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第五話 異例の陛下議会御演説

 二月の親政開始から一年以上、若き大王はパンゲア政策、特にその第一の課題である平和条約締結への臣民の理解を請うて回った。北条七海姫も精力的にそれを助けた。春先に大王の秘書が登山中の事故で急死したのを受け、大王は彼女を後継として抜擢したのだ。

 当初は側近らから反発が相次いだが、先代の秘書が難航していた外務庁設立の事業を、見事な調整力を発揮してわずか一ヶ月でやり遂げてしまったのだ。あまりの早さに大王も腰を抜かしたが、結果としてはこの才色兼備な秘書をとことん気に入り、幾つかの改革を前倒しにして彼女に協力させている。こうも有能で、かつ、大王から気に入られているとなれば、周りはもはや何も言うことは出来ない。それに七海個人も、時に無神経な発言をすること以外は、基本的に教養深く、社交的で人から好かれる性格であった。


 平和条約締結への理解は、一年近くの努力の結果、市民を中心に浸透してきている。

 だが、春瀬が以前に指摘していたように感情面での解消は一部では難しく、こと失業問題も同時に抱えた軍部は、徹底抗戦の構えを見せていた。

 さて、その軍部であるが、これが非常に問題なのだ。

 数千年間、戦争を続けているだけあって、その規模は果てしないものがある。


 伊達大王国の総人口はおよそ五千万。その内、軍部の関係者は、合計で一千万人を超えている。つまり、人口の二割以上が軍部関係者なのだ。



 したがって、大王国議会の議員選挙においては、最大の組織票となっている。



 結果としてこの春、政界は奇妙な事態に陥った。


 世論調査において、臣民の七割以上が平和条約締結を含むパンゲア政策を推進すべきとこたえたにも関わらず、議会は反パンゲア一色に染まったのだ。ここで賛成しては、次の選挙で軍部の組織票を逃すことになると……。




「そうは言いましても、政府は半々ですが……」

 民意と議会の主張のズレについて、さんざん議員らを批判的に述べていた大王の話が終わると、秘書の七海がぼそりと漏らす。

 一瞬、真仁の黒い眉がひくりとする。

「確かにな。財務省などは推進賛成だが、軍事省、同省と繋がりの深い資源開発管理省――」

「それに、大母殿下の内務省ですね」

「分かっているっ」

 むっとして声を荒げる。それから深呼吸すると、壁にかかった時計を見つめる。現在、お昼の一時四十五分だ。

「演説は二時からでしたね?」

 秘書にうむとうなずく。

「議会開会と同時だ」


 大王と議会の対立は、予算審議の中で顕在化していた。

 真仁は軍事予算を昨年度比で一割近く減らし、外務庁予算という項目を新たに作って、議会の承認を求めたが、なんと王国議会はこれを反対多数で否決したのだ。軍事予算を例年通りの額にすることと、外務庁予算枠をなくすことを決議し、大王に予算案の大幅な修正を迫ったのだ。

 が、臣民からは圧倒的な支持を得ているのを背景に、大王はこのパンゲア予算案に固執した。軍事予算を若干増額して譲歩する姿勢を見せたのだが、これも否決され、以後も全ての政府予算案が否定され続けた。


 しかし、予算審議には刻限がある。

 その一つは、三月末日。四月の新年度開始前だ。


 ふくらみ始めた桜のつぼみが、大王を焦らせた。




 議事堂全体に甲高いベルの音が鳴り響く。

「開会か」

 豪奢な椅子を引いて立ち上がると、お芭瀬が後ろの壁から赤いマントを取って、黒スーツの上から足元まですっぽりと羽織らせる。大王は一つ嘆息する。

「議会を何とか説得せねば……」

「そうですね」

 それに頷き返すと、表情を一転させ前を力強く見据えて歩き出す。靴音を聞いて、外に立っていた二人の大王近衛兵が扉をさっと開ける。黒色の肩章を乗せた赤い詰襟制服には等間隔に黒ボタンが八つ並び、白い飾り縄が右肩からと、首の後ろ辺りから脇の下を経由して胸元まで連なっている。手には白手袋をはめ、下は黒革ブーツに黒いズボンを穿き、左腰に銀色のサーベルの柄を下げて帯刀している。大王近衛の名に恥じぬ威風堂々とした佇まいだ。

 真仁が議場へ真っ直ぐ続く短い赤絨毯の廊下を胸を張って歩き出す。その左後ろには、近衛兵の一人が、右後ろには、秘書のお芭瀬が着いて行く。その様子を確認して、廊下の反対端にいるもう一対の近衛兵が、議場への扉を引き開けた。

 定数三百の議会には、三百の議員が欠けることなくいた。全員が起立し、偉大なる君主を分厚い拍手で迎え入れる。大王は演壇の上に設置された玉座が置かれたボックスに姿を現すと、一番前まで寄って礼をする。途端、議員らは手を止めて、腰を九十度の角度に曲げて最敬礼をした。

 適当なところで大王が面を上げる。

「よい」

 もう良い、という意味だろうが、省略が激しい。一部の若い議員は少し戸惑いながら空気を読んで顔を上げる。それから、大王は両手を肩の位置に掲げ、平の方を見せてゆっくり二度座るようジェスチャーしてから下ろす。即座に三百人は反応し、少々の自然な騒々しさを伴って着席した。

 シャンデリアのロウソクが額を濡らす。真仁は静かに鼻から息を吸い込むと、大き過ぎる声で始めた。

「諸君、君たちに愛すべき者はいるか?」

 残響がわんわんと空気を揺らす。何人かの議員は驚いて、はっと大王の顔を凝視する。

「諸君、君たちに愛すべき家はあるか?」

 高く伸びる玉座の背もたれの影から、白髪の秘書がじっと君主の様子をうかがう。真仁はなお一層声を張る。

「余にはない!」

 王都陥落――十年前の史上最悪とも言われる悲劇を掘り起こす言葉が長い長い余波を作る。それが水を打ったような静けさとなった時、また口を開く。

「戦争が――そう戦争が、全てを奪っていったのだ! 善き両親も善き家も善き何もかもを!」

 畳み掛けたのを合図に、一転言葉がするすると流れ出てくる。

「戦争は、善き全てを奪う。敗戦すればもちろんだが、仮に勝っても同じことだ。そこに善きものはない! なぜなら、たとえ勝利しても、血の流れぬ戦いは一つとしてないからだ! 余は十年前、戦火に家族と家を焼かれるのを、この目で見た……。この目で、見た。あれは歴史の恥だが、しかし、あれが歴史の光であったとしても、余の心は、変わらずナイフで滅多切りにされたかのような激痛に張り裂けそうになったことだろう。何人とて同じはずである。国家の勝利など糞食らえ! そんなことよりも、肉親が死んだのだ! そう嘆き唾を吐く人を、責める気には到底なれない」

 国家全体の利益より臣民一人ひとりの生命と財産の保障の方が重要――民は宝と断言する大王の本心の炎に議場が静まり返る中、一呼吸入れて、今度は経済的観点から旧来の統一戦争政策への非難を展開する。

「戦争は、良き全てを奪う。敗戦すればもちろんだが、仮に勝っても同じことだ。そこに良きものはない! なぜなら、いかに強い軍隊でも、必ず負けて大きすぎる損害をこうむる日が来るからだ! 一時、束の間、領土と人口を獲得し税収を増加させても、翌年に負けてその地を失えば、その利益は流れた血によって赤く染め上げられてしまうのだ!! 事実、こういった際に最も軍事予算を圧迫する要因は、武器の開発や製造費用ではなく、戦死して消えた兵士の分を補う新兵の養育費用であることは周知の事実と思う。――戦争に、よいことも、よいものもない。戦争は、人と財布をしめるだけの悪魔だ……」

 語末が強大な怨嗟にどうしようもなく震える。恐れをなした議場全体が耳になって、大王の次の言葉を待つ。

 たっぷり空けてから、口を開く。

「統一戦争政策など、益なき毒だ。この蔓延を許し、臣民を危機にさらすことは、大王の職務を放棄していると言う他ない。父たる大王には、五千万の子供たちを、悪より遠ざけ、安定と繁栄という名の平和な山に導く義務がある!」

 そうだっと声が飛び、拍手が起こる。そして、すぐにそれが引くと、言葉を続ける。

「余は道を知っている。安定と繁栄を享受できる、はるか雲の上、天に近き山への道だ。その道は長く、時に苦しみを覚えるかもしれない。しかし、大地から噴き上げる業火に焼かれ、生きる者も死ぬ者も皆等しく火葬にされるこの地獄で永劫生きていく苦しみに比べれば、どんなに楽な苦労なことか! 疲れた時には、せいぜい、少しばかり立ち止まって足を押さえるだけで済むのだ。この地獄で立ち止まれば、転がってきた砲弾に薙ぎ倒され、その足が引き千切られ宙を舞うこともあると言うのに! どんな楽な苦労であることか! 余は道を知っている!」

 途中で意表を突いて言葉を区切り、六百の耳を完全に掌握して――

「その道の名は、幸福の大陸パンゲアの創造政策だ!」

 拍手喝采が湧き起こり、その歓声の嵐に向かって叫ぶ。

「パンゲア政策とは会議だ! 平和外交だ! 誰も死ななければ、法外な予算も必要ない。流血がなければ、赤字も重税もない。怒号は対話に、銃弾は文書に、悲鳴は喜びの歌になる! パンゲア政策こそ、我々に明るい前途を見せてくれるのだ。この希望に満ち溢れる会議外交が、臣民に不幸をもたらす戦争を終結させるのだ!! これからの時代は、戦争に代わり平和が、明るい明日を作るのだ! この理想的な安定と繁栄への道を行こうではないか! 五千万臣民で、いや、列島の一億能力者皆で手を携えて!!」

 盛大な拍手が起こり、大王は一旦軽く礼をする。それから、付け加えて強調する。

「この一億能力者の安定と繁栄は、一体誰がもたらすのか? 余か? 余一人か? 違う! その栄誉ある道の第一歩は、諸君ら三百人によって踏み出されるのだ! 諸君ら三百人こそが旧時代に決別を告げる勇者となり、諸君ら三百人こそが安定と繁栄の新時代を開く開拓者となるのだ! そして、諸君らの名は、列島全土に安定と繁栄をもたらす契機を作った始祖として、長く歴史に刻まれ、こう賞賛されることになるだろう。『平和万歳! 平和万歳! 平和の父君らに祝福を!! 平和万歳!!』」

 深々と頭を下げてお辞儀すると、割れんばかりの拍手が議場を揺らす。顔を上げ、しばらくその喝采を受けた後、ぱっと身を翻してドアへ向かう。

「大王陛下万歳! 我らの父に祝福あれ!」

 そんな掛け声が一つ、はためく赤いマントの先に投げかけられる。そして、廊下へと消えて行く大王の後に、無表情の近衛兵と秘書が続く頃には、喝采の音はすうっと引いていた。


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