118:ニチカのおばあちゃん
海岸から丘北東部へ上がるルートは、思ったより道のりが長く、ロッククライミングみたいな真似をしなくてはいけない個所もあった。こっち側も安全が完璧に保証されてるワケじゃないんだなと。これなら確かに、ちょい朽ちかけでも橋の方が手っ取り早いと考える人が居てもおかしくないかも。
先に登りきったニチカが橋の方へと近付いていく。俺も後から追いつき、隣に立った。彼女は橋の下、川中の岩に落ちたポーチを確認しているようだ。真っ先に行くあたり、やっぱりアティに対して(少なくとも)フラットではないんだろうな。それが何の感情に起因するのかは今は分からないけど。
「泳いで行くにも厳しいか」
「うん。行くにしても、南から逆走は難しいから……北のゲンブ岩石地帯から回るしかないかな」
それにしたって泳ぐ距離が凄まじい。いくら漁師で鍛えているとは言っても。海と川では勝手も違うだろうしな。
「雨のせいで、いつもより勢いもあるな。タイミング悪ぃ」
ニチカが舌打ちと共に吐き捨てる。
まあ幸いなのは、雨はしばらく無いだろうとのことなので、これ以上は水嵩が増さない(ポーチが流されない)ということ。そこも改めて説明しておく。それで少し表情を緩めたニチカ。けど泳いで取りに行くという案自体は、彼女の中で消してはいない雰囲気だった。
これは何が要る? 浮き輪か? ハーネスの超ロングバージョン……は現実的じゃないか。あるいは水泳ではなく、ボートなんかどうだろう。いや、川中に岩が多いから、逆に危ないか?
……ちょっと今すぐに妙案が浮かぶ感じはしないな。
「とにかく……この件は俺の方でも考えておくから。アティにもそう言ってる」
「ああ」
「くれぐれも独断専行しないようにな」
「釘刺さんでも大丈夫だって。海や川をナメてかかればどうなるかは、あーしが一番よく知ってるし」
そうだよな。現役の漁師で、お母さんも海難事故で亡くしている彼女は、その恐ろしさを誰よりも知ってる。ただどうにも。アティに対しての感情が無理をさせそうで、(釈迦に説法でも)改めて注意しておきたかった。
それで橋の話は切り上げ、俺たちは改めてニチカ祖母の家へ向かうのだった。
北東の飛び地は思っているより大きいらしく、10以上の家が建っている。造りは丘の本体にある物とは打って変わって、木板と柱を組み合わせた様式のようだ。まあここまで丸太を運搬するのは大変だもんな。
そういう差異点を探してキョロキョロしながら歩いていると、
「こっち側、来んの初めてか?」
「うん。なんだかんだ、まだセフレ島に来て1週間だからね。回れてない所もチラホラあるよ」
特に、ここは橋も落ちてしまったしな。
「そっか。こっち側はな……ヤギが沢山居るんだぜ。ミルクも取ってる」
「おお。そういやヤギが居るのは知ってたけど、ミルクって飲んだことないな」
フィニスのミルクは飲んだけどね。ああ、夜もまた混浴だから飲ませてもらえるんだよな。ヤバい、勃ちそうだ。
というか、そのフィニスの農園で飼ってたハズだけど。
詳しく聞けば、あちらはここのヤギを平地に下ろして飼育しているとのこと。ただあくまでも副次的な役割で、ミルクやヤギ肉の生産はこっちが主体らしい。
この北東の離れは陸の孤島状態で、鹿たちが橋を渡ったり崖を登って来ることがなく、ヤギたちの餌となる草が食い荒らされることがない。よって飼育に適した環境が整っているんだそう。
「まあ美味えモンではないけどな」
「あ、そうなんだ」
「ああ。モッタリしてて喉に絡んで飲みにくい。少なくとも、あーしは好きではねえな」
もしかするとシェレンさんも苦手だから買わない(=俺が飲んだことない)ようにしてるのかも。
生乳が苦手でも、チーズやバターに加工すれば食べられる可能性があるんだけど……そこら辺も追々かな。今は「賢者の石」、それが終われば橋の復旧&アティのポーチ回収の方が優先だからね。
そんな雑談をしながら歩いていると、すぐに目的地に着いた。他の家より少し小さい木造家屋。おばあちゃんの一人暮らしなら、これくらいのサイズ感がちょうど良さそう。
「ばあちゃ〜ん! あーし、あーしだよ」
あーしあーし詐欺かな?
呼び掛けから少し経って、玄関ドアが開く。中から白髪の老婆が出てきた。目尻が垂れ下がっていて、頬も少したるんでいる。全体的に柔らかい印象を受けた。
ていうか、立ち絵アリ、か。彼女のユニークイベントもあるのかね。
「こ、こんにちは」
「ああ、こんにちは。アンタ、もしかして噂のアキーラかい?」
テキーラみたいになってるな。
「アキラ、アキラだよ、ばあちゃん」
「明らか?」
「ア! キ! ラ!」
だいぶお耳がアレのようだ。
「アキラ……変わった名前だねえ」
皺くちゃの顔を、更にクシャッとして笑うばあちゃん。人柄は良さそうだね。
「おばあちゃんは? お名前、なんて言うの?」
耳元まで口を近付けて訊ねる。
「ああ、アタシの名前はイザリだよ」
おお、ちゃんと返ってきた。
「よろしくね。イザリさん」
握手する。耳が悪い以外は、腰も曲がってないし、目もよく見えてるみたいだし、元気そうだね。
「ばあちゃん、橋が通れないみたいだけど、大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だよ。通ってるから」
ここに無理くり渡ってる勢が居たよね。
「イザリさん、ダメだよ。アティですら橋で滑って落ちかけたんだから」
「アティの話が……滑って……オチが欠けてた……?」
ダメみたいですね。
仕方ないので、また耳元に顔を近付け、
「もっと壊れちゃったから! もう通れないよ! 海岸に降りる道を使って!」
「なんと! アティは何をしてるんだい?」
さっき滑落しかけたって言ったろうに。ああ、そうか。よく聞こえてなかったんか。
「丸太の中にヤバい虫が居て! 中から食ってたんだ!」
「そりゃあ難儀だねえ」
それから更に2分ほど説明を続け。ようやく理解してもらえて、橋は使わないという確約も得た。
……喉がカラカラになったけどね。




