第四話 伯爵領市の救出
「……ということがあったのだ。対沙織派戦争の最中に、君主である我々にも臣民にも逆らう発言を、他の者がいる前で行い、挙げ句の果て撤回を拒むなど、陛下の近くに置くにはあまりに危険な人物だ」
翌朝、春瀬は朝食後に大王の部屋を訪ねると、宣告したとおり昨晩の信じ難い言行を事細かに知らせ、鋭く警鐘を鳴らした。白肩章、白帯に四つずつ赤いハートが並ぶ一対の総帥位胸章と八つの銀ボタンが輝く赤詰襟に、白ズボン、黒の軍靴と軍服を着込む真仁は、背もたれに身をゆだね、閉じられたノートとペンを前に黙って話を聞いていたが、終わったことに気が付くと、椅子をぎしりと言わせて背筋を正す。
「だからと言って、お前に余の周囲の人事権をやる気はないがな」
一言目に皮肉を言われて面食らう。
「へ、陛下。私は冗談で言っているわけではないぞ」
「僕もだ、春瀬」
真剣に言い返され、青い目が見開かれる。
「危険だから何だと言うんだ? それは暗に余の秘書を解任しろと迫っているのか?」
「そ、そのようなつもりは……」
「――そうか。だが、仮になくとも、少なくともそう聞こえるのだ。もし誤解されたくないのなら、言葉を激情に預けるな。言葉はロゴス、すなわち、理性なんだから」
黒の瞳がちらと見上げてくる。その視線一つで春瀬は完全に沈黙した。
「まあ、注意はこれくらいにして――そうだな。お前の指摘にこたえておこう」
そう言うと、膝の上で両手を組む。
「内心で何を思っていようが、正直どうでもいいと思っている。政府の方針や民意に沿わないことでも構わない。しかし、他人に対しそれを表明することに関しては、無神経でいてもらっては困る。あくまで表では、公を意識しなければならない。表だけで良いから……」
「良いのか、それで?」
「仕事をしてくれれば文句はない。第一回会談前にお前を北条派にやった時もそうだっただろう? 愛国軍事主義思想を持っていることを承知で、しかし忠誠ゆえに仕事は果たすと考え責任者として派遣した。まあ、もちろん立ち居振る舞いも含めて大きな意味で職責となる。基本的にお芭瀬は本当によくやってくれているが、今回だけは口頭で忠告だな。お前の言うように公人としての意識が欠けていたと言わざるを得ん。しかし――沙織、か……」
秘書に良く似た優しい“姉”を思い出す。
――昔は優しかったのだが、権力や地位は、それらへの渇望は、人をここまで変えてしまうのか……。
大王として絶対に口外できない思いを抱えつつ嘆息する。と、開け放った真仁の背後の窓の向こうから、鋭い鳥の鳴き声が聞こえてきた。ふと座ったまま目線を外に移す。
「さながら警笛だな」
「汽車の警笛の方がよほどうるさかったぞ」
ほとんど移動の一日だった昨日を思い出し、春瀬が眉をしかめる。それを横目に見て苦笑いすると、再び窓の外を見る。
雲を幾つか流す青空の黒い点が、次第に大きくなってくる。ぴー! っとやはり機関車のようにけたたましく鳴きながら、まっすぐこの窓を目指して――。風を切り息せき切って飛んで来て、黒点はやがてツバメになりそのまま部屋へ飛び込んできた。そして、淡く発光したかと思うと、床に黒くて光沢のある特殊スーツを着た美少女がひざまずいていた。
「伊保間空、ただいま戻りました」
栗色のおかっぱを揺らし、緑の瞳が大王を見上げる。が、真仁は一瞬、汗ばんだスーツをどうしようもなく押し上げる大きな胸に気をとられ、反応が遅れる。
「あ、ああ。お帰り」
「相変わらず助平ですね」
目を細めて毒を吐かれると、慌てた様子で両手を振る。
「いやそうじゃない。そうじゃないさ。そんなことはない」
じとと睨まれ固まるが、ふっと息をつかれると、肩をおろす。
「申し上げます。西進する敵主力は伯爵領市東の防衛線を突破し、すでに同雲石市の包囲に取り掛かっております」
「何? 防衛線を突破だと?」
春瀬が眉をひそめる。
「敵は雲石市の東側を守る北山田・東岩防衛線の部隊を撃破した模様です」
「夜襲か……」
春瀬が朝の空を睨んで呟く。真仁も苦しそうに顔を歪めるが、君主の務めとして次の言葉を搾り出す。
「しかし、敵は本当に我々がいるとは思っていないようだな」
「普通いるとは思えない。わざわざ偵察しようとも考えないだろう」
「ならばそれが好機というわけだ」
痛む心を押し殺し、せめてもの思考を進める。それに春瀬が一つ頷く。
「第二機動軍団は直ちに出撃準備。まずはSL-FVで東岩市を目指す。そこから敵、雲石市包囲部隊を逆包囲する!」
「余は伊達大王国一五四代大父大王真仁である! 諸君らはよく戦った。だが、我々は現在、見たとおり完全に包囲している。これ以上の抵抗は無意味だ。即時、停戦し王国領から撤退せよ! 帰路の安全は保障する!」
数時間後、黄天軍側の逆包囲に見事成功し、真仁は敵前に出てこう張り叫んだ。黒馬に乗った敵指揮官が、白馬の上で赤いマントをひるがえす大王を恐ろしげに睨んでいる。
彼にしてみれば実に不可解なことが起こったのだ。今頃は本州の半ばを行軍しているはずの敵援軍が、すでに島の端っこの、自分たちの目の前に現れたのだ。例のごとく鷗を名乗る顔だけ女公爵から撤兵を呼びかけられても鼻で笑っていたのは、その援軍が自分を追い詰められるほどの位置にいるはずがないと知っていたためだった。しかし、当ては外れた。それもそのはず。彼は地下を走る蒸気機関車など知らないのだ。
真仁は馬を少し走らせ、反応をうかがう。黄色に染まった兵士らの目には、しかし、いまだ鋭い光が容易に見て取れた。
――士気が高いのはいいことだが、この挟撃と逆包囲の状態でどう勝とうと言うのだろうか……?
合理的な嘆きを抱き、仕方なく続けて言葉を放つ。
「三時間待とう! 時間になったら回答してもらう」
指揮官らを見定めて叫ぶと、手綱をきって一列に並んだ野戦砲の間を抜け司令部へと戻っていく。
「こんなもので大丈夫だろうか?」
心配そうに尋ねると、白帯に二つずつ赤いハートをいただく大元帥位胸章を盛り上がらせつつ、春瀬や結衣が一度首肯した。
「問題ない」
「さすが演説はお手の物ね~。達者だわ~」
「嬉しくない褒め方だ。しかも結果はまだ出ていない」
「うふふ~」
悪気があるのかないのか分からない微笑だ。
「しばらくここを二人に預ける。と言っても十分程度だろうが」
「どうしたのだ?」
春瀬が問い返す。と、真仁は馬を下りながら短く返した。
「今朝の件だ」
すると春瀬は納得したように頷いた。
下馬した真仁は縦にかぶっていた白羽根つきの二角帽を取り、それを小脇に挟む。
「お芭瀬? どこにいる?」
秘書の名を呼ぶと、リョーシェンカら大王近侍のものが乗る貨物馬車から、はい、陛下と返事が聞こえてくる。
「少し話があるから出て来てくれ」
言うと、前面の白いほろをまくし上げ、相変わらず絹のように輝く白髪が少しジャンプして降りてくる。服装は普段どおりの赤い秘書制服であり、少し動きづらそうだ。
「こっちだ」
手招きし若干の茂みの中へと入って行った。
「今朝、春瀬から苦言を呈された。昨晩に共同の大浴場で、公的な立場をわきまえず、不用意な発言をしていたとな」
七海は自然と顔を強張らせる。優しいが合理を重んじる真面目な大王の側で、叱り飛ばされる要人たちを幾度か見てきたならば、当然の反応だろう。ひとつ回答を誤れば、生い茂る草木ごと灰にされかねない。生唾をごくりと飲み込む。
しかし、真仁は苦笑いして首を横に振った。
「別に燃やしたりしないよ。今日はただの忠告だ」
それでも青ざめたままのお芭瀬を気遣ってか、咳払いすると珍しく婉曲的に話し始める。
「別に今更、亡命申請書を市役所へ提出して、帝国籍を捨てて伊達派に戸籍を登録しろとは言わない。返還を望んでいる周陛下を下手に刺激したくないし、何よりお前が望まないなら強制はできない。他にも個人の範囲内では、自身の信条に従ってくれていっこうに構わない。だが、伊達派の政府閣僚として、また、余の秘書としては伊達派の人間として振舞ってくれないと困る。お前なしには、パンゲアはうまくいかんのだから」
「私なしには……ですか」
「誰が外務庁を作り、外務省を率いているんだ。そして、誰の根回しと指示のおかげで、会談が実現したんだ。すべてお前の功績あってこそだ、お芭瀬」
「いえ、押しかけた私などを登用し、才能を引き出してくださった陛下のご慧眼の賜物です」
そう言って深々と腰を一度折る。
「言うな。とにかく、余はお前の仕事ぶりを気に入っているし、感謝もしている。だからこそ、不用意な言動は避けて欲しいんだ。政治家にとって命取りになるからな」
うな垂れ詫びる。
「軽率な行動でした。以後、気を付けます」
「うむ。まあ、行動力は評価しているから、それを殺さない程度に思慮を働かせてくれ。――以上だ」
七海は再び深くお辞儀すると、先に茂みを出て行く大王の背中に着いていった。
「もう決断なさいな、元帥。閣下の領域で友軍の虐殺が始まりますのよ?」
ころころと声が聞こえてくる。念話能力者を仲介するこの世界での電話のような交信だが、目の前に見かけはかわいらしい逆賊がいるかのようだ。西部地方元帥馬主美樹は苛立ちながら言い返す。
「黄帝陛下にたて突く部隊を友軍と思ったことは一度もないよ。そうでなくても、あたしの支配領域に軍靴で踏み込んだんだ! それだけで十分敵だよ!」
北条派は単純な専制国家ではなく連邦帝政国であり、黄帝の唯一の直接支配域である中央地方に加え北海島地方、北東地方、北西地方、北陸地方、近西地方、中西地方、そして西部地方と総計八つの邦が帝権の下に集合して国家を形成している。黄帝直轄の中央地方以外では七人の地方元帥が各々ある程度自立して自領域の支配を行い、彼らが黄帝に忠誠を誓うことで、間接的な中央の支配権が列島全域で成立するのだ。この制度下、各邦の独立性は非常に強く、相互の干渉は即“小さな国家間戦争”に発展する。
伊達派の地方自治は、大王の内政主権を代行する地方伯によって行われる中央集権的なものであるため、この北条派の地方分権的な連邦制とは正反対だ。中央集権に関して北条派は二代白海帝の悪夢が、伊達派は八代山上大王の栄光が歴史に刻まれているが故の違いである。このシステムは北条派からの亡命者が理解に苦しむ代表的な部分と言われているが、それでは伊達派に囚われていた姫も等しいのではないか? 不適に笑むと元帥は“息する電話機”に話しかける。
「おっと、こちらに来て日の浅い殿下には分かりづらかったですかね。北条派は連邦帝政ですから。というか、そんなことも分かんないのに、この国を支配できるんですかあ?」
「口を慎みなさい、元帥。雷というのは案外遠くにでも落とせるものなのでしてよ?」
「ふーん。建物の中にいる人にどうやって落雷させるのか、興味あるなあ、あたし」
「元帥閣下。わたしは真剣に言っているのですわよ?」
「取り合わないよ。あたしが忠義を誓ったのは、七海殿下と周陛下だけ。このお二人以外の言葉なんか、ぜったい聞かないから」
やんわりした援軍出撃の要請を断固拒否する。
「物分りの悪い方ですこと。周なんかに尽くしていても、やがて軍は解体され、元帥は失職するだけですのよ? それとも最年少の元帥からありきたりな浮浪者になるのをお望み?」
「あんたカッコわりいよ。最低に弱え。人を説得させるのに他人の悪口言うなよ。自分の信念と言葉だけで納得させてみろよ! あたし、あんたみたいな弱いやつが一番きらいだね」
緊迫した沈黙が落ちる。
「分かりましたわ……」
声の温度が一気に下がる。
「それなら、わたしの正義を実行させてもらいますわ。“強ければ”従うのでしょう?」
「ああ。それが北条派の流儀だ」
「そうですか。それでは元帥?」
唐突に言葉を切られ瞬く。
「覚悟なさい」
殺すように吐き掛けた後、交信が終わったと告げられる。だが、馬主は体が強張り、しばらく何も返すことが出来なかった。




