第十話 シスコン大王?*
同日夜、宝山市陸軍駐屯地内に設置された将校用の酒場に、意外な人物が現れた。
「へ、陛下!」
入口際で飲んでいた下級下士官が慌てて立ち上がり敬礼する。他の者たちもわらわら立ち上がり敬礼する。
が、軍服だがマントを外した大王は、両手を下へ何度か振る。
「よい。従姉に会いに来ただけだ」
すると全体に空気が弛緩して、元通りリラックスした空間となる。
真仁は一人カウンター席へ向かう。すると、青いポニーテールの小柄な女性が椅子ごと振り向いた。
「ここにおるだがね」
茶色の瞳はくりっと愛らしく、淡いピンクの唇が微笑む。大王たちが近付いていくと、また方言で続ける。
「敬礼はいらんみゃ?」
「親族同士は会釈で十分だ」
笑って真仁がこたえると、お互い目を合わせてから一つ頷くように黙礼した。彼はポニーテールの真横の丸椅子に腰掛けた。
「久しぶりだぎゃあ」
「ああ、春以来だな」
「いや、ほうやなくて、二人きりで話すのが久しぶりちゅう意味」
悪戯っぽく微笑む。真仁はしみじみとした表情で首肯した。
「そうだったな。お従姉ちゃん、久しぶり」
国父がシスコンまるだしになっているこの女性は、他でもない、軍部との正面衝突を回避すべく今年春に懐柔をはかった大崎家の次女、真仁の従姉である大崎夏実だ。
現在二十歳であり、十五で成人を迎える伊達派としてはもう十分結婚適齢期で、春の真仁と大崎家の駆け引きの折には、大王妃候補の筆頭とされた。あの話はその後の混乱と会談の開始によって曖昧になってはいるが、未だ正式に効力を失ってはいない。現にカウンターの二人を見た他の高官たちは、それとなくこの男女の様子をうかがっている。
しかし、今晩の話はそんなロマンチックなものではないらしい。
「少し訊きたいことがあって来たのだ。今日のことでな」
周囲は一斉に聞き耳を立てるのをやめて、各々の会話に戻っていく。
「うん。何だみゃ?」
「例の……余の命を救ってくれた狙撃についてだ。あれは神業だった。余を撃つ寸前の狙撃手を見つけ出し、発砲ぎりぎりのところで仕留めるとは――お従姉ちゃんだろう? あの発見速度はそれ以外にない」
夏実は頬をかく。
「んまあ、見つけたのはわっちだけんど、撃ったのはちゃう人だがね。ああゆう精密なんは苦手だで……」
「ああ、そう言えばそうだったな。たしかに狙撃は好きじゃないと言っていたな……。では、一体誰が?」
「んとね、この子だねえ!」
そう言って自分の体を反らすと、向こう側に自信なさげに背を曲げる小柄な男子が現れた。
「わっちの副官、燕田隼次准尉だがね!」
突然、大王と正対することになり、夏実と同じような白肩章に、六つの黒ボタンが並ぶ赤い詰襟軍服に、緑のラインが右外側に一本だけ走る黒ズボンという格好の青年が飛び上がって敬礼する。
「お、お初にお目にかかります! 大崎夏実大尉の副官をつとめております、第七山岳猟兵中隊の燕田隼次准尉であります!」
柔らかそうなくしゃっとした黒髪が印象的で、薄茶色の瞳は仔犬のようにつぶら、全体に優しい、軍隊的には気弱な雰囲気だ。
「准尉が今日の狙撃をやってくれたのか?」
「は、はい、陛下」
「大儀であった。そなたは余の命の恩人だ。春瀬もきっと感謝しているだろう」
「あ、ありがとうございます!」
「褒美を使わそう。何か望みはあるか?」
言われると目をぐるぐる回す。
「あの、その、自分には、褒美など畏れ多くてっ」
「少しはこぴっとしろし!」
「お従姉ちゃん。度胸はどう渡せばいい?」
真仁が冗談めいて言うと、上官は苦笑いする。
「崖の上から突き飛ばせばいいがね」
「それじゃ虐待だろ」
はっはっはっと笑い、話を進める。
「何、冗談だ。度胸が足りぬわけがない。あの状況で狙撃を成功させたのだ。本当は心臓に毛が生えてるだろう。ここは無難に一階級昇進を認めよう。今からそなたは少尉だ」
「やったがね、つばっち! 初の昇進だぎゃあ!」
上官の夏実が大喜びして手を取るも、当の本人は有り余る喜びに気絶寸前といった様子だ。
その光景に背後では、幾人かの将兵が苛々した様子で酒を煽っていた。
「蜜月じゃねえか」
戦列歩兵の指揮官が囁く。
「大崎家とだろ?」
砲兵隊の将校が返す。
「とんでもねえ、うちらはな、大崎派は反対してんだ」
「じゃあ、なんだありゃ」
技術士官がグラスで指し示す。
「次女だけ勝手なんだよ」
キルトをはいた戦列歩兵指揮官は、ぐいとつまらなそうに杯をあけた。
「本当に平和条約なんて結ばれるのかねえ?」
山岳猟兵隊の制服が肩をすくめる。それに砲兵科がこたえた。
「どうだか? けどすぐにまた、こうして戦争が起こった。てことは、無理なんだろ」
「だが……」
衛生科の将校が眉間に皺を寄せる。
「誰も戦争なんて望んではないじゃないか。軍部の人間だって、戦争を嫌がってるだろ、本心では。再雇用策も出たのだから、そこまで意固地になることないと思うのだが」
「へっぽこ医者はだまってろ」
別の戦列歩兵の指揮官が小声でまくし立てる。
「オレラだって戦争は嫌さ。だがな、親を殺したあいつらを許すわけにはいかねえんだよ」
「それで我々の父母は慰められるのだろうか?」
「そもそも親が親の仇討ちをして、それを立派なことだと教えてくれたんだ。俺らがやって、どうして怒られるよ」
砲兵科が酒を仰いで口を挟んでくる。
「陛下はこの国を弱くするつもりか?」
別のテーブルで、軟弱な衛生科の男を見て嘆く声があがる。
「あの白髪のアマが、何か仕込んでんじゃねえのか?」
輜重隊の指揮官が袖で口を拭って言う。
「ああ、あの皇女か。庭造りが趣味の」
「そういや、親政開始以来べったりなんだよな、陛下とあの女」
「しかも、その女は王都を落とした世紀の大逆人の妹だ」
「そればかりか、その姉を擁護してるらしいじゃねえか」
「密通してんのか? 陛下が?」
「いや、あの女が怪しいと思うね、おれは」
「オレもそう思うな」
「だとしたら、乗せられる陛下も陛下だ」
けっと誰かが吐き捨てるように言うと、突然大王が立ち上がる。今まで密かに悪態をついていた将校らが畏まって起立した。
「いや構わんよ」
振り返って苦笑いする。
それからすぐに出て行くのかと思ったら、しばらくその場に立ち尽くし、酒場の将校らを眺め回している。うっかり腰を下ろしかけた士官が静かに気を付けの姿勢に戻る。
「諸君、随分と飲んでいるようだね」
バリトンの奇妙に優しげな声音に、背筋が凍る。
「酒とは良いものだな。全ての罪を負ってくれる」
それだけ言うと、堂々とその場を後にした。
出て行った直後、崩れ落ちるように将校らは席に着いた。
「……死ぬかと思った」
沈黙を破る連隊指揮官のその言葉に、一同心の中でうなずいた。




