新学期
王立セントリア学院。王国建国時からある由緒ある学院である。王侯貴族であっても成績がなければ入学することができないという敷居の高さと、充実した研究施設や研究範囲の広さから入学を望むものが絶えないという。
入学後は貴賤を問わず立場は対等であり、特権があるとすればそれは学院順位上位者や成績優秀者、または生徒会を始めとした委員会に所属する者のみである。彼らはそれぞれに応じた特権があり、例えば学院順位上位者と成績優秀者は希望する研究室に、通常であれば一つしか入れないが、複数入ることが可能である。そして委員会は学校運営に口出しでき、講師を凌ぐ権力を行使することができる。最もそれは学校運営の面のみであり、授業内容には干渉できない。
そして順位が高ければ高いほど卒業後はあらゆる面で優遇が得られる。王国唯一の王立学院ということもあり、進路の幅はとても広い。王宮勤めも当然可能であるし、たとえ冒険者になるとしても最初から実力者としての対応を受けることができる。
「はぁ。なんでこうなる?」
そんな王立セントリア学園で三年生でありながら学院全体の上位8位に立つ彼は常に注目を集める存在である。彼は学院の中をただ歩いているだけであるが、そんな彼を遠巻きに眺める生徒がたくさんいる。しかもその大半が黄色いネクタイをつけた一年生であった。まだ四月の中頃だぞ?入学してばっかだろうが、自分のことに集中しなさいな。
「時間の問題だったでしょー。去年の四年生が卒業して繰り上がりで8位になったとはいえ、それでも注目は集まるじゃない。それに神殿を呼びださないってなれば余計にね。」
からかうように笑いながら言う彼女はルカ=セレンディ。青い髪を靡かせる彼女はあどけなさが残る顔に少し呆れたような表情を浮かべている。
「だとしても、こんなすぐに入学したばっかの一年生に知られるとは思わなかった。」
「だって知ってるー?テルが昨日相手した子って、確か公爵家かどっかの嫡子だったはずだよ。主席なのはそうなんだけど、それ以上にダラティック家の嫡子って私達が入学する前から神童だって噂だったしー。」
「そうなのか?俺は平民だから知らなかったな。」
「いやいや、さすがに神殿師を目指すって言ったら彼の存在は知らないはずがないんだけどー。加護も当然、魔術のキレもすさまじいとかさ、知ろうとしなくても情報は入ってくるもんだよー。」
「……そういうものか。」
「相変わらず自分のこと以外には興味がないんだねー。……って、あれ?」
「ん?」
二人の歩く先に一人の男子生徒が立っていた。赤い髪に穏やかな目付きをしたその男子生徒は、ルカはもちろん、テルからしても見覚えがある人間だった。
「げ。」
「げ、って何ですか、先輩。さすがにショックですよ。」
その男子生徒こと、ダミアン=ダラティックは言葉とは裏腹に表情を一切変えずに言ってのけた。
「そ、そうだな、悪い。だが、大丈夫か?怪我とかしてないか?」
「あいにく、この学院の保健委員の方は優秀な方が多かったようで。一晩寝れば全快しましたよ。」
「それはよかった。……じゃあ誰か待っていたようだし、俺たちは失礼する。ルカ、行くぞ。」
「え?ああ、うん。」
ルカが間の抜けたような声を上げたが、それに構うことなくテルは歩き出した。というか、逃げ出した。入学してから面倒事に絡まれることが多い彼は、人間関係において破格なほどの危機回避能力を持っているのである。
ただでさえ、今は周囲の学生から注目を集めている。学年8位が神童と呼ばれる後輩と廊下の真ん中で話しているという異常事態に、わざわざ足を止めて野次馬している生徒も多い。
かつてないほどの肩透かしを食らったダミアンは一瞬固まってしまったが、テルに付いていくようにルカも困惑しながらも歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ってください!まだ話は終わってませんよ!」
置いてきぼりにされかけたダミアンは歩き始めた二人の前に回り込んだ。
「む、そうだったのか。それで、話とはなんだ?」
面倒事に巻き込まれそうだと心の中でため息をつきながら、それでもそれをおくびにも出さずテルは言った。
「それはですね、今度魔物討伐の依頼を受けようと思っていたんですが、その監督をしてくれる人を探していまして。先輩にしていただけないかと思いまして。」
「監督?……ああ、そういえばそんなのもあったな。」
セントリア学院には提携している王侯貴族、冒険者ギルドや私立研究所から魔物の素材の依頼が来ることがある。当然食用での依頼もあるが、研究に使われる素材が大半を占める。
これらの依頼は統制委員会によって管理され、その依頼を達成できると考えられる学生であれば受けることができる。しかし、初めて依頼を受ける際はその監督官として統制員会の委員か実力がある上級生を据える必要があるのだ。
「だとしたら俺よりもルカの方が適任だろう。俺と違って神殿の召喚もするし、三年生の中でもかなり優秀な方に入る。それに神殿を召喚できるかどうかすら分からないやつよりも信頼できるだろう。」
テルは自分で言いながらもその説得力の高さに感心していた。同級生であるルカを持ち上げつつ、自分のことを下げることで誰がどう見ても自分を選ぶメリットがなくなった、そのように見せかける。
これでテルの方を選ぶ理由はない。しいて言えば学年8位という肩書くらいだが、そんなものに惹かれるような人間じゃないだろう。なにせ神童らしいからな。
「そうじゃないんです。僕は先輩に頼みたいんです。僕のことを適当にいなした、先輩に。」
だが、運が悪いことにダミアンはそこまで場に流される人間ではなかった。
「正直に言います。僕は物心ついてからずっと神童だと言われてきました。それだけじゃありません。それに甘えることなく加護の研究はもちろん、魔術についても勉強を続けてきました。だからこその今だと誇りをもっていますし、実際に首席で入学することができました。先輩と戦った時だって、はじめは負けることなんて想像もできなかったくらいです。
ですが、先輩にはまったく通用しなかったどころか、出しきることすらできなかった。これは神殿師としての実力だけではなく、先輩という人間の強さであると感じたんです。だから、それを少しでもいいから近くで感じたいと思ったんです。」
「……。」
「お願いできないでしょうか?」
ちょうどその時に授業開始の五分前を告げる予鈴が鳴った。それを聞いた周囲の学生が慌てて動き出したが、彼の目の前に立つダミアンは動き出す気配がない。
だが、その目に浮かんでいるのは確信ではなく不安。神童として担ぎ上げられただけでは決して芽生えることのない謙虚の念であった。
「……考えておこう。今は授業に行け。」
「はい。前向きに検討いただけるとありがたいです。」
失礼します、の一言共に彼は頭を下げ、二人の横を通り過ぎて授業があるであろう教室へと向かっていった。
「……どうするのー?」
「……俺に聞かないでくれ。どうすればいいのかさっぱりわからん。」
「あれだけ熱烈なプロポーズを受けておきながらまさか、断ったりはしないよね?」
「どうだかな。」
新学期早々、発生した解決しなければならない問題に思わずため息がでた。