1.王妃は冷たくあしらわれたい
古来、王家への強引な輿入れとくれば、冷たい国王、政治的に利用されるだけの王妃と決まっているのだ。
お世継ぎを産むこと以外には何も求められない籠の鳥。
宝石で飾り立てた鳥籠は美しくとも、退屈で陰湿で息苦しい日々。
国王の寵愛を巡って他の王妃と争うように仕向けられて、懸命に着飾ってみたところでまったく興味を示されず、運良く子をなしても女の子であれば親戚一同が落胆し、男の子であれば次の王位を狙うために策略が動きだし、寵愛が他の女に移ればたちまちに権力を失って凋落する——
「それなのに優しい王様だなんて!
おかしすぎる……まったく変だわ!
オレリアだってそう思うでしょ!?」
「……お前がロマンス小説の読みすぎなだけだろ、シャルロット」
鏡台前で憤懣やるかたないといった様子で訴えるシャルロットに、幼なじみ兼王妃付き侍女のオレリアが呆れたように答える。
さばさばとした男勝りな口調だが、シャルロットの栗色の髪を整える手つきは慣れたものだ。
「だいたい、そこは喜ぶべきところじゃないの?
誰だって冷たくあしらわれるよりは、親切にされた方が嬉しいもんでしょうが」
「冷たくあしらわれるのと、気遣われたあげくに床で寝られるの、どっちがマシだと思う?」
オレリアは髪を梳きながら黙り込んでしまう。
まったく、わけがわからない。
新婚初夜に床で寝る夫。
混乱したままベッドにもぐりこんだことを思い出すと、わけのわからなさに今でも溜め息が出る。
暗闇の向こう側に規則正しい寝息に上下するアルフォンスの背中がぼんやりと見えた。
床に敷かれた深紅の絨毯も、アルフォンスが纏っている夜着も毛布も、仕立ての良さは当然一級品だが、それだけに床で寝ているという事実がいっそうちぐはぐと胸に迫る。
だいたい、最初から既に妙だった。
婚礼の支度のために朝早く城に入ったシャルロットを待ち受けていたのは、事もあろうにアルフォンス国王陛下直々のお出迎えだった。
——ようこそお越し下さいました。この度の輿入れをお受け下さったこと、感謝します。
丁寧に頭を下げる国王陛下にシャルロット側の皆が面食らったのは言うまでもない。
金色の波打つ髪が、ゆらりと額にかかっているその姿、優雅な物腰、穏やかな笑み。
そう、すべてにおいて、アルフォンスはあまりにも優しすぎた。
まるで古い絵本の王子様のよう。
思わず見惚れていた自分を、シャルロットは恥じた。
本当であれば慎ましく顔を伏せていなければならないところなのに。
「まあ、さすがにあれには驚いたけどさ」
さしものオレリアも苦笑まじりに言った。
「ロマンス小説はともかく、さすがに陛下がお出迎えとはね。
こう言っちゃお前にも悪いけど、もう8人目だろ?
よくやるよ、陛下も」
「9人目よ、オレリア」
気にもせずにしれっと訂正する。
「そうでもなきゃ、私が王家にお輿入れなんてありえないでしょ?」
地方の一貴族の末娘に過ぎないシャルロットが、王家、しかも国王陛下の王妃として請われるなど異例のことだ。
アルフォンスとそれほど年齢の変わらない娘が少なく、なおかつ既に結婚している例も多いせいで——
というのは表向きの理由だとシャルロットは考えていた。
つまり、王家に嫁ぎたい貴族がいないのだ。
陛下はこれが9回目の婚姻。
いずれも離縁の理由ははっきりとしない。
しかし、子をなさないままの離縁が続いているのだから、いくら王家と縁戚関係になれるとは言え、及び腰になる貴族が多くいたとしても不思議ではない。
『子を生せない女』というレッテルが娘に貼られるのは、野心に燃える父親と言えどごめんだろう。
「そう考えると、小父さま、よくお前を陛下に嫁がせたな。
私が小父さまの立場だったら何としてでも回避するけど」
「あら、回避はできてるわ。
愛しのイレーヌお姉さまはちゃんと嫁がせたもの」
しかも、相思相愛状態で。
世にも珍しい恋愛結婚というやつだ。
「まさかうちみたいな弱小貴族にまで本当にお鉢がまわって来るとは思ってなかったでしょうけど、せっかくまわってきたお鉢だもの。
婿養子をもらって私に家を継がせる気だったみたいだけれど、王家とつながりができるならその方が良いって思うに決まってるわよ」
「私としてはお前がこの結婚をさっさと了承したって方が驚いたけど」
王家からの打診に大騒ぎとなった家の人々をさらに困惑させたのが、当のシャルロット本人の一言だ。
このじゃじゃ馬のことだ、当然嫌がって逃げ回るに決まっていると皆が思っていた。
しかし、話を聞いて開口一番。
——あら、よかったわ、ロマンス小説を読んでおいて。
と、至極あっさりと承諾してしまったのだ。
「ま、それにしても、確かに妙だとは思う。
今までの王妃を離縁したのは御子ができなかったから、っていう話なら、お前をベッドで寝かせて自分は床で寝る、っていう現実と辻褄が合わない」
感動しやすく激しやすいシャルロットとは正反対に、いつもオレリアは冷静だ。
「ジュリアン様のところのユーグ様が王位継承権第一位に序されているってことを考えれば、陛下がご自分の御子がほしいと思っていても不思議じゃないけど」
シャルロットは婚礼のことを思い返した。
アルフォンスの兄であるジュリアンは、妻のエヴリーヌと息子のユーグとともに、参列者のいちばん前の席に座っていた。
花嫁が被る絹のヴェールのせいで周りはあまりよく見えなかったが、足が床に着かないでぶらぶらとしているユーグが可愛らしくて、それでいてまわりの大人の手を煩わすことなく、おとなしくしていた姿を、シャルロットはよく覚えている。
ただ、婚礼の翌日からジュリアン一家は公務のために地方へ出ている。
一度顔を合わせただけでは、そろそろ記憶も曖昧だ。
王位継承権の序列で言えば、あの子が次の国王陛下にいちばん近い。
ジュリアンはアルフォンスの兄であり前国王の長男だが、王位についたのは弟のほうだった。
なんでも、母親が違うという話だった。
「まったく、男ってのはひとりの女に一途になれないものかな。
ばかばかしい」
「仕方がないわよ、オレリア。
男が女遊びをしなくなったら、世の中のロマンス小説のほとんどがつまらなくなるわ」
「そこを基準にして許容するなっての」
軽口を叩き合いながらも、シャルロットの目は真剣そのものだ。
「とにかく、あれで新婚初夜だなんて……あれならまだ無理やり押し倒されたほうがマシだわ。
『世継ぎを産む以外のことは何も求めぬ!』とかなんとか言われて。
その方が自分に求められているものがはっきりして、納得がいくわ」
婚礼から一週間。
顔を合わせれば必ず王妃を気遣う陛下は、まだ一度もベッドで眠っていない——
邪険に扱われるのも不快だろうが、期待していない優しさは同じくらい不気味だ。
「なあ、シャルロット」
「なあに?」
「いい加減、自分のことを他人事みたいに言うのはやめなよ。
私はお前が捨て鉢になってるんじゃないかって、心配してるんだから」
最後の仕上げに、銀細工の華奢な髪飾りを整えながら、オレリアは静かに言った。
「別に、捨て鉢になんて、なってないわ」
むう、とくちびるをとがらせるシャルロットを見つめて、オレリアは苦笑いをこぼす。
オレリアがシャルロットの髪を整え終わる頃、扉が叩かれた。
「王妃さま、カジミールでございます」
カジミールはアルフォンスにいちばん近しい部下だ。
公私ともにさまざま手はずを整えてくれる。
「出たわね、予想外ナンバー2」
「シャルロット、聞こえる」
「だって。……どうぞ!」
オレリアがもう慣れた様子で扉を開けに行く。
朝と昼のあいだの時間にやって来るカジミールが扉を開けづらいであろうことを、二人はよく知っていた。
「失礼致します、王妃さま」
予想どおり、彼は両手いっぱいに荷物を抱えていた。
「陛下より、贈り物でございます。
本日はオレンジマドレーヌと木の実のタルト……それから花を」
「いつもありがとう、カジミール。
きれいな貝殻型ね……大好きなの、マドレーヌ」
「存じております。それゆえの選択です」
「……相変わらずの予想外っぷりね」
「は……?」
「いいえ、なんでもないの、こちらの話よ。
本当にありがとう」
カジミールは一礼すると、テーブルの上に贈り物を素早く並べた。
オレリアが花束を受け取る。
今日はコスモスだ。昨日は真っ白なゼラニューム、その前はオレンジの薔薇……飾り棚の上はもういっぱいだ。
花好きのオレリアはいつも楽しそうに花を整えているが、さすがにこの量になると苦笑いが先だ。
「ねえ、カジミール。
贈り物は嬉しいのだけど、こんなこと、他の王妃さまたちにもなさっていたの?」
言葉尻だけを捉えればずいぶんと焼きもちめいてはいるが、シャルロットの純粋な問い方に、嫉妬はみじんも感じられない。
「毎日ではありませんが、頻繁に。
王妃さまに毎日お届けにあがるのは、まだこちらに来られて日が浅いからでございます。
慣れない生活に疲れて、ふさぎこんでおられるのではないかと、陛下が心配しておられますので」
政略結婚で結ばれた王妃がふさぎこむことを心配して、毎日せっせと好みの菓子やら美しい花やらを贈る国王陛下とその腹心の部下、か。
本当に妙な人たちだ、とシャルロットは内心思う。
カジミールは仕切り直すように言った。
「ところで、王妃さま。
陛下より、王妃さまが何か不自由な思いをなさっていればお力になるよう言われております。
何か、お困りになってはいらっしゃいませんか?」
予想外ナンバー1の気遣いを律儀に伝えてくる予想外ナンバー2の申し出に、シャルロットは考えをめぐらせる。
……ベッドでお休みください、とここでお願いするのもなんだか変な話だ。
それなら、と、シャルロットはにっこり笑ってこう言った。
「もし願いが叶うなら……このお菓子を、陛下と一緒に食べたいわ。
お昼間はお忙しいでしょうから、夜のお茶会でも構いません」
「陛下と、ですか?」
「ええ」
「……妙なことをお望みになるのですね、王妃さまは」
本音をちらりとのぞかせながらも、カジミールは一応了承して退室した。
扉が静かに閉められるのを十分に待って、オレリアが言う。
「お前、断られるのを期待してるだろ?」
「ふふ、ばれた?」
「呆れたやつ」