259:予想外の先客
妖精郷を緊急避難所として考えておくという話があったが、期せずその利便性が増した感じだね。後はライト問題さえどうにかすれば、潜伏中、各地へテレポートして食糧を自前で調達することも可能になるかも知れない。
これは大きい。ウィドナとしてはコレッタを再教育して手駒を渡さなかった采配だろうが……それが巡り巡ってディエラさんイベントを進行させ、最強地図を俺にもたらす結果となった。完全に裏目に出たね。
「よし、折角だから温泉に浸かっていくか」
気分が大変よろしい。念のための体拭き布(温泉用じゃなかったけど)も持ってきてるし、サッパリして帰ろう。みんな泥々だしね。
「それは良いアイデアね」
「昼風呂も乙なんだよ」
母娘も乗り気になってくれる。ハス貸しだけは未だ要領を得ていないようで、ポカンとしていた。そういや、温泉のことは話してなかったことを思い出し、軽く説明。
すると途端に彼女も乗り気になって、「行こう行こう」と大賛成。彼女も汗でベトベトだし、俺のアレを飲んでくれた口中もキレイにゆすぎたいのもあるだろう。
「それじゃあ出発。みんな水筒は持ってるね? レッドウィスプが出たら中身を掛けてね」
注意だけして、意気揚々と先頭を歩く。そして湯船の端に辿り着いたところで……
「!?」
急に湯煙の中から何者かが飛び出してきた。あまりに一瞬で、声も出せない。刺客か!?
「っ!」
飛び出してくる相手の姿が見えた。黒い髪に疎らな赤。猫の耳と、怯えたような瞳。
「ク、クロ」
名前を呼ばれる前に、音速で駆け抜けていく。俺の脇を抜け、何かを拾った。彼女の服だ。
そこでようやく意識を立て直した俺は、
「ま、待って!」
呼び止めていた。話をしたいとは、ずっと思っていた。物凄く唐突だけど、そのチャンスが巡って来たんだ。逃がしちゃダメだ。ここで逃がしたら……手遅れになる、気がする。
「クローチェ!」
咄嗟に手を伸ばす。だが、それより先に彼女は衣服を拾い終わってしまっていた。とても間に合わない。逃げられてしまう。
諦観がよぎった、その時。
「きゃっ!?」
クローチェが足を滑らせるのが見えた。両足が完全に浮いてしまっている。
「クローチェ!」
走り寄り、なんとかその背中を受け止めた。期せず、羽交い絞めのような格好になってしまい、動きまで封じてしまった。
「あ……ありがとっす」
蚊の鳴くような声。この至近距離じゃなければ、間違いなく聞き逃していただろう。その声音からは、感謝よりも気まずさが強く感じられた。
「あの……もう行くっす」
「クローチェ」
何とかして繋ぎ留めないと。
そのための言葉を探している間に、背後から女性陣も追いついて来た。
「!?」
クローチェの体が跳ねる。そして俺の戒めから逃げようと、体をバタつかせて……
「いたっ!?」
片足を滑らせ、またもバランスを崩した。慌てて抱き直す。その際に少しだけ下乳の辺りを触ってしまったが、今は浸っている場合でもない。
「わわ。危ないんだよ」
「ちょっと大丈夫? 2人とも」
「……」
母娘が心配し、ハス貸しは言葉を発しなかった。
クローチェはなおも暴れようとするが、明らかに片足に力が入ってない。足を挫いてるっぽいな。
「落ち着いて。その足で動いたら、もっと大きなケガをしてしまうよ?」
優しく声を掛けているが、腕はガッチリと彼女の体を戒め続けている。最悪、俺と話すのがどうしても嫌なら、もうそれは仕方ないけど。大きなケガ(丘の斜面を落ちたりしたらケガでは済まない可能性もある)のリスクを認識しながら1人で行かせるワケにもいかない。
「……」
クローチェは迷っているのか、足を浮かせかけては下ろしている。
「大丈夫。大丈夫だから」
落ち着かせたくて、お腹の辺りを優しく撫でる。なおも迷ったような瞳で俺を見上げ……そしてそっと自分の乳房の辺りを両腕で隠した。この場に留まるなら、他の人に変わった乳頭を見られたくないということか。つまり、逃亡は諦めてくれたっぽい。
「アキラ……その子は」
「猫娘さんなんだよ」
母娘は珍しい物を見るような目(実際そうなんだろうけど)で、クローチェを見つめる。彼女の方は、乳房の上に乗せた腕を更にギュッと絞め、もはや自分を掻き抱くような恰好。
そして、母娘の後ろに居るハス貸しを見て、怯えるように俯いた。
さっきからの、この反応……
「操られていた時のことも記憶にあるの?」
「え!? アキラ、ウチが自分の意思じゃないこと……分かってたっすか?」
逆に質問を返される。なるほど。俺がそこを分かってないと思っていたなら。敵対行動を取った自分は嫌われてるだろうと思って逃げたくなるのも頷ける。
「ちょっと話が見えないのだけど、例の釜盗難未遂事件のことよね?」
「はい。あの時のクローチェは正気じゃなかったんです」
シェレンさんの質問に答えながら、ハス貸しの方も見る。
「そうか。あの時、アタシを取り押さえたのは……」
その言葉に、またも縮こまるクローチェ。次にどんな言葉が続くのか、恐々としているようだ。
だが、ハス貸しは小さく微笑み、
「なら仕方ないね」
いともアッサリ、赦してしまった。
「え!?」
驚きに硬直するクローチェ。俺も少し意外だった。もちろん、ディエラさんは寛容な人だとは知っているが……こうも簡単に「操られていた」という事実を信じてくれるとは。
彼女は、力なく首を横に振り。
「ウチのアホ娘も、洗脳されてるようなモンだからね」
ああ、なるほど。彼女には何の落ち度も無いけど、クローチェを責めにくい立場でもあるワケか。
「それに。あの時のアンタと、今の様子は丸っきり別人だからね」
そう言いながら、ハス貸しは少しだけ膝をかがめる。クローチェの顔を覗き込むようにして、目を合わせた。
「けど……それでもウチは」
「良いさ。こうしてケガ1つしてないからね」
ハス貸しは力こぶを作ってみせる。だが全くタプンタプンの腕には、何も浮かび上がらない。
その妙に間の抜けた感じ(本人も狙ったワケじゃないだろけど)が可笑しくて、俺と母娘は噴き出してしまう。
「わ、笑わないでおくれよ」
と言われても。なんか自信満々だったのに、普通にプニプニだったからさ。
「……」
そして。そんな俺たちの様子に毒気を抜かれたクローチェが、そっと肩の力を抜くのが分かった。




