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第十四話 宝山丘の戦い(2)

 真仁は司令部へ全速力で馬を駆り出すと、まだ顔面蒼白な馴染みの副官に向かって叫ぶ。

「今だ! 春瀬!」

 大音声を聞いて顔に生気が戻り、一度うなずくと、手綱を左手に握り締め、右腕を力強く前へ振り突き出す。

 敵は我先にと隊列も構わず斜面を駆け下りてくる。

「大隊、前へ!」

 伊達派の前線では、呼応するように味方側の赤髪の歩兵大隊指揮官がサーベルを前へ振りかざし、小太鼓の刻みに合わせておよそ四百名がキルトを揺らして前進する。

 その間も敵は丘をおし迫ってくる。

「大隊、止まれ! 構えー!」

 指揮官の声に三列に並んだ歩兵が一斉にマスケットを斜面下に向けて構える。

 忍耐強く何かを静かに待つような赤軍服に、黄色の波が押し寄せてくる。


「うふふ~、チェックメイト~」


 はるか後方で参謀総長が怪しい微笑みを浮かべると、敵の最前線が罠にかかった。



 まるで冗談のように一斉にすっ転んだのだ。



「罠だ! 引き返せ!」

 誰かが叫ぶが、もうその声もすぐに蟻地獄の断末魔に変わる。急な斜面を駆け下りて来て勢いを止めることもできず、次々黄色の軍服が危険地帯に突っ込んでは転び、滑り落ちていく。

「上手くいったな」

 真仁が戻ってきて、春瀬に声を掛ける。

「正直、勘弁して欲しいぞ」

 青目は今や疲労の色が濃い。

 氷野家の能力は『凍結』。自然に存在する水分を凝固させる力だ。そして、丘には昨日まで降り続いた雨のおかげで、溢れんばかりの水分が蓄えられていた――。

 黄天軍の突出した部隊は氷原に突っ込んでは地獄へ落ちて行く。戻ろうにも止まらないし、さらに後退を許さないように丘の頂上付近目掛けて赤天地軍の野砲が火を噴き始める。

 そうして雪崩となって落ちて行く先、全員で重なり合って落下していく先に待ち受けているのは――


「一列目、撃て!」


 三列横隊を組む戦列歩兵の一斉射撃だ。




「中将閣下!」

 敵司令部に前線方面から副官が慌てて戻って来る。

「お、お前! 今までどこにいたのだ! と言うか、前線は何をやっている!」

「敵の挑発に乗って突出し、罠にはまりました! 前線部隊は全滅です! 中将閣下。かくなる上は降伏を!」

 参謀が掴みかかる。

「今までいなかったと思ったら、何を言うのですか!? 呆れました!」

「だが、このままでは将兵が!」

「死なせてやれ!」

 中将が怒鳴る。

「そんな馬鹿者は天下の黄天軍に不要だ! 死んで貢献しろ!」

 イラついた様子の参謀も首肯する。

「ほ、本気ですか?」

 副官がなおも食い下がると、司令官はちっと舌打ちしてサーベルを抜く。

「我が軍には撤退も降伏もない! これ以上抜かすなら、貴様を切る!!」

 途端に少将は顔を青くして引き下がった。

「こんな虫けらは置いておいて、閣下。少しでも敵にダメージを与えませんと」

「しかし、前線の馬鹿どもがやってくれたおかげで、こちらの戦力は大幅に減った」

「閣下のお力は、一個軍団をも圧倒なされたではありませんか」

 参謀が突然猫なで声を出すと、司令官はにんまりと笑む。

「そうだったな。それではまた神風を吹かせて、敵に泡を吹かせてやるか」

 そう言って右手を高く天に掲げる。


 と、冷たい手がひたりとその手首を掴んだ。


 思わず司令官が本能的な恐怖に顔を引きつらせる。

「何をやっているのです!?」

 参謀長が叫んだ相手は――副官だ。しかし、叫んだ少将も、すぐに表情を変えた。

 ついさっきまで小さくなっていた副官が、急に残忍な笑みをたたえていたのだ。

「へーえ、そういうことしちゃうんだー。日使いの能力者さん」

「き、貴様、副官ではないな! 何、ものだ……!」

 中将が虚勢を張ろうとするも、声が裏返る。

「あ、やっぱり熱いの? こっから空気あっためてさあ、高気圧作って風吹かせんでしょー? よく考えたねー。それ聞いたとき、父さん、あ、それ自分も使うわ、みたいなこと言ってたけどねー。早く気付けよって思ったけど、まあ、しょーがないかー。あれ、何の話だっけ?」

「貴様、気がふれているのか!?」

「震えてるのは、そっちじゃーん。あ、ふれてるっつったのか。ごめんごめーん」

 副官の顔をした何かは、くすくすと笑い出す。周りの者たちは動くことも出来ず、ただ顔を強張らせて事態の推移を見守る。

「あ、そうそう。で、それは許せないんだよねー。止めるのがお使いだからさあ……じゃあね」

 不意に司令官の首から血が噴き出す。参謀長が腰を抜かして落馬すると、驚いて跳ね上がった馬に足蹴にされる。それを助け出そうと取り巻きが集まってくるが、一人、また一人と血しぶきを上げて倒れてゆく。

「な、何なんだ。何なんだ! 一体!」

 馬に顔面が変わるほど蹴り飛ばされながら参謀長がうめく。

「何って、戦争じゃないの?」

 悪魔の囁きが耳をなでると、次の瞬間、自らも血だるまになって大地に伏せた。

 黄色い軍服の副官はいつの間にか消え、黒いスパイスーツに身を包んだ少年が積み上げられた死体を長い前髪の奥から見下ろしている。

「とりあえず、こんなかなー」

 どろどろに血塗れたナイフを手にしたまま首を鳴らすと、上空を仰ぎ見る。すると、旋回する鳶がけたたましく鳴いた。




「危険は排除されたようだな。まあ仮に突風の原因がそうでなくとも、敵の首を取っておいて間違いはないのだろう? 軍事的に」

 鳶の鳴き声を聞き、最後の最後まで懐疑的だった副総司令官を大王が見やる。

「油断は出来ないぞ」

「無論。男爵、出番だ!」

 大王が左横を見やる。すると大熊のようながっしりした体格の老将軍が、左手を掲げて敬礼し、軍団付きの念話士に命令を伝える。

「戦列歩兵全部隊に通達。気流の変化に特に最大限注意しつつ、斜面を前進せよ。包囲網を狭めて敵残存部隊を追い詰める。Желаю(ジュラーユ) удачи(ウダーチ)!(健闘を祈る!)」

 大王はため息を一つつく。と、参謀総長の声が背中に振りかけられた。

「それにしても、伊保間隊、ああいう使い方もあったのね~。開発に少し携わったけれど、その段階ではあくまで諜報機関ってだけだったのに~」

「深山陛下三力改革の三番目は、諜報力強化だったからな。しかし、技術は進んだものだ」

「そうね~」

 代々工廠局を牛耳ってきた技術家系、加工鹿家の令嬢が微笑む。

「ついに人造人間の時代ね~」


 伊保間隊、正式名称、大王情報親衛隊は、深山大王の三力改革の一環で開発設置された二人の人造人間からなる秘密の王立組織である。空と地上からの偵察を目的として、自然界には存在しない変身の能力者(諸説あるが本体が定まらなくなり繁殖が難しくなるため自然には存在しないというのが有力だ)を、物体加工の能力者たる加工鹿家のDNAを用いて人の手で創り出したのだ。上空からの敵情視察は先に生み出された伊保間空、地上で敵地に潜入して情報をあさるのは弟分の伊保間陸がそれぞれ当てられている。

 このように開発段階ではあくまで情報収集のみに特化して考えられていた伊保間隊にとって、今回のように敵司令部の人間に化けて直接攻撃を行うといった情報無関係な使用方法は本来なら完全に想定外であった。

「柔軟な脳の持ち主はいるもんだ。人材は広く広くだな」

 大王が何気なく呟くと、参謀総長が不思議そうに目をしばたたかせる。それに彼は慌てて笑顔を向け、話題を変える。

「しかし、仮に伊保間隊が本来の予定通り軍に組み込まれていたら、こうもいかなかったかもしれない。細則も同時に決められただろうから」

「そうね~。そういう意味では、王立機関でよかったわ~」

「もっとも、その背景にはやはり金があるわけだが。開発で予算をついに使い果たして維持費がないと泣きつかれた時は、子供ながら馬鹿馬鹿しいと思ったものだ。SL-FVを国土省に手放しておかなければ、第二改革すらどうなっていたことやら」

「でも、こうして役に立ったわ~」

 真仁は複雑そうに丘の方を眺める。

「否定できないのが辛い。戦争はまるで土砂崩れだ。始まったら全てを正当化して押し流していく。多数の命を巻き込みながらな」



 伊保間陸による副官排除から隠密に始まり、大王の決死の演説と、それを諦めての挑発による敵前線部隊の誘い出し。突出したそれらを叩き、突風の危険を司令部ごと消し去り、最後は残存部隊の包囲。――馬上の会議でよく考えられたものだと思うが、これは何も一人で作られたものではない。伊保間陸の斬新な運用は七海を経由してこだわるものが皆無の剛が、大王の演説から挑発は政治・軍事の文脈を正確に汲み取った彼自身が、突出した敵部隊を氷の坂で引きずり下ろすのは春瀬が、これらの細かい戦術の基盤となる全体の構想と、最終的な各ピースの組み合わせ、他部隊の基本的な挙動は参謀総長加工鹿結衣と軍団指揮官ニコライ大将が生み出したものだ。三人よって文殊の知恵なら、これ程集まったらどうなるのだろうか。


 個々人の功績を優先しようとする黄天軍と、全体で力を合わせることを重視する赤天地軍。一人ひとりが力を求めて相争う北条派と、家族としての調和を唱える伊達派。

 両国が両国らしい態度で戦場にあいまみえた宝山丘の戦いは、追い詰められた黄天軍の降伏によって幕となった。

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