第十六話 大軍
「この前は陸が人を拾ってきたが、陛下も大概同じような趣味を持っているのだな」
翌朝、士官と大王近侍の者たちが囲む士官食堂の長机で、大王枢密院K.S.P.(カーエスペー)の面々を紹介すると、赤軍服の将校たちは乾いた笑いを漏らし、春瀬は呆れたように肩をすくめた。大母殿下はまさかその陸が連れ来たのと同一人物たちだとは思ってないらしい。
「使えそうだとついな」
そう言って白米を頬ばる。その左隣に座る馴染みの大母は、苦笑してお茶をすすった。以前の騒動で考え直したのか、露骨に文人と軍人を上下に分ける席次は改められ、上座に大父と大母が隣同士でかけ、大王の右斜め前に七海、その目の前に公爵、七海の右隣に書記官、その前に大顧問、彼女の左斜め前に軍事顧問とK.S.P.の五人が並び、剛の正面から以下同じように大元帥結衣大子爵、大将ニコライ男爵などに続いている。
「だが、まさか一般人世界に留学していた元帝国民とは……北条派は一般人に対して、あの虐殺生物に対して危険を感じないのだろうか?」
真仁らが捏造した口実を信じて春瀬が口を尖らせると、七海が口を開いた。
「北条派の能力者は近親相姦で血を、すなわち、それに宿ります能力を濃くしています。それが故に、己の強さに対する絶対的な自信があるのです。やや過剰とも言えますが。しかし一般人に正体がばれましても、実際一ひねりでしょう。伊達派と違いまして、建国の発端に一般人による能力者狩りがあるわけでもないですので」
食卓にぴしっという音が響く。真仁が驚いて左隣を覗き込むと、春瀬がちょうど手にした味噌汁が完全に凍りついていた。
「――その前に、貴様は公爵やその三人に見習って、正式に伊達派の臣民になったらどうだ」
箸で凍結してしまった味噌汁を叩くと、諦めてボーイに新しいものと交換させる。公爵は焦りの滲む表情できょろきょろし、三人の顧問官も唐突な呪詛の声に目を見合わせる。
真仁はと言えば、下を向いたまま食事の手を止めようとしない。
七海の赤い目が挑発的な銀髪の殿下をとらえる。
「私が外国人でありますことにも、意義はあるのです」
「そうだな。味方の将兵を疑心暗鬼にさせるという立派な仕事だ」
「――まるで私が帝国の密使のような言い方ですね」
「そうなのか?」
「恩義ある人は裏切りません」
春瀬が味噌汁のお椀を置き、眉間に皺を寄せる。
「つまり、沙織殿下か」
結衣とニコライ以下陸将たちの咀嚼の音が消える。七海は飲みかけたお茶をおろす。
「違います。この場合は」
「この場での口実ということか?」
「いえ、我ながら穏やかならざる人生ですので、お世話になった方が大勢いるのです」
真仁に対する謝意を示しつつも結局、沙織を否定するには至っていない。この強情な態度に春瀬は段々と苛立ちを募らせていく。
「いかにも政治家らしい言葉遣いだな、“春川辺卿”。だが、無駄だぞ。お前は以前、陛下と国と民への忠誠よりあの大逆人への恩義を選んだのだからな。陛下は忠告で済ましたようだが、本心を私は忘れない。忘れようもない」
七海の立場は、沙織派からの宣戦布告以後、急速に悪化していた。もともと軍部ではパンゲア政策を現場で取り仕切る外務大臣として人気が低く、それに加えて、十年の時を経て王国と再び対峙することとなった沙織の実妹ときては、不満が高まるのは最早仕方ない。やはり春瀬の言葉は、いつかと同じようにほとんど正解であり、数々の刺すような視線が下座から、臣民第一等の上座にある白髪に注がれる。
完全に墓穴を掘った皇女はすがるような思いで、現在の主人の方を見る。ところが真仁は、口を動かしながらじっと机の一点を見つめるばかりで、哲学者のような横顔に七海は失望する他なかった。
――これでも陛下は分からないのですね。私を疑うなど合理的でないと陛下お一人は確信しておいででも、合理が通用する人間はむしろ少数です。私が不用意なことを言わなければよいという面もありますが、恐怖の妄想は勝手に広まっていくものです。常に臣民が支持がとおっしゃっていますのに、どうして理解してくださらないのでしょう……。
外相秘書の鷗が真正面から色白の主人の横顔を見つめ、懸命に打開策を思案する。K.S.P.の三顧問もあたふたと大王や大母、皇女に視線をやる。陸軍の面々は硬い表情で箸を持ち直す。
こんな最悪の朝食には、最悪の知らせがよく似合う。
沈黙した食堂の扉が、激しく音を立てて押し開かれた。
「陛下! 陛下はどちらに!?」
青軍服を着た陸軍連絡情報科の下士官がまくしたてる。
「ここだ」
部屋の一番奥で手を挙げると、何も言わずに駆け寄っていく。思わず七海は立ち上がって尋ねる。
「御用ですか?」
「は、はい、春川辺卿。しかし、これは軍務ですので、直接陛下にお伝えしたいのですが」
「……そういうことでしたら、問題ありません。失礼しました」
そうして席につく背後を、不思議そうに白髪の頭頂を見つめながら下士官が歩いて行き、大王に一葉の紙を手渡す。
「ご主人さま、急にどうなされたのですか?」
周囲をはばかりつつ鷗が小声で訊いてくる。七海は周囲に視線をやってから、少し卓上に身を乗り出す。
「富士ノ森の記憶がフラッシュバックしてしまいまして、つい……」
「ふおおおお、この乗り出すおっぱいはええのう」
「はい? 鷗、何か言いましたか?」
「え、か、かもめ、何も言ってないですよ!?」
「そうですか」
きょとんとした表情で腰を落ち着かせるのを、鷗はズレた片眼鏡を押し上げ鼻息荒く見守る。ところが、大王の声にはたと冷静になる。
「諸君、馬主元帥隷下の沙織派部隊が、再び我が国土に侵入してきた。赤宝山地中央部、赤田・山中・北陰の三街道が交わる要衝に進出しつつある、現在、赤田市と山室市の計二個師団が三街道の分岐点で迎撃すべく急行している」
紫髪の参謀総長が手を挙げる。
「敵の部隊って、規模はどれ位なのかしら~?」
大王より報告書を手渡された春瀬が急いで読みながら、震える声でこたえる。
「二個軍団。およそ四万名だ」
「すでに向かっている友軍が合わせて一個軍団相当でありますから、敵は倍の戦力ですな」
大柄なニコライ大将が眉間を険しくし、他の陸将たちも落ち着きを失い目線を交錯させる。
「赤田街道の近辺から、あと二個師団送るか……?」
春瀬が額を押さえて呟くと、真仁は首を左右に振る。
「やはり山地内の部隊は不用意に動かしたくない」
「Oтец(アチェーツ)(大父陛下)。それは不要です。我ら大熊軍団にお任せください」
胸を張るニコライに、真仁は気遣わしげな目を送る。
「第二軍団か。将兵の疲労は大丈夫なのか?」
「むしろ休息疲れしております」
「分かった。それでは第二軍団に緊急出撃を命じる。総員準備を整えて、部隊ごとに列車へ乗り込め。解散!」
大王がそう言って立ち上がる。腰に履く長大な仁王刀が机と椅子にぶつかり、騒々しい音を立てた。
「馬主美樹、かわいそうな元帥ですこと。すっかり臣下に裏切られましたわね」
帝都都市の一角、御所に程近い堅牢な建物の中に、女性の高笑いが響く。
「わたしに刃向かうから、そうなるのですのよ。これがいい見せしめになりますわ」
白髪をあでやかに振り乱し、北条家第一皇女、北条沙織は狂喜じみた笑みを浮かべる。
「見くびらないことね。王都に囚われ、帰還したら帝都に囚われの身だからと言って。何もわたしが動く必要はないのよ? 賛同してくれる人はたくさんいるのですもの!」
部屋いっぱいに笑い声を響かせながら壁に貼られた地図の前まで舞って行く。
「どうしてか分かりませんけど、あのニコライの軍団が山地にいるのは間違いありませんわ。これは敵がわたしの本当の狙いを初めから見抜いていた証拠。でも、邪魔はさせられませんのよ? 消えていただきませんと」
恍惚とした表情で、赤宝山地(中国山地)の中央部をなぞる。
「街道分岐点に二個軍団を進めれば、敵が出す部隊は、まず赤田と山室の計一個軍団。わたしの狙いを理解しているでしょうから、他の山地の部隊は動かさないはずですわ。でも、このままでは黄天軍に領土を踏み荒らされますわ。それは阻止しませんと。ねえ、ニコライ将軍」
次第に目が血走り出す。
「あなたは、あなただけは自由に動けますもの。その山地の中で! 来るに決まっていますわ! それも、先に二個師団でこの分岐点に黄天軍を留め置いてから、その隙に側面をつくのでしょう?! 分かるわ! 冴え渡っていますわ、わたし!」
そうして腹を抱え、くつくつと笑いを漏らす。
「させるものですか。ニコライ。ここがあなたの死に場所ですのよ。伊達派の権威と一緒に、地獄に落ちなさいな!!」
魔女のような高笑いが響き渡り、帝都の上空では何度も何度も雷鳴がとどろいた。




