希望のエンカウンター
そんなはずない!
頭の中の反論ははやかった。
でも親友のトモコの目は真剣で、言い返せないほど威圧感がある。
「嫌いったら嫌い。私は、ミカのことが心の底から嫌い」
「な……なんで、そんなこと言うの……?」
うそ。これは夢。
わたしはぎゅっと目をつむった。
(……)
にっこりとほほえむトモコの顔が浮かぶ。
身の丈に合わない高校を目指すわたしはネガティブになりがちで、ずっと彼女には励まされつづけた。
おかげで、がんばれた。合格することができた。
「――っ!」
「ちょっと! どこに行くの!」
わたしはトモコに背を向けて走り出した。
悪夢だ。
これは悪夢。
あっというまに雨の勢いは強くなっていて、シャワーのようにふりそそいでいる。
かまわない。
びしょぬれになって走った。
「おい! 待てって!」
うしろから誰かが追いかけてくる。
「バカ! 風邪ひくぞ!」
「赤ちゃん……」
「わるかったよ」なぜか、幼なじみの赤井はあやまった。「ちょうどおまえの姿が見えてさ……そばに友野もいたし……二人でなにやってんのかな、って」
「見てたんだ」
「ああ。で、友野になんか言われたのか? なんでそんな大泣きしてんだよ……いや」赤井は空をちらっと見上げた。「話し込んでる場合じゃねーか。とにかく、屋根のあるところへ――」
ぐっ、とわたしは彼のジャージのそでをひっぱった。
「ん?」
「赤ちゃん、大事な話があるの」
もう方法はこれしかない。
彼にはわるいけど、わたしにはこの世界はたえられない。一秒だってここにいたくない。
「わたしと……つきあって!」
「え」
「ずっと好きだったの。だから」わたしは幼なじみの手をとった。小学生のときはもっとやわらかかった記憶があるけど、想像よりも感触が固い。「だから……お願い……」
迷う時間はなかった。
赤井は、わたしの肩に手をおいて、それをそのまま背中に回し、抱きしめる。
「わかったよ。わかったから、もう泣くなって。じつはおれも、ガキのころからずっと」
彼の声の最後のほうは小さくなって、雨音にかき消されて聞こえない。
ごめん赤井。
こんな、ウソの告白をしてごめん。ひたいから流れてきた雨が目に入って、思わずまぶたを閉じた瞬間、
(きた!)
正面から強く押されて、体がつき飛ばされる。
予想できていたので、両足にぐっと力を入れ、尻餅はつかない。
「また告白を成功させましたね?」
黒いフードをかぶった人。
進学するはずだった高校の、正門前。
わたしは何も言わず、
ばしん
と、フードの上から平手打ちした。
「これはこれは……ずいぶんお怒りのようですね、白鳥様」
「トモコをあんなふうに変えたのは、あなたねっ!」
「まあ落ちついてください」
ぱちん、と指をならした。
地面から白い煙がたって、白いテーブルと、二脚の椅子があらわれる。
「お座りください」
「……」
おたがい椅子に座って、正面から顔をうかがえる位置関係だが、どういう光のあたりかたなのかフードの下の顔はまったく見えない。
「まず申し上げたいのは……当方は〈審判〉のような存在でして、けして白鳥様の敵ではございません。お答えできる質問には答えますし、こちらから虚偽を申すこともありません」
「うん……あの、ごめんなさい。ちょっと……たたいたのはやりすぎでした」
笑った。
おぼろげに見える口元が、弓なりになったのがわかる。
「けっこう。それでは、質問はございますか?」
「トモコ――えっと、わたしの親友の友野頼子が、急にわたしを嫌いになったのはどうして?」
「端的に説明しますと、あれは〈永久パターン防止〉のためでございます」
「永久パターン?」
「そうです――」
時の流れがとまったような(わたしたち以外にも周囲にたくさん人間はいるが動いていない)静かな世界で、理路整然と話してくれたことを整理すると、
・告白に失敗すれば、あこがれの高校に入学できる
・告白に成功すれば、即刻、中学三年生の任意の季節からやりなおしとなる
・このループ状態にあるうちは、何があっても死ぬことはない(高校入学時点までの命は〈保証〉されている)
つまり、もしわたしがあえて告白の成功をつづけたら、永久に生きられることになる。
そのパターンを防止するために、
・親友が一日ごとにわたしを嫌いになる
としたようだ。
さらに、
・一回ループするたびに男子全員のわたしに対する好感度が上がる
っていうのもあるらしい。らしい……じゃないよ! こんなルールがあったら、いつか手詰まりになる!
「ゆえに〈永久パターン防止〉でございます」
納得。
たしかに、そんな世界で永遠に生きたいとは思わない。
そして正体不明のこの人が、冗談のように言った。
「100周ぐらいすれば、散歩している犬さえも欲情するレベルになるかもしれませんね」
はは……笑えない。
いや、笑おう。体の中から元気をしぼりだすようにして、くすっ、とわたしは笑ってみせた。
心は決まった。
やることは一つ。
もはやこれは入学するためのループじゃなく、わたしの大事な親友をとりもどすための戦い。
次で、絶対に成功させればいい。それで、いいんだ。
「ほう、目の色が変わりましたね。とても力強い」
すっと立ち上がったのを見て、わたしも立ち上がった。
指を鳴らす。
テーブルと椅子は煙になって、風にふかれて消えた。
「すきな季節を選んでください」
「春」
「けっこう。季節はめぐる。いつも美しく」
詩のようなフレーズをとなえながら、黒フードの人が両手をのばす。そのまま、どん、とわたしは押し出された。
「いたっ……」
尻餅をつく。肩のあたりをけっこう強めに押されるので、くるのがわかっていてもバランスを崩してしまう。
三年間……いや、それ〈以上〉の時間をすごした、見なれた中学校の校舎。
始業式の朝。
教室で席につくと、当たり前のように幼なじみの二人がやってきて、まるで台本があるかのように前のときと同じことを言う。
「あれ全部、おまえを見にきてんだぜ、シラケン」
と、聞きおぼえのある青江のセリフにさそわれて廊下を見る。
やっぱり……気のせいじゃなかった。
わたしのことをながめる男子の数が、あきらかに増えている。
満員電車、それも通勤ラッシュの、ピーク時の混雑ぶり。
窓ガラスにほっぺたを押しつけている男子と目が合った。恥ずかしそうな照れ笑いを浮かべている。
そして――
(トモコ!)
そんな男子の人ごみをかき分けて教室に入ってきた親友。
駆け寄りたい。
でももう彼女のあんな言葉は、二度と聞きたくない。
目をつむり、頭を左右にブンブンとふる。
「ミカオ、なに……やってんの?」
右ななめ上から見つめてくる赤井。
彼の顔を正面から見れない。申しわけない気持ちでいっぱいだから。非常事態だったとはいえ、ウソの告白をしてしまったことが、とってもうしろめたくて。しかも二回も。
「水かぶった犬っころじゃねーんだから」とニコニコしながら言ったのは左にいる青江。かなりのイケメンで、大規模なファンクラブまで存在する。「でもこーいうことするシラケンも、かわいいよな」
女子にこんなにさらっと「かわいい」なんて。
外見がよくてこれだけコミュ力があったら、モテるにきまってる。
その日の授業中、ずっと考え続けた。
どうしたら告白が失敗するか、言い換えれば、誰なら自分をちゃんとフってくれるのか。
今のわたしに必要なのは、わたしを「かわいくない」ってはっきり言ってくれる男子だ。
でも……そもそも、そんなことって本人には面と向かって言わない。
むずかしい。
放課後、とくに目的もなく学校の中を歩いていると、
「す、好きなんですっ!」
「は?」
告白の現場に遭遇してしまった。
夕方の非常階段。二階と三階のあいだの踊り場。
とっさに、手すりのかげに身をかくした。
そーっと下をのぞく。
「だからその……、前から気になってて……好き、です」
告白してる側は、雑誌でモデルの経験があるっていう有名な女子だ。栗色のセミロングの髪で、サイドを編み込んだかわいらしいヘアスタイル。
いっぽう――
「ったく、俺を呼び出した理由ってこれかよ、だりーなー」
この、あざやかな金色の短髪。
不良で有名な男子だ。背が高くて、高校生っていっても通用するぐらい大人っぽい。
名前はなんだったかな、と思っていたら、
「キンゲツくん」
あ。そうそう、めずらしい苗字で〈金月〉っていうんだった。
「あの……それでね、とりあえず、こんどいっしょに映画でも……いきません?」
「いかねーよ」にらむような視線を彼女に向ける。「かんちがいしてんじゃねー」
「え……私の告白は……?」
「知るかよ。さっさと消えろ」
涙をこらえるように一瞬顔がくしゃってなったかと思うと、女の子は階段をおりて行ってしまった。
ひどい。
ことわるにしても、もっと言い方があるでしょ。言い方が。
最低の男子。
いくらカッコよくったって、わたし、あんな人は嫌い。
「……なに見てんだよ」
見つかった。こっちに鋭い目つきを向けている。
すごい敵意。
ケンカする前の男子が、こんな感じになるのを見たことがある。
ムカついたけど、べつに彼とケンカする理由はない。
立ち去ろう、と手すりから完全に体を出したそのとき、
「おい!」
大きな声。
不覚にも、わたしは彼が怒鳴り散らしてきた次の言葉に、ゾクゾクしてしまった。
ふつうの女子なら言われたくない言葉なのに。
感じた。
あの子ならわたしをフってくれるかも、って。
「こそこそ見てんじゃねーよ! ブス!」