いの? キスもおっぱいも感謝の証なのに」
なんか我が家ではそういう感じになってるだけで、別に世界の常識とかじゃないけど。
「それなら……一生分の感謝ということで良い」
「エレザ……」
なんて純粋なんだろう。いや、この子に限らず、この島の人たちは基本とてもピュアだ。だからこそ、絶対に裏切ったらダメだと思うし、そういう人間にはなりたくない。
「分かった。ありがとう。でもその代わり、もう今日のことで気に病んだり、借りだとかは思わないようにね」
不承不承っぽいが、エレザも頷いてくれる。
ぶっちゃけ……半分どころか俺に全責任がある可能性が極めて高いような感じのアレなので。いつまでも気にされると、こっちが居たたまれん。
ていうか。放屁鹿の件、どうしようか。このままじゃ、エレザは居もしないモンスターをずっと追いかけ回すことになってしまう。何か策を講じないとな。
ともあれ、今は。
「さてと。それじゃあ帰って、いよいよセフレ生醤油を作りますか」
やれることから、だ。
「その醤油とやらは……」
「ああ、エレザもおいで。一緒に試食しよう。俺の世界の料理を提供できると思う」
いや、まあ。居候の分際で客を招くとか調子こきすぎなのは分かってるんだけどね。今日くらいは許して欲しい。やっと塩オンリーの食事から解放されるんだから。




