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4.弟と兄

「ねえ、オレリア。

 最近、侍女のみなさんがとても楽しそうに仕事してるけど、何かあったの?」

「お前が言うか、それ」


 オレリアがシャルロットの腰元のリボンを整えながら苦笑している。


「仕えがいのある王妃さまが嫁いできたものだから、やる気が出てるみたいだよ」

「……そんなに私、手がかかるかしら?」

「ノン、ノン」


 屈んで作業をしているオレリアの顔は見れないが、声はずいぶんと楽しそうだ。


「陛下とずいぶん仲が良いみたいじゃないか。

 言い方は悪いけど、今までの陛下はこう、取っ替え引っ替えでさ。

 王妃付きの侍女としては、王妃が陛下と仲良くないなんて、つまらないわけ。

 それが今度の王妃さまは陛下とうまくやっているらしいって、侍女としては気合いが入るってものさ。

 侍女冥利に尽きる、っていうの?

 よかったな、シャルロット」


 確かに、カジミールは未だ毎日のように贈り物を届けに来る。

 このあいだは『毎日ではありませんが』なんて言っていたのに。

 都で人気の焼き菓子、庭園で摘んだ白薔薇一輪、名前が刺繍されたハンカチーフ……

 決して華美ではないけれど、ささやかで優しい贈り物が届く。

 まるでアルフォンスその人を表したような。

 もちろん、そんな感想はオレリアにだって零したことはない。

 恥ずかしすぎる。


 公務の合間を縫ってお茶をするとき、二人はいつだって物語の話をする。

 シャルロットの突飛な『ロマンス小説における政略結婚譚を元にした自分の未来予想図』を聞いても大して驚きもせず納得するだけあって、アルフォンスもなかなかな物語好きだった。


 もう、床で眠ることもない。

 ちゃんと、同じベッドでシーツにくるまれている。

 ……それ以上のことは、未だないけれど。


 リボンを結び終えて立ち上がったオレリアがにやりと笑いながら言う。


「前より、陛下の表情が和んだのは間違いないな。

『穏やか』を通り越して『ぼんやり』なところもある陛下だと思ってたけれど、最近はなんだか、ちゃんと和んでる気がする。

 シャルロットの影響だよ、きっと」

「そう、かな?」

「そうさ。

 それに、お前だって、そうだし」

「え?」

「陛下のことを話すときの王妃さまは、にこにこしてるってこ、と!

 まったく、頬染めちゃって。

 あのじゃじゃ馬が今じゃ立派な乙女だからなー。

 リボンの形が変じゃないか気にするなんて、大きな変化」


 腰元のリボン以外は特に飾り立てていない深い赤色のドレスは、そのシンプルさゆえにきれいに着こなすのが難しい。

 よく似合う色を見つけたものですから、とアルフォンスに言われてしまっては、袖を通すのに緊張しないわけはない。


 シャルロットは鏡に後ろ姿を映して、何度も確認している。


「だ、だって、せっかく贈ってくださったんだもの!

 ただ、変に着ていたら失礼だから気にしてるだけで——」

「あ、陛下が王妃にドレスを贈るなんて、一大事なんだって。

 これ、侍女仲間情報ね」

「……からかわないで」

「からかってばかりじゃないさ、シャルロット。

 言ったでしょ、私はお前を心配してるんだ、って。

 前みたいに、捨て鉢なところがなくなった気がして、安心してるのさ」


 待ち人の来訪を告げる音が、扉を揺らす。


「お迎えか。

 さ、行っておいで」

「……うん、ありがとう」


 扉の向こう、部屋の前で待っているアルフォンスの前へ、シャルロットはいつもより心持ちおしとやかに進み出る。


「ご、ごきげんよう、陛下……」

「ええ……」


 何も言わないでじっと見つめられるなんて初めてだ。

 気にするべきはリボンではなくて、飾りのない首もとがすっきり見えるかどうかだったかしら。


 ぐるぐる考え始めるシャルロットに、アルフォンスは一言、言った。


「とても……きれいだ、シャルロット」


 秋の陽射しが窓から差し込んで、アルフォンスの嬉しそうな笑みが明るく冴えた。


 生まれて初めてだ、その言葉を贈られたのは。

 今までずっと姉のために使われてきた『きれい』という言葉を、他でもない彼が自分に贈ってくれた。


「では、参りましょうか」


 声なく頷く。

 アルフォンスの笑みが面映くて、くすぐったくて——頬が赤く染まっていないかが心配だ。

 差し出される左手にそっと右手を委ねる。

 そう、こんな展開だって、今まで読んだ物語にはなかったというのに、今まぎれもなく自分は、彼の隣を信じられないくらいに幸せな気持ちで歩いている。



 ユーグの誕生日パーティーは、厨房脇の食堂で行われていた。

「これはこれは、盛況のようですね」

 開け放たれた入り口から中をのぞいたアルフォンスが言った。

 たくさんの花かごであたりを飾った部屋に、多くの人々が集って談笑している。

 ユーグの周りにも、お祝いを言うためだろうか、近衛師団の衛士が何人か寄り集まっている。


「ああっ、陛下! 王妃さま!」


 いち早く二人の姿を認めたのはユーグだった。

 甲高い声が、大人たちのざわめきを突っ切って届く。その叫びで気づいたように、周りの人間がいそいそと道を開ける。


「行きましょうか」


 アルフォンスに促されて、道を開けてくれた臣下たちの中を歩く。

 なんとなく気恥ずかしくて、シャルロットは委ねていた右手をするりとアルフォンスの左手から降ろした。

 ぬくもりが消えて、代わりに寂しさが宿る。


「おめでとう、ユーグ」

「陛下、ありがとう! ……ございます!」

「これからもお父さまとお母さまの言うことをよく聞いて、元気に過ごしてください」


 アルフォンスはそう言うと、ユーグの傍らに立つジュリアンとエヴリーヌにそっと頭を下げた。

 ジュリアンもまた、何も言わずに頭を下げる。

 アルフォンスは祝意を、ジュリアンは謝意を込めているのだろうが、しんとした無言が横たわっていることに変わりはない。


 シャルロットは兄弟のことを横目で気にしつつも、ユーグに目線を合わせるように屈んで、手にしていた包みを差し出した。


「陛下からの贈り物です。はい、どうぞ」

「シャルロット王妃さま、ありがとうございます。

 開けてもいい? ……ですか?」


 どうぞ、と促すと、ユーグは包みを丁寧にほどいた。

 破いて散らかすこともない大人びた振る舞いに、シャルロットは密かに感心した。


「これ……鍵?

 ぴかぴかだ……」


 窓からこぼれる光に当てながら、ユーグは鍵を眺めた。


「そうよ。何の鍵か、わかる?」

「えーっと、うーん……ヒント!」

「ヒント? そうね……」


 ユーグにせがまれて今度はシャルロットが首をかしげた。

 隣でアルフォンスが笑いながら言う。


「七匹の竜、砂漠の湖、海の底の宝箱」

「?

 ……あっ、わかった! 書庫の鍵!」

「あたり! よくわかったわね」

「だって、陛下が読んでくれた本だから!」


 ユーグが得意げに笑う。


「ちょうど一昨日、改装が終わって、新しい鍵が出来上がってきたんですよ。

 そのひとつを、ユーグに差し上げます。

 いつでも、おもしろい本を読みに行きなさい」

「本当? いいの?

 陛下の、七匹の竜の本もある?」

「もちろん。

 ユーグの手の届く本棚に入れてありますから、探してみてください」

「やったっ」


 大人びた受け答えの代わりに、ようやく年相応の無邪気な声が上がって、アルフォンスの頬がほころぶ。

 あの最初のお茶会の夜に見せてくれたのと同じ、あたたかな笑顔。

 アルフォンスが心底嬉しがっているのがわかるこの微笑みこそが、何よりもシャルロットの胸の内を明るく照らす。


 ところが。


「ユーグ。それは、陛下にお返ししなさい」

「え……?」

 後ろでやりとりを見守っていたジュリアンの声が、冷や水のように降ってきた。

 ユーグだけでなく、アルフォンスもシャルロットも、ジュリアンの顔を凝視した。


「書庫は、王家の歴史や知恵が詰まった大切な場所だ。

 王位にある者以外は触れられない聖典もたくさんある。

 子どもがみだりに入っていい場所ではない」

「お父さま……」

「それに、陛下のところへ遊びに行って、ご迷惑をかけてはいけないとあれほど言っていただろう?

 本を読んでもらうことなら、お母さまでもできる。

 侍女もいるだろう。

 陛下の仕事の邪魔をしてはならない」


 叱られてしゅんとしたユーグの瞳が、アルフォンスとシャルロットの様子をうかがうように動く。

 手のひらにのせている鍵をぎゅっと握りしめている。


「いいのですよ」


 アルフォンスがジュリアンではなくユーグに語りかける。


「ユーグは言いつけをよく守る子ですから、大事な棚には手を触れない、という約束も守れるでしょう。

 他ならぬユーグだから、差し上げたのですよ、この鍵を」


 屈んでユーグと目線を合わせて話すアルフォンスは、それ以上顔を上げることはない。

 ただただ、ユーグと話をしている。

 黙りこくって何も言わないユーグの頭上で、ジュリアンのふうという溜め息がする。


「ユーグ、陛下との約束は、ちゃんと守ること」

「は、はい、お父さま! 陛下、ありがとう! ……ございます」

 礼を言うユーグは、大人びた振る舞いをしようと努める男の子に戻っていた。



 案内されてテーブルについたアルフォンスとシャルロットの元に、エヴリーヌが振る舞う紅茶と菓子皿が運ばれて来る。


「シャルロット、先ほどから黙りこんで、どうしましたか?」

「あの、もしかして……書庫の鍵を贈るって、大変なこと、だったのですか?」


 ジュリアンの厳しい物言いに、シャルロットは不安を隠しきれなかった。

 書庫の鍵を贈るアイディアを出したのはシャルロットだった。

 アルフォンスとユーグが物語を通じた友人なのだと知って、軽々しく提案してしまった自分の浅はかさを悔やんだ。


「いいえ、そんなことありませんよ。

 あれは……兄上が少し、脅かし過ぎなのです」


 なぐさめるように優しく言われてもなお、拭いきれない不安が残る。

 このあいだの回廊での一件で、自分の行動でアルフォンスの評価を下げるようなことがあってはならないと思い知ったというのに、同じ間違いをしてしまったような気がする。


「本当に、たくさんの人ですね」


 不安げな表情を気遣ってか、アルフォンスが言った。その優しさに甘えて、シャルロットは気を取り直して答えた。


「ええ。お祝いに来ていない人はいないくらいに見えますね」

「ユーグは皆から可愛がられているのですよ。

 愛らしくて、賢くて。

 それに、兄上もそうです。

 皆から慕われ、信頼されている——

 たとえば、オリオール卿。

 彼は兄上のことをよく支えてくださっています。

 このパーティのことも取り仕切っているのは、

 兄上のことを敬愛しているからでしょう」


 アルフォンス本人からオリオール卿の名前が出たことに、

 シャルロットは何も言えなかった。


 ユーグの誕生日パーティーは、王家の公式の行事ではない。

 あくまでジュリアン一家の私的な集まり——

 しかし、皆が皆忙しい仕事のあいだを縫って、次々とやって来る。

 このパーティを大掛かりなものにするために動いているのがオリオール卿であることは、シャルロットもオレリアから聞き及んでいた。

 それが、ジュリアン派と目されるオリオール卿による何かしらの工作であることも、容易に推測ができる。


 アルフォンスがそれを知らないはずがないのだが。


「もちろん僕も、兄上を慕う一人です」


 本当に?

 喉まで出かかった問いをシャルロットは熱い紅茶で飲み込んだ。

 彼の言葉に嘘はないと思っても、兄弟のあいだに流れるあのぎこちない空気を思うと、素直には信じられない。


 アルフォンスの視線を追うと、椅子に腰掛けたユーグに行き当たる。

 入れ替わり立ち替わり、いろんな人が挨拶にやって来るせいで、ケーキを食べる手をいちいち休めなければならない。

 祝われるのは嬉しいだろうが、せっかくのエヴリーヌお手製ケーキを落ち着いて食べられないのは気の毒だ。


「鍵は、あの子が持つべきもの」


 ふいに聞こえた沈んだ声に驚いて、シャルロットはアルフォンスを見つめた。

 ユーグに注いでいるあたたかい眼差しが、いつのまにか真っ直ぐなものに変わっている。


「……だいたい、ユーグが触ってはならない本など、ないのだから」

「陛下?」


 どういう意味ですか、と問う前に、アルフォンスがはっと視線をシャルロットに戻した。


「いいえ、なんでも……なんでも、ありません」

 何かを隠すように曇るアルフォンスの瞳が、シャルロットに薄い影を投げかけた。


「大変申し訳ないのですが、今日はおひとりで夕食をとって頂けますか?

 夜のお茶も、ご一緒できそうにありません」


 ユーグとジュリアン夫妻に挨拶をしてパーティー会場を出ると、アルフォンスが言った。

 立ち居振る舞いに力がない。

 目を合わせないアルフォンスの顔を、シャルロットはそっと覗き込んだ。


「どうかなさったのですか、陛下。

 どこかお悪いんじゃ……」

「いえ、本当になんでもないのですよ」

「でも、顔色が……熱があるのかも——」

「!」


 一瞬、どうなったのか理解できなかった。

 額に当てようと何気なく伸ばした手が、アルフォンスの手に弾かれてすっと空を切った。


 振り払われた?


 目の前にいるアルフォンスが、目を丸くしてこちらを見ている。

 困惑と驚きと……どうしたらよいのかわからず、シャルロットは避けられた右手を左手で包んで、アルフォンスを呆然と見つめた。


「すみません、なんでもないのです。

 つい、あの子の誕生日プレゼントを選ぶのにかまけて、書類の決済を先延ばしにしていた分があるのです。

 それを片付けなければなりません。

 ですから、ご一緒できないのです。

 ……カジミール!」


 傍近くで控えていたらしいカジミールが、さっと姿を現した。


「御前に、陛下」

「王妃を自室まで送り届けてください。

 私は、執務室に行きます。

 夕食は結構ですと、厨房に伝えてください」

「待って、陛下——」

「申し訳ない、王妃。急ぐものですから」


 いつになく強い態度が、ざわざわと梢を揺らす夜の風のようにシャルロットを揺さぶった。

 略服のマントを翻して、アルフォンスは背を見せて去って行く。


「王妃さま、参りましょう」


 カジミールの促す声にも、足が動かない。

 追いかけたいのに、足が動かない。


 どうして?


 そう問いたいのに、あなたはいない。



 その日以来、アルフォンスが寝室で一緒に寝ることは、なくなった。

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