第二十五話 宿敵
ニコライ軍団の帝国領内進出と平松元帥の来援の翌日、七月十七日の朝八時半。奇しくも氷野春瀬大母が17歳を迎え、そのことを全国的に祝うはずだった日の朝、帝国の西部地方元帥府が置かれる赤宝山地南東部の三山市周辺は、初夏の太陽に焼かれ、にわかに緊張が高まって来ていた。
今、帝国の西部地方支配の拠点が置かれる三山市は、もともと伊達派の堅牢な城塞市であった。北側正面には大盆地と呼ばれる平たい山間の平地が続き、その北端部には高峰と呼ばれる険しい起伏がそそり立っている。大盆地が広がる市の北面以外はその高峰に繋がる切り立った崖に囲まれ、こちらを超えての通行や往来は一切不能。守るも攻めるも必ず市の北側に位置する高峰を通らなければならないシンプルだが、だからこそ守りに強い地形となっている。
「だから三山市は、伊達派の城塞建設の優秀さを物語る名城なのよ~」
高峰まで帝国領深くの山道を進軍中、最終的な攻略目標について説明を求めてきたK.S.P.の青服三人衆に参謀総長加工鹿結衣は語る。
「そもそも三山市と大盆地は、山頂なのに四方を切り立った崖で囲まれてるの~。火山の噴火口でもないから、おそらく大昔は湖だったと言われてるわ~。川が一本だけ流れ出していて、その跡も残っているのよ~。それが今進んでいる街道なの~。よく両脇みると、左右とも険しい崖になってるでしょ~? あれは、ここがV字谷だった証拠なのよ~。この川の痕跡を利用して大きな街道がひらかれてね~、道沿いにまた別の城塞が造られていったのよ~。第五橋頭堡もその一つね~。ちなみに、橋頭堡の方も、街道に向いてる方向以外は全面崖に囲まれてるわ~」
「お城とか地勢とか歴史とか、詳しいんですね!」
進む馬車のへりに腰掛けた箏代が感心してふむふむと会釈する。
「うふふ~。加工鹿家をご存じないなんて、よほど箱娘だったのかしら~?」
とか何とか冷や汗ものの皮肉を言いつつ、ご機嫌な様子でしゃべり続ける。
「加工鹿家はね~、伊達大王国、いえ~、この日本能力者世界で最強の物体加工の能力者一族なのよ~。建立から千二百年経っても傷一つついてない、首都氷野市の鉄壁を築き上げたことから、軍部での地位を確立したと言われてるわ~。それ以来、軍部の支配者一族と言われてるのよ~」
「大崎家が聞いたら怒り出しそうだな」
並んで馬を進めていた春瀬が苦笑する。
「うふふ~。土まみれの方々の話なんか知らないわ~」
「え、どゆこと?」
箏代が素直に首を傾げると、春瀬は呆れたようにため息をつく。
「本当に何も知らないのだな。大崎家は始祖両家に次ぐ歴史を誇る、臣民の中で最高格の名家で、二千年の昔から陸戦の天才として王国に尽くしてきた一族だ。対して、加工鹿家は千二百年前に伊達派の支配下に入っており、その能力を活かして軍部の工廠局での活躍をはじめに、優秀な軍官僚を数々輩出してきた名門だ。一般には、実地の大崎と理論の加工鹿、前線の大崎と後方の加工鹿などと呼ばれ、千年間軍部で張り合いを続けているのだ」
「せ、千年もかよ……」
「軍事以外でも加工鹿家は伊達派の様々な技術発展の基礎となっている。まあ最も、その粋を集めた名城とやらも、ここでは失陥したわけだがな」
白馬を駆る大王が振り向いて口角をひね上げて言った。
「しかも、守りの要衝を固める敵はあの平松元帥です、Oтец(アチェーツ)」
「だけか? 本来は馬主元帥の領分だろう?」
「空からの報告では三山市の部隊に動きはないらしいぞ。戦力の温存のつもりだろう」
「それに、だけとおっしゃいますが、平松元帥は難敵であります」
老将ニコライが大王の横で表情をかたくする。春瀬も張り詰めた顔になる。
「十年前、王都と周辺諸都市の陥落後、一帯の奪還をかけた攻防戦、王都六年紛争で名を馳せ、周陛下に認められて若干二十五歳で近西地方の元帥に就任したと言う。間違いなく名将だぞ」
「加えて言うならば、その名声を立てる一助となってしまったのが、不肖このニコライであります」
「六年の間に十度戦って、九敗でしたっけ~?」
「正確にはゼロ勝と言うべきです。負けなかった一度は、単に余裕を持って撤退したに過ぎません」
剛が心配そうな顔になって、やや後ろを進む七海に問いかける。
「なあなあ。そんなに強いのかよ、今日の敵」
七海の眉がぎゅっと寄る。
「と言いますか、赤天地軍にとりまして相性が悪すぎるのです」
「どゆこと?」
箏代も小声で訊いてくる。
「伊達派の兵一人ひとりの能力は、純血主義の北条派とは比べようもないほど脆弱です。そのために王国は、とにかく戦力を密集させ、局地的にでしても敵に対し数で上回ることで個の力不足を補って勝つというドクトリンを掲げてきました。ですが、この戦力集中主義は大きな弱点があります」
「分かったぜ。機動力のある敵に回りこまれたり奇襲されたりすると弱い、だろ? 兵を過密に集めりゃ機動性は最悪だぜ」
七海は静かに頷いた。
「その上、北条派の兵士は個々人が強いですから、敵の弱点を正確につきましたら、後は近接戦闘に持ち込んでしまえば勝利できます。これを軍団レベルで実行し特に成功しましたのが――平松元帥です」
「ですけど、ご主人さま。今回はだいぶ違うように思えるのです」
「鷗。どこで聞いたのか分かりませんが、それはまだ極秘事項ですよ」
「はーい」
返事すると、のそのそとほろを降ろして馬車の中へ戻っていく。
「何の話だよ……」
剛が問うが、七海は無言を貫いた。
敵指揮官へのトラウマからか、全体に司令部の面々は怖い顔になっていく。振り返り振り返りそれを見ると、先頭を行く大王は馬上ながら大きな身振りで語りかける。
「我々と敵の違いは、戦闘教義ではない。兵士の強さでも、指揮官の質でもない。我々と敵の違いは――大儀のありなしにある。敵は黄帝と余と、一億人民の将来に仇なす不埒者だ。対して我々は両君主と人民が認める正義のために立ったのだ。大儀ない純粋な暴力と、大儀ある力がぶつかった際、最低の行為であっても少しでも見るところある側が、天の認めるところとなろう」
さりげなく悪態を混ぜながらも士気を鼓舞する。しかし――
「聖戦、か」
「春瀬。その言葉は反吐が出るほど嫌いだ。戦争は、殺人は等しく罪悪だ。良い戦争など一つもない。行動はどうあっても倫理的に正当化できないが、まだマシな動機があるというだけの話だ」
「へ、陛下。落ち着いてください」
大元帥たちの脇を黒馬が駆け抜けて、秘書が大王に並ぶ。
「す、すまない。感謝する、お芭瀬」
春瀬はその様子を一歩後ろから複雑な顔で眺め、独り言を呟く。
「何としてでも、早く終わらせなければならないな」
結衣参謀総長もニコライ大将も、白馬にどっしりとまたがり、頬に血が巡りはじめる。
――まさくんって、ほんとにストイックなんだね……。だってその心底憎い戦争は、総帥たる陛下の命令で始まったんだよね? 心と体がばらばらなんてそんな極限状態、普通なら行動を正当化しないと、壊れちゃうよ。でも……そんなところが、人としての魅力なんだね。
七月の太陽は既に高く昇り、ぎらぎらと輝いている。




