アクアナイト
―――これは、……残念ですが勝てませんね。
戦いの中でアリアドネは自身に勝ちの目がないことを察していた。水体制御により攻撃を捌くことはできる。だがダメージを与える手段が存在しない。
―――純水炉は水に変えずに放出した魔力を水属性と同じように操ることができる加護です。いわば、魔力に対する属性付与。だから感知魔術には感知されないし、目にも見えないんですが……。あれを突破できるかどうかは賭けですね。
あの魔法陣の効果に確証を持てない以上、今見えているものでしか判断できない。だからどうしても消極的な行動になってしまう。
―――それにあの目。おそらく成功したらそれはいいんですが、失敗した時にはそれをすぐに解析されてしまうそうですね。そんな噂を聞いたことがあります。それはさすがに不快ですね。
三つ目の加護を使えば難なく倒せるでしょうが、今それはできませんし。困りましたね。なら仕方ありません。せめてこれだけはしておきましょう。
アリアドネの脳裏に一つの案が浮かぶが、それをすぐにかき消した。そしてあきらめたように溜息をつくと、顔を上げた。
「アクアナイト。」
空中に浮遊したいくつもの水塊が一つに集まり、その形が少しずつ変わっていく。二メートル近い大きさの鎧に輪郭が変わっていき、盾と剣が形作られる。レイン家の紋章が浮かぶ盾を背負い、剣は体の正面にまっすぐ構えられる。
「行きなさい。」
アリアドネの言葉をトリガーに空虚だった頭部に二つの光がさながら瞳のように宿る。剣を片手に構え、背中から盾を取り出した。
「……ほう、それが切り札か。確かに込められている魔力量も尋常ではないな。」
ガリバーは自身の方へと駆けだす水の騎士を前にただ感想を述べた。その間にもガリバーの攻撃を盾で防ぎながらそれは近づいてきている。
「だが、無駄だ。」
アクアナイトの振り下ろした剣先が魔法陣に触れた瞬間、確かに実体を伴っていたそれはアリアドネの制御を離れ、水たまりへと姿を変えた。
ガリバーから放たれた追撃から逃れるように距離を取ったアクアナイトは、その場で剣を修復すると警戒するように再度構えた。
「手動かと思ったらまさかの自動か。しかもそれを魔術で作った被造物で実践するとは。これでは普通の人形とかでも苦労している傀儡師系統の加護を持つやつが泣くな。
そして―――。
術者本人も近接戦闘ができる、と。」
ガリバーの背後から現れたアリアドネが手に持つ杖で後頭部目掛け鋭く突いた。しかし、ガリバーはそれを軽く躱すと魔術で反撃をする。
「あれだけの魔力を人の形に押し込み、制御するだけでも一苦労だろうに。それに自動化術式を組み込むだけでなく、自身には身体強化をかけてくるとはな。俺様でも一苦労しそうな所業だ。」
「……余裕ですね。まだ勝利を確信しているんですか?」
駆けつけたアクアナイトの背後からアリアドネが声を上げた。
「当然。これまでの戦いで分かっているだろう。俺様に貴女の攻撃は届かない。だが俺様の攻撃は届く。それだけで勝負は決まっている。」
「そうですか。それはやはりその魔法陣を信頼しているということなんでしょう。減退と増進、確かに恐るべき効果です。」
「……。」
「ですが、それは魔術にしか効かないと見ました。」
直後、アクアナイトが床石を一枚剥がし、それに掌打を叩きこんだ。それは壊れることなくガリバーの方向へとまっすぐ飛んでいった。そして床石自体は反撃の魔術に空中で破壊されたものの、破片は確かに魔法陣を素通りしていった。
「……正解だ。確かにこの魔法陣は魔術にしか効果がない。だが、その攻撃に意味がないことには変わりがない。その対策として対物理攻撃用の感知術式も用意している。どちらにせよ俺様に攻撃は当たらん。」
「どうでしょうね?まだまだ勝負は分かりませんよ?」
その言葉を合図にアクアナイトが再度駆けだした。その途中で盾を放り投げ、剣のみをその手に握っている。
敏捷性が上がったのか、ガリバーの攻撃を防ぐのではなく躱している。しかし完全に躱すことはできないのか、彼が動いた軌跡を示すかのように水たまりができていく。
時にはギリギリ、時には大きく動く彼はまるで舞台の演技かのように武舞台全体を舞っていた。
―――……少しずつ小さくなっている。修復の際の水は補給されているわけではないのか。なら、あれを削りきれば俺様の勝ちだな。
勝利への方針が立ったガリバーの攻撃は苛烈だった。速度や描く軌道がまったく違う攻撃が四方八方からアクアナイトに襲い掛かる。
迫る攻撃に体の端を削られていくアクアナイトはその大きさを五十センチほど小さくしながら、とうとうガリバーの前にまでたどり着いた。
「―――!!」
そしてガリバーの前まで近づいたアクアナイトは声なき声を上げながら剣を振り下ろした。
ガリバーはその無意味な攻撃を無感情に見つめている。その届くことはない、最後の足掻きを。
「ッ!?」
目の前で水の大剣が魔法陣の効果を受け、水へと戻るのを視覚が捉えた。しかし、同時に感知魔術が自身に迫る何かを魔術回路から伝達してきた。
あまりの想定外にガリバーの身体が一瞬固まる。その瞬間に大剣の中から木製の杖の先が姿を現していた。
受けるのは間に合わない。避けることはできるかもしれないが、その瞬間魔法陣が解ける。それは自身の研究成果の敗北を意味していて、それも無意識に拒否してしまっていた。
目前まで迫る杖にただ無防備に立つことしかできないガリバーであったが、一瞬視界がぶれた。
切り替わった視界には自分の前を通り過ぎていく杖が映っていて、ガリバーは自身の知らぬ所でまた加護が発動したのを実感した。
思わず顎に力がこもったが、対抗戦の最中であるという認識がそれを退けた。
「ッ!フレイムレイ!」
詠唱破棄ではなく、詠唱省略で放たれたその炎属性魔術はこの対抗戦の中では最高の威力を持っていた。
アクアナイトはその攻撃を右手で受け、逸らした。しかし右手は一瞬で蒸発し、水蒸気へと変わった。そしてそれが決定打となったのか、アクアナイトが形状を保てなくなり崩れた。その全身を煙へと変えて。
しかし、この瞬間ガリバーは確かにアクアナイトの中から何か影が後方へと勢いよく飛んでいくのを見た。
詠唱破棄した風属性魔術で煙を吹き飛ばした彼が見たのは、自身へと黒く焦げた手を向けるアリアドネの姿だった。その右手には細い青色の光の線が無数に走っており、それが焼かれた魔術回路や神経系の代わりを果たしているのだと、ガリバーは直感で悟った。
「アクアバインド」
その詠唱をもってその手が閉じられた瞬間、武舞台上の床石が至る所で跳ね上がり、ガリバーへと殺到した。そしてその床石はガリバーの六方を光が入らないほど固めた。よく見るとそれら床石には水たまりのようなモノが付着していた。
そしてその水たまりが体積を増しながら繋がっていき、とうとうその床石を覆いつくすほどの巨大な球となった。その表面には術式が刻まれた一本の魔法陣が走っていた。
「―――封完」




