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7.陛下の企み、王妃の願い

 約束の時間どおりに、扉がノックされた。


「お待ちしておりました、陛下」


 扉を開けてそう言うと、アルフォンスは何も言わずにシャルロットを見つめた。


「どうぞ、お入りになって」


 扉の向こうで、カジミールが頭を下げている。

 アルフォンスをどう言いくるめたのかは知らないが、相当苦心したに違いない。

 面を上げないカジミールに、シャルロットはそっとお礼を呟いて、静かに扉を閉めた。


「いったい、どうしたのですか。

 言ったはずです。近いうちに、貴女を離縁すると」

「離縁するとは言われても、私に会ってくださらないとは言われてないわ」


 苦い顔をして立ち尽くすアルフォンスに、シャルロットは椅子を勧めた。

 てきぱきとティーセットを整えると、あたりにはジンジャーティのさわさわとした匂いが広がった。

 一緒にいられる時間が惜しい。

 シャルロットは単刀直入に切り出した。


「オレリアに調べてもらったの。

 前の王妃たちが離縁されてから、どうなったか」


 言いながらティーカップを差し出す。

 揺れる水面に目を落として、アルフォンスは口をつぐんでいる。


「即位なさって4年、王妃は私を含めて歴代9人

 ——驚きましたわ。

 離縁された8人は皆、再婚して、家庭に入っていらっしゃいました。

 しかも、ちゃんと想い合う恋人のところへ」


 それはあまりに見事な顛末だった。


 ——シャルロット、あのぼんやり陛下、結構な食わせ者かもしれない。


 調べをつけてきたオレリアの、驚きを隠せない表情を思い出す。


 どんな家に生まれようと、誰もが必ずしも想う相手と結ばれるわけじゃない。

 それは、相手も自分のことを想ってくれるかわからない、という意味だけではない。

 ロマンス小説に映し出されているように、貴族にとって結婚は道具だ。

 家のための結びつきが求められ、家のためにならなければ叶わないことはよくある話だ。

 想い合う二人が結ばれるなんて、奇跡に近い。


「みんな、そのままでは結ばれなかった相手ばかり。

 それが、王家から払い下げられたっていう事実が、うまくいっているの」


 男の身分が高すぎて叶わなかった結婚は、『王妃』にまで上りつめた女性となることで叶う。

 逆に男の身分が低くて結ばれなかった女性は、離縁されたゆえにどんな結婚でももらってくれるだけでありがたい、となる。


「そうなるよう、僕が仕組んだと?」

「ええ」

「偶然でしょう」


 アルフォンスはこともなげに言う。


「離縁した王妃のその後のことまで、王家が考える余裕があるとお思いですか?

 確かに彼女たちには申し訳ないことをしたと思っています。

 ですが、かといってそれ以上のことは僕には関係がありません」

「あら、そうかしら?

 せっかく陛下がお喜びになるようなお話を持っているのですけれど、お聞きになりたくない?」


 遠回しな表現に、アルフォンスはますます眉をひそめる。


「前王妃のクラーラ様のこと、お気になさっていたんじゃありません?」

 8番目の王妃、つまりシャルロットの前の王妃から、オレリアは手紙を預かってきた。


「クラーラ様の恋人、もう歩けるくらいに良くなったんですって。

 カジミールが良いお医者様を紹介してくれたおかげだって、感謝なさっていたそうです」

「……よかった」


 手渡された手紙にすらすらと目を沿わせながらこぼれた正直な呟きに、アルフォンスははっと顔を上げて、再び曇った目に戻る。

 シャルロットはその反応に力を得て、続けた。


「そういう、悲しい恋をしている女性ばかりを選んで王妃にしていたのでしょう?

 想っている相手がいれば、あなたのことを受け入れるのは難しい。

 そうして距離を適度にとっておいて、それなりの時がきたら離縁して、元の恋人のところへ戻す。

 ……ベランジェのことで気づくべきだったんだわ。

 私は名探偵にはなれそうにないわね」


 ベランジェがシャルロットの恋人ではないと知ったときの戸惑った表情には、ちゃんとした理由があったのだ。


「いいえ、シャルロット。

 貴女には十分に探偵の才能があるようだ」


 アルフォンスは口を開いた。

 伏せがちな瞳が、湯気の向こうでにじんでいるように見えた。


「本当に貴女は、僕を驚かせてばかりだ」


 打ち解けた夜と同じことを言いながら、しかしその言葉は自分自身を嘲るように響く。


「貴女には、もうすべて察しがついているようですね」

「ユーグのためでしょう?」


 アルフォンスからは肯定の声の代わりに苦笑が返ってくる。


「ユーグに、王位を譲り渡すため……

 そのためには、ご自分が結婚して御子をなすのは問題があった。

 しかるべき時が来ても、国王に御子がいないとなれば、自然、ユーグを立太子するという話になるはずですもの」


 考えをめぐらせるように黙っていたアルフォンスは、ふいにこちらを見た。


「ずっと、負い目があったのです」


 それがジュリアンに対する負い目であることは、容易にわかった。

 秘め続けていた憂いが、溜め息とともにくちびるから漏れる。


「兄上は、僕が産まれたときに廃嫡されました。

 僕の母がそう強く望んだからだそうです。

 父は兄上の母君よりも僕の母を寵愛するようになって、僕が生まれたときには、兄上の母君は病で亡くなって——

 でも、兄上は父にとって長男であることに変わりはない。

 廃嫡しても王家に居場所があるように取りはからった父は、兄上のことをとても可愛がっていらっしゃいました。

 母の手前、表立ってそう振る舞うことは控えてはいても、兄弟を同じように愛してくださった。

 ……そのせいで、臣下が権力を争って分裂するようになったことを、亡くなる間際まで気にしていらっしゃいました。

 廃嫡されたとは言え、国王にそれだけ愛された長男なのだから、これから先、王家の中でどれだけ大きな位置を占めることになるか……

 可能性は大いにあった」


 乗せていた重しを取り外したように、アルフォンスは言葉を切らない。


「兄上も優秀で、ユーグも賢い子です……

 王位についているというだけで慕われる僕などより、よっぽど人望もある。

 オリオール卿が兄上を慕うのも、あながちその権力の可能性を恃んでいるからだけではないと、僕は思っています。

 エストレ卿のように父の代から王家に仕えてくださっていることは本当にありがたいことですが、そのような国王派と言われる大臣にしろ、貴族にしろ、ユーグが王太子になれば、僕よりも兄一家を盛り立てるようになるでしょう」


 冷えていく一方のティーカップを前に、シャルロットは身体が沸き立つように少しずつ熱くなるのを感じていた。

 この熱は、ジンジャーの辛みのせいじゃない。


「僕は、兄上のことを本当に尊敬しているんです。

 ユーグのこともかわいい、エヴリーヌにも幸せになってほしい。

 ……兄一家を、ないがしろにしたくなかった。

 ただ、父の代で決まった廃嫡の件を覆すことは、僕の力ではできません。

 ユーグもまだ幼い。

 しかし、国王となった限りは、王妃を迎えないわけにいかなかった。

 ……妃たちの選出にあたってはカジミールに情報を集めさせ、離縁した後のことも世話をさせました」


 王妃をめとっても子ができないとなれば、その方がユーグを立太子しやすくなる。

 離縁することが計画に含まれている以上、闇雲に王妃をめとるよりは、恋人がいても結婚が難しい女性をめとったほうが、離縁しやすく、相手のためになる。


 誰の目も欺けるように。

 誰にも迷惑をかけないように。

 誰も傷つけることのないように。


「うまくいっているはずだった」


 ぽつりと、アルフォンスが呟く。


「いつも穏やかに笑っていればいい——

 臣下に軽んじられることくらい、なんでもない。

 人心が僕から離れていくことも、好都合だとすら思えたのに——」


 熱が、身体のすみずみまで行き渡る。

 これは……そう、苛立ち。

 あの日、回廊で感じたのと同じ。


「貴女は、僕をかばうために大声を上げてくれた。

 あたたかい紅茶を淹れてくれて、物語の話をたくさんして……

 僕はね、シャルロット。

 誕生日パーティーの席で、貴女にうつつを抜かしている自分に気づいたのです。

 自分はいったい何をしているんだ、このままではだめだ……

 そう思った」

「……そうやって、今までずっと生きてきたと仰るの?

 たったひとりで」


 問いかける声が震える。


「国王とは、そういう物語に生きる存在でしょう?

 愛のない相手に嫁した王妃が、悲しい物語に生きるように」


 諦めきった声が、言葉が、アルフォンスの口から差し出される。

 でもどうして。

 誰もが吐き捨てるように言う類いの言葉でさえ、彼は上品なヴェールで包んでしまう。


「陛下、簡単なことですわ」


 シャルロットは一度、ふうと溜め息を吐いてから、言った。


「今すぐ、ユーグに譲位なさればよいのです。

 ジュリアン様が後見をお務めになるでしょう。

 幼い国王を父親が後見として補佐する……

 歴史書を見れば、大して珍しいことでもございませんわ」


 すがすがしいほどにしれっと言ってのけるシャルロットに、アルフォンスは叫んだ。


「そんな、そんなことができるならばとっくにそうしている!

 事はそう簡単ではないからこうしているんだ、それがわからないのか!?」

「わかりません!」


 初めて見るアルフォンスの声を荒げた様子に、シャルロットも喚き泣くように言い返した。


「わからないわ、陛下……。

 簡単ではなくさせているのは、ほかならぬあなたご自身ではありませんの!

 あなたは何一つ、自分でご決断することなく生きていらっしゃるではありませんか。

 心密かな決意ばかり握りしめて、外堀を埋めることばかり考えて……

 そう、私といっしょ。

 何一つ自分で決断することなく、物語を呪っている。

 私と、いっしょです。

 でももう、もうそんなの、止めにしなきゃ……

 諦めるのはもう終わり、寂しいのも、もう、終わりにしたいの」


 震える身体を押しとどめる。

 こぼれ落ちていく涙をぬぐう余裕もないまま、シャルロットはアルフォンスに語りかけた。


「それに、今の状態のまま、ユーグに王位を譲るおつもりなの?

 何一つ決めることのできないほどに痩せ細った国王の椅子を?」


 見つめ合うアルフォンスの両目が、はっと見開かれた。


「ユーグは知っています。

 国王という人間がどれだけ寂しく、孤独なものか……

 そんな椅子へ、かわいいユーグを座らせるの?

 そんなのだめ。きっと、ジュリアン様もエヴリーヌ様もお喜びにならないわ。

 今の国の状態はどうです?

 他国との領土争いもない、疫病も飢饉もない、穏やかで心優しい陛下のお治めになる国——

 本当にそう?

 王家の跡目争いをめぐる貴族内の対立は現状維持を理由に放置、王妃が大した理由もないまま離縁されるのは陛下に御子をなすことは無理だからって中傷されて、あまりの優しさゆえに軽んじられて……。

 そんなことが積み重なってからユーグが座る国王の椅子がどんなものか……

 情けないとお思いにならないの?」


 どれだけ時が流れただろう。

 いや、流れることなく止まっていたのかもしれない。いつのまにか、伏せがちなその瞳を伏せることもなく自分を見つめていることに気づいた——

 その瞳が、熱を帯びているように見えて。


「僕に、物語を変えることができると言うのですか?」


 静かな問いかけには、静かな力があった。


「その力が、僕にあると思うのですか?」

「もちろんです」


 即答だった。

 その確信が、シャルロットにはあった。


「だって、物語はもう変わり始めているんですもの」

「え?」


 アルフォンスの意外そうな表情に、シャルロットはことさらおどけるように言った。


「だってそうでしょう?

 私の知っている物語とは全然違う。

 冷酷なはずの王様は優しくて、妃は子どもを求められるどころか生んでほしくないなんて言われて……

 妃は、そんな王様のことを好きになってしまったなんて」


 思わず言ってしまった告白に、シャルロットは自分の頬に紅が差すのを感じる。

 アルフォンスは驚いたように言葉を失っている。


「……私は、決めたの」


 黙っていられずに、シャルロットは言った。


「もう、どこかの物語のように生きたいなんて願わない。

 姉のように生きられない運命を、恨んだりしない。

 私の選んだことがすべて、私だけの物語になるのだから」


 だからね、とアルフォンスに呼びかける。


「陛下は、お好きなように決断なさればいいの。

 変わっていくこの物語を愛せばいいの。

 そうすればきっと、ユーグも喜んで王位を継ぐでしょう。

 あとは野となれ山となれ——

 そのときは、どこまでも着いて参ります、陛下」


 アルフォンスがふいに手を伸ばした。

 頬をつたって流れていく涙を、アルフォンスの細い指が、そっとぬぐう。

 冷たい手。

 ジンジャーティではあたためきれなかった。

 シャルロットはアルフォンスの手を包むように自分の手を添えた。

 この涙が、彼の冷たい手をあたためて、そうして、その心までを溶かしてしまうことを強く願いながら。

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