第十話 それぞれの苦悩
しばらく沈黙したまま待つと、不意にドアが開け放された。
「父さん。はい、これ」
そう言って、空と揃いの全身黒スーツの少年が人間を三人ぽーんと投げ入れる。黒い髪は前だけが異様に長く目元を完全に覆い隠している。
「おい、陸。この三人はどこで」
大王が質問しかけたところで戸がぴしゃりと閉じられた。深々とため息をつき、額を組んだ手の上に預ける。そして左隣に背を正して座る秘書に尋ねた。
「余は見たくない。誰が来た」
しばらく間があってから、お芭瀬が口を開く。
「小動物と、軍事マニアと、痴女です」
「ちょお! 痴女って私のことお!?」
「――まあ、そうだろうよ」
「しょ、小動物……えへへ」
「――良かったな」
「って全然よくなーい!」
「まったくだ!!」
真仁が沈黙を破って立ち上がる。
「どうしてお前たち三人がここにいるんだ!? なぜ来てしまった!?」
黒目が、懐かしい藍色の制服を着て立つ三名を睨む。
「ご、ごめんなさい!」
「理由を訊いているのだ!」
「ひ、ひぃっ」
「だって二人がいなくなっちゃったんだもん!」
震える小夜子をかばって箏代が前に出る。
「まさくんと、ななちゃんが、何も言わずに来なくなっちゃったから……」
「んで寂しくなって、一年の広島修学旅行に勝手についてったってのが正確なとこ……ああちげーや。やべ、記憶が飛んだ。……あ、そう、そんで何かこの辺で不思議な事件があったっつーから、来てみたんだ」
「不思議な事件、ですか?」
「そう! 一部で有名になってたの! 昔から中国山地には神隠しの話があるし、特にこの一帯は源平合戦の亡霊が未だに戦ってる音がするとか、誰もいるはずない山奥なのに工場みたいな音が聞こえるとか! 噂が絶えないんだよねー。だからこのカメラで激写してやろうって来たの!」
デジカメを見せて笑顔で言い放つ。真仁が七海と肩越しに目を合わせる。
――間違いなく我々の戦闘と赤色鉱石採掘場の騒音だ!
「それで山ん中さまよってたら、急に意識失っちまって……気付いたらそこにいたんだ」
と言って剛が窓の外を指し示す。と同時に痛そうに首を回した。
真仁がソファに崩れ落ちる。
「お前たちは確かに、目当ての世界に辿り着いた」
「やったね! 剛くん、さよさよ! ついに見つけたよ! 私たちのアルマゲドンを!」
「いやアルカディアな!」
「そう。それそれ」
「何を喜んでいるのだ?」
真仁が不審な目で見上げる。
「お前たちは死ぬんだぞ?」
瞬間、場が凍り付き、大王の説明する声だけが部屋に響く。
「お前たちは一般人だ。いかに縁深かろうと我々能力者とは違う生物だ。我々の世界に踏み込み、見て、聞いてしまったからには、帰すわけにはいかない。能力者狩りの発生を防ぐために」
「ま、待って! まさくん。何を言ってるの? 能力者って何? これってサバゲみたいなのじゃないの?」
箏代の顔がいよいよ恐怖に染まる。
「我々は能力者だ。能力者は遥か天の向こうからこの地球に到達した。最古の能力者地球到達はおよそ五千年前の隕石衝突とほぼ時を同じくしている。能力者はそれぞれ出身の惑星や宇宙で生来的に獲得していた能力を有していたが、それらはいずれも地球上の人類が持たないものばかりだった。そのために能力者の一見奇異な力を見た地球にもとからいた一般人は、我々の先祖を奇術師や魔女呼ばわりして虐殺した。結果として、能力者たちは一般人の目が届かないところで独自の世界を、能力者世界を築いて独自の歴史を歩んできたのだ。それが故に、禁忌に触れた一般人は、我々の自衛のため“処理”しなければならない――」
「ね、ねえ、冗談でしょ? 私たちを驚かせたいだけなんだよね……?」
泣きそうになりながら箏代がすがりつく。真仁は苦々しい表情をして顔を少し横に逸らす。それからため息をついて向き直ると、唐突に質問した。
「外界との連絡手段は持っているか? 持っているなら全て見せて欲しい」
訳も分からず三人はポケットからスマホを取り出す。七海がそれらと、箏代のカメラを素早く回収すると、真仁に全て渡した。
「これでよろしいですか?」
「ああ、助かる」
そう返して受け取ると、両手に乗せたスマホとカメラを一気に燃やし尽くした。突然溶けて跡形もなくなり、一般人たちは悲鳴をあげる。
「こういうことだ。能力というのは。――さあ、分かっただろう? ……次は、次はお前たちの番だ。よりにもよって友人を手に掛けたくはなかったが、この世界を危機に晒すこともできん」
「け、けど、ま、前は、助けてくれたじゃないですかあ!!」
今度は二人の能力者が唖然として見やる。小夜子の顔を!
「前? 前があったのか!?」
「どういうことですか、小夜子? いつ頃、誰に見逃されたのです?」
「ご、五六年前ですう! ななちゃんが許してくれました! お、覚えて、いませんか?」
真仁が恐ろしい顔で七海を睨む。が、秘書は必死に首を横に振って否定する。
「私は一般人を能力者世界で見たことはありません。人違いではないですか、小夜子?」
「で、でも!!」
「人違い?」
真仁が不意に独白する。
「小夜子。それは今の七海のような見た目だったか?」
「は、はい!」
「だが五六年前なのだな?」
詰問に一度首肯する。
「さよさよー、そんな前からななちゃんの外見が一緒ってことはないんじゃない?」
箏代が完全に絶望した表情で言う。剛も隣で目を伏せた。
一方、能力者たちは額を突き合わせる。
「五年も六年も前で、お前と似た外見。そしてお前自身に記憶はない」
「つまり、その頃に私と似た見た目をしていた別人が、それをなしたということです」
「……沙織、か?」
「姉様でしょう」
「本当に?」
「それ以外にいますか?」
真仁が腕を組む。
「だが、どうして……」
そこまで言いかけて、はたと気がついた。
――彼女が誰かを殺さずにすましたのは、これだけではなかろう。
黒い瞳が目の前の皇女をじっと見つめる。
――七海も……同類ではないのか?
沙織の本望が帝位簒奪にあるとすれば、その障壁となる七海は暗殺してしまえば良かったのだ。それを、亡命を強いるようなまどろっこしい方法を取った。この真相は相変わらず謎のままである。
――沙織殿下の狙いが帝位簒奪以外にあるとするのは不自然だろう。今までの行動が、そう結論付けさせている。かと言って、七海を殺さない理由も分からない。……よもや人を殺すのに、今更抵抗があるとは考えにくいしな。
沙織は真仁の両親を殺した。そして使用人ごと王都に火をかけ、現在進行形でおびただしい数の戦死体を積み上げている。殺しを嫌っているはずがない。
――ではなぜだ? どうして余の親は殺されて、妹と、無関係な一般人は見逃されたのだ?
理不尽の炎が身を焦がす。そしてその赤い火は、知りたいという強い衝動へと変化した。
「三人とも、この能力者世界に留まる限りにおいて、命を保障しよう」
しかし、三人の顔は喜びに転じることなく、むしろ悲愴さを増す。
「え!? じゃあ、家には帰れないの!?」
「新居をこの世界で構える他ない」
「が、学校はどうすんだ?」
「勉学なら特別に支援しよう」
「か、家族とは、もう、あ、会えないんですかあ?」
「! 家族は……」
胸を締め付けられる思いがする。家族と二度と会えない――特に若い頃の離別は、大海原に投げ出された小枝のような、心細さと不安を衣に枕にすることとなる。
取り返しようもない喪失感が肺をみたし、荒く息を吐き出す。この苦しみを、最たる不幸を、何人にも味合わせたくない、その一心で真仁は権力を振るってきた。
だが、理想は諦められるのに、現実は諦められない。
「無念だが……。処理せず匿うのでさえ危ないと言うのに、ましてお前たちを逃がすなど、明らかに法に反する」
大王として言葉をひねり出す。言いたくもない、本心にもないことを、ただその職責から――。
「そ、そんな……」
ショックの余り箏代がへたり込む。剛がその小脇にしゃがみこみ、両肩を優しく抱きかかえる。
「な、なんとかならねえのか? しゃべったりしねーからよ」
「この状況で口外すると言う奴はいないだろう。その言葉は信用に値しない」
「お、お母さん! お父さん!」
小夜子がついに涙を目の端から零した。真仁はぎゅっと拳を握り締め、口を開ける。
「それが嫌なら死ぬ他ない。新居は冷たい土に、学び舎は腐葉土に、家族は幼虫とミミズになるだけだ。それを望むなら叶えてやる」
「陛下!」
「他に言いようがない。それに本来、そうなっているべきなのだ。仕方あるまい」
それでも秘書は何か言いたげに大王の顔を見つめる。真仁はどうすることもできず、ただその目線を受け止める。七海は、そっと目を離した。大王の瞳には、深海のうねりのごとき藍色の苦しみが浮かんでいた――。
「若干の猶予をやろう。七海。応接室に案内してやれ。そこに泊まらせる」
最後にそれだけ言うと、真仁は目を足元へ逸らし冷め切った紅茶をすすり出した。




