6.好きになってしまった
なんということだろう。
シャルロットはユーグを送り届けてから、自室へ戻ろうと踵を返した。
秘密を秘密のままにしておけるように、ユーグの口元をハンカチーフで拭ってやることも忘れなかった。
幼いユーグ。
どれだけ大人びたことを言えるとしても、くちびるについたクッキーの欠片に気を配るには至らないような年齢だ。
確かに、彼は賢い。
冷静な観察眼をもち、身の回りの大人たちへの気遣いができる子——
誰にでも甘えたいような年頃の男の子だというのに、そうさせてしまう環境に、ユーグは置かれている。
わかっているのだ。
自分が王位継承権をもっていること。
しかし、現国王の叔父には子どもがいないこと。
そして、叔父と父の仲がぎくしゃくしていること。
それらのことに自分という原因があるのではないか、ということ。
——ひとりぼっちならぼくは、王様になんて、なりたくない。
シャルロットはふっと立ち止まった。
アルフォンスの言葉が蘇る。
——ユーグが触ってはならない本など、ないのだから。
どうして……どうして気づかなかったのだろう。
こんな簡単なことに、今の今まで。
陛下は、ユーグを——。
シャルロットはドレスの裾が翻るのも構わずに駆け出した。
自室の扉を通り越し、目当ての部屋の扉を形ばかりに叩いて勢いよく開けた。
「お、王妃さま?」
侍女たちが驚きの声を上げる。
オレリアは驚いた顔をそのままにして、軽く息を切らすシャルロットに近づく。
「どうしたんだ、シャルロット!?」
「オレリア、お願い。
調べてほしいことがあるの……!」
カジミールをつかまえたのは、それから十日ほど経ってからのことだ。
オレリアに引きずられるようにして王妃の部屋へ連れて来られたカジミールは、このあいだよりもより深いしわを眉間につくっている。
「申し上げたはずです、王妃さま。
今、陛下は次の王妃候補を探すのにお忙しくしていらっしゃいます。
どうぞ、陛下のお心のうちをお察し頂きますよう」
「だからです。
陛下のお心のうちを察してなお、あのままおひとりにしておけと言うの?」
「何を、仰りたいのですか、王妃さま」
陛下の右腕の表情がゆがむ。シャルロットは必死に言い募る。
「アルフォンス様に会わせて、お願い」
「今更お会いしたところで、どうすると言うのです?
陛下は、王妃さまを離縁すると仰っているのです。
もう次の王妃候補の資料は陛下にお渡ししてあります」
何もかも手遅れ、まるでどうにもならない、と言いたげなカジミールに、シャルロットはきっぱりと言った。
「私は、好きな人に会いたいって言っているの。
他に、理由が要りますか」
「好きな、人……」
「会いたいの。
あの人に会わせて……!」
虚をつかれたように黙りこくっているカジミールの目に、やがて小さな光が宿る。
「本当ですか、王妃さま。
本当に、陛下を想っていると仰るのですか」
「ええ」
「……陛下をお助け下さるというのですか」
「ええ!」
たとえ離縁されることが決まっていても、自分にできることをすべてやり遂げてから去りたい。
あの人の中に拭えない悲しみがあるなら、それを拭ってから、いなくなりたい。
それが、私にできることなら。
いいえ、やり遂げてみせる。
シャルロットは、自分の知らない物語の方へと、自ら歩き出した。