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第十九話 陸軍の誇り

明日5月16日は、氷野春瀬を団長とした外交使節団が初めて帝都に向けて出発した日ですね! (「一章第二十八話 外交使節」参照【宣伝】)

これぞ保守派を一掃した象徴的な事件でしたが……


どうぞ、今話もお楽しみください!

「お、秋子じゃん。お疲れ!」

 ニコライ軍団は赤宝山地東部を貫通する山中街道の西の守り、山室市の基地にお邪魔して休息を取っていた。黄天軍の赤宝山地内の戦力はここ数日の連敗で激減しており、しばらくは大規模な侵攻はないと予測され、軍人たちは皆銘々羽を伸ばしていた。

 赤い髪を一本の三つ編みにして、右肩から胸の前へ垂らす戦列歩兵の指揮官も軍服ながらどこか肩がやわらかである。赤詰襟に白肩章、六つの黒ボタン、下は藍色のズボンをはいている。この特徴的なズボンは重歩兵の大隊、連隊指揮官のみが着用するものだ。将校専用酒場のカウンター席に座り、サーベルが木目の床を見つめて静かに揺れている。左胸ポケットの上につけられた階級章は、向かって左側半分のスペースに佐官を示す二本の短小な白帯、右の残った半分に赤いハートが二つ横に並んでいる。佐官の二番目ということで、中佐となる。

 一方、気さくに声を掛けたのは、上が珍しく白肩章つきの黒の詰襟だが、その上衣の色を除けばサーベルを含めてよく見る格好である。もちろん下はキルトスカートだ。黒の重々しい制服の上では、明るいピンクのショートカットが跳ねている。本当に先が外側へ跳ねている。

「一応私は中佐よ? 少佐」

 赤髪の指揮官が困った顔で返すと、ハートが一つしかないピンク髪が大笑いしながら右隣にかける。

「おかたいなあ、もう!」

「互いに軍服を着てるんだから当然よ」

「じゃあ脱ぐ」

「ちょっと!」

 冗談に決まってるじゃん! とまた笑い出す。

 呆れてため息をつくが、もはや何も言う気はないようで表情がふっと優しげになる。ピンク髪の方はビールをひとつ頼むと、ジョッキを傾ける赤髪を小突いた。

「何か妹が褒められたんだって?」

 慌てて吐き出しそうになるのを堪え、横を睨みつける。

「ちょっと! 飲んでる途中はやめてってあれ程!」

「ああ、ごめんごめん」

 たははとばさばさの髪をかく。あらためて嘆息すると、中佐はこたえた。

「夏実じゃないわ。妹の副官よ。初めての昇進だったみたいで、嬉しすぎて二万人に言って回ってるのよ」

「正確に伝わってなくない?」

「……大崎家の方ばかり見られてるのかしらね?」

 陸軍名門家にして始祖両家につぐ歴史を持つ、大崎家の長女は不思議そうに呟いた。そう彼女こそ、ニコライ軍団主力の第三重歩兵連隊に従う第一重歩兵大隊大隊長、大崎秋子中佐である。現在二十三歳であり、十五歳で成人する国としてはもう十分に大人の女性だ。

 一方、同い年ながら大人とは思えない者もいる。秋子は、少年っぽい笑顔でビールを受け取る戦友を横目にみる。

 ピンクの外はねが印象的なショートは愛らしいのだが、力強い赤目を含めきりりとした顔立ち、女性としてはやや大きめな一六〇半ばを数える身長、それと中身など、やはり年を重ねても少年っぽさが抜けていない。

 ぷはあっと言ってジョッキをカウンターに置く。口周りには白い泡がもりもりついていた。思わず秋子は目を丸くする。

「ん? どした? ――ああ。ははあん。さてはワタシの案外大きな胸がうらやましいんだろお? ほれほれDカップ」

「宣戦布告って言葉を知ってるかしら?」

「まあ待てって絶壁ああじゃなくて“鉄壁の秋子”さんよ」

「わざとね?」

「いやマジでうっかり」

「それはそれで傷つくわ……」

 すっかり意気消沈して、先とは別の意味で盛大にため息をつく。

「幸せが逃げてるぞ?」

「誰のせいよ、まったく」

「……軍楽隊の少佐として、軍団の星の士気の低下は見過ごせないであります!」

 黒軍服で突然かしこまると、さすがの秋子も噴出した。

「それはずるいわ」

「へへっ、笑わせたもん勝ちよ」

 にへらとして、ジョッキを傾け空にする。

「もういっぱーい!」

「早すぎるのじゃないかしら?」

「大丈夫だって。今日はいい仕事したんだし」

 因果関係がまるで成立していないけれども、秋子は何となく納得して真剣な目になる。

「あの街道の奇襲のあと、バグパイプの音に助けられたわ。私の部下もそう言っていた。いつもありがとうね、姫倉」

 おかわりを手渡されながら、真剣な瞳に見つめられ、頬を少し紅潮させる。

「それがワタシらの仕事だからな!」

 明るく返すと、ばちこんとウィンクをした。


「しかしさあ、秋子さんよお」

 三杯目を空けた頃、赤髪の戦友に声を掛ける。

「何? お手洗いなら出て右よ」

「違うって! そのさ、さっきも言ってたけど……」

「何をかしら?」

「姫倉だよ! その呼び方、やめてくれよ!」

「どうして? 誇りある家名じゃない」

 ところが少年風の顔についたピンク髪が左右に激しく揺れる。

「それ大崎家に言われると何かあれだし! うちなんてせいぜい九百とか八百年程度だからな?! それに恥ずかしいんだって! 薫って名前があんだから、そっちで呼んでくれよお!」

「あら、いいじゃない。姫倉さん。私はこの響き好きよ?」

「ひゃあ、やめてくれー」

 秋子がまた嘆息して、うねうねする少佐を見つめる。

「酔ってるわね?」

「恥ずかしさにな……あ、もう一杯」

 どうやら本当に違うようで急に素に戻る。

「注文するときだけ素面に戻っててどうするのよ」

「ビール程度で酔ってたら軍楽隊の名折れだって!」

「軍楽隊入隊試験はウィスキー一気飲みをするなんて噂があるけど、真実味があるわね」

「え? どこもやってんじゃないの?」

「……聞いたことないわ」

 陸軍名門の令嬢に言われては違いない。姫倉はあっれーと頭をかく。

「まあにしても、真仁陛下が親政を始めてからと言うもの、随分厳しくなったけどな」

 秋子がふっと破顔する。

「あの子は、心の底からお酒を愛しているのよ。前に軍楽隊のような飲み方は酒への冒涜だって憤慨していたわ。その時、酔ってたけど」

「相変わらず“あの子”呼びなんだな」

「いいじゃない。従弟なんだから」

 それと大崎家の長女という立場も強かろう。しかし、姫倉が気にしているのは、もっと別のことのようだ。

「違うんだよお。何かさ、よそよそしいじゃん。それが引っかかるんだよ。仲悪いの?」

 とんでもないことを真っ直ぐ訊いてくるやつである。今度は秋子が首を左右へ振った。

「そんなことないわよ。もっとも四月の暮れに突然結婚を申し込んできた日の晩は、やたら夏実にべたべたしていたけどね」

「妹ちゃんみたいなのがタイプなんだ」

「よく知らないわ。けど、失望したわ」

 秋子は嘆息すると、自分のジョッキを傾ける。

「おお? 妹しか眼中になくて絶壁の隊長が嫉妬?」

「シめるわよ?」

「おっぱいで?」

「死にたいならそう言いなさい?」

「じょ、冗談だよー!」

 笑顔を貼り付けて否定すると、秋子の右手が腰のサーベルから離れていく。

「で、何に失望したのさ?」

 さすがに赤目が真剣な光を左へ注ぐ。秋子は空になったジョッキを両手で包み込んだ。

「伯母があの子の母である意味が、まったくなかったことよ」

 悔しそうに歯軋りする。

「あれは、大王妃を、王母を出した家に対する扱いじゃないわ。私たちの危機に、愛と寛容を示すのかと思いきや、取引を要求してくるなんて。大崎家始まって以来の侮辱よ」

 姫倉は思っていたよりヘビーで、かつ、危険な話題に目を大きくする。

「た、大変だ、それは。……けど、さ、酒の席で、政治の話はやめよう。な? ほら、おかわり頼もう?」

 秋子はうつむきながら、ありがとう、と一言返した。


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