第三十六話 高峰決戦(3)
「うふふ~、了解~。ちょおっと痛い目、見て貰おうかしら~」
「私も手伝うぞ、参謀総長」
「じゃあ転ばした上で、身体を二つに折りたたんであげましょうか~」
不敵な笑みを浮かべて、春瀬が野原の一部を凍結させる。すると、後ろの五騎が足を滑らせ、騎手が羽飾りを震わせながら派手に落馬する。急いで立ち上がろうにも、氷の上だ。つるんと滑って顔や頭からまた地面に倒れこむ。
「うふふ~、無様ね~。今、楽にしてあげるわ~」
サディスティックな笑みをたたえて、加工鹿結衣がその五人をちらと見やる。
三度、起き上がろうともがいていた敵兵たちが、突然ごりっという鈍い音ともに崩れ落ちる。白目をむき泡を吹いて冷たい氷の布団で悶絶する彼らの身体は、きれいに背骨からへし折られ、背中の上半分と下半分が隙間なくくっ付いていた。大きな黄色い羽飾りの残骸が周囲に飛び散り、風に吹かれて虚しく地面を転げていく。
「加工の能力で人が殺せないと思ったら大間違いよ~。人体だって物体なんだから~。うふふ~、うふふふふ~」
「これで残り五騎であります」
「いえ、残り一騎になります」
七海が冷静に告げた途端、闇を切り裂いて氷点下の刃が馬主元帥に続いていた四騎の騎兵を襲い、一瞬にして命を奪い去った。
「何と! お従姉さま!」
春瀬が驚愕して叫ぶ。
「陛下、そして、殿下! お待たせをいたしました。ここからは王国一の騎士、騎士長氷野華穂が、相手になりましょう!」
随伴の家臣を全て失い、初めて馬主元帥が馬の足を止める。そのまま手綱を横に引いて、単騎追いすがってきた騎士長と正対する。
「ふーん、あたしの動きを読んだわけだ。わずかな数でも引き連れて、大王の首を優先するだろうと。そのためなら、本隊はトカゲの尻尾にすると」
「はい、そうです」
こんな時でも丁寧に返事をする。
「随分かわいい騎士さんだけど、あんた、ほんとに王国最強?」
呆れた様子で問いかけると、背筋を正した赤軍服ははっきりと縦にうなずいた。
「はい。私こそが、近衛騎兵隊隊長にして騎士長、すなわち、伊達大王国最強の騎士です」
「へえ。そう……」
急に馬主の様子が変わる。
「面白いじゃない。それじゃあ、まずその王国最強の騎兵の座――あたしが叩き潰してあげる!!」
同じ騎兵で、あまつさえ最強を名乗る相手ならば、否一番に挑んで屈服させる。常に強くあらんとする北条派軍人としての本能から出た行動が、彼女の注意を司令部から逸らした。
大王ら一部が登り斜面に向かってさらに逃げ、先回りして横隊を組んでいた戦列歩兵の後ろへ隠れて、一騎討ちの様子を見守る。
対照的な白馬と黒馬が距離を取って対峙する。両者、左手一つで手綱を握り、右手で紅く染まったサーベルを構える。騎士長の白馬マクベスは微動だにせず、元帥の黒馬はいきり立って、首を上下に振っている。両者とも夜目と耳、肌で互いの動きを探りあう。びりびりとした緊迫。
先に破ったのは、突撃自慢の馬主元帥だった。
馬の駆け出す音を聞いて、華穂もマクベスの腹を勢いよく蹴り上げる。愛馬は甲高くいななくと、真っ直ぐ敵に向かって走り出す。両者が闇の中に相手を見出す。サーベルを振り上げ、さらに腹を蹴って加速する。
刃がぶつかり、火花が飛び散る。同時に馬主元帥の頭上に、ツララが束になってふりかかる。華穂の放った「氷の矢」が、飛びかかってくる。
しかし、矢は全てはずれた。
何事もなかったかのように、馬主はその場を駆け抜ける。
――は、はずしましたか?
愕然とした表情で振り向く。が、すぐに首を左右に振る。
――違いますね。おそらくは“はずされた”のでしょう。
手綱を横へ繰って、先ほどとは反対のところに立ち止まり、再び向かい合う。
――馬主美樹は先の王都六年紛争で名声を高めました。しかし、濃尾の平松家と違い、これまで名の知れない一族だったということもあって、能力の詳細が不明です。少なくともかなり特殊ということでしたか。……ですけれど、今のでおおよそ想像はつきました。
勢いよくマクベスの腹を蹴り上げ、今度は華穂から仕掛ける。馬主が一拍遅れて、どうっと黒馬を走らせる。漆黒の闇をさいて再び風がぶつかり合い、ぱっと小さな火が輝く。そうして完全に行き過ぎた後、今度は馬主元帥の背後の空中から氷の矢が飛び出してくる。
しめた! そう思ったのも束の間、元帥は馬をひらりと右へ跳ねさせ、華穂の奇襲は全て土に返った。
――単純に予想されていましたか。鋭い勘をお持ちです。
顔を前に戻して三度、手綱を横へ引き、最初の位置に戻って来る。
「ほんとに王国最強? 本気でやってる?」
挑発か、真剣に呆れているのか、馬主のせせら笑いが聞こえてくる。
「そんなに遅い攻撃じゃあ、いつまでもあたしは倒せないよ!」
振り向くや否や腹に蹴りを入れ、即座に向かってくる。次の一手を熟慮する暇もなく、華穂も慌てて白馬を蹴り上げる。芸もなくサーベルを振りかざす。接近していく。夜闇を切り裂いて。
そして突然、華穂の手から得物が抜けた。サーベルが自分の手を離れ、宙へ吸い上げられていく。折りしも元帥の刃が目前。咄嗟に左へ手綱を引っ張り、一撃を避ける。がしかし、空中に浮いた自分のサーベルが、己の首目掛けてすっ飛んできた。さながら氷の矢のように!
顔が強張る。が、頭は冷静だ。
氷の矢を真っ直ぐ飛んでくるサーベルに無数に撃ち込む。首まであと三メートル。二メートル。五十センチ。とにかく機関銃のように撃ちまくりながら思わず目をつむりかけた瞬間、金属の刃は氷に削り取られ、中心から真っ二つに折れた。脱兎のごとく駆け抜けたところに、ぽとりと無残なサーベルの残骸が落ちる。
「話にならないよ! そんなに弱いんじゃ!」
吐き捨てるように言うと、馬主がついに司令部の方向を睨んだ。
巨大な馬車と、マントの二人組を初めとした面々と、その手前には幾度なく食い破ってきた戦列歩兵がまた能無しに横三列で人壁を築いている。
――あのマントか。髪の短い方を落とせば……。他は恐れるに足らず。いつも通り能力でねじ伏せるよ。首だけ取ったら、残っているのを連れて全力で脱出。むしろそっちの方が骨が折れそう。
素早く勝利への算段を立てる。
騎士長が異変を察して詰め寄っていく。それを大元帥らが不安そうに見守る。
とその時、真仁がとぼけた声で呟いた。
「……いない」
「何だ、陛下」
「余の秘書を知らんか?」
「……先ほどまで一緒だっただろう」
「ああ。ここに逃げてくる直前まではな」
春瀬もはっとして周囲を見渡す。しかし、戦列歩兵のこちら側に、白髪が見当たらない。
瞬間、華穂が馬主の背後で急に止まった。勝利を確信して最後の突撃を敢行せんとしていた元帥が、白目をむいて暗い空を仰いでいたのだ。華穂は目をしばたたかせる。しかし、風に揺られたかと思うと、突然羽飾りをびゅうと吹かせて地面に落ちた。
直後、斜面東の崖辺りから、雷鳴のような凄まじい衝撃音が轟いた。思わず驚いて目をつむる。だが、騎士長の耳にははっきりと届いていた。同じ方向から響いてきた馬のいななきが。
――これはチャールズの声ではないですか! なぜ春川辺閣下の馬が崖の方に……?
斜面をやや南に登ったところにいる大王たちを見上げて、首を傾げる。
しかし、すぐすべきことをした。
気絶して仰向けに落馬した元帥の手からサーベルを奪い取り、遠くへ投げ捨てる。お腹いっぱいに空気を吸い込むと、一番の大音声で張り叫んだ。
「馬主美樹元帥、生け捕ったりーっ!」
斜面の方々から歓喜の声が沸き起こる。死闘を繰り広げていた騎兵たちも、双方に武器を収め距離を取った。
「終わった……のか?」
春瀬が目を点にして独白する。兵士らの歓呼をよそに、何があったか図りかねる司令部は軽く混乱状態である。
「ともかく元帥は負傷しているようだ。直ちに手当てを」
大王が素早く指示を出すと、白衣のリョーシェンカが馬車から飛び出してきて、たんかを抱えた本職の軍医らとともに駆け下っていく。
それを見送ってから、真仁が周囲に言葉をかける。
「ご苦労だった、諸君。あとは政治が解決する。開かれた血路を、せめて幸福の楽園へ繋げられるよう政府は全力を尽くす。本当にご苦労だった」
軍や戦争に対する胸中がどうしようもなく滲み出ているように感じられるが、春瀬らはそれに苦笑いで返した。言いようには思うこともあろうが、決して本心を共有していないわけではないのである。
「ここからは陛下の独壇場だな」
春瀬の言葉にかすかにうなずく。
「あ、ああ。むしろ仕事は外務省の方が多いだろうが……」
「陛下の政府の働きは、陛下の功績だろう」
「大臣は陛下の手足だものね~」
「それは深山陛下のお言葉であります、参謀総長」
「うふふ~、違ったかしら~?」
しかしやはり軍部側は軍部側で何と言うか棘があるようだ。軍部名門の令嬢が、大王から目をそらし、サド的な笑みを浮かべている。
それを敏感に感じ取り、横目で大子爵を流し見つつ、真仁は背筋を正した。
「本当に……終わって良かった。もう二度と、我が子らが――血の海へ倒れ行く様を、見ずに済むと、良い、のだが……」
言葉が途切れとぎれになっていく。
「陛下?」
馬を寄せ、春瀬が心配そうに顔を覗きこむ。その瞬間、
大王の巨体がぐらりと揺れた。
「陛下!」
春瀬が思わず叫んで抱き止める。何とか馬上に留めるも、ぐったりと幼馴染にもたれかかった青年王は、明らかに意識がない。
「陛下! しっかりしろ! 陛下!」
「外傷はないみたいだけど~、これは順当に過労が祟ったわね~。だから出撃はしない方がいいと思ったのよ~」
結衣大元帥が反対側に回って支える。
「ただでさえ病弱だと言うのに、無茶をしすぎたのだ。戦場という環境に加え、この短期間に巨大な照明弾と嵐炎爆弾二発とは、陛下の体力をはるかに超えていた! そもそも悩みも大きかっただろうに!」
騒動を察知した主治医が慌ただしく戻ってくると、敵に気付かれない内にその大きな体を緊急搬送用の馬車に担ぎ込んで、後方の医療施設へ直ちに送り届ける。
そのしばらく後、ニコライ軍団とラウラ派遣部隊、それに馬主元帥につき従っていた重槍騎兵隊は、連合側後方拠点の第五橋頭堡に入城した。その帰る道すがら、春瀬は、陛下はいずこに、というとぼけた白髪秘書の質問に、また怒鳴り声を上げることとなった。




