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流れゆくものの愛おしさ

許されるなら、また会おう。 


※モチーフに書きました↓

F.Smetana「Vltava」

https://youtu.be/2Rebl0jn5kE?si=-_rEehBdM0nKlQsR

私に魂を吹き込んだ日も、人形職人の爺は休みなく手を動かしていた。近所で生まれた赤子へ初めて送られる雛人形の一式。その中の一体として目を開けた時、場に居合わせた一行の中では比較的粗末な、身体に少しきつい着物を着せられ不安定な右手に扇を持たされていた。

「ああ、私は桃の節句が来る度に、声を限りに歌うのだ。五人囃子の一人として。」

 顔を白い紙に包まれ箱に入れられる前に、きらびやかな装飾品を纏った姫君と、どこか幼い表情の殿方の顔が目に映った。姫君の無表情な眼差しが物憂げであったのがどうも少し気にかかった。


「何て素敵な雛人形なのでしょう、今時珍しい。初孫の誕生を心から喜んでくれるおじいさんと、人形の名産地で生んでくれたお母さんに感謝ですわね。」

 祖母の腕に抱かれて、この世界の光を浴びてまだ幾日も経たない透き通った目をした赤子が私達全員の顔を覗き込んだ。どこまでも深く澄んだ黒い目を縁取る瑞々しく青みがかった白さ。赤子の瞳から散乱する愛らしい光は、先程まで閉じ込められていた箱の暗さと相対してとても眩しく気高いものに感じられた。

外に白い雪が降りしきる夜でも雪洞の明かりはぼんやりと赤い段を照らし続ける。ヒトの目がないのをいいことに、こっそり振り向いて眺める姫君の表情は、自分の婚礼の儀式だというのにやはりどこか寂し気で祝いの雰囲気にそぐわなかった。

「今日初めてお目見えしたお嬢様の、あの輝く目を貴方は御覧になって? 小さき物は、皆うつくしとは古の時代を生きた清少納言も書き残してはいるけれど。」

「お嬢様のご成長を見守る皆様の温かさも素晴らしく思いませんこと? ああこのようなご家庭の雛人形として生まれることができて良かった。」

 上段で微かに灯る光の他は月明かりさえも差し込まないような、丑三つ時の神聖な静寂を三人官女の囁き声が不意に破った。話が盛り上がるにつれ朗らかになっていく声につられて他の衆も躊躇いつつ互いに会話を交わし始め、朝日と共に家人が起きてくるまでの時間は私たち人形にとって存外賑やかなひと時となった。

そしてひと月ほど六畳ほどの広さの和室に飾られた後私たちは箱に仕舞われ、世間一般の雛人形たちと同じように毎年桃の節句が近づくとまた取り出され、赤い段に飾られた。

 

四回目の春を迎える頃にちょっとした事件が起きた。初めて見た時は祖母の腕に抱かれていた赤子は既に自分の足で歩き始めており、その日は大きな瞳をくるくると回しながら、後ろ手に何かを隠しながら近づいてきた。

「お人形さん、お人形さん。その髪の中には何を一体隠しているの? 」

 姫君の人形に手を出すのははばかられたのか、一つ下段の三人官女の内の一体をむんずと掴み、右手に持った裁ち鋏で赤子は少しいたずらをした。

「うわーい。綿が詰まってらあ。」

 その後いたずらがばれたかどうかは知らないが、夜になって髪を切られた官女は少し涙ぐみつつも、髪をどうにか整えて次の朝には何も起きていなかったように装った。この一件で私たちは真新しい雛人形一式という肩書を失った。


一年の間の殆どを箱の中で過ごして来た私たちも月日を重ねるにつれ、時には誤って開け放した窓から吹雪の冷たい風を浴び、別の時には目をすっかり悪くした祖母の零した白酒を浴び、それなりに古びた人形の一群となっていった。そしてある時を境に背中のすっかり曲がった祖母は私たちの前に現れることはなくなり、かつてその腕に抱かれていた赤子もしばらくして姿を消した。

 二十四回目の桃の節句を間近に控えた、音もなく雪の降り積もる寒い夜のこと。和室からさほど遠くない一室の電気が遅くまで点けられ、数人の大人がぼそぼそと話し合う声に私たちは耳を澄ませていた。

「もうあの子はここに戻ってくることはありません。桃の節句で祝うヒトはこの家にはもう誰もいません。煌びやかだった人形も良く見ると、着物は日に焼けているし部品も一部欠けていたりして。そろそろお役目終了で良いのでないかと。」

「父のない子を不憫に思い近所にいた職人の爺に頼み込んで、当時でも豪華だった一式を無理して手に入れた日が懐かしいな。あの職人もいつの間にかどこかへ引っ越して、雛人形を家に飾る事が夢だったと嬉しそうにしていた妻も、すっかり呆けて今では自分の部屋にこもりきりだ。そろそろお別れの時期なのかもな。」

 赤子の母と祖父が話し合った結果、明くる日の朝私たちは川辺の寺で焚き上げられることが決まった。

普段箱に詰め込まれるか赤い段に並べられるかしかなかった私たちは、寺に到着後は役割など関係なく雑多に紙の上に置かれた。どうやら人形がある程度の数揃ってからまとめて焚き上げられることになるそうだ。赤子の母と祖父は焚き上げ料を置いて、振り返りもせずに寺を後にした。


 長い間過ごした場所を離れて初めて過ごす丑三つ時。いつもお喋りの三人官女も今は己の運命を知り憂いているのか、ただひたすらに音のない闇に包まれていた。

「……地謡様、地謡様。まだ目を覚ましておられるか? 」

 不意に耳元であまり聞き慣れない、透き通ったか細い声が聞こえた。振り向くと相手が身に着けている装飾品がキラリと光り、私に話しかけている相手が姫君であることを知った。

「今すぐここから逃げ出すのじゃ。黙って手を握っておられよ。」

 こちらが口を開くより前に少し短めの袖を力の限り引っ張られ、次の瞬間私は姫君と冷たく深い水の中に飛び込んでいた。

「其方は気づいているのかおらぬのか。知らない方が良いのかもしれぬが言わせて欲しいことがある。」

 姫君と私はただただ存外に早い川の流れに身を委ねた。

「我が相手を見た時、其方は違和感を覚えなかったか? 」

 唐突な質問に声が出なかった。

「小さな頭に似合わぬ冠、幼い表情に似合わぬ織物。そして其方は繊細で上品な顔立ちに粗末な着物。手の所作さえも五人囃子の小さな扇を持つには優雅すぎる。」

 どのくらい時間が経ったのだろうか。朝焼けで徐々に明るくなる空に、長い髪の張り付いた姫君の必死な顔が照らされる。

「其方こそが本来であれば我が婿殿だったのじゃ。二十四年前のあの日、年老いた職人の爺はあろうことか最後の最後に着せる着物を誤ったのじゃ。」

 見る度に無表情だった姫君の表情に、激しい感情をはらんだ眼差しが灯った。熱いその視線は茫然とする私を包み込む。と同時に私のものより数倍重い姫君の着物は、その切ない恋心と共に彼女の身体を、水底へと引きずり込んでいく。

「この世の最後の日に、其方しかいない場所で我はそれを伝えたかったのじゃ。叶った今はもう悔いはない。我の事情に付き合わせて悪かったな、そしてできれば其方だけでもどこかに流れ着いて適当に余生を楽しめ。運が良ければまた来世で。」

 水面で弧を描く無数の小さな虹色の泡と共に姫君は徐々に姿を隠し始め、精一杯の笑顔を作ったまま、やがて行方をくらませた。


 一度に押し寄せた感情の波も次第に忍び寄る不安の影も隠すように、川は海へ海へと流れ太陽は昇る。流れゆくこの世の全てのものは、どこか他人事で残酷だ。このまま遠くへ流れたらいつか小耳に挟んだ異国の地へと行けるのか、見知らぬものに出会えるのか。重くなっていく着物が姫君と同様の運命を示唆するのを必死に見ぬふりをして、私はそんな夢物語を必死で考えた。

 太陽が西へと傾き、再び辺りが闇に包まれる直前。次第に広くなっていく川の隅で私は突然その流れから離脱した。着ていた着物のほつれ目が川辺の芝生に絡みついたのだ。動きを止めた身体を横たえ瞬き出す星たちの光をぼんやり眺める。冷たい空だ。もしかしたらまた雪が降るかもしれない。一人で過ごす暗い夜はさぞかし寒かろう。

「おや、こんなところでどうされた。昨日通りがかった時にはいなかったはずだが。」

 突然私は地面から、誰かの節くれだった大きな手で拾い上げられた。

「おお、日本人形か。しかも男雛か。古びてはいるが質は大変良いものだ、よし。」

 私はおもわず切れ長の目を見開いた。この手に懐かしさを覚えるはずだ、この声に馴染があるはずだ。拾い主は約二十四年前に私に命を吹き込んだ、そして運命を狂わせた人形職人の爺であった。

 爺の家に連れて帰られた私は汚れた着物を脱がされ身体を綺麗に洗われて、フリンジの沢山あしらわれた赤いタータンチェックの民族衣装を着せられた。以前にも増して目を悪くした爺は日本人形制作からは手を引いて、古い人形のリメイクを新たな仕事として始め中々の評判を得ているようだ。爺が新たな命を吹き込んだ人形たちは海外の顧客からも受けが良く、そしてそれは私についても例外ではなかった。

「エジンバラに行っても元気でやりな、川流れのお内裏君。」

 ぎこちない手つきでバグパイプを抱えた私を、爺はガラスケースの外から覗き込む。あの時川の流れから外れても、止まらなかった私の時間。数奇な時の流れの先に何が待ち受けているかは知らないが、時計の針に身を任せてもう少しこの世を漂うことになりそうだ。


姫君よ。いたずらに運命を違えた婿殿は、言葉通り適当に、余生を楽しむことになりました。貴方が興味を持つような土産話の一つや二つは、持ち帰ることができそうです。それでは、いつかきっとまた出会えるその日まで、さようなら。


お題「もうお互い自由になろう?」


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