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第七話 休養と雷

 六月二十九日。息の詰まるような地下鉄道の大移動と戦闘による疲れをとるため、丸一日の休養となったこの日、脳の低いところにアルコールが残っている大王は、同様に不調から回復中の秘書を西部氷野伯家邸宅内の庭園に呼び出していた。

 真仁は珍しくカジュアルなシャツにジーンズの私服姿でベンチに腰かけ、梅雨の時期には貴重な日光を全身で浴びていた。いつしか暇をもてあまし、蝶が落ちながらひらひら舞うのを不思議そうに見つめ始めると、ちょうど小道の右側から足音が聞こえてくる。

「陛下……?」

 白髪が葉を生い茂らせる低木の向こうに覗く。

「ここだ」

 手を振って居場所を知らせると、シルクの輝きは一瞬隠れ、すぐに赤いドレスの裾から姿を現す。その全身を見て、真仁はむっと眉根を寄せ、自分のラフなシャツをつまむ。

「最低限、スーツが良かったか……」

「いえ、お気になさらず」

「う、うむ。しかし、よく似合っているな」

 一転満足げな笑顔でうなずくと、七海は赤面して自分の姿を見回した。


 実は今朝、新しい制服が七海の部屋へ届けられたのだ。

 これまでは上から下までほぼ赤一色というシンプルなデザインだったが、外務大臣就任を機に、グレードアップすることとなったのである。

 銀色の金具が光る黒ベルトでとまった赤いロングドレス様のワンピースに、白い丸襟、赤い線が一本横に走る白い袖の折り返し部は従来のものを踏襲している。五つ並ぶ銀のボタンは丸からハート型に変わり、左胸ポケットの上縁には銀帯が新たに施され、そして、何よりも長いスカート部分には天高く燃え上がる炎を思わせる自由な幾何学模様が銀箔でこしらえられている。三箇所にふんだんに銀装飾をあしらいながらも、いやらしい感じはせず、むしろ引き締まった風格を見る者に感じさせるデザインである。


 七海は追加されたスカートの銀模様を、くるくる回ってしきりに確かめている。

「良いデザインだと思います。豪華さと質実さの調和が取れているように感じます」

「実際は豪華一辺倒なんだがな。けばくならないよう余と人気服飾師とで相談したんだ」

「へ、陛下がデザインされたのですかっ?」

「いやいや、案を出しただけだよ。細かいことは専門家に任せたさ」

「それでも素晴らしいセンスだと思います」

「ん。そうか? ま、まあ、悪い気はしないな」

 そうしてはっはっと上機嫌に笑う。が、すぐ顔をしかめた。昨晩の残りである。

 軽く左右に頭を振ると、また口を開く。

「普通、そのサイズならもっと早く出来るそうだが、その服は特別だ。おかげで大臣就任から大分遅くなってしまってな……」

「このような素敵な服をいただけるだけで十分感謝しております」

「うむ。そうか」

「それで……むしろ、こちらが気になるのですが――」

 そう言って、七海は長いスカートをたくし上げる。一瞬、何事かと真仁は汗を噴出すも、膝下で裾が止まったことに安心感と、隠し切れない落胆と、罪悪感を覚える。

「この黒タイツは一体何でしょう? ただでさえスカートがロングで風が通りませんのに、無駄に分厚くて蒸れるのですが」

 ――蒸れタイツか。

「気持ち悪いです」

「も、申し訳ない」

「? 何のことです?」

「あ、いや、何でもない。気にするな」

 勘違いに気付き慌てて手を振る。七海が首を傾げて不思議そうにこっちを見やる。日のあたる白い柔肌がなまめかしくひかり、大王は思わず顔を背け咳払いした。

「それはだな、着いてくれば分かる。そして、それこそ来てもらった目的だ」

 ベンチを立ち上がると、そそくさ先を歩いていく。その常とは違う逃げるような早足に、秘書は再び首を傾げた。




 十分ほど、大きな庭の中を歩いて行くと、眼前に近衛騎兵隊第八分隊の基地が見えてきた。久住山で反乱軍を蹴散らした栄光の伯爵領分隊だ。

 大王旗と分隊旗がひるがえる木製の門を、挙手の敬礼を受けながら通過すると、先導する大王は手前の一階建ての本部ではなく、そこを脇目に通過して、ひらけた運動場の向こうに建つ馬屋を目指した。さすがは騎兵隊とあって、かなりの棟が並んでいるのが遠くからでもよく分かる。

 その端に来ると、真仁はきょろきょろ辺りを見回す。

「華穂がいるはずなんだが」

 七海も一緒になって、少年のような金髪をした騎士長の姿を探し出す。すると、偶然、本部の方向から騎乗して走ってくるのを発見した。

「陛下。今、ちょうどこちらへ向かっているようですよ」

 声を掛けられ、同じほうに視線を向けると、そのようだな、と言って腕組みして待つ。

 背の高い騎士長は二人がすでに来ていることを認めると、馬の腹を少し蹴って、また、少し蹴って、やって来た。

「お待たせしてすみませんでした。陛下、それに、閣下」

 馬から飛び降りた華穂が敬礼する。

「何。今着いたばかりだ。それよりマクベスはどうだ?」

 騎士長が手綱を握る白馬を見上げる。

「よい子ですよ。悪いはずがありません。私の愛馬ですので」

 だが七海は怪訝そうな顔をする。

「マクベスとは……少し縁起が悪くないですか? 何しろシェークスピアの――」

 続きの言葉はあまりに不吉なので飲み込むと、首をゆっくり振り返される。

「本当にあの劇のマクベスみたいなのです。普段は自信なさげですけれど、蹴れば勇敢に走ってくれます」

 主人の横で嬉しそうにいななく。

 ――馬ですから良いでしょうけれど、人でしたら尊厳のかけらも……あ、オリジナルは人でしたね。

 それより『源氏物語』が知られていなくて『マクベス』が浸透しているというのが、かなり不思議ではある。だが、一般人世界の日本とは徹底した断交を貫く一方、英国には発達した近代の技術を学ぶため密かに潜り込んでいた上、近年、それで出来たルートを使って様々な物品(主に洋酒)を輸入しているのだから当然かもしれない。あらためて列島の中の異世界と認識させられるが、当人たちには別に何ら発見もない日常だ。一般人世界はすぐ隣でも外国より遠いところだ。


 華穂は愛馬“マクベス”を部下に預けると、徒歩で大王と秘書を案内した。立ち並ぶ馬屋という馬屋。大半が白馬か鹿毛の馬である。

「こちらです」

 ある細長い馬屋の前に来ると、騎士長が小屋の間へと二人をいざなう。

「よく位置が分かるな」

 大王が感嘆して呟くと、首都の馬屋より慣れ親しんでいますから、とこたえが返ってくる。たしかにまだここで暮らしてきた時間の方が騎士長就任後よりも圧倒的に長い。

「それと、こちらの棟は特別ですので」

 騎士会オーナーと騎士長の二人について七海も小屋と小屋の間に入ると、あっと小さく声を上げた。

 その馬屋だけ、すべて黒馬なのである。

 ところが、騎士会に黒馬はいない。騎兵隊は白、音楽隊は鹿毛で統一されている。

「黄天軍の馬ですか……」

「もとはそうです。私たちは持たない黒馬の性能を調べるため鹵獲したものが大元です。しかし、ここにいる子たちは大半が伊達派で繁殖されたものです。やはりそれも試験を目的としたものですが……少し増えすぎてしまいまして」

「華穂。それでは余り物を余の秘書にやると言っているようなものだぞ」

「私に馬を?」

 七海が驚いて聞き返す。

「そうだ。そのタイツも騎乗用のものなんだ」

「な、なぜ私が騎乗するのですか?」

「司令部に迎え入れるためだ」

 じっと赤い目を見つめる。

「軍属としてではない。本来的には急な政務が舞い込んだ場合、その対応に当たってもらうためだ。また、親征の目的からして、外相は近くにいた方がいい。そのために司令部にいて欲しいのだが、特別に入れる証として、騎乗して欲しいんだ。士官以上は皆、馬に乗れる階級だからな」

「……電子レーダーは魅力的でしたか?」

「何の話かな?」

 大王の性格からして使えるものは使いたいというのが本音なのではないかと疑ってみたら、案の定の反応である。彼は軍部や保守派を押さえ込むのにも、様々なことを口実にしたり利用したりした。いい加減、秘書には中身が見えてきていた。


「実は候補が二頭ありまして――」

 それから華穂は七海をまず一頭目の黒馬の前に連れて行く。

「こちらがメアリです。小柄な雌馬ですが、閣下の身長ですと適当だと思います」

「なるほど。もう一頭はどちらですか?」

 問うとすぐ隣に案内される。

「チャールズになります。牡馬でメアリより度胸がありますが、背が高いので少し乗りづらいかと思います。彼の方が安定性では優れていますけど、あくまで後方で乗るだけならメアリでも十分かと思います」

 七海は少し距離を取って板一枚隔てて隣り合う二頭を見比べる。

 メアリは地面から肩までの体高がおよそ一五〇センチ。一方、チャールズは一六〇センチにせまる体高であり、肩までの高さで七海がちょうど収まりきるような大きさだ。これに乗るには、相当な苦労を要するだろう。

 ところが、七海はチャールズの前へと歩み出た。

「この子にします」

 騎士長が目を丸くする。

「お勧めしながら申し訳ないのですが、本当によろしいのですか?」

「はい。乗るのは鷗にでも手伝ってもらえば大丈夫でしょう」

「公爵の身長が低いだろう……」

 思わず大王がつっこむと、うっと唸る。

「し、しかし、何とか乗りさえすれば、こちらの方がよいです」

「たしかに安定性は高いですけれど……」

「いえ、そうではないのです。少し考えがありまして」

 騎士会の二人に首を傾げられる。と、困った顔でこう返した。

「何とは言いませんが、稲妻は天高くから落ちるのです」

 電子レーダーは、電波の跳ね返りによって周囲を把握する。そのため、途中に遮蔽物があると遠くを調べる前に走査線が返ってきてしまうのである。つまり、谷底より山頂で威力を発揮するのだ。

 大王の真意を察してほのめかすと、全員、得心いったように静かに口角をあげて頷きあう。

「分かった。なら、それでよかろう」

 大王がついにそう口にすると、華穂はチャールズの縄を解いてやり、早速七海を上に乗せ鞍の調節などに取り掛かる。

 真仁がそれを少し離れたところで見ていると、はるか上空で鳥の鳴き声が鋭く響き渡った。

 大王は、はと目を青空へとこらす。すると、一羽の鳥が真上から急降下してきていた。あまりに真っ直ぐ落ちてくるので一歩左にずれると、鳥は慌てたように羽をばさばささせて速度を落とし、彼の肩に軟着陸した。

「申し上げます、陛下」

 そのままの姿で鳥が、もとい、空が報告する。

「西部元帥隷下の沙織派の一個軍団が、赤宝山地西部、宝山(たからやま)(おか)頂上の採掘場を占領中。宝山市の機動部隊を中心に付近の街から迎撃部隊が集結しています」

「やはり来たか。すぐ司令部へ行く。大元帥の二人にも、状況報告と合わせて司令部に来るよう伝えてくれ」

 御意、とうなると、耳元で翼を騒々しく鳴らして空へ飛び上がっていく。大王はチャールズの脇で話し込んでいる二人に挨拶だけすると、早足で街の中心部にある西部氷野伯邸を目指した。




 と言っても、休養中の機動軍団が動くことはなく、敵の予想を裏切って力も備えもした山中の友軍にそのまま対応するよう追って命令を発しただけで、すぐに散会となった。

 ところが、午後になって一本の急報が陸軍連絡情報科経由でもたらされると、再び司令部に招集がかけられ、休養をあと八時間ほど残しながら親征軍は汽車による移動を開始した。


 互角の戦力であった味方部隊が壊滅したのである。不幸なことに異常気象の餌食となって。


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