第二十四話 ふたつの来援
新たな政治的進展がありながらも、赤天地軍が大王の号令一下密かに事態の後退に備えていると、六日後、七月十三日の朝、ついに帝都から黄帝親衛隊が使節としてやって来た。
「お久しぶり、です。eure Majestät」
黄色の軍服を着込む銀髪の美女が膝を折る。
「ラウラ中尉! そうか。そなただったか!」
場違いにも心なしか弾んだ声が、簡素な大王の仮の書斎に響く。七海の赤い目がちらとオッドアイのドイツ系将校を見る。肩には白い肩章、左腰には親衛隊を表す黄色い大きな花飾り、そのすぐ下からすらりとのびる銀色のサーベルが白無垢のズボンと黒い軍靴をこすっている。輝かしい帝国の軍服そのものだ。それを盗み見るように覗いていて、ふと胸元に目を見張る。
「ラウラ! いつの間に少将に昇進したのですか!?」
部屋の隅に立っていた旧主に急に叫ばれ、たまらずよろけかける。真仁が不思議そうな顔をして、目前の人に尋ねた。
「中尉ではないのか?」
「周、エト、黄帝陛下の名代として、下士官でなく士官の地位を、エト、外交の場に限って、エート……」
「許された?」
「Ja(はい)」
こくこくと首を縦に振ってみせる。言われてよく見れば、確かにラウラの左胸ポケット上にある階級章は、一本の黒い帯の上に黄色い星が二つ並んでいる士官、それも少将のものだった。
そうかそうか、と大王が相槌をうつ。すると、ふつりと会話が途絶え、三人しかいない部屋に重く沈黙がのしかかってくる。ラウラが静かに立ち上がり、あらためて腰を折る。
「で。再会を喜びたい思いは強いが、そうも言ってはおれんか」
バリトンの声がさらに低く唸る。軍服の中で窮屈そうな青年王を見つめていたラウラは目線を少し下げ、胸ポケットからメモを取り出し黄帝の意思を伝える。
「周、陛下は、パンゲア会談がもたらす両国の国益の保護を目的とした、王帝合致の行動を定めた七日の合意、『王帝国益保護促進協定』をもって、「国益保護法」を同日発布、されました。エトこれは、パンゲア会談など黄帝陛下が参画・推進する国益増進政策に不当に反対することを禁じ、背く者を全員摘発、処罰を可能とする勅令、です。非武力制裁として法的措置による解決を試み、たのですが、沙織殿下を中心とする右派勢力が、帝権の恣意的利用だとして武力闘争の構え、を、見せて、国内は一触即発、の状態です。そこ、で、協定第三段階への移行が必要であり、また、その武力蜂起の余裕を奪うためにも、いち、早く同盟王国軍には赤宝山地の帝国領内に進軍いただき、沙織派に攻撃をしていただ、き、混乱の原因を収めていただき、たいとの御意です」
――何と浅はかな! 軍部を統制できてないのだから、強権的に出たらそうなるに決まってるだろう!
大王は内心で呆れ半分、舌打ちをする。
「ラウラ。どのような部隊をあの兄様は、いえ、黄帝陛下は寄越したのですか? 協定規約上、さすがに手ぶらではないと思うのですが……」
皇女、もとい大王秘書が尋ねると、ラウラは浮かない顔でこたえる。
「ワタクシが率いてきたのは、黄華親衛隊第六小隊、第七小隊、第八小隊各五十名、帝国黄天軍 中央方面陸軍 第一軍団隷下の第十三軽歩兵中隊二百名の、総勢三五〇名の軽歩兵、です」
小さくため息をつき、皇女は首を左右に振る。
「三五〇の軽歩兵ですか。狙撃兵も含むのでしょうが、いずれにしましても、敵側面と後方以外ではまるで役に立たないですね」
「外務大臣、口を慎め」
大王が頬杖をつきながら、くぐもった声で咎める。それから眉間にぐっと皺を寄せ、深く嘆息した。
「お芭瀬。最高総司令部を召集する。陛下が派遣してくれた軽歩兵部隊の運用については、そこで話し合おう。一番の本題はそれではないがな」
「畏まりました」
七海はきれいにお辞儀をして部屋を後にする。
真仁は木椅子に沈み込んで目を閉じる。
「西に来たと言うのに、随分長い梅雨だ……」
力なく呟くのを聞いて、ラウラは胸元の服の下に隠したロケットを、服の上から優しく包み込んだ。
『仁王記 巻一、偉大なる統一政策と外交近況 原稿
「章二、外交近況
――王帝国益保護促進協定に基づく初の武力制裁行動
……連邦帝国では国益保護法の発布により以上の制裁を試みたが、七月十三日朝、ついに北条周黄帝の使者が大王陛下のもとを訪れ、武力制裁を願い出てきた。
陛下は苦しみ悩み、御胸をしんと痛めながらも、他に打つ手なしと武力制裁の要請に応じることを決断なされ、最高総司令部での合議の末、今後の戦略をお決めになられた。
まずは、山室市他数都市の部隊から人員を集め、およそ四万の部隊を臨時編成し、副総司令官大母春瀬殿下を総指揮官として帝国側の国境周辺を護る北条派軍事都市を続々と占拠し、数日のうちに後発の本隊たるニコライ軍団のための橋頭堡を設置していった。先だって三街道の交差路に侵攻してきた二個軍団の残存兵力には、陛下がささやかな気遣いを示されて、平和裏に主力進軍後の側背の安全を確保された。
これらの準備が全て済むと、ニコライ大将閣下の第二軍団がついに帝国領内へ進入し、今作戦における最終目標――帝国西部地方統治の中心、西部地方元帥府の置かれる三山市に最も近い第五橋頭堡へと入城した。同時に春瀬殿下が率いて先行していた四万の軍は、第一から第四橋頭堡の後方拠点をそれぞれ維持するべく最前線より退き、王国からの補給線防御の任についた。これが七月十六日のことである。」』
「大分筆の技術が上がったな。或いは、潜在的な文才が目覚めたか」
真仁は原稿に目を通してから、モデル体型の書記官に笑顔を向ける。
「それ以上に、速筆の腕が上がったよー」
スポーツマンのように右腕を大袈裟に回してみせる。急ごしらえの執務室に一瞬和やかな花が咲き、大王の脇に立って控える秘書も微笑を漏らす。
「だが、『ささやかな気遣いを示されて』の辺りは受けが悪かろう。この二個軍団の話は触れずとも誰も気付くまい」
それでも都合の悪い部分の削除指示は忘れない。……前に著作は任せる的なことを言っていたはずだが、都合よく記憶にないのだろうか。
と言っても、ものを書くなど初めての箏代にしてみれば、むしろ積極的に注文をして欲しいようで、すんなり同意して手元のメモに書き残す。しかし、意外なところから不平めいた声が上がった。
「その部分を削除されますと、私と鷗がさも仕事をしていなかったかのように見られてしまいそうですけれどね」
「まあ、そう言ってくれるな、お芭瀬。それに余も同じだよ。軍務は春瀬に任せきりだったからな」
冗談めいた秘書の口調に苦笑いする。と、一転お芭瀬は真剣な表情になって語り出す。
「それにしましても、今回の春瀬殿下の功績はただものではないですね。わずか数日の内に帝国の国境防衛拠点を悉く落城せしめ、さらに元帥府に王手をうたれますとは。本隊のための露払いと同時に、下草まで刈り揃えられましたのは、さらに驚くべきことです」
「下草刈りって何のことー?」
箏代が首を傾げる。
「本隊が進軍するための補給体制を整えたということです。余計な敵を予め払い、橋頭堡を五つも築き、しかも大規模な物資輸送の体制を同時に構築しますのは、常人にできますことではありません。ここまで迅速、かつ、正確に仕事をこなされますのは、殿下の類まれな資質によるものでしょう」
「要は軍事的な部分に加え、事務的な才能というところが大きいのだろうが、ず、随分、べた褒めだな?」
違和感を覚えて振り向くと、不思議そうに見返される。
「妥当な評価だと思いますが……」
「いやその、春瀬とはあまり仲が、な? だろう?」
気遣わしげに尋ねられると、首を左右に振った。
「私は特に春瀬殿下にどうこうと言いますことはありません。沙織姉様を侮辱されますのは、我慢なりませんが」
ああそうか、と今更納得して数度首肯する。そして、やや悪い顔になって箏代の方を向き直る。
「それなら、春瀬の功績をより具体的に書いて褒め称えるのだ」
「いいのー? 何か政治的にあるんじゃなかったっけ?」
「だからこそだ。保守派に対するアピールだよ。お前たちの筆頭をほらこんなに認めてやってるぞとな」
あ、相変わらず汚いねー、と苦笑いしながらもメモに追加で書き足す。
「お芭瀬も初めは一々嫌そうだったな」
「今でしても決して気持ちが良いわけではないのですが、何と申しますか、多少は慣れました」
「立派なオトナの誕生だな。素晴らしい悪影響だ」
自虐を言って三人とも短く笑う。
「でもさあ、まさくん、じゃなかった、陛下。政治家のことあんま良く言わないけどさ、なら、仮に他の仕事を選べるとしたら、何がやりたいとかあるの?」
「他の仕事?」
予想だにしない一般人、箏代の質問に眉根を寄せる。
「考えたこともない。生まれながらにして、この地位は決まっていたからな」
「たとえばだよー。たとえば」
興味本位だけの問いだが、甘ったるく繰り返され頬をかく。
「……強いて言うなら、芸術家かな」
「さすがですね。芸術奨励王と呼ばれました先代陛下もお喜びでしょう」
「ああ、きっとそうかな。ただ、父の影響で興味があるとか、趣味だからとかそういうことではない」
「じゃあ何なの?」
箏代が首を傾げる。
「やはり余は、人の幸せのために尽くしたいのだ。政治家は直接的に社会や人民に影響を及ぼし改善をはかるが、芸術家はもっと深いところ、心に訴えかけて、より潜在的で巨大な変革を起こし得る。下手な政治家が百人集まるくらいなら、天才芸術家一人の方が、よほど良い世界をつくれるだろう――まあ意地で付け足すと、本当に優秀な君主が一人いれば、芸術家は全員失業するだろうがな」
「“本当に優秀な君主”って?」
「政治家の手と、芸術家の心を持つ者だ。とそう思っている」
短くこたえると二人の女性から、怪訝な目で見つめられる。ちらちらとそれを認めると、軽く咳払いして言い加える。
「君主、つまり支配者である以上、清濁を選ばぬ行動力や手腕は必要だ。しかし、その手足の中心となる心は、青年のように純粋で、他人の痛みに敏感であらねばならない。これに従って言えば、最悪な君主は心身両面が芸術家な人物、間の良くも悪くもある君主は全てが政治家的なやつだ」
「芸術家に政治は行えませんか?」
「あくまで余のイメージだが、芸術家は概して人の感情に過敏で、傷つきやすい面があると思っている。そんな柔さでは人の上には立てん。まだ人格が醜くとも、支配体制を維持できる方がマシだ」
「なるほどねー。道徳的でも治められない君主より、ちょっと悪い人でも治められる君主の方がいい、と。マキャヴェッリも『君主論』でそんなこと言ってたっけ」
そう言って歴史好きが頷く。
「話が脱線してないか?」
「うんそうだね。でも分かったから、大丈夫!」
「何が分かったんだ?」
「んー? やっぱり陛下は優しいってこと!」
真正面から満面の笑みを向けられ、思わず視線をそらす。
「よ、汚れてるがね」
その時、背後の窓からごんっと鈍い音がする。何かがぶつかったような様子で、慌てて白髪の秘書が音のした窓に駆け寄る。ガラス越しに外を見やるが、軍関係の建物が居並ぶばかりで特に不審なものは見当たらない。首を傾いで窓を押し開き、建物の壁伝いも確認してみる。と、ちょうど真下を向いた時、あっと声が上がった。
不思議そうに眺めていた大王が尋ねる。
「どうした。軍部が嫌がらせにゴミでも投げてきたか?」
「陛下。人払いを」
酷い冗談を意に介さず赤目が真剣に見つめてくる。と、真仁は一つ頷き、原稿を差し出し箏代に退出するよう言い伝える。秘書の立つ窓の方を少し盗み見しながらそれを受け取ると、腰を折り黒髪を靡かせて速やかに部屋を出た。
すぐさま七海は窓の下に向かって両手を伸ばす。そして黒い塊を抱き上げた。大王の小脇の床へそれを置くと、見る見るうちに栗色の髪の女性へと姿を変える。
「空か!」
真仁が驚いて叫ぶと、黒いスパイスーツの少女が床にへこたれこんだまま額を押さえる。
「陛下。速やかな帰還のため、どうか常に窓を開けておいてください」
「……鳥の姿になると、頭も鳥同等になるのか?」
「つつきますよ?」
きっと緑の瞳が睨んでくるが、目の端に浮かんだ涙が衝突の激しさを物語っている。
「氷をお持ちしますか?」
白髪の秘書が心配そうに問いかけると、首を左右に振って片膝をつく。
「報告が先です。申し上げます。敵元帥府所在地、三山市の周辺に近西地方元帥 平松千手率いる一個軍団の来援を確認しました」
「おおっ! ラウラに加えて平松元帥も送ってくれたのか! さすがにあの元帥だけは、周陛下を裏切っていないようだな」
「は? 平松元帥は三山市に入城しております。馬主元帥の来援に来た模様ですが……」
「何だとっ!?」
安堵は一瞬にして衝撃に変わった。大王は愕然として思わず立ち上がる。
「あの子飼いの平松元帥が!? それほどに沙織派が魅力的なのかっ!」
「自身を重用する者と、しない者と、どちらに従いますかは迷いようがないでしょう」
秘書が冷静な声音で言い放つ。
「これで兄様はついに全国の地方元帥に裏切られた形になりますね。全国七邦、七人の地方元帥がそれぞれ中央の黄帝に忠誠を誓って成り立ちますのが北条派の“連邦”帝政です。その全員が忠義を覆しましたから、事実上、周朝北条派連邦帝国は完全に瓦解したという形になります」
「それでも政権は維持できるのだろうか……」
「皮肉なことに兄様の支配体制は初めから軍を当てにしませんで、官僚頼みで成り立っています。すぐに崩壊はしないと思いますが、北条派の常識と武力がそれをいつまで許すかは分かりませんね」
クールな声に、想像以上に厳しくなってきた現状を叩きつけられる。だが、汗を噴出しつつも真仁の行動は簡潔だ。
「余は理想への道連れに周陛下を選んだ。簡単に盟友を捨てる薄情者では情厚き世界は作れぬ! 直ちに司令部を召集! 両国に仇なす者どもに、歴史の本流を教えてやるのだ!」
声を荒げて命じるその姿は、さながら理想に燃える芸術家のそれであった。




