断罪イベント!?ボイコットさせていただきます!!
初創作、初投稿、初異世界です。
ざまぁ感は余りないと思います。
生温い目と大きな心でお読みいただければと思います。
花咲う春のある日。
とある王国の貴族子弟のための教育機関。卒業を間近に控えたシンディ・エドワーズ侯爵令嬢はアカデミーの裏庭でベンチに座り、ぼんやりと小さな噴水をながめていた。
「どうしてこんなことになったのかしら……。」
麗しの令嬢が一人物思いにふけるには訳があった。
彼女の婚約者、この国の王太子フィリップと、その恋人アン・ヘネシー。この二人にやたらと最近絡まれていたのだが、つい一時間ほど前、彼らは側近を引き連れて彼女の前に現れ、婚約破棄“予告”を公衆の面前で告げたのだ。
「シンディ・エドワーズ!貴様を卒業パーティーにて断罪する!罪は、このアン・ヘネシー男爵令嬢に対する数々の嫌がらせだ!私が彼女と親しくしているからと嫉妬にかられ、陥れようとするなど、私の婚約者にふさわしくない!!パーティーで皆の前で今までの行いをつまびらかにする!後悔しても遅いからな!首を洗って待っていろ!」
「シンディさま、わたくし、ずぅ〜っとずぅ〜っと、とぉぉぉーっっっても!つらかったですけどォ〜、恨んでなんかおりません。おかげで真実の愛を見つけられたんですから!卒業パーティーまでに殿下とシンディ様の婚約破棄の書類を用意するんで、そのときは快くサインしてくださいませね?」
シンディは呆気にとられて、数秒、口をあんぐり開けて棒立ちになってしまった。これから国を代表する淑女になろうという者にあるまじき失態である。
最終試験の成績が掲示されたので掲示板を見上げていたら、突然名前を叫ばれたかと思うと、一気にまくしたてられたのだ。しばしの間立ち尽くしていると、何かを言い返す前に彼らは早々に立ち去ってしまった。
シンディは物心ついてからずっとフィリップの婚約者だった。いずれは王妃になり、フィリップを公私ともに支えるのが役目だと言い聞かされ、厳しい王妃教育にも耐えてきた。
一方のフィリップは、同じように教育を受けてきたにも関わらず、楽天的でお世辞にも思慮深いとは言えない性格をしている。子どものころからシンディの方が優秀で、彼女に劣等感を抱いていた。彼女の優秀さは、己の自由な時間を犠牲にして自己研鑽に励んだ結果だというのに、自分も同じだけ勉強しているのにシンディの方が優秀なんてズルい!と駄々をこねるような子どもだった。
実際、二人の仲は良好とは言えなかった。婚約者から外されなかったのは、シンディの優秀さのせいだ。エドワーズ侯爵は、王城から帰ってくるたびにフィリップにきつく当たられるのがつらい、かなしい、疲れたという娘をかわいそうに思い、王に婚約者辞退を申し出たが、頼りにならぬ王太子にはしっかり者の伴侶がいてくれなくては困ると、王のみならず王妃にまでも泣きつかれて、しまいにはシンディ本人に王直筆の手紙でもって婚約継続を訴えてきたので、人の好い父娘は折れてしまったのだった。
シンディが思い出すだけで疲労感を覚える数々の過去に思いを馳せていると、背後から草を踏む音が聞こえてきた。
「シンディ、こんなところにいたのね。」
シンディの親友、パトリシア・アームストロング公爵令嬢が声をかけた。
「見てたわよ。助けてやれなくて悪かったわね。」
シンディは苦笑するしかなかった。
「今までの行い?アン・ヘネシー男爵令嬢に対する嫌がらせだとか言っていたけれど、冤罪も甚だしいわね。あの女も、最初はおびえた表情をしていたけれど、最後は笑っていたように見えたわ。それにしても、婚約者がいるというのに違うご令嬢をお連れになって歩いているご自分の態度は瑕疵がないとでも思っているのかしら。」
全くの正論である。そもそもシンディとフィリップの婚約は王命なので、王の許可がなければ覆ることはない。先ほどの様子からはそれを理解しているようには見えない、というのが二人の共通認識のようだ。
「もしかしたら、陛下に話をつけているのかも。自信満々だったもの。」
「そんなわけないわ!今、隣国の王太子が御子息を連れて来訪されているもの。外交外交で陛下もあのバカになんてかかずらってられないわよ!」
パトリシアの言葉は苛烈である。王弟であり、また武勇で大陸まで名を轟かす名将軍の娘、つまりフィリップのいとこなのだが、二人は昔から犬猿の仲であった。
令嬢らしからぬ歯に衣着せぬ物言いのパトリシアと、悪知恵は回るが他の知恵は機能停止しているフィリップ。相性がいいはずがない。
シンディとパトリシアは、共に王妃教育を受けた仲だ。子がフィリップのみの王には王族の外交手段である婚姻に出せる娘がいなかった。そこで白羽の矢が立てられたのがパトリシア。今回の隣国の訪問は、未だ婚約者のおらぬ王太子子息との見合いも兼ねていると言われている。
隣国とは言ってもこの国は島国なので、海峡を挟んだ大陸の国である。天気が良ければ向こうが見える、という距離なので、行き来は盛んだ。
隣国の王は長きに渡り王位についていたが、近々息子に代替わりする予定で、その前にと次代の王と王太子が周辺諸国を挨拶周りしていた。
シンディはもちろんそのことを知っていた。王宮で開かれた歓迎の夜会で、両殿下には王太子の婚約者として挨拶も済ませている。今は外務大臣の職にあるシンディの父だが、まだ外交官だった父に連れられて、幾度か大陸の諸国を訪れたこともあるので、既知の仲であった。
大陸の奴等は戦争ばかりしている野蛮人だ、と常々口にしているフィリップに、王妃殿下や教育係から余り口を開かないように、交流はシンディに任せるように、と口を酸っぱくして言い含められ、非常に機嫌を損ねていた。
結局フィリップは問題発言をしてくれたのだが、同年代のあちらの王太子子息はにこやかに受け流したので、シンディは感心したものである。と同時に、ここまで違うのか……と己の伴侶になる者に落胆したのだった。恐らくやらかしは、王妃殿下や教育係、そしてシンディへの意趣返しだったからだ。
「それで、あなたどうするのよ。」
「どう、って言われても……。」
シンディには打つ手が見つからない。このまま卒業パーティーで大人しく断罪されるしかないのか、と思うと絶望感が胸を襲う。
「一緒に逃げましょうか。」
「「えっ!?」」
シンディとパトリシアが驚いて声の方へ振り向くと、隣国の王太子子息アレクサンドルが護衛もつけずに一人で立っていた。
シンディは慌ててベンチから立ち上がり、礼を取るが、パトリシアは顔を背けて撫然とした表情を一瞬したが、すぐにアレクサンドルの方へ向き直す。
「あら、アレクサンドル殿下、どうなさったのですか?堅固な守りのアカデミーとはいえ、他国の王家の方がおひとりでおられるのは危のうございますよ。」
パトリシアはすかさず淑女の仮面を被る。本人はよく高速猫被りと言っているが切り替えの早さはさすが国内最高位の令嬢と言える。
しかし、先ほどまでの会話を聞かれていたのだとしたら、被った仮面も草むらに落ちているし、猫はその辺の日向で昼寝をしているだろう。
「ふ、取り繕わなくて結構ですよ。その方がパトリシア嬢らしくて好ましい。」
好ましい。そんなセリフ、シンディはフィリップから聞いたことがない。生意気だ、分を弁えろ、そんな意味のことしか言われていない。
シンディはパトリシアが少し羨ましくなった。
「いやだわ、嫌味も通じないみたい。そば耳立てて乙女の会話を立ち聞きだなんて、随分お下品でなくて?」
「それについては申し訳ない。私はシンディ嬢を探していたんだ。」
「私、ですか?」
「以前、アカデミーについて話してくれたことがあっただろう。案内してもらおうと思ってね。本当はフィリップ殿に案内をしてもらう手筈だったのだが……時間になっても現れず終いで。こうして貴女を探しに来たというわけさ。」
「そ、それは!大変申し訳ないことを!」
シンディはアレクサンドルのアカデミー来訪を聞かされていなかった。フィリップが対外的な仕事を与えられるときは必ずシンディとセットなので、今回は意図的に伝えられていなかったのだろう。しかも、フィリップも忘れていると思われる。きっと今頃、卒業パーティーの断罪のことで頭がいっぱいだろうから。
アレクサンドルも苦笑いを浮かべていた。大方、予測はついていたのだろう。
「貴女からの謝罪はいらないよ。では、案内をお願いできる?」
「しかし、それならば、私よりもパトリシア様の方が適任では?」
「だそうですよ。いかがですか?」
「私に仮面を外せと言うのなら、そちらも猫を頭からお下ろしになったらいかが?乙女の語らいはまだ終わってなくってよ。殿方が交ざるなんて無粋だわ。」
パトリシアは強気に出た。歪めた口元を扇で隠して、汚れた野良猫を追い払うようにシッシッと手を払っている。
「ちょっとパトリシア!いくらなんでも失礼よ!」
「あはは!いいんだよ、シンディ嬢。噂を気にしているのかもしれないけど、そんな予定はないから。」
「えっ!そうなのですか!?パティ、聞いてないわよ!」
「言ってないもの。まだ全てが解決したわけじゃないんだから。整ってないのよ、色々と。」
「どういうこと?」
「僕が初恋の人を忘れられなくて、その人を攫いに来たってこと。」
アレクサンドルは笑って言うが、ますます訳がわからなかった。初恋の人を攫う?誘拐は犯罪なのでは?シンディの思考には頓珍漢なことしか浮かばない。なので、アレクサンドルが僕などという公人らしからぬ言葉遣いになっていることも、その言葉が甘さを含んでいることも、視線が誰に向けられているのかも気付かなかった。
何故かパトリシアがはあああー、と大きなため息をついてアレクサンドルを睨みつけた。
「あなた、本当に話をつけてきたのね。」
「この機会を逃したら、一生後悔すると思ってね。」
「いやだわ!男の一途ってただの粘着じゃない!いっそ恐ろしいわ。」
「ひどい言い様だな。さすがに傷つくよ。」
「そもそもなんで!事前に!私の承諾もなしに!話を進めたの!?こちらだって一生のことなのよ!」
「君が言ったんだろう。その覚悟がある、と。」
「言ったわよ!描きたい理想の未来があるって。けれど、そこにはシンディも一緒にいる予定なのよ。粘着男はその中に入らないわ!」
話はシンディを置いてけぼりにして進む。混乱を増すばかりのシンディはパトリシアの腕に縋る。
「パティ、パティ、何の話をしているの?」
「ごめんね、シンディ。貴女が王太子妃になるのは避けられないみたい。」
「嘘!そんな!でも、だって、私、断罪されるって!フィリップ殿下にはアン・ヘネシー令嬢が!」
「シンディ、シンディ、落ち着いて。バカの立太子は貴女の家が後ろ盾になるという条件付きだったのよ。あのバカが、幼い頃からバカ過ぎて、今後を憂いた陛下とその側近がバカのために決めた婚約なの。それは分かっているわよね?」
パトリシアが余りにもバカを連発するので、アレクサンドルは吹き出した。シンディもつられてしまう。
「わかってるわよ!バカがバカ過ぎてバカやらかしそうだから、どうか私に支えてやって欲しいって、陛下直々にまだ子どもの私にお手紙までいただいてお願いされたんだから!王命の婚約だから、そこまでしていただく事ないのに!」
「では、バカがする気満々の婚約破棄をしたら、どうなると思う?」
「アン・ヘネシー令嬢が婚約者になるのでは?」
「ホントにもう、どうしちゃったの!?冷静に考えて!!なるわけないでしょ!貴女ありきのバカなのに、そんなの許されないわ!バカがバカらしく、廃嫡されてただのバカになるだけよ!シンディが恐れることなんて最初から何もないの!私はただシンディがバカのせいで傷付いてやしないか心配で追いかけて来たのよ!どうするのよって聞いたのは、バカと無事に別れたら何がしたいのか、ってことを聞きたかったのよ!」
「そんなの分からないわよ!今までずっと、王妃教育を受けてきて、他の道なんて考えたことなかった!バカと夫婦なんて嫌だったけど、王妃は女性がつける職業で最高の地位なんだから頑張りなさいって、私にはその力があるからって、王妃殿下にも言われて!何がしたいのかなんて、分かるわけないじゃない!」
シンディはとうとう泣き出してしまった。パトリシアは慌ててシンディを抱きしめて背中をさする。
「では、僕のお嫁さんになるのはどうかな?王太子妃、いずれは王妃だよ。どう?」
アレクサンドルの発言に、シンディの涙は引っ込んだ。
パトリシアはこれ以上ないくらいの鬼の形相を隠しもせず、アレクサンドルを睨む。
「ちょっと!弱った乙女心につけこむのはやめて頂戴!」
「パトリシア嬢には聞いてないよ。シンディ嬢、どうかな。こちらの陛下にも、貴女の父上にも許可は取ってある。根回し済みだよ。」
「腹黒!」
「僕は初恋の人を手に入れられる。フィリップ殿は愛する御令嬢と結ばれる。パトリシア嬢は王位を手に入れる。ホラ。みんな幸せだよ?」
「初恋…?王位…?」
「そう、僕の理想の未来はシンディ嬢が隣にいること。パトリシア嬢の理想の未来は、」
「バカを廃して私が王太女になることよ!ごめんね、シンディ。ここまで来たら、腹を括るしかないわ、お互い。」
アレクサンドルの言葉に被せてシンディが語る。
シンディにとってそれは寝耳に水であった。
「知らなかった、パティが王になりたいだなんて……」
「王になりたいわけじゃないわ。バカの下につきたくないだけ。私ならもっと上手くやれるもの。」
私ならもっと上手くやれる。それは昔から何度もパトリシアが口にしていた言葉だった。無能なフィリップを嫌う臣下の中には、豪胆で、尚且つ優秀なパトリシアを女王に望む声もあった。しかしその声は、皮肉なことにフィリップとシンディとの婚約で抑えつけられた。
「あれ?シンディ嬢、僕のことは?初恋の君。」
「こんなの、いいんでしょうか。アレクサンドル殿下のことは素晴らしい方だと思います。でも、私は今、殿下に同じ気持ちをお返し出来ません。それでは……」
「あはは!いいんだよ、今は。これから全力で口説くから。ついては、シンディ嬢。来週の帰国に合わせて、一緒に僕の国へ来ないかい?初めて会った時から、ずっとシンディ嬢だけが好きだった。必ず、大切にすると約束するよ。僕の手を取って欲しい。」
「シンディ、これからも、これまで通り、私といましょ?馬鹿げた醜聞からは私が守ってあげる。そして、私の理想の未来を作るのを助けて頂戴!二人で、新しい国の未来を作るのよ!お願い、私の手を取って!」
パトリシアはパトリシアで、シンディを手許に置きたい理由がある。親友と離れたくないというのが一番だが、共に教育を受けた過程で、シンディはパトリシアより外交手腕に優れていることは分かっている。
女性の地位向上、社会進出を推進したいパトリシアは、反発に備えてまずは高位令嬢の官僚を登用したいと考えていた。シンディは適任なのだ。
「私……私は……」
二人がシンディに手を伸ばす。シンディはしばらく俯いていたが、顔を上げると、自らの意思で、進みたい道へと続く手を取った。
時は流れ、あっという間に卒業パーティーの日になった。
そこにはシンディ・エドワーズ侯爵令嬢の姿はなかった。会場に集まった卒業生や話を聞いていた保護者たちは、過日、衆目のあるところで〝断罪予告〟をされた御令嬢が、再び辱められることを恐れ、欠席したのだと思っていた。
しかし、皆、世紀の醜聞に気を取られて気付いていなかった。ここにいるべき、卒業生の中で最も身分が高い御令嬢もいないことを。
「シンディ様がいらっしゃらないわ!これでは断罪が出来ないじゃない!」
アン・ヘネシー令嬢が、貴族令嬢にあるまじき甲高い声で叫ぶ。
「己の罪深さに気付き、恐れを成して逃げたのだろう!侯爵令嬢ともあろうものがなんたる醜態!!あの女はやはり王の妻になる器ではなかったのだ!」
「だけど、これではストーリー通りに進まないわ!断罪があってこそ、私がフィリップ様と結ばれてハッピーエンドが見どころなのに!!」
「何を言っている。あの女が来ようと来まいと、婚約破棄とアンが私の妻になることは決定事項だ。不安に思うことはない。晴れて堂々と君をエスコート出来る!アン・ヘネシー男爵令嬢、私の手を取ってくださいますか?」
フィリップはアンの前にひざまずき、手を差し出した。
「フィリップ様……はい!よろこんで!」
感極まったのか、アンの目尻には光るものが見えた。
まるで舞台の一幕のように馬鹿げたやりとりであった。
見ている者は皆、何を今更…と呆れかえるばかりである。フィリップがシンディを蔑ろにして、毎度アンをエスコートしていたことを皆知っている。散々茶番を見せつけられて、学生たちはうんざりしていた。
子どもから話だけは聞いていた親たちも最初は半信半疑だったが、時折学園を訪れる機会があると、毎回と言っていいほどアンを腕にぶら下げたフィリップを目にすることになった。
高位にいる、それなりに発言力のある貴族などは国王に苦言を呈していたが、フィリップに伝わっているのかいないのかまでは分からない。
「国王陛下、ご入場!」
会場に学園長の声が響いた。ホール最奥の上段には、国王と王妃のための椅子が置かれている。学園内での式典はこのホールで行われるのだが、今日はなぜか椅子がもうひとつ用意されてあった。
王家専用の入口から、王と王妃が入ってくる。しかし、王がエスコートをしているのは王妃ではなく、本来卒業生としてホールにいるべき者だった。
三人は上段に上がり、卒業生と来場者に向かい合う。皆、すぐさま臣下の礼をとる。
「生徒諸君、卒業おめでとう。今宵、皆の祝いの席に同席出来ることを喜ばしく思う。アカデミーで研鑽を積んだ若者が、王国の未来の担い手として、我が後継をよく支えて欲しい。これからの皆の活躍に期待する。」
「父上!何故そこにパトリシアがいるのですか!」
場違いな大声がホールに響き渡った。
王は眉を顰めると、フィリップを一瞥した後、再び口を開いた。
「公式な発表に先立ち、ここで皆に報告したいことがある。このカールストン公爵令嬢パトリシアを養子に迎え、王太女として立太子することを宣言する。それに伴い、王太子フィリップを廃嫡とし、王家から籍を外す。いずれ何かしらの爵位を与えることになるが、学園長の進言により、再教育の必要が発生したため、当面の間、王家預かりとして離宮に居を移し、臣下としての教育を施すこととなった。これからはパトリシアを次期王として育てていくので、皆、力を貸して欲しい。以上だ。」
ホールは騒めきに溢れた。驚きの声、喜びの声、当然だという声、安堵の声、少ないけれど落胆の声。
王と王妃は会場内の反応から、自分たちの判断が正しかったのだと実感する。王妃は最後までフィリップの廃嫡に反対したが、息子がこれほどまでに愚かで、周囲から反感を買っていたのだとようやく実感が持てた。
「ウソ!ウソよ!こんなシナリオ、あたし知らない!フィリップルートは完璧に進んでたのに!断罪イベントに悪役令嬢がいないだなんておかしいわ!どーなってんの!?」
「父上!廃嫡とはどういうことですか!?母上!母上も何かおっしゃってください!!おい!パトリシア!貴様の企みか!?騙されないでください、父上!この女はシンディと同じで狡猾で、醜悪で、王の器などではない!!父上!父上!?」
王は為政者たる目で息子とその恋人を見下ろし、王妃は顔を歪めて苦渋の表情を浮かべ視線を逸らした。騎士に引きずり出されるまで、王と王妃、パトリシアは沈黙を貫いた。
その頃、海上では大陸へ向かう一隻の船が航路を進んでいた。船上には、シンディとアレクサンドルの姿があった。
数日の悪天候に見舞われ、予定を大幅に遅れて出航した日は奇しくも卒業パーティーの当日だった。
シンディは、遠く離れゆく祖国を海風に髪をたなびかせながら見つめていた。
「卒業パーティー、出たかった?」
「いいえ。ただ、パトリシアが心配で……」
シンディが決断を迫られたあの日、彼女は二人の手を取った。それは、アレクサンドルについて彼の国へ行き、駐在大使として滞在するという決断だった。
任期は三年。一般的な嫁入りの適齢期の間、彼の国の大使館で、貿易関係の折衝や文化交流を主な任務として働く予定であった。
フィリップに有責の婚約破棄の慰謝料として、特別に時期外れの官僚試験や外交官試験を行ってもらった。高位貴族の女性が官僚に、また難関の外交官になるのは異例の採用であったが、シンディは文句のつけようがない成績を修めたので、内外からの反感はあるものの、合格となったのである。
パトリシアが考えていた道からは邪道になるが、結果としては同じこと、彼の地で実績をあげ、大手を振るって帰っていらっしゃい、と激励を受けた。アレクサンドルからは任期の間に口説き倒す、絶対に帰さない、と宣言を受けている。
シンディ本人は、結局どの道も選べずに中途半端になってしまったことを二人に申し訳なく思っているが、今まで抑圧されて来た分、少しの間でもいいからひとりで自由に過ごしたい、という本音もあった。
両親からは渋い顔をされたが、シンディは、幼い頃に各国を家族で巡ったことが一番の幸せな思い出であること、父親のように国の役に立ちたいこと、王妃教育が無駄にならない仕事だと考えたことを挙げ、最後は「とりあえず、三年、頑張りなさい。」と送り出してもらったのだった。
採用して即駐在大使になるのは特別扱いとも言えるが、今回の騒動のせいで、今後社交界で不躾な視線を受けるであろうシンディを海外に避難させる意味合いが強いと周囲は思うだろう。
「それよりも、こんな私でも新しいことに挑戦できるというワクワクが大きいです。私、薄情でしょうか?」
「そんなことないさ。僕もこうして君と一緒に海を渡っていることが嬉しすぎて、夢見心地さ。あちらで何が起こっていたとしても、ね。」
ニヤリと笑ったアレクサンドルを見て、シンディは久しぶりに声を出して笑った。王子様然とした微笑みより、余程アレクサンドルらしい笑い方だな、と思った。
あの日から一週間、毎日のように手紙と花の贈り物、予定が空けばデートに誘われて口説かれる日々を過ごしたが、アレクサンドルは頭の猫は降ろした状態で、いつも素の自分を見せてくれた。
優しいけれど、一緒にいるときにちょっとでも違うことを考えているとすぐに察して、自分といるときは自分のことだけを考えて欲しいとねだるアレクサンドルは、少し子どもっぽく感じることもあったが、同時に気安さを覚えるものでもあった。
「今、失礼なこと考えたでしょう。」
アレクサンドルは拗ねた顔をしたが、それも芝居がかって見える。案外構われたがりな次期王太子様は、結構かわいい人なのだな、とシンディには好印象に映った。
「アレクサンドル殿下は、実はかわいらしいお方なのですね。」
「君がそれを好ましいと思うなら、僕はいくらでもかわいこぶるよ。まあ、僕にとって一番かわいいのはシンディ嬢だけどね。」
ふ、と微笑んだかと思うと、ちゅ、と額にキスを落とされ、シンディは顔を真っ赤にした。
「あは!茹でたタコのようだ!」
「ま!まあ!殿下!なんてことを!」
「それはキスのこと?茹でたタコって言ったこと?」
腰をかがめて目線を合わせ、少し上目遣いにシンディを見るいたずら小僧のような表情のアレクサンドルに背を向け、シンディは叫んだ。
「どちらもですわ!!」
「ごめんごめん!さ、レディ、慣れない海風に当たりすぎるとよくないですよ。中でお茶しよう。お手をどうぞ?」
回り込んで恭しく手を差し出すアレクサンドル。シンディはつい拗ねた顔になって、少し唇を突き出し、そっぽを向いた。顔は赤いままだ。
「そんなに唇を尖らして、やっぱりタコみたいだ。」
まだいじわるを言うか!とアレクサンドルを睨もうとすると、
「そんな口されると、キス、したくなる。」
シンディの顔はますます赤くなり、口をパクパクさせてるだけで言葉が出なかった。
「言ったでしょう?口説き倒すって。」
アレクサンドルはいつまで経っても出てこないシンディの手を掴んで身体を引き寄せた。
「レディな君も、タコみたいな君も、どちらも愛しく思うよ。かわいい。」
「あ、あ、あの、あ……」
「あいしてる?」
「違います!!」
「そう、僕は愛してるよ。」
とうとうシンディはまともに立っていられなくなって、アレクサンドルに抱えられるようにして船内へ戻って行った。
アレクサンドルは、船上では常にシンディにつきまとい、同船していたアレクサンドルの父は息子の長年の執着を知るが故に暴走を止めることも出来ず、シンディ嬢、がんばって!と心の中からエールを送るだけだった。
後日、アレクサンドルの祖父王にアレクサンドルの父が、船酔いしない質なのに船旅の間中、何かを吐きそうな衝動にかられた、と語った。
「三年後が楽しみだのう。譲位してもそれまでは元気でいなければな!」
と、孫の勝利を確信して笑う祖父王に、
「三年……かかりますかね?」
と息子で父の王太子はため息交じりで呟くのであった。
お読みいただきありがとうございます!
追記
誤字報告、表現の誤りなど、投稿から時間が経ってからもいただいて、読んでいただけていることを実感して嬉しく思っています。みなさま、本当にありがとうございます!