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3.お茶会の夜

 姉のイレーヌはそれはそれは美人だ。


 結婚式のときの花嫁姿はまるで、幼い頃に読んだ美しい物語の、美しい花嫁そのもの——

 そう思ったのは物語好きの空想好きであるシャルロットだけではない。

 なにしろ、その美しさを伝え聞いて、画家が花嫁衣装のイレーヌを描かせてほしいとやって来たくらいだ。

 聞いたところによれば、その絵は画家が依頼されている美しい物語の絵本の挿絵として使われるらしい。

 姉は文字どおり、物語の中の人になったのだ。


 ——実際に嫁いでいらしたのはそうではない妹君の方だったものだから、安心したのですよ。


 オリオール卿の言い草が思い出される。

 ごもっともな感想だ。


 だいたい、父親からしてそうだった。


 ——あいつにはビュケ家を継がせるさ。

 それくらいの特典がないと、イレーヌみたいにもらってくれる男も見つからないだろうしな。


 オリオール卿の言葉に、父親がかつて言った言葉が重なる。


 そう、私のことはなんとでも言って頂いて構わない。


 だからといってそれは、ぶんむくれない理由には、ならない。


 むしゃくしゃした気持ちのまま扱われるティーセットが哀れだ。

 このままじゃいけないのに。

 そう焦る気持ちを嗤うかのように、約束の時間きっかり、扉を叩く音が響いた。


「そんな顔をなさらないでください、王妃」


 困ったような笑みをたずさえて、アルフォンスはやって来た。


「……陛下こそ、お困りでいらっしゃるじゃない」

「まさか、王妃からお茶に誘われるとは思っていなかったものですから」

「私だって、まさか本当に来てくださるなんて思ってもみなかったんですもの」


 自分たちの寝室であるのにまるで見知らぬ場所へ初めて足を踏み入れるように、アルフォンスは物音を立てずに歩いた。

 空気がぴいんと糸を張ったように感じられる。

 寝室の片隅には小さなテーブルセットがしつらえてある。

 アルフォンスから贈られた菓子を白地の皿に敷き並べ、もらったばかりのコスモスを一輪、ささやかに生けた。


「昼間は本当に申し訳ありませんでした。

 臣下の非礼は国王の非礼です。お許しください」

「や、止めてください、陛下。

 もう……お座りになって」

「……ありがとうございます」


 放っておいてはいつまでも謝り続けそうなアルフォンスを制して、シャルロットはおどけて言った。


「それにしても、私とお茶ってそんなに似合いません?

 これでも、趣味はお菓子作りなんですよ」

「いえ、そうではありません。

 貴女から、ということではなくて、ただ……

『王妃』からこのようなお茶に誘われることは、想定していなかったものですから」


 こぽこぽとティーカップに紅茶を注ぐ音に安心したのか、アルフォンスのぎこちない表情が少しだけゆるむ。

 シャルロットもほっとして言った。


「夫婦が二人でお茶の時間を過ごすのって、王家では異常なことなのですか?

 それとも、王妃が陛下を直々にお茶にお誘いすることが、恥知らずで畏れ多いことだったとか」

「いえ、とんでもない。

 ただ……」


 言おうか言わずにおこうか、逡巡するような間を置いて、アルフォンスは続けた。


「僕のもとへ嫁いで来る女性は、僕が好きで嫁いでくるわけではない——

 いや、それどころか、他に好きな人がいたとしてもその気持ちを無理に諦めて、会ったこともない男のもとへ来るのだから、手酷く拒否されても仕方がないことだと思っているのです」


 なんて正直な告白だろう。

 シャルロットは素直に驚いた。


「だからカジミールがあんなに驚いていたのね。

 陛下とお茶をご一緒したい、って言っただけなのに、妙な人扱いされたのって」

「おそらく。

 彼には今までの王妃たちのお世話をお願いしてきましたから。

 ふさぎこんでいる王妃たちの姿を見慣れていると、貴女の様子は、その、なんと言ったらいいか——」

「元気すぎる?」

「気を悪くされたら、申し訳ない」

「もう慣れましたわ」


 シャルロットは苦笑した。


「でも、その台詞は陛下にそっくりお返ししたいくらいよ。

 陛下もカジミールも、私にとって十分予想外ですもの」

「なぜです?」

「優しすぎます」

「次々と王妃を離縁するような男が、優しいわけないと思っていた?」

「むしろ、政略結婚で嫁いで来させる王妃に愛情を注げるなんて、信じられなくて」


 アルフォンスの素直さに引っ張られるように、シャルロットはいつのまにかむしゃくしゃした気持ちを離れていた。


「陛下のもとに嫁いでくる女性は、陛下が好きで嫁いでくるわけじゃない、と仰ったけれど、それは、陛下も同じではありません?

 しかも、その……

 今までに離縁された王妃さまは、お子様がいらっしゃらなかったから……

 それで離縁されたのだとしたら、御子さえ生せればそれでよいとお考えなんだと思っても、不思議ではないでしょう?」

「確かに」

「それなのに、贈り物をくださったり、不便がないように気遣ってくださったり……。

 だからね、本当は、お茶会を受けてくださると思ってなかったどころか、断られることを期待していたんです」


 改めて口にすると、我ながら妙なことを考えているものだ。


「どうして、断られるようなことをあえて頼んだりしたのです?」


 もっともな疑問だ。

 もっともすぎて答えづらい。

 胸のうちにある、小さくて、でも決して抜けないとげを見せるようなものだ。

 それでも、アルフォンスの真摯な問いかけの瞳に促されるようにして、シャルロットはそっと言った。


「だって……そういうものだ、って思っていたから。

 お笑いにならないでね?

 私、小さい頃からずーっと、物語ばかり読んでいたんです。

 おとぎ話とか、異国の冒険譚も大好きだったけれど、いちばん好きだったのはロマンス小説なんです。

 たとえば、政略結婚で王家に嫁いだ妃は、夫である国王から冷たくあしらわれ、世継ぎを産むこと以外は何も期待されない存在で、妃も冷たい王に心を開けない——そんな話」


 呆れられるかと思ったが、アルフォンスは変わらない真剣な瞳でシャルロットを捉える。


「結婚が決まったとき、私は、そういう物語の中の王妃になるんだって、そう思ったのです。

 それがある意味、嬉しくすらあったの。

 あっ、でも、勘違いなさらないで。

 陛下との結婚が嫌だからそう考えるようにしていたとか、そういうのではないの」

「わかっていますよ、王妃」


 本当に何もかも見通しているかように、アルフォンスははっきり言った。


「僕も、物語はとても好きなんですよ。

 見知らぬ土地へ冒険に出たりする物語は特に。

 ユーグもそういうのが好きで……よく一緒に本を読んだりするんです。

 だから、貴女がそうやって、物語の世界に入り込んでしまう気持ちは、よくわかります。

 まるで……自分じゃない自分になれるような気がして。

 現実の自分の姿を忘れて……」


 手をのべて目の前の美しい宝石に触れるように、わかり合えたような感覚がシャルロットを包んだ。


「僕らは『似た者同士』だった、ということかな」

「ふふっ。そうかもしれませんね」


 アルフォンスの笑みに、彼もまた、自分と同じようにわかり合えた気持ちに包まれていることがありありとわかる。


「貴女は本当に僕を驚かせてばかりだ」

「実家を恋しく思って泣くこともないし、『お茶をご一緒しませんか』って誘っておいて『まさか来てくれるなんて思わなかった』、なんて言い出すから?」

「他にもあります」


 シャルロットをじっと見つめる両目に、ランプの灯りがちらちらと揺れている。


「僕を、かばってくれた——ありがとう、シャルロット」


 突然に名前を呼ばれて、シャルロットの胸の内ははっきりと高鳴った。


 注がれる視線に絡めとられるような感覚がして、あわてて目を逸らす。

 いくらかっとなったとは言え、大声を張り上げるなんて、今さら恥ずかしくなってきた。


「……陛下に御礼を言われるようなことでもないの。

 回廊で言ったこと——本心じゃないとは言わないけれど……。

 ようやくロマンス小説で読んだような展開になったな、って、逆に安心したからなの。

 おかしいでしょう?

 陛下の悪口を言わないで、って言ったのは……あなたをかばいたかったわけじゃない。

 ただ単に、ひどいと思っただけで……。

 だから……そんなふうに御礼を言われてしまったら困るの」


 小さくなって正直に告白するシャルロットに、アルフォンスは静かに言った。


「それでも、僕は嬉しかった。

 貴女がそう言ってくれたことが、何よりも。

 誰かにかばわれるなんて……いつぶりだろう」


 長い時間のように思えた。

 静かな言葉が、音もなく自分ににじんでいく。


 私も、あなたにそう言ってもらえることを、本当に嬉しく思う——

 そう言えたらどんなに……。


 それでも大切な言葉はくちびるを離れることなく、喉の奥へ、胸の奥底へと沈んでいく。


 沈黙を破って、アルフォンスは言った。


「ところで、最後はどうなるのです?」

「最後?」

「ええ。ロマンス小説の最後です。

 僕はロマンス小説の類いは読んだことがなくて。

 最後は、どうなるのですか?

 お互いに、心を閉ざした王と王妃は」

「それは……それは、内緒です。

 今度、貸して差し上げますから、ご自分でお読みになってください」

「はは、厳しい王妃だ」


 そう笑うアルフォンスの声が、やけに耳をくすぐった。

 淹れ直した紅茶を、もう一度こぽこぽと注ぐ。

 二人のあいだに立ち上る湯気も、心なしかすんなりと気持ちよく香る。




「ああ、でも……」


 さあどうぞ、と差し出したマドレーヌを受け取るアルフォンスが耳を傾ける。


「ベランジェには、会いたいな」


 ふいに実家を思い出して、シャルロットは言った。


「ベランジェ……ああ、あの」

「ご存知なの?」

「失礼なことを言うようですが、王妃となる女性の身辺については、しっかりと調査していますから。

 大臣たちが候補の女性を挙げてはくれますが、王妃を選ぶのは僕自身です。

 だから、資料にはちゃんと目を通すようにしているのですよ」


 アルフォンスの顔が曇る。


「本当に、申し訳ないことをしました。

 貴女を彼から引き離すなんて」


 ようやく回廊での一件が収まったと思ったのに、再び手を下げて額をつけんばかりの勢いで謝るアルフォンスに、シャルロットの方がうろたえてしまう。


「そ、そんな大げさな、陛下」

「いえ、大事な方なのでしょう?

 僕との婚約が固まった頃から、体調を崩していらっしゃると聞いていましたが」

「本当に何でもご存知なのね。

 確かに、ちょっと病気がちで心配していますけれど……」

「どうぞ、僕に遠慮はなさらずに、連絡をとって差し上げてください。

 手紙を差し上げるのも良いかと思います。

 カジミールに行ってもらいますから」


 曇った表情のまま、こまごまと気をまわすアルフォンスを、悪いとは思いながらもつい微笑ましく見つめてしまう。


「ありがとうございます。でも、手紙を書いたところでベランジェには読めないですし、体調が良くなったらお城まで遊びに来させますわ。

 陛下にも紹介しますね」

「……」

「? ……どうしましたか?」


 どうも会話が噛み合っていないような気がする。

 アルフォンスとシャルロットは不可解な表情でお互い顔を見合わせた。


「あの、シャルロット。

 ベランジェは、字が読めないのですか?」

「それはそうですよ。

 中庭の小鳥だって字が読めないでしょう?

 うちのおばかさんなお犬様には、とてもじゃないけど字なんて読めません」

「ベランジェは、犬、なのですか?」

「……人間だと思っていらっしゃったの?」

「貴女の恋人だと」

「まさか陛下、私にはベランジェっていう相思相愛の恋人がいると思っていらっしゃったの?

 その恋人と無理矢理引き離されて王妃になったとお思いだったの?

 だから床でおやすみになったの?」


 矢継ぎ早の質問に口ごもったままのアルフォンスに、シャルロットは笑いながら言った。


「もう、早とちり。

 だめですよ、部下の報告はちゃんとお聞きにならなきゃ。

 ふふっ、案外抜けてるところがおありなのね」

「いや、その……」


 戸惑った表情がなかなか消えない。

 それもそうだろう。

 恋人と引き離されて嫁がされた王妃だからこそ自分を受け入れてはくれないだろうと思っていたのに、その引き離された恋人が実は犬だったなんて。


 陛下、と呼びかけると、考え込むように伏せていた顔を上げて、こちらを見てくれる。


「お願いです。

 せめてベッドで寝てください。

 大丈夫よ、確かに私は寝相が悪いけど、これだけ大きかったらあなたを蹴飛ばそうにも足が届きませんわ」

「シャルロット……」


 ベッドを指して冗談を言ってみる。

 自分の名を呼ぶ少しかすれた声が、まだ不安そうで。


「冬はもうすぐそこですもの。

 これ以上床で寝ては冷えてしまいます。

 風邪をひいてしまったら大変よ。

 シャルロット特製のジンジャーティでは間に合わないわ」

「……そうですね、隣に貴女がいれば、あたたかそうだな」

「え?」

「いえ、なんでも。

 これからは、そうさせて頂きます。

 ありがとう、シャルロット。

 本当に、今夜は貴女とお茶ができて、よかった」


 そう言って、アルフォンスはティーカップを口に運んだ。


「……もしかして、回廊でのことを申し訳なく思ったから、来てくださったの?」


 もしそうだとしても、別になんとも思わないはずだった。

『詫びる』気持ちにでもならない限り、王妃のわがままには付き合わない——

 その方が、シャルロットの知っている物語にはずっと近いのだから。


「いいえ」


 きっぱりとしたアルフォンスの声。


「僕が来たいと思ったから来たんだ」


 どうしてだろう。

 その答えが、自分でも信じられないくらいに嬉しい。


 はずんだ笑い声がさざ波のように二人のあいだから起こって、やがて夜の涼しい空気に溶けていく。

 それこそ、時計の針がまわり疲れるまで。

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