第二十一話 深夜のティータイム
真仁はひとまず二人に自分の前の二席をすすめ、春瀬が左斜め前、七海が右斜め前にかけたところで口を開く。
「黄天軍は今後どうなりそうだ? またすぐにでも攻めてきそうか?」
副司令官に問うと、銀髪のツインテールが左右になびく。
「先ほど参謀総長や士官らと話し合っていたが、今日の三叉路の戦いによって赤宝山地内の両軍の戦力に圧倒的な差ができた。無論増援を送り込む可能性が高いが、すでに援軍が出得る基地は監視警戒するよう伝えてある。正式の命令ではないがな」
「それで良い。全軍にそのように命じる」
「全軍か? すなわち、文字通り全国の部隊に命令するのか?」
「はじめこの山地を攻めたのは、東隣の中西地方の部隊だった。同じことがないとは言えまい」
黒目がちろと見やる。と、春瀬はひとつうなずき、うつむいて空と呼び掛ける。すると上衣の右腰ポケットから、茶色いスズメの頭がのぞいた。
「頼むぞ」
春瀬の一言で、ちちと鳴くとポケットから飛び出し部屋の中を一度旋回する。春瀬が引きずり出されたポケットの蓋を元通り内側へ折り込む間に、ドアの方へ向かうが、慌てて空中で羽をばたつかせ停止する。
「春瀬。戸を開けてやれ。出れないでいる」
大王が察して顎で促すと、銀髪は慌てて立ち上がろうとする。が、ちょうど銀盆に一式取り揃えた鷗が戻って来て、ドアが開いた瞬間、そのはるか頭上を弾丸のようにすっ飛んでいった。鷗が三人の真ん中にある背の低いテーブルに盆を置き、春瀬が腰を再び落ち着かせる。外相秘書はお芭瀬の背後に立った。
「でだ。沙織派の攻勢に隙ができる今を活用しない手はない」
四人揃ったところで、真仁が身を乗り出す。
「活用とはどのような意味だ?」
「無論、平和協調のための施策を行う」
「しかし、残念だが、戦争が終わったわけではないぞ、陛下。沙織派としてもこれで武力抵抗を放棄するとは考えにくい。連邦帝国のほぼ全軍があの女につき従っているのだ」
真仁は顔を苦悶にゆがめつつ首肯する。
「分かっている。余は夢想家ではない。沙織殿下ではなく、再び周黄帝陛下との間で話し合いをしたいのだ」
外相のセミロングの白髪が横にふれる。
「具体的に何を話し合われるのですか?」
黒目が赤目をしっかりととらえる。
「沙織派への対処についてだ。沙織殿下がパンゲア会談に反発して妨害を働いている以上、王帝の協力による解決が不可欠だ。特に軍事面において、たとえば今後我々が沙織派の本拠地を叩かなければならない場面が出てきたとして、相談もなく一方的にこちらが攻め込み、結果として北条派の領地へ侵攻するかのような形となっては、陛下の心証がどうなるか分かったものではない上、余の本心について無意味に誤解を招くだけだ。だが事前に相互に容認していれば、こういった疑心暗鬼を助長することにはならないだろう。余は無根拠に侵略者の汚名をかぶることはないだろうし、互いに手を携えて理想世界へ一歩踏み出すことが可能となるはずだ。また他の面においても、常に協調を意識することは様々な良い効果を期待できるだろう」
沙織派との戦火拡大を示唆され、七海が少し悩ましく視線をさげる。が、鷗がご主人さま、とひそかに声をかけると、慌てて首を縦に振った。
「陛下御自ら協議なさいますか?」
「いや、今言った案件については公爵に一任したい。陛下との間に、王帝が協力して沙織派へ対処していく方針の約束を取り付けるのだ。良いかな?」
問われ、鷗ははっと畏まる。片眼鏡がきらりと光る。
「お任せください! 大王陛下とご主人さまのため、かもめ頑張るのです!」
真仁がうむと笑顔でうなる。飛び跳ねる小柄な体で相対的に大きな果実も……
「陛下?」
「見てないぞ」
「え、あの、何のお話ですか?」
クールな赤目が覗き込む。何となく訳を察した幼馴染がひそかにため息をつく。
「こっちの話だ。気にするな」
「そ、そうですか」
「で、何だ?」
「はい。鷗に任せるのは第一の交渉として、その後の段階はどうなさるのですか? より具体的な協調策が必要と思われますが」
「パンゲア会談と同じ流れだ。抽象的な宣言を出してから、詳細を協定でつめる。まあ今回は宣言を出す必要はないだろうが、お前が示してくれた抽象から具体という手順を、再び踏むつもりだ」
「具体的な提案に向けまして、何か事前の準備は必要ですか?」
大王は腕を組んでしばらく考える。
「そうだな……」
しばらく天井を仰ぐも、結局は首を左右に振った。
「特にない、な。外務大臣としての基本的な職務に期待する」
お芭瀬は黙って腰を折った。
大王はひとつ咳払いをする。
「公爵」
「何ですか?」
「ん? いや紅茶が待ちきれんでな」
「本当にお好きですね、陛下は」
と七海が言うと、春瀬が鼻を鳴らす。
「昔からよく飲んでくれているからな」
言外に私のお茶をとアピールするものだから、また急に空気がぎすぎすし出す。
「だ、大王陛下は、普段は何を飲まれるのです?」
鷗が額を汗で濡らしつつ尋ねてくる。
「ミルクティーだ。おい笑うな」
噴き出した公爵を軽く睨むけれど、ポットを手に取りながらも笑みが収まらない。
「いえいえ。案外、その案外、可愛らしかったのです」
「いいではないか。ミルクティーこそ至高だ」
一応名誉のために言っておくと、紅茶の本場イギリスではミルクティーが主流である。それにしても、これに加えてウィスキー好き、静養時御用達の諏訪離宮は英国風とは、案外とんだイギリスかぶれなのかもしれない。外交政策まで真似しないことを祈るばかりである。
おさげの公爵が紅茶を注いでいく。爽やかな香りがひろがり、大王は鼻をひくりとさせた。
「この臭いは?」
「ミントティーです! 良い香りなのです!」
「昔、よく庭園でいれていましたのを思い出します。自分が設計しました理想郷で、自分が育てたミントで、自らいれるミントティーは、素晴らしいものでした」
まだ帝国にいた頃を思い出し、七海が独白すると、春瀬がうなずく。
「爽やかなよい香りではないか。公爵は、なかなかのセンスだな」
褒めつつも言葉にはしっかり棘が残る。不穏な空気が二人の間にただよい出す。さながらカップから立ち上がる湯気のように。鷗は精一杯の笑顔で大王から順に白いソーサーにのせて配っていく。
「どうぞ召し上がってくださいです! かもめ自慢のミントティーなのです!」
「うむ。これはなかなか良いぞ」
「おいしいですよ、鷗」
七海に妖艶に微笑まれ、鷗は一瞬昇天しかける。ところが、いつもと違って必死に現界に留まった。
「お、お二人とも、喜んでいただけて、かもめ幸いです! 大王陛下はいかがですか? って陛下?」
真仁は膝の上で拳を握り締め、机の上で静かに白い湯気をのぼらせるカップを、ただじっと見つめていた。手をつける様子さえ見せない。三人の女性が心配そうに見守ると、はっと顔を上げソーサーを手に取る。
「少しな。ただ、少しな」
そう言ってはっはっはっと笑うと、コップを口に付けた。そうして慎重に傾けていくと、わずかに口にふくむ。同時に目がぎゅっと閉じられた。鷗が片眼鏡を当てなおし、その様子を観察する。と、不意に目がぱっちり開かれ、ソーサーがゆっくり降ろされる。
「おいしいな」
一言述べると足を組んだ。
「しかし、これにあう菓子などはないのか?」
「そうですね……かもめとしては、チョコミントなどがおススメなのです!」
「ああ、なるほどね。チョコ、ミントね。なるほど」
奇妙なやり取りを前に三人の女性がぼうっとする中、突然、七海があっと声を漏らす。
「やはり、陛下は本当にミントが――」
だが遮るように盛大なくしゃみが噴出した。春瀬が慌ててティッシュを取って大王へ渡す。
「風邪をひいたのではないか? あの雨で」
「おもしろくない冗談だ」
「笑い事で済めば良いのだが?」
ところが、真仁はふっと笑い飛ばして鼻をかむ。そうしてティッシュを丸めながら、苦しそうに息を吐き出した。見かねたように秘書が目の前へ寄って来る。
「陛下。失礼します」
真正面にしゃがみこむと、前髪をかきあげ手を額に当てる。
「大丈夫だ」
若干苛立った様子で後ろにのけぞろうとするも、すぐ秘書の空いた片手が腰に回る。春瀬がそれを見て、あっと息を漏らす。
「熱です、陛下。お休みください」
秘書が立ち上がり、ベッドの方へ連れて行こうとする。
「いや熱ではない。こんな時に、熱を出していられるか!」
「熱だぞ、陛下。私なら触らずとも分かる」
「だ、だが! 出しておれないだろ!」
強情に否定しソファにしがみつく。二人の忠臣がそろって嘆息すると、すっくと立ち上がって大王の両腕を抱え込んだ。
「陛下、失礼します」
「ベッドへ行くぞ」
「ま、待て! 余は子供ではない! 引きずるな!」
みっともなく連行され始め、顔を真っ赤にして怒鳴る。
「で、でしたら、かもめが足をお持ちします。ほんとはご主人さまのおみ足が良かったのですが」
「馬鹿を言え。公爵の体格で余を持ち上げられるわけ」
「はい?」
きょとんと鷗が見返してくる。両手に大王の足首を抱きかかえながら。
「余は……それほどに軽いのか」
「いえ、かもめ仮にも元軍人ですよ? 人を運ぶくらい造作もないのです。それに足側ですから」
「陛下。死者の体は生者のそれよりよほど重たく感じられるのです」
「貴様! 縁起でもないことを言うな! 本当に黄人というものはこれだから」
「いいから降ろせ! 余を駄々っ子のように扱うな!」
女性三人に吊り下げられたまま、手足をじたばたする。大王秘書が怪訝な顔を向ける。
「陛下。あまり騒がれますと、寝巻きがはだけますよ?」
「困るなら降ろせ!」
「いえ、私は初心でもありませんから別にその程度では――何でもありません」
頬を紅潮させて勢いよく前に向き直る。真仁は不謹慎にも少しどきりとするが、すぐ冷静な目つきになる。
「公爵。その鼻血を余の寝巻きに垂らしたら、覚えておけよ?」
「ふ、不謹慎なのです!」
「他ならぬ自身のことだがな?」
と言って突然咳き込む。
「ベッドだ、陛下。今夜はよく休むと良い」
「いや今のは無理な体勢で話したからであって……」
ぐちぐち抗議を述べるが、幼馴染はさっさと大王を床に入れてしまう。
「すぐ寝てしまうか? 何ならドクトルを呼んでくるぞ?」
毛布をかけながら顔を寄せて問う。銀髪のツインテールが一房枕元にはらりと落ち、甘い香りの弧ができる。すると、ようやっと真仁は諦めたようで、目をつむり苦笑した。
「今一番会いたくないやつだ」
それから一つあくびをすると、程なくして静かな寝息が聞こえてきた。
公爵はお茶のセットを片付けに退室し、部屋には春瀬と七海が残る。ベッド脇に春瀬が、その少し背後に七海が――。銀髪のツインテールが旋回してなびき、大母の碧眼が皇女を見据える。
「私は貴様を認めないし、貴様の姉を許しもしない。まだこの国にいるつもりなら、十分に気をつけることだな。貴様に死んで欲しい人間なら幾らでもいる」
ただでさえ白い顔が青ざめ、喉がごくりと鳴る。だが、赤い目の光はたじろがなかった。
「……それでも、私は信じます。ただ独りきりでしても、沙織姉様を」
春瀬が唖然とした表情になる。それからたちまち、顔中に怒りが満ちる。
「戦いたいようなら今度前線につまみ出してやるぞ。覚悟しておけ」
押し殺した声でそう言うと、わき目も振らず部屋を出て行った。
七海は、ぼうっと薄暗いロウソクに照らし出され、一人うつむいて立ち尽くす。足元を見つめる目には、憤りと恐れが赤黒い渦を巻いている。しかし、ベッドの方から咳き込む音が聞こえると、はっとして、静かに様子をうかがいに近付く。と、真仁は汗だくになりながら、季節に対していささか大袈裟な毛布を蹴り飛ばしていた。
「本当に、まるで弟を持った気分です」
秘書はくすりと笑い、そっと胸元まで掛け直してやる。その時、大王の薄い胸板に思わず目がいった。
――お体が頑丈でないのも納得の薄さです。これなら女性の私の方が……いえ、胸囲はそもそも女性の方が厚かったですね。もっとも、平松元帥などは例外のようでしたが。
それでも、首や腕なども細く、一国を、否、世界を背負う人物のそれとは思えない脆さだ。
――ですが、この手だけは大きく、頼りがいと優しさがあります。このようなものを父の手と呼ぶのかもしれませんね。
毛布からはみでた手を見つめて静かに微笑む。
七海は父を知らない。先代黄帝たる彼は、真吾先大王が仕掛けた都市焼討での負傷が原因で、末娘の顔を見る前にこの世を去った。七海自身は世話役に囲まれて育ったので、特別不幸な幼少期ではなかったが、未知の温かさを前に、ふと衝動にかられる。
――父親の手とは、どのような感じがするのでしょうか?
生唾をのみ、ベッド脇へしゃがみこむ。目の前の男の父が殺したも同然だと言うのに、不思議なものだ。興味に胸を高鳴らせ、えいっと両手で包み込む。
――これが……これが、父の手なのでしょうか?
かさりとした乾いた感触と、指先の冷たさに動揺する。
この梅雨の季節に、水分が飽和している今、こんな悲しげな手があるだなんて……。
衝撃が胸のうちを広がっていく。手の平の中に感じる触感は、まるで老人のそれであった。
うつむき加減になって、ひっそり手を離そうとする。が突然、薄ら暗の中からぎゅっと掴み返された。
七海はばれたと思ってひっと小さく声をあげるけれども、握り返されたきり大王の言葉が聞こえてこない。恐る恐る視線を顔にやると、その表情は、本当に柔和で、心の底から安心しきっていた。今まで見たことがないほどに。
――どうしたことでしょう?
疑問を覚え、陛下の幸せそうな顔を見つめ続ける。すると、口元がかすかに動いた。
「……沙織、か? ……灯りを」
しゃがれ声が苦しそうに漏れ、また穏やかな寝顔に戻る。
七海はしばらく硬直する。だが、ゆっくりと握り締めた手を持ち上げて、頬にすりつける。指先の石のような冷たさと同時に、じんわりと血液のあたたかみが広がっていく。
「どうぞおやすみください、陛下。姉妹が陛下の安楽を願っております」
けれども、頬から離すとあたたかみが消え失せ、一瞬にして同じ手が遠くで光る星のように見えてくる。
「私は陛下のお側にいますのに、近付けば近付くほど、遠く感じますのはなぜなのでしょう」
慎重に手を解くと、足音を殺してその場を離れる。途中、ロウソクの灯を吹き消すと、足早に部屋を去った。
真仁の奥底の心は、再び真っ暗な部屋の中へ閉じ込められた。




