229:宴の後に
小さな物音で目が覚めた。
宴もたけなわ、みんなが酔い潰れるのに合わせて、俺もいつの間にやら、眠ってしまってたみたいだ。
久しぶりに酒を飲ませてもらったからな。なんかフィニスの母乳も飲んだ覚えがあるけど……ああ、そうだった。もうここで母乳トレーニングも済ませようって話になって……
「出が良くなったところで、ミニスちゃんにバトンタッチして……授乳が終わったら2人は先に寝たんだっけ」
乳幼児と母親だからね。当然だ。
周りを見ると、死屍累々に転がっているけど、やっぱり母娘の姿は見えない。
「ぐごおおぉ」
「すーすー」
いびきをかいているニチカ、その隣で小さな寝息を立てているアティ。
ポーラとシェレンさんは座ったまま頭を預け合っている寝姿が可愛い。エレザは俺の隣で寝ていたので、起こさないようにそっと歩き出す。ステルスばあちゃんたちも居るから、すり足で進まないとな。つま先に何か当たったら避けて行く感じで。
「……」
さっきの物音、庭先でしたと思うんだけど。
釜とレシピ帳・地図帳の3点セットは肌身離さず……とはいえ眠りこけてたからな。隙アリと踏んで刺客が盗みに来た可能性もあるんだよな。
やっとこさ、窓際まで辿り着く。なんとなく、気配を感じる。緊張に思わず唾を飲んだ。ウィドナの駒であるコレッタはグロッキーなハズだけど、あるいは例の黒いモヤを注入し直して無理やり動かしているなんてことも……ありえるんだろうか。
更にもう1歩、近付く。もちろん窓ガラスは無いので、そのまま外が見える状態だ。
「あ」
目が合った。暗闇に溶け込むような黒に少しの赤が混じった髪色。ポーラよりも小柄な体躯。
「クローチェ……」
名前を呼ぶと、彼女は俺を少し上目に見た。どこか寂しそうな表情。あの黒いモヤに操られていた時の様子とは違う、いつもの彼女に見えた。
そしてクローチェは何も言わず……顔を伏せ、足早に去って行く。
「ま!」
待って、と言おうとした。だけど、そこで舌が止まる。
追いかけて良いのか? 罠を張られている可能性はないか? あの一瞬の表情、アレは演技には見えなかったし、何かを伝えたかった雰囲気もあったけど……
と。
「……アキラ」
背後からの声に振り返ると、エレザが目を覚ましていた。そして首を横にフルフルと振った。追いかけるな、ということか。
まあ実際、暗闇の中、松明の準備も無いまま追いかけるのは無謀だ。罠の可能性もやはり捨てきれないし。それに、会って何を聞いて良いかもまだ整理がついてない。
「アキラ、少し出ようか」
エレザも立ち上がり、玄関の方をアゴでしゃくった。目には少しだけ躊躇するような色もあったけど、恐らく事情をある程度話してくれるということだろう。
黙って従い、俺は釜だけ抱えて外へ出た。
星明かりも今日はあまり強くないようで、外はかなり暗かった。今出てきたフィニス宅の光石の明かりが無ければ、隣に立つエレザの表情すら見えなかっただろう。
「今日は早い時間に雨が降ったから、少し涼しいな」
「そうだね。おかげでポーチ関連で、てんやわんやだったけど」
それにその後も、雨を目眩ましに釜の盗難事件があったり。
……その主犯格の1人は、今さっきまで近くに居たクローチェその人だ。
「…………本当は、立場上も、人としても……勝手に彼女の事情を話すべきではないのだろうが」
前置いたエレザ。まあ当然だよね。明確なスパイ行為&プライバシー侵害と言っても過言じゃない。そこら辺の全てを踏み越えて話してくれるんだ。心して聞こう。
……そしてエレザは、おもむろに口を開いた。
「あの子は……島の外から来たんだ」
「!? そ、そうなのか」
島の外にも文明があるか否か、そもそも人が住んでいるのか否か、全て未知数だったが。
いや、もしかすると、俺のようにどこか別の世界から転生(ないし転移)して来た可能性もゼロじゃないのか。
「私も当時は幼くてよく分かっていなかったが……どうも母親と一緒に島の海岸に打ち上げられていたとか」
なるほど。エレザとクローチェが何歳差かは分からないけど、エレザもまだ子供の時分か。
「ただ、ウィドナ様が引き取ったことだけは知っている。屋敷の奥に彼女たちが来たからな」
口振りからして……エレザが孤児となり、ウィドナ宅に出入りするようになった後の出来事なのか。
ならあまり詳しくないのも、覚えていないのも当然か。彼女自身、それどころじゃなかっただろうからね。
「何の目的でウィドナは彼女たちを?」
「正直、私にも正確なところは分からない。ただ恐らく最初は、島に混乱をもたらさないよう隔離する意図があったのだと思う」
俺と同じか。俺の時は問答無用で牢にブチ込まれたモンだが。まあ結構すぐ出してもらえたから、良いんだけどさ。
「だが、きっと洗脳しやすかったのだろうな」
雲行きが怪しくなる。洗脳。以前にも聞いた言葉だ。
「元居た場所でも、その見た目から迫害を受けていた種族らしくてな」
亜人。動物の耳や尻尾は、確かに異様ではある。
「この島でも迫害を受けるに違いない。自分がここに匿っていてやる。恐らくそういった類の甘言を用いたのだろうな」
なるほど。もっとロボトミー的な洗脳を思い浮かべてたけど、まあ良く考えりゃ、この島にそんな設備は無いよね。つまり刷り込み、というヤツだ。
「母親も信じたようだし、幼いクローチェは言わずもがな」
「だろうね」
「恐らくウィドナ様は猫亜人の諜報力に目を付けたのだと思う。衰弱していた母親の方を養ってやり、恩を売り……」
嫌な話だが、政治家が諜報機関を作りたがるのは古今東西よくあることだ。
「クローチェが他の島民と関わりたがらないのは……」
一緒にフィニス酒蔵に行った時に、アネビーさんから身を隠すようにしていたことを思い出す。
「ああ。幼い頃に刷り込まれた、弾圧されるぞという強迫観念からだろう」
洗脳のコツは外部情報に触れさせないこと、というのはどこかで聞いたことあるけど。
幼い頃からの刷り込み、恐怖と安寧、情報遮断。ウィドナは上手くコントロールしてるらしい。やはり色んな意味で手強いな。




