第三話 開戦、再び……
十月十日早朝。ついに沙織派が動いた。七月の敗北からの沈黙を破って。
「予想通りだな。十月の北海島で奇襲とは」
真仁が沙織派による開戦の報を受けたのは、何と先日貸与された北東地方の港であった。
「貸与直後でなく、あえて十月上旬に一帯の視察の予定を組んだのは、全てを読みきっていたからか?」
今更ながら驚きを隠せない様子で春瀬が問う。
「もちろんだ。そうでなければ、視察に一個軍団は伴わないよ」
赤いマントを翻し、馬車に乗り込む。
「急がなくては、沙織派は長居しないだろうからな」
「恐山港へだ。急げ!」
春瀬が横にかけ、御者に命じると、立派な王室馬車は羽の生えたように駆け出した。
開戦の報せからわずか三十分後、伊達大王国の主力、ニコライ大将率いる中央地方方面軍第二機動軍団は恐山港から北海島へ渡る準備を整え、総帥らの帰還を待っていた。
紫髪の参謀総長と白髪の秘書、それにK.S.P.の三人衆などが波止場で待ち構える。
「あっ! 来た来た! ねえ、来たよ!」
背伸びして道を見つめていた箏代が叫ぶ。見れば街道から王室馬車が貴賓をかなぐり捨てて突進してくるのが目に入る。
馬車は猛スピードで波止場に到着し、出迎えの者たちのちょうど前で停止した。
「酔わなかったのが奇跡だ」
降りてきて第一声、若干ふらつきながら大王が呟く。
「陛下は酔い慣れているのだろう……私は死にそうだぞ」
その後ろから、明らかに顔が青い大母が胸を押さえながら地面に降り立つ。
「うふふ~、お二人とも大変ね~」
「しかも、これから海上を移動ですから悲惨ですね」
七海が常通りのクールな声音で呟くと、箏代があちゃあと頭を押さえ、剛が苦笑いする。
が、春瀬は笑い飛ばした。
「海上だと? 何を言うか。貴様、一体どこに船があると言うのだ?」
「これから寄航しますのでは……?」
怪訝に眉を寄せる。と、大王が頭を掻いた。
「ああ、言っていなかったか」
「何をです?」
「こういった際は、船は使わん。黄天軍の海軍だって援軍は警戒してるだろうしな」
「ですから、このように素早くしましたのでは?」
「違う。それは別の目的だ」
「うふふ~、伊達派の技術力、見くびってもらっては困るわ~」
結衣参謀総長が頬に手を当てて微笑む。
「と、言いますと?」
「海上が危ないなら~、海中を行けばいいのよ~!」
「マジかっ。潜水艦あんのかっ?!」
剛が予想だにしなかった先進的な名に声を上げる。
「先々代の時代からね~。うふふ~。こっちよ~。もう出撃の準備はできてるわ~」
少し歩いたところに、その威容はあった。
かすかな曇天の下、薄ら寒い風に吹かれながら、巨大な黒い影が海面から半身を覗かせていた。
「でっか……」
顎が外れそうなほどに剛が驚く。
「え、マジで? だってこれ、全長……」
「二八七メートルよ~」
自慢げに結衣が胸を張る。
「全体は太い葉巻型の形状で~、前方上部に操艦室七メートル、最後方の八十メートルが機関室で、間の残りの二百メートルが巨大な貨物室になってるのよ~。ちなみに、船体中央部から観測所が突き出してるし、操艦室も船首部分全面ガラス張りだから~、巨体の割に致命的な死角がないわ~!」
「死角自体はすっげえ多そうだけどな」
「一緒に仕事したからか容赦ないね、剛くん」
「き、気心、知れた仲、なん、でしょうか」
「そこまでじゃねーよ」
笑って否定する。
「で、大子爵。今日はこのご老公方は何ノットで走れそうなんだ?」
「艦長に聞いた方が早いと思うけど~、カタログスペック上は一~二ノットってとこかしら~」
「はあっ!? 一、二ノットお!?」
「どうどう、剛くん落ち着いて」
「いやいやいや。けどよお、一、二ノットって、時速数キロだぜ?!」
「亀じゃん! いや、海の中だから亀の方が早いよ、剛くん!」
「鋭いな。おかげでついたあだ名が、シルトクレーテ級潜水艦なんだ」
「ど、どういう、意味ですか?」
「ドイツ語で、“陸亀”だ」
「よりによって陸かよ……」
剛がうなだれる。
「しかし、本当にもう少し機動性が欲しいな」
春瀬もさすがに呆れ果てて、目前の巨体を見つめる。
「どうしてそこまで遅いのですか……?」
七海が大子爵をちらと見やる。
「まず、大きすぎたわね~。全長が三百メートルに迫ってるし、排水量も七万トンを超えるわ~」
「一般人世界最大の潜水艦でも、全長一七五メートルに、排水量四万八千トンとかだぜ……」
「あと、万一敵に発見されて攻撃された場合に備えて、船体の上半分はかなり分厚く重装甲になってるのよね~、それが重いんだと思うわ~」
「そういや、某変態紳士の国も陸亀って名前の重駆逐戦車つくってたな。重装甲オラオラ系だけど、あれもすっげえ遅えんだわ」
「ついでに蒸気機関なんだけど、まあこれは関係ないわよね~」
「ああ、それは関係ねえな、って、はああっ?! 蒸気機関っ?!」
「えっと、機関車のだよね? 剛くん」
「いや違えよ。潜水艦で蒸気機関っつったら、原潜だぜ、普通!」
「? 機関車のよ~?」
剛が絶句して結衣を見やる。
「燃料を釜に入れてボイラーの水を沸騰、その蒸気でタービンを回してるわ~。う~んそうね~、厳密には機関車はピストンだし、こちらは蒸気タービンだからちょっと違うんだけど~」
「え、マジ……? 排気どうしてんの?」
「煙突に決まってるだろう」
大王がそう言って、甲板の上に聳え立つ観測所を指し示す。そのはるか上には、糸のような細い菅が数本並び、汽車の煙突のように白い煙をたゆたわせていた。
「潜行できなくね?」
「完全には無理ね~。煙突から海水入って~、最悪機関が停止して沈没するわ~。けど、観測所の上が少し出るくらいまでなら潜れるわよ~」
「潜れないのに、潜水艦なんだ……」
さすがの箏代も苦笑を浮かべる。
「今思えば、そうだわ。蒸気機関の大家であらせられる某変態紳士の大帝国も、蒸気機関の潜水艦つくってたなあ。K級とかソードフィッシュとか……。あれ一応潜れたけど」
「海上を船で行くより安全だからいいのよ~。まだ恐海峡は鉄道も通せてないし~、ここでは昔から大切な足なのよ~?」
「ともかく乗り込もう。後は我々だけだぞ」
春瀬がそう言って甲板を指し示す。
とにもかくにも、総帥以下、二万を越えるニコライ軍団は、シルトクレーテ級潜水艦船団に分乗し沙織の予想をまたも完全に裏切る早さで戦地へ向かう。
「ねえねえ、ちなみにどの位で北海“道”着くの、まさく、陛下ー?」
「色々間違いすぎだろう……まあ、艦長の話では、十時間ほどだそうだ」
「日が暮れるわ!」
「本当に暮れますのが、また何とも……」
シルトクレーテ級潜水艦の巨体故の抜群の安定性とのろさを半日ほどいやと言うくらい思い知らされ、ニコライ軍団は十月十日、ちょうど夕飯の頃合に北海島は渡島港へ到着した。函館の北東に位置する伊達派北海島領の玄関口だ。
大王は港湾管理局内の一室で側近らとともに夕食を取りつつ、北海島における今朝からの沙織派の行動の詳細を初めて聞かされた。
「十六都市が……陥落?」
その報告は極めて悲惨なものだった。
北海島方面軍司令部副司令官が、涙をこらえながら首肯する。
「そうですっ、陛下……。そして、今なお十都市以上が黄天軍の包囲下にあります。そこもっ、時間の、問題ですっ。すでに落とされた都市は、穀物は全て焼かれっ、男は皆殺しに、女子供は――」
「分かった。皆まで言うな。勝ち誇った黄天軍がどんなに卑しいかは、余もよく承知している」
元黄帝親衛隊の鷗がびくっと肩を震わせる。黄天軍は自らの強さの証明を第一に欲する、それ故、支配した地域のものは全て彼らの強欲の供物となるのだ。その点、人権思想の根付いた赤天地軍は捕虜虐待や占領地での強奪に対する罪というのが軍規に明記されており、黄天軍ほど無法な振る舞いには普通ならない。ある意味、解放軍を気取っているのだ。それに特に婦女子への暴行は――
「許されざる野蛮だな。やはり黄人は解せない」
国家第二の君主たる“大母”への侮辱にあたるとされ厳しく禁じられている。春瀬の美しい銀髪が怒りのあまり逆立ちそうになる。
「このような無法者と共存が望めるのか? 本当に解せない奴らだ」
保守派らしい攻撃的な意見を吐き捨て、真仁の眉間に皺を作らせる。
「いずれにしろ、我々がすべきことは文句を言うことではない。行動の時だ」
そう言うと、フォークを皿に置き席を立つ。まだ大きな皿には半分以上、肉が残っている。
「時間が惜しい。今持ちこたえている都市だけでも救うのだ。一番近いところから、順番にいくぞ。敵も勝ちを確信している頃だろう。油断して寝こけている間に、地獄へ叩き落としてやるのだ!」
臣民を蹂躙され怒りに燃える大王の号令一下、ニコライ軍団は手分けして、一つひとつの都市で敵を背後から襲撃し、次々降伏させるか、または、殲滅し、包囲を破壊していった。街を囲んでいた黄天軍としては、まさに意味不明な迅速さでのニコライ軍団の登場であり、また、本来夜襲を嫌う赤天地軍からまさか夜半に奇襲されたことも重なり、ろくな抵抗も出来ず易々と撃破されていった。
こうして明朝には、包囲下にあった都市は全て救い出され、沙織派には大きな衝撃が残った。
なぜこうも早く――と。
赤宝山地に引き続き、ニコライ軍団は、北条派の常識ではあり得ない時期に援軍に駆けつけたのだ。夜の内に全ての都市の包囲を解いたのも、常識的な移動時間と戦闘に要したはずの時間を足していくと、どうしても翌日の日中までかかる計算になり、不可解すぎる。戦闘時間は釈放された捕虜たちから比較的正確に知ることができた。ここが大きくずれているはずはない。とすると、移動時間が目算と違うのか……?
沙織派の将校たちは頭を抱えた。神出鬼没を極めたようなニコライ軍団の動きは、伊達派の都市で強奪を続ける部隊にとっては恐怖の的だ。もっとも、本来なら沙織から攻撃だけして街に十分な被害を与えられたら、とっとと退却するようにと厳命されていたのだが、欲が命令で収まらないのが北条派の軍人なのだ。不安を覚えながらも、略奪と陵辱の限りを尽くす享楽の日々に早速つかり始めていて、後戻りなど簡単にはできない。そしてその内、一人の酔った将校が、重大な発見をしてしまったのだ――。




