契約
「クックック。悪くない。想像以上だ。」
手の感覚を確かめるように握りながら男は誰に言うでもなく一人呟く。
「契約は守られた。なら俺の方も守らないとな。」
斬り飛ばされた左肩には魔法陣が浮かび、治癒魔術による止血が進んでいる。だが、完全な治癒にはまだいくらか時間がかかるのだろう。両手で握っていた剣を右手だけで握ると、片手だけであるはずなのに違和感なく構えた。
「……お前は誰だ?マッシュ=バイヤーではないな?」
「そんなことが気になるのか?殺す相手について必要以上に知ろうとするのは得策とは言えんな。」
テルの問に対し、余裕をもって答えるその様は歴戦の戦士を想起させる。気配だけでなく思考回路も目の前の男は一変している。
「だが名前だけは教えてやろう。私は栄えある帝国の最後の将軍、エリオット¬=ギャラルホルン。今は亡き帝国の最後の守護者、だった。」
「……帝国、だと?そんなものは……。」
「ない、だろ。知っている。栄華を極めた我らの帝国が滅びたことくらい。……この目で見たのだからな。」
最後の一言だけが湿った感情に支配されていた。
「そんな昔のことはどうでもいいだろう。
―――若き少年兵。遺物に未来を示すか、あるいはここで過去に屈するか。」
―――再開だ。
*****
隻腕の剣士が黒い神殿を携え、無手の少年へと襲い掛かる。隻腕の剣士は剣で、少年は体捌きと魔術で迎え撃つ。
戦いの最中、エリオットは体から情報を読み取る。
―――加護の数は二つ。一つは……水属性魔術の強化か。使えんことはないが、まあなくても変わらんな。もう一つは……変質?性質を変えられる力か。なるほどな、こっちの方が使えそうだ。そして神殿に付与されている加護は……。なるほど。これは使えん。
魔道具に長い間封じられてきた彼の意識はマッシュという依り代を得ることで解放された。だが彼の生来の加護は封じられており、そのためマッシュの肉体に刻まれた加護しか使うことはできない。
―――それにしてもこの魔術師は随分強いな。若いのに魔術の発動が早いし、威力も申し分ない。本来魔術師が使える必要がない近距離魔術もしっかり扱えている。攻撃を躱すときの動きも最小限。剣士のような動きだ。近接に持ち込んだからと言って手を抜けるわけではないな。
一方でテルはかなり追い詰められていた。纏雷・一足を躱すほどの反射神経の持ち主が神殿のバフを得ているのだ。隻腕の今ですらよくて拮抗、左腕が治されたらどうなるかなど日を見るよりも明らかだった。
―――まずいな。同級生相手だからと調子に乗って剣を持ってこなかったツケがこんなところで回ってくるとは。そもそも剣があったとしてもコイツは強い。魔術を剣で斬って最短距離で距離を詰めてくる。加護を使えるほどの余裕は許してくれない。近距離魔術なんていう付け焼刃でどうにかなるのもあと少しだろう。
加護は魔術よりも複雑な構造をしている以上、発動までに時間がかかる。それは通常の順位戦では大して気にならない程度の誤差であるが、命を懸けた殺し合いの中ではその一瞬が命取りとなる。それは殺し合いが初めてであるはずのテルも肌で感じていることであった。
「クックック!いいのか!?そろそろ左腕が治るぞ!!」
いいはずがない。だが、テルには現状打てる手があまりにもない。近接戦闘で唯一使えるのは無詠唱による魔術だけだが、それは時間稼ぎにしかならない。そしてそれだけの魔術を放つことは魔力の消費にもつながる。いくら大量の魔力を保持しているとはいえ、限界はある。
―――あまりに勝機がない。たとえ加護が使えたとしても雷撃はおそらく有効打にならない。アレを完全に受けきるとなれば選択肢はいくつかに絞られるが、いずれにせよ使えない。飛行はそもそも攻撃用ではない。……仕方ない。賭けに出るか。
左手に異物が入り込む感覚と共に鋭い痛みが体を駆け巡る。その痛みに耐えながら小さく呟く。
「……魔力励起」
*****
―――驚いた。
エリオット=ギャラルホルンは心の底から驚愕していた。目の前に立つ少年は依り代の記憶から同学年、すなわち十八歳である。その少年が魔力で強化しているとはいえ、左手で剣を受けているのにもかかわらず一切表情を変えていないのだ。
―――一体どんな生活をしていればその年でそこまで痛みに鈍感になれる?かつて従えた騎士たちの中にそれができた騎士がどれだけいただろうか。
それに加えてその後の言葉だ。魔力励起だと?そんなことまでできるのか、現代の魔術師たちは。
テルの身体を巡る魔力が突然飽和を超えてあふれ出し、爆発的に増えた魔力は突風となって体の外部へと噴き出した。
それは威圧を伴って放たれ、目の前にいたエリオットを後方へと押し返した。
「……行くぞ。纏雷・一足。」
神殿のバフを受けたエリオットが何とか認識できるほどの超高速でテルが突っ込んでいく。雷が落ちる刹那の瞬間に思わず右手の剣を構えたエリオットであるが、その直後それが一番取ってはいけない悪手であったと悟った。
テルの雷撃はなぜかエリオットの身体には届かない。それはどれだけ雷撃が強力になろうと、攻撃の速度が上がろうと変わらないことだ。ゆえに攻撃手段は魔術か徒手空拳のどちらかに絞られていた。だが、それだとあまりに不利であった。徒手と剣ではあまりにも大きなリーチの差があり、それを覆すには大きな力量差が必要である。
「やられた。まさか、俺じゃなくて剣を狙ってくるとはな。」
自身の後方で静かに立ち上がるテルを振り返りながらエリオットは言う。
「こう見えても俺は剣士なんだ。剣を握ってなんぼだろ。」
剣を構えながらテルは自嘲したように応える。
「ほう、そうだったのか。ならばその剣は喜んで渡してやろう。こう見えても俺は魔術師なんでな。」
完全に治癒した左手を前に構えながらエリオットは続ける。
「ちなみに利き手は左だ。」




