第1話
「そうだ、ライブ行こう」
ふとそう思ってみたのは、僕が今までの人生で一度もライブというものに行ったことがなかったからだ。
アーティストやアイドルの発表している楽曲において一番大事なのは「曲」で、それはCDや配信などの音源で聴く事ができるし、それで満足だった。
でもライブに行った人たちの感想がネット上のまとめサイトやSNSなどで目にする機会が増えて、そこでは口々に「最高だった!」という声が多くて、「そんなに最高なものなら一度くらいは行ってみたいな」と考えるようになったのは自然なことだと思う。
さて、じゃあライブに行くとしてもどのライブに行くか
これが非常に難しい問題だった。
何万人規模のライブを行っている有名なアーティストやアイドルだとチケットを取ることがそもそも難しいし、いきなりそんな規模のライブに行くのはハードルが高いような気がする。
ライブには行ったことがないけどライブ映像は見たことがある。簡単に検索上位に入ってくるのは人数も多く規模も大きい。スケールの大きいライブは映像で見る分には派手で見ごたえがあるが、自分がその中に入ると考えるとどうしても躊躇ってしまう。
行こうと思ったはいいがビビってしまってどうにも重い腰が上がらなかった。
もっと確実に行けてあまり人の多くないであろうライブ・・・
「地下アイドルだ」
そう考えて地下アイドルのライブに行ってみようと考えた。
地下アイドルとは人気がないから日の当たらない地下でアイドル活動をしている人たちの総称・・・ではない。
いや、そういう意味合いも含まれているかもしれないが、厳密には違うと思う。
地下アイドルとは主にライブ活動を主体にしているアイドルで、そのライブハウスが防音の都合上地下にあることが多いから、「地下(でライブをする)アイドル」と呼ばれる。
最近メディア露出などの際「地下」という言葉がネガティブな方向に取られる場合もあることから「ライブアイドル」と呼ばれる頻度も多くなっている。
意味合いとしては「地下アイドル=ライブアイドル」と捉えていいと思う。
そういうわけで、地下アイドルのライブに行こうと思ったはいいが、いったいどのライブに行けばいいんだろうか?
検索しようにも「地下アイドル」という漠然とした検索ではやはり大手のアイドルしかヒットしない。
「地下」が無視され「アイドル」の検索結果も多かった。それでは個人的に感じているハードルの高そうなライブしか探せない。
どこからどう調べればいわゆる‘人が少なそうなライブをしているアイドル’を探し当てることができるのか。
結論として、これは根気よく調べてみるしかなかった。
「アイドル・ライブ」「アイドル・イベント」こんな感じで何回か検索をして、1ページ目ではなく数ページ目の検索結果まで1つずつ見ていく地道な作業の繰り返し。
そしてなんとなくそれっぽいライブを発見することができた。
が、やはりここでも問題があった。
まずグループ名がへんてこすぎてどうにもよくわからない。
出演者数が多くてどれ目当てに行けばいいのかわからない。
そして最大の問題は、この子たちはどんな曲を歌うんだ?ということ。
この出演者数が多いライブというのは「対バン」と呼ばれていて、複数のアイドルが持ち時間15分~30分くらいで休みなくライブを続け2時間~6時間、長いものだと10時間くらいに渡るイベントになるものをいう。
地下アイドルのライブはこの「対バン」形式のものがほとんどなのだが、この時はそういうものだとは知らなかったので「よくわからないアイドルを複数見るのはきつい」と考えてしまい行く気にはなれなかった。
曲に関してもやはり懸念があって、僕の趣味に合うだろうか?と思うと足が動かない。
今考えると「そんな事言い出したら行けるライブなんかないわ」と自分で自分をダメ出しすること間違いないのだが、この一度もライブに行ったことのない状態の時は色々と考えてしまって特に腰が重かった。
そんな感じでパソコンで調べている時に1つのアイドルが目に止まった。
仮にそのアイドルを「Y」とする。
このYというアイドルがやっていたのは「リリイベ」というものだった。
リリイベとは「リリースイベント」の略で、CDとして音源を販売する時に実際の店舗にあるイベントスペースで数曲ライブを行うことだ。
「リリイベ期間」として発売の数ヶ月前から行われ、発売日、そして発売後も数回行われる。
たぶんリリイベは音楽を商売にしているジャンルなら色々なところで行われていたと思うけど、いかんせんそれすらもこの時の僕は知らなかった。
とにかくこのリリイベというやつは行きやすいのではないか?と思い、Yについてさらに調べてみることにした。
するとこのリリイベでリリースされるCDの表題曲のMVがある。
どうやら全国流通盤ということもあって相当力を入れているようで、とりあえずこのMVを見てみることにした。
MVなのでもちろんフル尺。CMやショートバージョンでもなくフルで聴ける。CDを買わずとも曲が聴けてしまうのは大丈夫なのかと思いつつも、地下アイドルがどんな曲を歌うのか知らない僕としてはとてもありがたかった。
本当に無知だったので、アイドルのうたう歌なんてどうせ恋とか愛とかをテーマにしたアイドルソング・・いわゆるアイドル歌謡ばかりなんだろうと思ってたのだが、MVを見た瞬間その固定観念が全て崩れた。
このYというアイドルの歌はバリバリのロックだった。
音楽のジャンルやカテゴライズについては全然詳しくないので詳細なことは書くことが出来ないが、とにかくカッコよかった。
これが「アイドルの歌」なのか・・!
気が付けばそのMVを何回もリピートして聴いていた。
僕は曲の好みに関してはかなりの偏食家で、一般的に多くから評価されている曲でも好きじゃない物も多いし、逆に知名度が低い物でも好きになればとことん好きになる傾向がある。
とにかくこのYの曲は僕に刺さりまくった。
もちろん他に全然探していないし、最初に聴いたから刷り込み的に響いたのもあるかもしれないが・・
この曲にならお金を出す価値があると思った。
「リリイベに行ってみよう。」
自分の中でそう確信する事ができたので、早速スケジュールを調べて行けそうなものがないか探してみた。
どうやらリリイベは終盤になっていて残すところ数回となっていたが、それでも1日3回とかやる日もあってこれにも驚いた。
こういうイベントは1日1回と思っていて複数回やるものとは知らなかった。
どうもアイドルは1日複数のライブやイベントをこなすのは当たり前のようで、このYだけじゃなく他のアイドルもこのようなハードなスケジュールを組んで毎日のように仕事をしている。
調べた結果、直近で行けそうなのはタワーレコード川崎店のものだった。
少し遠いし行った事のない場所でもあったけど、リリイベに対するモチベーションが上がっていたので片道1時間以上かかるが行ってみることにした。
川崎は大きな街で駅も大きかった。
事前にタワレコのホームページから場所も調べておいたのだが、やはり現地に行くと混乱するもので、特に地下街の出口が見当たらなくて結構迷ってしまった。
でも駅から歩いて数分の場所らしいし適当に出てもそのうち着くだろうと思ったのだが、これが間違いでこの時出た出口が真反対の方向でさらに時間を食ってしまった。
もしかしたら迷うかもしれないと思っていたのであらかじめ時間に余裕を持っていたのは正解だった。
店舗に到着してみると、これからアイドルが来店してミニライブを行うんだという空気感はなかった。
たしか金曜の夜だったと思うが、いたって普通にCDを見ているお客さんをちらほら見かける程度だった。
僕もとりあえず暇なのでCDを見たりポスターを見たりして時間を潰していた。
アイドルコーナーがあって、そこは少し広くなっていて若干の段がありステージになっている。
「ここでやるのか・・・?」と正直思ってしまった。ステージとはいってもフロアよりほんのちょっと高いだけの段差程度のもので結構狭かった。
こんな場所にアイドルのファンが押しかけたらぎゅうぎゅうになるのでは・・・という懸念を持ったが
リリイベが始まるとそれは杞憂だということがすぐさま判明した。
見に来ているファンの数は・・・10人程だったと思う。
人が少ない、と正直思った。
平日とはいえ金曜だし、地下とはいえアイドルだ。
このYは5人組だったので、1人につき10人ファンがいても50人は集まる。だが全部で10人。
まあこれも地下アイドルに関して全然知らなかったからなのだが、どれくらいファンが集まるかはピンからキリまであって、人気のあるグループは会場がぎっしり埋まるくらいファンが集まるが、大して人気のないグループだとほんの数人しかファンが来ないというのはざらにあることだった。
このYは全国盤のCDリリースを控えてはいたが、「地下」の中でも「地底」に分類されるようなアイドルだった。
イベントが始まった時に「人が少ないな」という不満・・・というと語弊があるがうまい言葉が思いつかない、だがある種の「驚き」の感情はあったと思う。
けどそれよりも「めっちゃよく見える!」とテンションが上がっていたことは間違いない。
むしろ見えすぎるな・・とちょっと下がって見ていた。
でも多少後ろに下がろうが10人くらいしかお客さんがいなかったらどこにいてもよく見える。
狭いフロアとはいえ10人じゃ全然埋まってないわけだけれど、アイドルのパフォーマンスは堂々としてた。人が少ないからといってやる気のない素振りだったり適当な感じは見せずに全力でパフォーマンスしていたと思う。
少なくとも僕は夢中になって魅入っていた。
すごい・・!本当にアイドルが目の前でライブをしている!!
曲数は4曲くらいだったと思う。まず3曲歌い、MCを挟んで最後に表題曲にもなっている、MVで見たあの曲。
このリリイベに行ってみようと思うきっかけになったあの曲を目の前で当人たちが歌っている!
自分が好きになった曲を目の前で歌ってくれるという時間がこんなに素晴らしいものだとは、想像以上のものだった。ライブに行った人が口々に「最高だった」と言う理由がほんの僅かかもしれないが分かった気がした。
少なくともその片鱗を体験することが出来た気がした。
ライブ自体はあっという間ですぐに特典会に移ったが、もちろん特典会の要領もわかっていなかったのでここでも苦戦したわけだけども、しばらく観察することでなんとなくわかった。
これは他のリリイベでもだいたい同じようで、CDを1枚買うごとに特典券が1枚もらえる。
そしてその特典券の枚数によって出来る内容が変わる。
例えば1枚なら写メ、2枚ならチェキ、3枚ならメンバー全員との囲みチェキという感じだ。
チェキというのはインスタントカメラの一種で、撮ったその場で現像されて名刺サイズの写真が出てきて、これにアイドルがサインを書いたりしてファンに渡すというサービスが多い。
この時は1枚で写メ又は私物サイン、2枚でチェキ撮影だったと思う。
とりあえずCDを3枚購入してみたが、同じCDを複数枚買うことなんて今までなかったし、収録内容が変わるわけでもないのにバカバカしいなとも思った。
まずサインから始めて、人がいなかったら写メとチェキの撮影に移るという感じだったと思う。
私物サインは買ったCDに入れてもらえるのもありなのかをスタッフっぽい人に確認してみたところ大丈夫とのことで、まず1枚を私物サインにした。後々気づいたのだが、このスタッフの方はこのグループのプロデューサーだった。
若くて美人な人だったので、こういう人が運営しているということにも驚いたが、どうもアイドル業界は若いプロデューサーがいるのは大して珍しいことではないらしい。
CDにサインを入れてもらった事なんてなかったので、これはとても嬉しかった。
サインが入った1枚は同じ3枚のCDではなく、特別な1枚になった。
サインには日付とそのアイドル個人のサイン、一言メッセージ、そして宛名をつけてくれた。
この宛名というのが最初何も考えてなくて、まさか聞かれるとも思っていなかったし本名を言うのも不味くないかと考え咄嗟にツイッターで使っている名前を言ってしまった。
これは後日談になるのだが、特典会が終わって帰ったその日に「初めて地下アイドルのイベント行ってきた」的なことをそのYというグループ名を含めてツイートしてみたら、そのアイドルからいいねが押されてしまった。
これも全く知らなかったのだが、どうもアイドルは日々「エゴサーチ」をして自分たちのことを好意的に思ってくれているファンに対してそういう営業(?)をしている。
このツイートも洩れなくそのエゴサに引っかかったわけだが、アイドルの中には「相互フォロー」という方法でファンを獲得しようとする営業(?)をしているアイドルもある。
今回行ったYはその相互フォローをするアイドルで、僕のアカウントもフォローされてしまった。
アイドルにフォローされるというのはこの時は嬉しく感じたが、後々考えるとなんというか毒も吐けなくなってしまって、それから特に考えてツイートするようになってしまった。
地下アイドルの中でもあまり人気があるとは言えないグループでもあったので、その活動内容にも「うーん」と思う事もあったけど、見られているんじゃないかという懸念からあまり思ったことをそのままツイートしないようになった。
まあこれに関しては昨今ネットにおける誹謗中傷というものが問題になっているので、こちらが何の気なしに毒づいたとしても傷つく人がいるかもしれないと、多少考えてツイートするようになったことは別に悪いことではないとも思う。
話を戻して、CDにサインを入れてもらったわけだがこの時他に私物サインを頼んでいる人はいなかった。
サインはセンターで歌っている子に頼んでみた。ここだけの話、僕は派手髪の子が好きで、このセンターの子は派手髪だった。そして今後も派手髪のアイドルにハマることになるのだが、それはまた少し後の話となる。
サインを頼む人が僕以外いなかったのと、新規で行った初めて見るファンだということで凄く驚いていたようにも見えたし、喜んでもらえた・・・ような気もした。
この「喜んでもらえたかも」という感情が非常にまずかったというか、いやアイドルはファンにそう思わせるのが仕事なのでまんまとやられたというか、とにかくの近い距離での特典会ですっかりやられてしまっていたのかもしれない。
アイドルが目の前にいて、自分だけに話しかけてくれる、表情もよく見える、その光景は短い時間とはいえ十分に魅力的だった。
残りの特典券は写メ撮影に使ってみた。
ツーショット撮影はアイドルがすぐ隣にいるという、また距離の近さに驚いた。
こんなに近いのは変なファンが現れたりしたら危ないんじゃないかと思うくらい近かった。何かそういった事件が頻発していてもおかしくはないと思うのだが、特典会中はある種のモラルが働いていたりしているのか、なんとも不思議な空間だと思う。
だけど全く起きていないわけではないし、ニュースや事件に発展することもゼロではないようだが、この文章は僕が体験したり感じたことを書き留めているだけなのでここでそれらには触れないでおこうと思う。
とにかく肩を並べての撮影や、終わる際にハイタッチをしてくれたり握手してくれたりするはとても魅力的だった。この時間は短いとはいえすごく貴重だし、特典会を何周もしたりライブに毎回通う人たちの気持ちも分からなくもないと思った。
それくらいアイドルの特典会には魔力のようなものがあると思った。
だいたい撮影してからのトーク時間は約1分という時間制限がある。
アイドル自身がタイマーを持って時間が終わると「ピピピ」とアラームが鳴り終了する場合か、スタッフが時間を計って「はい終わりー」と言って次の人に交代していく流れなのだけど、この時はなにせ人が少なかったということもあってその時間制限がとてもルーズだった。
並んでる人がいない時間が多かったのでアラームが鳴ってももう少しそのまま話し続けることができた。
初めましての場合話すネタはそんなに多いわけではないしある種テンプレートに沿った内容になるけど、それでもアイドルと直接話が出来るという体験は掛け替えのないものだった。
特典券3枚の時間というのはあっという間に終わるもので、特典会そのものの時間はまだまだあった。
CDをさらに追加で買って特典券を貰うということも出来たが、十分満足をしていたので帰路につくことにした。
もう少しアイドルを見ていたいという気持ちもあったけど、これ以上CDを買うつもりはなかったし、何もせずにただいるだけなのは邪魔だろうと思ってこの日は帰った。
アイドルのイベントに初めて行ったにしては濃密すぎる時間だったと思う。
これで僕の「ライブに一度も行ったことのない僕が初めてライブに行ってみた話」の1日目のエピソードは全てになる。
ライブといいつつインストアのイベントなので、これはライブじゃないだろうと思う人もいるだろうが、初イベントということでどうか多めに見てもらいたい。