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第六話 西部氷野伯家での不安

「まったく面倒な!」

 既に遠く中央を離れ、列島西部の地方統治長官、西部伯の地位に隠居した元摂政、氷野勤は苛立ちながら朝刊を食卓に叩き付けた。静かな朝を迎えていた西部氷野伯家の邸宅が小さく震える。ちょうど皿を下げにやって来たメイドは、びくっと縮こまって立ち尽くしてしまった。勤は気まずそうに表情をゆがめると、すまない、下げてくれ、と呻き、それでようやく素早く手を動かして、全ての空いた食器を回収し、一礼して食堂を出て行った。扉が閉まるのを見ると、荒く鼻息をはき、群青のマグカップに指を掛け、冷めかけたコーヒーを一口すする。

「どうなさったのですか、お父様?」

 細長い食卓の末席にいる娘のかわいい声が呼びかける。ベリーショートに切った金髪や青い目は、まるで人形のようだが、黒いコーヒーカップを包む両手の強靭そうな形を見れば、何となく本当の職種が見えてくる。彼女は大王近衛騎兵隊という日本能力者世界唯一の私軍の隊長だ。年はまだ十九と若いが、騎兵戦の力量や騎兵隊指揮能力などを買われて、あともちろん、氷野家という出自もあって、大王より昨年任命された。陛下からの信も厚く、勤自慢の子である。

「昨日、陛下が議会において、反戦の演説をなさったのだ。軍事費を削減した政府予算案を可決させようという狙いがおありだったのだろう」

 こくこくと頷く。

「俗に言うパンゲア予算ですか。保守派のお父様としては問題ですね。可決されたら。――それで、実際はどうだったのです?」

「否決された」

 そう言ってから、ため息を吐く。

「しかし、まずいことになった」

 椅子の背に右肘をついて頭を押さえ、テーブルの上でのびている新聞第一面に目を落とす。

「陛下が議会に対して激しくお怒りに?」

「ん? ああ、それは当然だ。何しろ演説の間は随分と熱狂したようだが、熱の引き際が異常にあっさりしていたらしいからな。大方、聞いている振りだけをしていたのだろう」

「無礼極まりないですね」

「まったくだ。だが、我々にとりより重大な問題はこれだ」

 左手の人差し指で紙面の一点をこつこつ叩く。

「何でしょう?」

 娘が眉間に皺を寄せて尋ねる。

「春瀬――我らの氷野家当主春瀬殿下が、議会に同調して批判の声を強めている。しかし、実力がない割に他人を悪く言う者は必ず嫌われる」

 憂鬱に沈んだ声音に、華穂の調子も暗くなる。

「そうですね……。正直申し上げて、あの子に大臣の器量はありませんからね。根本的に」

「その通りだ。従う役人たちも思うところがあるのか、すっかり舐めている。春瀬が内務大臣に就任して以来、内務省は不祥事続きだ」

「保安警察内部の新人への暴力問題。治安維持隊隊員の風紀の乱れ。救急消防庁の職務怠慢事件。去年の春は、楠山市選挙管理委員会の議員からの賄賂受取り問題。……今年は何でしたでしょうか?」

「毎年の恒例行事のような訊き方はよしてくれ。こちらまで頭が痛くなる」

「何もありませんでしたか」

「いや――強いて言うなら、今だろうな」

「まだ三月ですのに」

 勤が禿げかけた頭を左手の全部の指を立てて掻き毟る。それをちらりと見ると、まじまじ老父の顔を見つめて、言い憎そうに口を開く。

「お父様。摂政を辞めて伯になられてこちらにお帰りになってからの方が、ストレスが多そうですね。くれぐれもお体には気を付けて下さい」

「放って置いてくれ。残念ながら元からだ」

 おそらく出来た娘である華穂としては気遣ったつもりだったのだろうが、憮然とした様子でこたえる。

 華穂は慌ててお茶を濁すため話を戻す。

「あの子は何と言いますか、事務員向きですよね。マメで地味な仕事は得意ですし」

 仮にも当主に対して随分な言い様だが、事実だから誰も責めることはできない。伯もそれに首肯する。

「ある意味、憐れと言うべきだろう。一重に春瀬の人選は、血統によるものだ。血統は大きな判断基準になれど、絶対的な基準にはなり得ない……。だがしかし、今ここを言っていてもあまり意味はない。今、春瀬の批判が問題になるのは、彼女の才覚以上に時期の問題だからな」

 華穂の表情が張り詰める。

「氷野家の名誉をまた穢されるわけにはいきません」

「それに陛下がそんな決断をされた日には、民心の乖離とともに、その間隙に軍部が滑り込んでくるに違いない。保守派と言え、文民として見逃せない状況になってしまう……」

 続いて父はため息をついた。頼りない朝日の中を白いキラリとしたものが舞い落ちていった。


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