純水炉
「……どうやらお遊びはここまでのようです。申し訳ありませんが勝たせていただきます。」
アリアドネは心の中で小さく覚悟を決めた。
「やっぱり?まだ隠してるものがあるよね?やって見せてよ!」
その覚悟は成人もしていない少女が抱くにはあまりにも強固で、矜持ともとれるものだった。
すなわち、貴族としての果たすべき責務。今の彼女は王立セントリア学院の代表生徒としてではなく、一人の貴族子女として立っていた。
―――純水炉、稼働。
アリアドネの体内、その奥深くで加護が発動した。外見的変化は一切なく、魔力感知に長けたイーリャ神殿の契約者でも、そのアリアドネの体内における魔力の変動に気づくことができないレベルだろう。
「あなたは危険です。できればその研究もやめてもらいたいところですが、それを強制できる権限は私にありません。なので、せめてこの対抗戦は速やかに退場していただきます。」
アリアドネは手をまっすぐ伸ばす。相手に手を差しのべるように、ゆっくりと。
「あっはっはっは!!やって見せてよ、僕の延炎熱海を攻略できるものならね!」
―――何よりも自由に、世界を征け。
何よりも素早く、世界を渡れ。
何よりも柔軟に、世界に示せ。
アクアバインド。
声に出していないため出力は少し落ちるが、完全詠唱によりその魔術は完成した。
それを確認したアリアドネは伸ばした手をゆっくりと閉じ始めた。柔らかい果実をゆっくりと潰すように、ゆっくりと細い指が閉じていく。
その様子を見てオレンは異常を察したが、全てが遅かった。
オレンが改造したファイヤランスを放とうと指を向けた時にアリアドネの手は閉じ切った。
「ガッ!?」
直後全身が万力で締め上げられたかのような錯覚を感じるほどの閉塞感を全身が脳に伝えた。
―――なんだこれは!一切動けない!?指先も、口も!いや、それ以上に呼吸ができない!
不思議と痛みはなく、ただ動けない。今の姿勢から少しでも変わることを何かが許さない。
ゆえに胸の上下運動を伴う呼吸も拍動も、全てが制限されていく。
明確な生命の危機に研究者の好奇心は消え失せ、ただ死が近づいてきているという漠然な想像に掻き立てられた恐怖がその肉体を占めていく。
オレンの閉じることができない目が移す光景が白んできた時、決着を告げる声が遠くに響いた。
*****
「なんだ!?一体何が起こったんだ?」
予備研究所ストイックの控室、その一角を占める観測班から悲鳴が上がった。記録係の中でも魔力感知に長けた生徒で構成されている彼らは、対抗戦の中でも魔力の流れを観測するという手法をもって武舞台上の状況を記録していた。
その中でもオレンの観察をしていた生徒がその周囲で突発的な魔力濃度の上昇を感知したのだ。しかもそれは攻撃魔術の発するそれよりもはるかに高かった。それが意味するのは、オレンは絶えず攻撃魔術にさらされているということである。苦し気に悶えているようにみえるが、その実態は想像にもできぬほどのレベルの責苦を受けているに等しいはずである。
その観測班の生徒が上げた悲鳴を皮切りに記録係が混乱に陥った。彼らの観測できる範囲において魔力濃度以外の全てが値に変化がなかった。だが、過程に有意な変化は認められなかったのにも関わらず、結果は誰の目にも明らかだったのだ。
「黙れ。詳細を報告しろ。」
ガリバーの側に立っている次席研究員のサウザーが冷ややかな声を上げた。彼ら記録係以上に優秀な彼は今起こった異常を把握していないはずがないが、あくまで混乱を収めるためにその感情を押し殺したのだろう。
「は、はっ、サウザー次席。オレンの周囲の魔力濃度が一瞬で攻撃魔術以上まで上昇。クラスは上級の応用魔術から発展魔術にまで手が届くほどです。」
「発展魔術クラスか。その兆候はあったか?」
神殿師養成学校のカリキュラムに入っているのは汎用魔術と応用魔術のみである。すべての魔術の基礎になる汎用魔術と、それを自分の感覚に合うように調整した応用魔術は神殿師養成学校に通っていた王都民の誰もが使うことができるが、その一つ段階が上の発展魔術はその限りではない。
汎用魔術の基盤を使わずして魔術を再現する。それは新たな体系を作ることと等しく、それぞれの養成学校で上位を占める優秀な生徒が四年間の歳月をかけて一つ創り出せるかどうかといったところである。そして、創り出せたとしてもそれが実戦で使えるかどうかはまた話が変わってくるのである。
「相手生徒の周囲に魔力の変動は観測されませんでした!」
「同じく会場全体の魔力濃度も有意な変化は観測されてません!」
「レイン家の相伝魔術だとでもいうのか?そんなデータはあったか?」
しかし、発展魔術と類される魔術は何も一から自分が作る必要はない。特に王家や侯爵以上の貴族家であれば一家相伝の魔術が複数存在しており、それらも発展魔術に分類されている。かつてマッシュが使った“氷爆”と言う魔術がその例だ。
「ありません!おそらく今回が初めてかと!」
初見の発展魔術に対抗するのは不可能に近い。通常使われる結界魔術も応用魔術までをベースにしてできているために発展魔術を防ごうと思ったら、同じく発展魔術での防御しか意味を為さないことが多いのだ。
思わず爪を噛みそうになったサウザーであったが、彼の抱える苦悩を知ってか知らずか、ガリバーが声を上げた。
「おいおい。お前ら正気か?何度も言っているだろう。神殿師の戦いでは目で見えていることがすべてじゃない。実力者になればなるほど手の内は隠すものだ。」
淡々と告げる彼の顔には隠しきれない好奇心が浮かんでいた。
「今起こったことだけを純粋に受け止めろ。解釈も推測も要らん。どれだけ不可解な現象が起こっていようとも、理屈に理解が追い付かずとも、今は集まっているデータと結果には関係があるということだけが分かっていればいい。どうせ後で死ぬほど仮説と検証を繰り返すんだ。」
「なら対策は考える必要はないということか?」
ガリバーの言葉は勝負を投げているといっても過言ではないものであった。研究のことしか興味がない主席研究員に代わり、予備研究所の運営をほぼ一人で行っているサウザーからしたらその言葉は受け入れられなかった。
「対策?なぜそんなことを考える必要がある?」
「最低限の成績を持って帰らないと体裁が悪いだろう。援助してもらえる資金もこの対抗戦の成績が多少は関係してくる。」
「それ以上の功績を立てているだろう?俺様達が書いた論文はたとえ本職の研究者や神殿師だって無視できない。」
ガリバーの言っていることは間違いがなかった。特に彼が書いた論文は学生レベルを大きく超えており、研究者の間では大きな話題となっている。
「それは、そうだが……。」
「だが、サウザー。お前の言いたいこともわかる。運営のほとんどを丸投げしてしまっているからな。この対抗戦でも結果を出していた方が、都合がいいんだろ?
……よし。後二人は適当に出せ。最後に俺様が出る。」
その言葉はサウザーからしたら願ってもないものであったが、それでも疑わずにはいられなかった。
「いいのか?お前は出るつもりはないって言ってたじゃないか。」
「いいんだよ。どうやら他所の養成学校も骨があるやつがいるみたいだしな。……俺様の加護が暴走しても死なんだろ。」
感情を排した研究者の目をしているが、サウザーは確かにその奥に興奮を見た。魔術や加護ではなく、他人に対して感情を動かすのを見るのは幼馴染であるサウザーからしても久しぶりのことであった。
だが、幼いころからガリバーの元で育ってきたサウザーは彼に興味を抱かれた人間のその末路を知っている。知りたいことをそのまま放置してはいられず、そして満ち足りるまで貪る。彼の身近にいながらサウザーが生きていられたのは、彼が平凡であったからに他ならない。
「……お前、あの加護を使うつもりなのか?」
「ああ、俺様が最初に授かった加護、―――混沌之理。これを解明しないことには次には進めん。」




