第三十四話 高峰決戦(1)
同日夕方、パンゲア会談擁護派の連合軍は高峰において布陣を終えていた。
険しい斜面の南側、高い城壁に囲まれる三山市を目の前に望む中腹ほどに、東西横一線に並べられた一個連隊四十門の野戦砲を最前線に、戦列歩兵の前衛部隊が四百名の一個大隊ごとに三列横隊を構成し、計五個大隊で五列の戦線を砲兵隊の背後に築いている。これは、砲兵に関しては全砲兵戦力の四分の一、重歩兵は六分の一に当たり、つまるところ、主力ではない。それは三山市から出てくる馬主元帥には初め見ることができない、峰の向こう側へ隠してしまっているのだ。
「見事な反斜面陣地です」
七海が南斜面を見て嘆息する。
真仁、春瀬、結衣、ニコライ、そしてお芭瀬の五名は、次第に薄暗くなっていく中、峰の一角にあるくぼ地、例の川の流出口に身を潜めつつ三山市の城門を見張り続ける。
その中でのズレた独白に春瀬が舌打ちをうつ。
「闇が濃くなってきた。ますます目を凝らして監視しないか」
そう言いながら、望遠鏡で巨大な門の動きを見張る。少し肌寒い夜に向けた風が、青いマントを揺らして過ぎて行く。
「すでに目視でなく、電子レーダーによる監視に切り替えています」
七海はぬけぬけと返すが、そういう問題でもないだろう……。
結衣とニコライは眉一つ動かさず望遠鏡を覗きこんでいる。
その傍らで、大王が長い筒から目を離し、首を横に振る。
「よく見えないな……今日はどうも目がかすむ」
そう言って少しまたたきすると、お芭瀬の顔を見て苦笑する。それから再び黒目をあてがう。お芭瀬は思わず少し案ずるような表情になるが、慌ててその白い顔を覆うように望遠鏡を構えた。
が、すぐにそれを下ろして叫ぶ。
「三山市の門、開きます」
真仁以下四名の軍官が望遠鏡をぐっと握り締めて、出てくる敵を待ち構える。
巨大な門が、ゆっくりと、ゆっくりと開いていく。
そしてついに完全に開門し、飛び出してきた敵を確認した時、驚きと衝撃のため息が起こった。
「砲兵隊がいないぞ!」
春瀬が声をあげる。望遠鏡を目に一層押し当てながら。
「いくら見ても、重槍騎兵隊だけね~」
誰の目にも大砲は見えない。全身を銀色の甲冑で覆い、右手に長槍を、背中に一対の大きな黄色の羽飾りを携えて黒い馬を駆る、ポーランド風の有翼重槍騎兵隊しか確認できなかった。
「砲兵隊が出撃するのなら、彼らが先んじて速やかに展開し、砲撃でもって我らが陣形を崩しせしめた後に、重騎兵の突撃によって完全な崩壊を狙うのが常識であります」
老将の言葉に、大王が望遠鏡から目を離し、一つ嘆息する。
「つまり、馬主元帥は砲兵隊の説得にも失敗したわけか……」
「これだと~、せっかくの反斜面陣も裏目に出かねないわ~。無効とまでは言わないけど~」
「ともかく、作戦開始の合図だ。陛下」
春瀬が大王を見上げる。真仁ははっとして首肯した。すると、騎乗したまま、右手をそっと腹の前に出す。その光景を春瀬は密かに眉をしかめながら見守る。
真仁の右手の中に光が満ちていく。夕闇の中でまばゆい輝きを放っている。七海が黒馬の手綱をひいて、大王から少し距離を取る。その瞬間、猛烈な熱を発して小さな太陽が天空に駆け上がって行く。すぐに暗い空に呑み込まれ、一旦は星のひとつとなって行方が分からなくなる。
ところが、遅れて峰の木々も雲も引き千切らんばかりの上昇気流が天に達すると、拳大の星が緩やかな弧を描いて落ちて行く。そう、敵の本拠、今夜の出撃に反対した六万名近くの将兵らが残る三山市のちょうど上空へ!
指がぱちんと乾いた音を立てた。
出撃する敵重槍騎兵の背後で、地獄の炎が暮れゆく空を真っ赤に染め上げ、その閃光の内に彼らの帰る場所を一撃で叩き潰す。爆風と轟音が盆地を揺らす。堅牢な要塞都市が、頭上から降ってきた轟風と熱線に吹き飛び、溶けていく。人も物もなく、全てを一様に轟きと熱風の中ですり潰し、消し飛ばしていく。強烈な爆風はついに重槍騎兵隊の最後尾に追いつき、高価な武具と一緒に人馬を吹き飛ばし、骨まで溶かして一瞬で蒸発させていく。
強烈なより戻しの風に虚しく土埃と化した“何か”が巻き上げられる頃には、ほんの数十秒前まで立派な城塞市があったところには、焼け焦げた何かしらが薄く積み上がっているばかりとなった。
「これより……フライシュパステーテ作戦を開始する。敵重槍騎兵隊を迎え撃ち、この元帥を生け捕りにせよ」
大王のかすれ声が決戦の始まりを告げる。三山市爆撃を合図として駆けつけた伝令に、ニコライ将軍は大音声で命じた。
「総帥陛下のご命令である。ただ今よりフライシュパステーテ作戦を開始する! 今夜の夜食はミートパイだ!」
「振り返るな! 敵は後ろでなく、前にいる!」
出撃直後、猛烈な爆風とともにいきなり帰るところを失い、浮き足立つ精鋭らにロングヘアを靡かせながら叫び掛ける。そう言いつつも、自身も思わず、自らの居城であったはずの焼け野原を振り返って見てしまう。
――違う。街はまた造ればいい。今は、あの弱っちい野郎を!
ぐっと歯を食い縛り、前方に目を戻す。散開して進む重騎兵らの目の前には、わずかな敵しかいない。キルトを履いた最前線の砲兵らが次々と弾を撃ち込んでくるが、遠方な上、各騎がばらばらに広がっていては、そう当たろうはずもない。分厚い鎧を着込み、顔面は目以外全てを甲冑で覆い、背中に一対の巨大な黄色の羽飾りを背負って、散開隊形を維持したまま敵の戦列へ突進していく。
稲妻のような砲撃音の合間に、背中の羽飾りの不気味で巨大な風切り音が戦場に響き渡る。
馬主は鎧の間から敵の前線をチラリと見る。そうして彼我の間合いをはかると、長槍を一度大きく天に突きたててから前方に倒す。
すぐに併走する喇叭手が顔を真っ赤にして号令を鳴らす。
散開していた騎兵らが、速度を保ったまま機敏に横へよこへと動き出し、即座に縦長の密集隊形に組み替える。もう目前の赤天地軍の野戦砲は――斉射直後。ちょうど白煙をあげ、全て長い装填時間に入っている。
「突撃っ!」
馬主が声を上げ、突撃喇叭が吹き鳴らされる。全騎兵が速力を上げ、全力疾走で砲列中央部に突入する。もう砲兵隊に反撃の時間はない。
「総員、退避!」
連隊長がやむなく命令し、その瞬間、全力で突っ込んできた黒馬に蹴飛ばされ、宙を舞った後に顔面から地面に叩きつけられる。血反吐を垂れ流し、首が妙な角度に折れ曲がった遺体は、すぐに何百という馬の足に蹂躙されミンチ状態となっていく。多くの砲兵隊の将兵たちは、抵抗もなく即座に左右へ逃げ出した。
「臆病者は行かせてやれ! 我らが槍を汚していいのは、正面から挑んでくる勇者だけだ!」
元帥が怒号を上げ、騎兵隊は逃げ行く兵には目もくれず、銃を構えてこちらを狙う次の戦線へと突き進んでいく。
「一列目、撃てえ!」
重歩兵大隊大隊長がサーベルを振り下ろす。最新式の連発ライフルが五回続けて火を噴く。
密集したまま疾走する騎兵隊の先頭に、まっすぐ円錐形の弾丸が飛んでいく。不安定な球形の弾から精度を飛躍的に高めた伊達派技術力の結晶が、北条派の精強な騎兵隊を打ち砕かんと。
しかし。
一斉射を受けたはずの重騎兵たちは何食わぬ顔で前進してくる。まるで弾丸などなかったかのように。
「そんな馬鹿なっ!」
大隊長は舌打ちし、二列目にも斉射を命じる。が、一人も落馬することなく、馬も悲鳴を上げることなく、先ほどと全く同じように迫ってくる。
「総員、着剣!」
三列目の斉射を待たずに、兵らは銃の先に銃剣を装着し、前方に構えて迎え撃つ。
馬主の騎兵隊は速度を緩めない。全速を維持して戦列の中心を食い破っていく。さすがに歩兵の銃剣に若干名が突き殺されるも、それ以上に赤服の歩兵を蹴散らし斜面にばらまいて突き進んでいく。
三列目、四列目の戦線も同様にわずかな被害で一点突破し、五列目、六列目も風を吹かせて歩兵を薙ぎ倒していく。そして、目の前には高峰の頂上が迫り来る。
「進め! 進めえ!」
元帥が怒号を放って馬の腹を蹴る。一人飛び出して数百の将兵を率い、急な斜面を駆け上がっていく。そのまま全速力で峰を越えようとする。自身の顔が、上半身が、馬が頂上を一瞬で越え――敵の眼前に露わとなる。
咄嗟に顔を引きつらせて手綱を後ろへ思いっきり引く。馬が天を向いて立ち上がる。
その黒い腹に、銃弾と砲弾が一斉に叩きつけられる。
馬は白目をむいて背中から倒れ、元帥も巻き込まれて峰から南側へ叩き落とされた。
坂に寝そべったまま愛馬の遺骸から顔だけを出して、今まで見えなかった斜面の北側を目視する。
紫の空の下に浮かび上がるのは、見たこともない奇妙な陣形であった。




