鈍感難聴系な僕にもわかるように、よく聞こえなかった言葉の意味を恥ずかしがりながらも丁寧に解説してくれる従姉妹の斐音ちゃん
短編を書いて見ました。
「おにいーちゃん!」
「ん〜? なーにー?」
僕の腕をくいくいと引っ張る小さな手。
振り向くと向日葵のピン留めを付けた可愛らしい女の子がニコニコしながら僕を見ていた。
「わたし、おおきくなったら、おにいちゃんとけっこんするっ!」
向日葵のような明るい笑顔で僕にそう言ってくれた女の子。
「じゃあぼくもおおきくなったらけっこんする!」
子供同士のたわいのない結婚の約束。
あれ? 誰かが僕を呼ぶ声がする……。
「んん……」
なんだかとても懐かしい夢を見ていた気がするが、誰かに身体を揺さぶられ現実へと引き戻された。
微睡の中、薄らと目を開けると、女の子が顔を覗かせていた。
「兄さん、起きて?」
ソプラノのような心地いい声色で起こしてくれたのは僕の従姉妹にあたる伊藤斐音だ。綺麗に手入れされたミルキーブラウンの髪。大きな青い色の瞳。絹のような白な肌。そしてチャームポイントである向日葵のピン留め。誰がどう見ても超絶美少女である。
「おはよう……いのん……」
眠い身体を起こし斐音に挨拶する。
斐音はやれやれと呆れ気味で言った。
「おはようというかもうお昼だよ、兄さん」
「えっ、嘘」
時計を見ると確かに十二時を過ぎていた。
いくら学校が休みだとはいえ昼まで寝てるとは……。これじゃあ平日に朝起きるのがだるくなるな。
「起こしてくれても良かったのに、ふぁ〜…」
「それは悪いよ……。それに兄さんの寝顔を堪能してたし……」
まただ。
僕には最近悩みがある。それは斐音の言ってることがたまに聞こえないことかあることだ。僕の耳が悪いのか、斐音の声が小さいのか分からない。でも斐音がボソボソと小言で言っているから僕には関係ないことか大したことではないのだろう。
「朝ごはん……じゃないな。昼ごはんある?」
「昼ごはんだけど朝ごはんの残りがあるからそれを食べよっか。足りなかったら追加で作るよ」
「多分、追加はお願いするよ」
斐音の料理はとても美味しい。
一つ一つが丁寧に作られていながらも栄養バランスが整っており、料理が出来ない僕は非常に助かっている。
「ちなみに今日の予定とかなんかある?」
「今日の予定? 特にはー……出来れば兄さんと二人っきりでデートしたいけど……」
ほらまただよ。
特にはーから聞き取れなかった。
僕はもう耳鼻科に行った方がいいのか?今日は何も予定はないし、いっそのこと耳鼻科に行くか。
「僕、今日は耳鼻科に行こうかな」
「えっ、急にどうしたの?」
「なんか最近、斐音の言ってることが途中から聞き取れなくて……」
僕がそう言うと斐音が危機迫ったような表情になった。そして僕から距離を取り、何やら呪文のように呟き始めた。
えーと、僕の耳を心配してくれてるのかな?
◆
「お兄ちゃんのバカっ……なんでそうなるの……」
伊藤斐音は焦っていた。
想い人である伊藤颯がいつま経っても自分の好意に気づいてくれないことに。
颯はラブコメに出てくるような鈍感難聴持ち主人公である。普通、可愛い女の子が毎朝起こしにきたり、ご飯を作ってくれたり、お世話をしてくれたりするだろうか? このことには颯の両親も頭を抱えていた。わざわざ颯と斐音をくっつけるため、二人を同じ家に住まわせているというのに一向に颯が斐音の想いに気づかない。
このままではいつまで経っても颯の従姉妹というポジションだ。
焦っている理由はそれだけではない。
颯は好青年で学校では人気がある。
うかうかしていると颯を他の女の子に奪われてしまう。そうなれば今まで颯に尽くしてきた分が台無しになる。
伊藤斐音は覚悟を決めた。
鈍感難聴持ちの伊藤颯が聞き取れなかったことを包み隠さず伝えることを。
そう決心した斐音は颯の方を向き、意を決したように言った。
「私ね、さっきお兄ちゃんと二人っきりでデートしたいって言ったの」
◆
「ん?」
斐音が今、デートしたいみたいな発言をしたような…気がする。寝ぼけてるのかな僕?
「ごめん、聞こえなかった」
曖昧だったので聞き返すと斐音がゆっくり深呼吸をし始めた。そして頬を赤らめながらも意を決したように言った。
「お、お兄ちゃんと二人っきりでデートしたいって言ったの……!」
「………」
正直どう反応していいか分からない……。斐音が僕とデートしてなんの徳になるのかも分からない。だだ、兄さんからお兄ちゃん呼びになったことは嬉しい。
「別に良いけど……?」
予定もないし、斐音も出掛けたいと言っているから付き合おう。耳鼻科はいつでもいけるしね。
「ほんと……!」
子供の頃から斐音の笑顔は変わらず向日葵のように明るく可愛い。だから僕は……
「うん。じゃあ昼ごはん食べたらどこに行くか決めよう」
こうして僕は斐音とデート? をすることになった。
デートというわけで僕と斐音は私服に着替え、ショッピング街を歩いている。隣にいる斐音を見ると髪をポニーテールし、オフショルダーとデニムを着ていて少し大人っぽい格好をしていた。向日葵のピン留めはもちろんつけている。
「……ふふっ、お兄ちゃんの私服、格好いい〜」
そして何か呟いている。
斐音にはもう呟き姫の称号を与えてもいいのではないか?
「なんて言ったの?」
試しに聞いてみた。
いつもなら「な、なんでもないよ……!」とはぐらかされるが……
「えーと、お、お兄ちゃんの私服……格好良いって言ったの…」
今日の斐音は随分と丁寧に教えてくれる。
格好良いか……斐音がそう思ってくれてるとは。
「あ、ありがとう」
ちょっと照れるな。
「でも斐音の方がもっと可愛いよ」
「っ……!?」
そう言うと斐音の顔が真っ赤になった。ゆでだこみたいだ。
真っ赤な顔も可愛いなー。
「そういえば明日から斐音は高校一年生かー」
「う、うん。兄さんと同じ学校だよ」
斐音は今、中学三年生である。対して僕は高校二年生。明日になれば入学式があり、斐音は晴れて高校一年生、僕は高校三年生だ。
「斐音は可愛いからモテモテだね」
きっと『空前絶後の美少女が現れた!』と騒ぎになるだろう。従姉妹が可愛いのは誇らしいことだ。明日からみんなに、特に男子に斐音のことを問いただされそうだなー。
「私よりお兄ちゃんの方が……」
「ん?」
「わっ、私よりお兄ちゃんの方が格好良くてモテるよ……!」
なんていい従姉妹なんだ。こんな冴えない僕のことをモテると励ましてくれるなんて……。
「ありがとう。もし困ったことがあったらすぐに僕に言ってね、すぐ駆けつけるから」
そう言って斐音の頭をひと撫でする。
こんな可愛い従姉妹を守るのは僕の新たな役目だしね。
「っ……〜〜〜!」
するとまた顔を真っ赤にした斐音。
心なしか目がグルグルと回っているようなー。
「わ、私、トイレに行ってくる……!」
すると急にそう言い走り去ってしまった。
あんなに慌てて走って…ずっと我慢してたのかな?
◆
「きょ、今日のお兄ちゃん……甘いよ……」
斐音はまたもや焦っていた。
ここまで恥ずかしながらも正直に答えているのに颯の反応はいつも通りどころか、逆に自分が照れさせられている。難聴が原因で近づけないと思っていたが、どうやら颯本人が原因だ。
「お兄ちゃん、鈍感で難聴でたらし……手強いよ〜、何か作戦を立てないと……」
◆
「あれ? おーい!」
「ん?」
斐音を待ってると、誰かに声を掛けられたのでその方を向くと仲の良い女友達がいた。
「どうしたの? 一人?」
中世的な顔立ちに茶髪色のボブで女の子というより格好良い男の子と言った方がいいだろう。この子にはよく相談に乗ってもらってる。
「いや、従姉妹と来てる」
「ははぁーん。例の従姉妹ちゃんとねぇー。なんか進展あった?」
「目立った進展はないな……。あっ、変わったことといえば今日、従姉妹がやけに優しいんだよ」
「ん? 優しい?」
「なんというか僕が聞き取れなかった言葉を丁寧に解説してくれるというか、教えてくれると言うか」
聞き取れなかった僕にはありがたいけど、その度に顔を赤くするんだよなー。
「なるほど……これは従姉妹ちゃん、勝負に出ましたなー」
「勝負ってなんのだ?斐音は誰かと勝負してるのか?」
僕がそう聞くと凄く険しい顔をされ、呆れたように言われた。
「……頑張っている従姉妹ちゃんが可哀想だよ。まぁでも片想いじゃないことだけいいか」
「?」
片想いじゃない?どういうことだ?
「と、とにかく少年よ。本番は明日なんだろ?頑張りたまえ!」
諦めがついたようにそう言われたと思えば、僕の背中を思いっきり叩いてきた。
「いってぇ!! 急に背中叩かないでよ!」
「いいじゃないかー、いいじゃないかー」
全く、乱暴な友達である。
そんな二人を陰ながら見つめる者がいたとも知らず。
◆
「お兄ちゃんが他の女の子と仲良く話してる……」
斐音は見てしまった。颯と仲良さげに話す女の子を。
「お兄ちゃん、あんなに楽しそうに……」
私とデート中なのに他の女の子とあんなに楽しそうに……。
私はお兄ちゃんが好きだ。
けどお兄ちゃんは私のこと好きなの?
お兄ちゃんは私のことどう思ってるの?
私はお兄ちゃんの、なに……?
「うぅ……お兄ちゃんの、バカ……っ」
胸が痛くて、苦しくてその場にいられなかったので走って逃げた。
斐音はある場所へと向かった。
◆
「あれ従姉妹ちゃんじゃない?」
「ん?」
友達に言われてその方を見ると斐音がどこかへ走っていた。
「あっ、もしかして私といたことで勘違いしたのかも……」
「勘違い?」
「ほら私が君の彼女だと勘違いしたんだよ」
「なんで勘違いされるんだ?」
そう返すと友達は深いため息をつき、「これだから鈍感は……」と呆れ気味に呟いた。
「とにかく追いかけなよ。じゃないと今までの努力が無駄になるよ?」
「う、うん……ごめん、またね」
「うん、結果教えてねー」
こうして僕は斐音を追いかけに走った。
◆
「はぁはぁ……もし、斐音が勘違いしたら……」
僕は今、高校生で斐音は中学生。この差が原因で斐音の両親、特に父親から斐音が高校生になるまで付き合うことは許さないと釘を刺されていた。
きっと僕と斐音のことを思ってだろう。
加えて成績に関しても上位十位以内をキープしないといけないという条件も出された。大事な娘を預ける立場だ。学業を疎かにしている彼氏などには預けていられないのだろう。
僕は斐音が好きだ。
可愛い妹としてじゃなくて一人女の子として好きだ。
今日見た夢はもしかしたらこうなる展開のために見たかも。
子供の頃のたわいない結婚ごっこ。
あの時の僕はごっこじゃなくて本当に結婚したいと思っていたと思う。
だからあの《《向日葵のピン留め》》をあげたんだ。
普通なら斐音がとこに走って行ったか見当がつかないだろう。しかし、僕の頭に浮かんでいる場所は一つしかなかった。
「待ってろ、斐音……」
これから、伝えにいくから……
「はぁ…はぁ…」
見つけた…。
予想通り斐音はあの日結婚を誓った公園のブランコに座っていた。
そっと近づいて顔を覗くと、斐音の目は真っ赤に腫れていた。そして今も涙目になっている斐音になるべく優しく声を掛ける。
「斐音……?」
するとゆっくり俺の方を向き、口を開いた。
「私は……お兄ちゃんのなに……? ずっと従姉妹のまま……?」
どこか不安げな瞳で僕を見つめてきた。手は震えている。
「ねぇ斐音、向日葵の《《花言葉》》分かる?」
そう聞くと斐音はキョトンと不思議そうな顔になった。
「正解は『《《あなただけを見つめる》》』だよ」
その言葉を聞くと斐音は目を丸くした。驚いているようだ。
「それと」
僕は深く深呼吸する。
「待たせてごめんな?」
僕がそう言うと斐音の瞳から大粒の涙がポロポロと落ちた。まるで今から僕が何を伝えようとしているか分かったかのように。
僕はブランコに座っている斐音に跪き、斐音の右手を取る。
「伊藤斐音さん、僕と付き合って下さい」
やっと伝えられた。
小学校低学年から好きだったから十年以上言えずにひたすら耐えた。勉強も死ぬ気で頑張ったし、運動だって頑張った。することは全部した。あとは斐音がオッケーしてくれれば……
チラッと見上げると斐音はまた震えていた。しかし、さっきのような悲しい感じではない。
頬は桃色に染まり、目を丸くし……。まるで……喜んでくれているようだ。
「も、もちろんですっ!」
そして大粒の涙を更に流した斐音が僕に抱きついてきた。抱きしめると腕の中で更に泣いていた。
「あはは……焦ったよ……」
「ぐすんっ……なに、が……?」
抱きしめられている斐音が腕の中から涙目の上目遣いで聞いてきた。
「斐音にいつ彼氏ができるか」
こんなに可愛いのだ。他の男に告白されてもおかしくない。
「それもこれも全部この向日葵のピン留めのおかげかな」
小学生の時にあげた向日葵のピン留め。意味はもちろん分かっていてあげた。幸いにも斐音は向日葵のピン留めをつけ続けてくれたから斐音は僕のものと周りに警告することが出来たのかもしれない。
「わからないよ……。お兄ちゃん、鈍感で難聴だから…私こと、好きだったなんて……」
「まぁ勉強とか、斐音のお父さんから出された条件をキープするのに必死だったからね……」
目の前のことに必死すぎてまさか斐音が僕のことを好きでいてくれたのにびっくりである。
「お父さん……?」
ちなみに斐音のお父さんとの約束は本人には秘密である。
「その話はまた後でするよ。それより……」
今、この時の幸せを噛み締めたい。
「斐音、好きだよ」
「わたしも……好き……」
目から流れる涙を指で拭き取り、優しくキスをした。
◆
今日から僕が高校三年で斐音が高校一年生だ。
そして……
「お兄ちゃんが彼氏…お兄ちゃんが彼氏…」
斐音の呟きは今日も絶好調である。
今日は斐音の入学式なのだがそれどころではない。
斐音とは従姉妹ではなく彼氏、彼女の恋人関係だ。
言うまでもなく浮かれている。
「ねぇ斐音」
「ん〜? なにー? お兄ちゃん?」
幸せそうな斐音の笑顔も可愛いが、恋人関係になったからには変化が欲しい。具体的には僕のことをお兄ちゃんから颯と呼び捨てにして欲しい。
「は・や・て、って呼んでよ」
そうお願いすると一瞬固まった斐音だったが、すぐに口を開いた。
「…………はやて」
「んー? なんて言ったのかな〜?」
本当はバッチリ聞こえていたが恥ずかしながら言う斐音が可愛いのでもう一度要求する。
「こう言う時に難聴を使うの、ずるい……」
ジーと睨んでいるが、顔を真っ赤にしていて涙目なので全然怖くない。むしろ可愛い。僕の彼女、可愛い!
すると深く深呼吸をし、意を決したように再び口を開いた。
「は、はやて、大好き……!」
顔を赤らめハッキリそう言ったと思えば、勢いよく僕に抱きついてきた。おそらく照れ隠しだろう。おまけに耳が真っ赤だ。
「斐音、斐音」
僕にぎゅと抱きついている斐音の耳元で囁く。
「悪いけど僕の方がもっと好きだから」
「っ……!?!?」
斐音はバッ顔を上げたと思えば、口をパクパクさせ、更に顔を赤くしていた。
季節は春、桜が舞う季節。
桜の桃色より赤く染まる顔を見つめ、僕の可愛い彼女にそっとキスをした。
〜Fin