第三十三話 発令! フライシュパステーテ作戦
赤天地軍第二機動軍団、及び、黄帝派遣軽歩兵部隊が三山市の包囲を始めてから四日となった七月二十二日。
終わったはずの梅雨を思い出させる肌寒い朝、将兵は各々常より身を寄せ気味に朝食を食らっている。もちろん食堂でではない。薄い曇り空の下、高峰の斜面を椅子にしながらだ。それでも、まともに飯を食べられている内は、十二分な環境と言えよう。何しろここは戦場なのだから。
ただし、大王や近侍の者たちまでそういう訳にはいかない。K.S.P.や司令部の面々は、後方に建てた白いテントの中で、食卓に居並んで朝食をとっている。
薄味に調味されたオニオンスープをスプーンからすすり、春瀬はしきりに頷きながら明るいトーンで口を開く。
「やはり美味だな。新任の調理師は。この西洋料理、いや、イングリッシュ・ブレックファストといったか、これは実に素晴らしい」
感心した目で小夜子を見やる。と、ひっと声をあげて小さくなり、大母は目をしばたたかせる。
「本人が少々恥ずかしがり屋なのが玉に瑕だがな」
真仁が冗談めいた口調で場を和ませると、陸将たちから抑え気味に笑い声が上がる。しかし、小夜子はますます赤面するだけで、ついにはフォークを握ったままうつむいてしまう。
が、すかさず箏代が先輩として横から小声で話しかける。
「もうかわいいなあ、さよさよ。食べちゃいたい」
「いやフォローじぇねえのかよ」
剛が思わず突っ込む。その後、両隣から二三声を掛けてやると、小夜子はかすかに首を縦に振り、再び豆をすくって口に運び始める。黒い前髪の間から、視線だけで密かに見守っていた大王も、静かに塩気の薄いベーコンエッグを切り分ける。
小夜子は先輩たちや真仁らの知恵と舌を借りつつ、最前線において大きな軍隊食改革を行っていたのだ。大々的に西洋食を取り入れたのである。
王国臣民が今まで食べたことのない数々の料理は一部の大隊で提供されるとたちまち全軍の話題となり、大王はやむを得ず、当初の順番制から小夜子が調理師総監督として各大隊所属の主計科に調理指導する方向へとシフトさせた程だ。もちろん、極度に人見知りな彼女にとっては、苦難の道以外の何ものでもないが。
食事は前線における最大の娯楽だ――事実、赤天地軍の士気は不安多い状況ながら依然高い。だが、それは言うなれば、小麦一粒に支えられた空元気であり、敵の動き次第では即座に崩れ去るやも知れないものだ。
北条派出身にとっては塩が薄すぎる朝食をつつきながら、七海は神経質に電子レーダーを展開する。隣に座る鷗の表情も、連日の交渉失敗もあって、暗く落ち込んだ様子だ。他の軍高官たちにしても、実際は、下士官や兵を無駄に不安がらせないよう努めて明るい表情を作っているだけだ。物珍しい食事の一欠けらを足場に、虚勢を張っているにすぎない。
大王も談笑に時折混じるものの、背筋を正して緊張している。突発的な事態に弱い春瀬も、内心小動物のように脅えきっており、少し食器がぶつかる音が聞こえるだけで、敵の銃声かと途端に顔が強張る。老将ニコライなどはさすがにその豊富な軍歴から落ち着いた様子だが、上から下まで全軍に渡って神経が衰弱気味なことに閉口してしまっている。
全ては、情報がもたらされてから……。
七海は相も変わらず無言で電子レーダーによる哨戒を続け、鷗も本体は食事を取りながら、遠顔だけは夢遊病のように事態打開を求めて敵地をふらふらと巡る。
情報が、欲しい。敵の動向の――。前から来るのか、後ろからなのか……。
春瀬が今朝五度目の強面をしたところで、テントの入口辺りから子犬の吠え声がした。
皆、思わず立ち上がりかける。春瀬が末席の少将に目配せして、入口の布をまくり上げさせる。すると、まるっこい柴犬の子供がとてとてと入ってきて、大王の側にちょこんとお尻をついた。一同が固唾を呑んで見守っていると、直に柴犬は光に包まれ、それが晴れると目元を覆う長い前髪が印象的な、スパイスーツの少年が姿を現した。
「よっ。父さん、母さん」
軽い感じで手をあげて挨拶する。
「よく戻った。ご苦労だった、陸」
「それで、三山市の動きは掴めたのか?」
春瀬に早口に訊かれ、あぐらをかいたまま答える。
「ばっちりだよー、母さん。あっちの高官様にちょっとあの世までご退場願って、そいつに化けてたらさー、みんな騙されやがんの。情報の方から飛び込んできたわ。いやあ、マジ楽勝だったわー」
そう言って舌なめずりする。伊保間陸は大分凶暴なやり方を好むようだ。或いは、人工物らしく、純粋にすり替わるのが、情報を盗み取るのに最も合理的な方法だと機械的にはじき出しただけなのだろうか。
「今日の夕方、腹をすかした元帥ご一行様がお出ましになるってよ」
「我々の後方の動きについては何か言っていたか? 例えば、その三山市の出撃に合わせて補給拠点を叩くとか、背後から連携して挟み撃ちにするとか」
春瀬が焦った様子で問うと、陸はなんと鼻で笑った。
「ないない。それどころかさー、母さん。馬主元帥さん、三山市にいる他の軍団長の支援もないっぽいよー?」
「どういうことかしら~?」
結衣参謀総長が首を傾げる。
「言ったままー。三山市に駐屯してる、何個だっけ、三個だっけ? 三個か。三個軍団。この内の二個軍団は、今日の出撃に反対しててさー、元帥の直属軍団も、何だっけな、何か一番派手な騎兵隊以外、着いて出てく気皆無って感じでー、まあとりあえず、今は元帥直々砲兵隊だけでも引き込もうって必死なって指揮官たちを説得してるとこだったわー。人望ねえのな、あいつー。ここ四日、ずっと出撃するって言い続けてたんだけど、誰も聞く耳持たなくてさー、もうじゃあいいよって、一人でやるからって感じで今日勝負に出るって決めたみたいだわー」
だいぶアバウトな報告ではあるが、三山市の状況が思っていた以上に混迷を極めていたことに衝撃が走る。その中で、元帥をよく知る人が、うつむき気味に口を開く。
「人望という点においては、帝国七元帥の中で、北海島の小十郎と並んで厚いのが、馬主です。それが原因で諸将が離反していますわけではないでしょう」
「では、どういった理由が考えられる? お芭瀬」
「はい。まずは、馬主が沙織姉様……もとい、皇女沙織への忠誠を断固として拒否している点が大きいでしょう。元帥直属軍団以外の将兵たちは、ほとんどが沙織派と考えられます。また、直属でさえ、一部には軍を重視します沙織殿下への臣従を決心した者が多いと見られます。これはただの想像ではなく、鷗の実地調査に裏づけされた私の所感です。そして、これら大勢の沙織派軍人は、三山市を包囲されまして、開戦時の期待にはずれて、自分たちが圧倒的な劣勢にありますことに気が付いていますでしょう。同時に、これをあくまで沙織派の手によって打開しませんと、大きく沙織派の威信が損なわれると考えていますでしょう――しかし、最高指揮官であります馬主は、第一皇女への忠義を否定しています。これでもし、そのような元帥の指揮下で赤天地軍を蹴散らすことになりましたら、大変おもしろくないのでしょう。沙織派の彼らにとりましては」
「だから、出撃に非協力的だと?」
「はい、陛下。しかし、今一つ、決定打がありましたと思います」
「何だ、それは?」
「馬主が周黄帝への臣従をも否定し始めましたことです」
一同が耳を集中させる。
「もともと皇女沙織に従う気はないとしてきました馬主が、ついには黄帝にも刃向かいます意思を見せました。それを確認しましてから、外務省としましては黄帝陛下と連絡を取り合いつつ、説得を試みましたが、残念ですが現時点まで成果は上がっておりません。沙織皇女も周黄帝も頑なに拒否する――他に忠誠を誓いますべき存在は現在、帝国にありませんで、双方を断り続けました馬主は事実上、独立勢力となってしまったのです。ですが、それは非常に弱く、一週間もしましたら、どうにかなってしまいますような力ないものです。このある意味愚かな選択を人々が見まして、このように見通しが甘すぎます馬主には従えない、と考えたのだと思われます」
「要は、中途半端に君主らに逆らって明日の見込みがない馬主元帥に、従っておくメリットが薄いと判断されたわけか?」
「はい、陛下。そう言えると思います」
七海が首肯し白髪が上下に揺れる。
春瀬が怪訝そうに眉を寄せて、スパイスーツの部下に問う。
「陸。今日夕方に出撃してくる可能性が最も高い、その“一番派手な騎兵隊”というのは何だ?」
「何だったかなー名前長いんだよねえ……あ、そうそう。羽付きだったわ」
「羽付き?」
大王だけが真顔で訊き返す。が、すぐに周りの空気が異様なことを察し、目を上げて見渡してみる。
大王と一般人三人以外、皆、眉間に皺が寄っていた。
「なるほど。なかなかに難敵なのか……」
全てを察して真仁は嘆息する。
「おそらくは、有翼重槍騎兵隊ね~。一般人世界のポーランド王国で栄えたかなり古いタイプの騎兵隊で北条派でも珍しくなってきたけど~、馬主元帥は愛用してるわ~。自分がそこの出身ってこともあるんだろうけれど~」
「先の王都六年紛争においても、密集する赤天地軍の戦列歩兵隊に強力な突撃を繰り返し、度々壊走の悪夢を見せてくれた槍騎兵隊であり、元帥であります、Oтец(チェーツ)。その突破力は侮れません」
「有効な対抗策はあるのか?」
春瀬が案じて尋ねると、ニコライが一つ首を縦に振る。
「シンプルに縦深防御が良いでしょう。少しずつ、けれども確実に、突進してくる敵を削り取って攻撃限界点へ追い込むのです」
「地形的にもちょうどいいわ~。何しろ三山市からは一方通行だもの~。敵の本隊は真っ直ぐこちらの縦深陣に突っ込む他ないわ~。数が限られてる以上、敵は戦力分散しないでしょうけど、心配なら一応例の川の跡は軽歩兵をひそませましょうか~」
直ちにパンとベーコンエッグの上で具体的な作戦計画が練られ、朝食後、全軍に今夕の迎撃作戦実施が通達された。
「んで、作戦名は?」
斜面の草地にあぐらをかいてバグパイプをいじる姫倉が戦友の大隊長に尋ねる。
「フライシュパステーテ作戦よ」
その名前を聞くや、愛器を手入れする手を止めて、サーベルの柄に手をかけて立つ大崎秋子中佐を見上げる。
「それって……ドイツ語でミートパイだよな?」
「分かりやすくはあるけど――あの子にしては、物騒な作戦名ね」
フライシュパステーテ作戦――その作戦名にこめられた、反戦平和大王の失意と怒りのほどは、はかり知れない。




