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第七話 七海の疑問

 宝山丘を東に望む西石(にしいし)(だけ)の中腹。焦げ茶に濡れた木々の間から、ちらちらと赤い軍服が見え隠れしていた。

「とすると、突風は丘の頂上、ちょうどあの辺りから吹き降ろしてきた訳ですか」

 その赤軍服に守られるように囲まれながら、白肩章の青い詰襟軍服に白ズボンの工兵士官が、頭に包帯を巻いた現地歩兵部隊の指揮官に確認する。

「そうです。そしてその突風に煽られて、兵たちは将棋倒しになりました。歩兵の主力部隊は横隊で斜面を上がっている最中でしたので、特に被害が大きかったです」

 虚ろな目に涙が浮かんでくる。青軍服の男は指揮官を見つめ、黙って数度うなずいた。




 宝山丘における突然の大敗北。それは、まさに一陣の神風による悲劇であった。

 赤石鉱石採掘場の一部を含む丘陵の上を占領した黄天軍に対し、赤天地軍の部隊はほぼ互角の戦力でもって敵を包囲しつつ麓から攻め上がろうとしていた。攻勢の中核は四個重歩兵連隊およそ八千名。これに砲兵の猛烈な支援射撃が加わり、戦況は伊達派の有利に傾きつつあった。

 ところが、その時、突風が丘の頂上より駆け下って来て、三列横隊の密集隊形で前進していた歩兵部隊を真正面から襲ったのである。一列目が二列目に、二列目が三列目に折り重なって倒れ、八千人の戦列歩兵の中だけでも四千人強が負傷。内、三千を上回る人数が足の骨折など重症、または死亡して戦闘できない状態となった。

 すると今度はこれら酷い手負いの兵士や亡骸を後方に回収するため、一人につき数名の兵が必要となる。単純に数えれば、特に被害が大きかった主力歩兵隊だけで三千人超の収容者に対して六千名近くが動員される計算になる。予備の重歩兵連隊二個を救出の補助と敵攻撃にさいたとしても、戦力差は絶望的だ。しかも、被害は主力歩兵以外にも及んでおり、実際にはこれ以上の戦力低下であった。

 軍団を指揮する中将は冷静に頭の中でそろばんをはじくと、斜面でないにしても敵の被害も大きかろうという判断の下、攻撃命令を取り下げ、負傷・死亡者の収容を急がせた。

 だが、敵はこの予想を裏切り、少数の部隊で、撤退していく赤天地軍側に対し執拗な掃討戦を展開したのであった。これで特に歩兵部隊の被害はさらに深刻なものとなってしまった。




 ――そんなはずがありません。

 黒馬のチャールズに女性用の鞍をつけ、両足を左側に投げ出して座る七海は考える。周囲は警護の歩兵に守られ、馬の鼻先では地理に精通した工兵士官が当時の証言を聞きながら現場見聞を行っている。

 ――あの帝国軍が風を待つような真似をするはずが……。

 帝国人の直感に突き動かされながら、その客観的な証拠を掴むために七海もこの調査隊に自ら志願して同伴していた。最高総司令部にいなくて良いのかとも思うが、現在は、この実地調査に加え、第二機動軍団による敵補給部隊の殲滅作戦が進行中であり、外務大臣の出番はないという、こと春瀬の主張によってこの調査隊の監督を大王から任せられた。真仁は敵本拠近くまで行くと危険が伴うだろうから、警戒システムとして機能してもらおうとでも考えたのだろうが、その思考を今回は七海が逆に利用していた。


「ああ、斜面全体にかけて木が倒れてますねー。それも全部下向きにだ」

 工兵士官が対面の宝山丘を見て顎をさする。

「これは確かに頂上から一方向に風が吹き降ろしましたな。揃いもそろってこの木の倒れ方では、そうに違いない」

 斜面に生い茂っていたのであろう木々は全て麓の方向へ吹き飛ばされていた。中には派手に途中から折れて生白い中身が曇天に刃を立てているものや、根こそぎ倒れ込み濡れそぼっているものもある。緑の葉は全て吹き飛び、まるで屋根のように丘を染め上げていた。

 工兵は手負いの指揮官の方を振り返り尋ねる。

「当時の天気はどうでしたか」

 朦朧とした記憶から形になるものを探し出そうと、眉根をきつく寄せる。

「……たしか、雲が出ていたと思います」

「雲ですか。どんな雲ですか?」

「大きな黒い雲でした。分厚い……そう、とにかく不気味なものでした」

 不明瞭なこたえに今度は工兵が眉を寄せる。

「雨は降っていたんですか?」

「いえ、その時はまだ……ただ撤退を始めて、敵の掃討戦が始まった頃に急に――雨が」

「ああ、思い出しましたよ。その日、この辺りは雷雨が通過していたはずです」

 工兵の言葉に指揮官がうなずく。

「そう言えば、雷の音を聞きました。あれは砲声じゃなかったんですね」

「これで問題は解決です」

 明るい顔で青軍服の士官が手もみする。

「ほ、本当ですか?」

 部隊指揮官が期待に満ちた表情を向けると、ウィンクしてみせる。

「ええ、ばっちり解明できました。天気をよく見て、日を慎重に選べば確実に突風は回避可能です」

 意気揚々と帰ろうとする工兵士官に七海は慌てて声を掛ける。

「どのような結論ですか?」

 すると、ちらと見やって、馬に乗りながら述べる。

「簡単ですよ、御名代。ダウンバーストです。雷雲などがあると起こり易いとされる猛烈な下降気流です。地表到達後は同心円状に風が進みますから、あのように木が一様に倒れるのです」

 七海はしばらく正面の丘を眺めてから、やがて、そうですか、と呟く。

「何か異議がおありですか?」

 突然強く言われ、驚いて工兵士官の顔を見る。

「陛下の御名代の御意見を尊重しないわけには参りませぬ故」

 どこか馬鹿にしたような顔で仰々しく腰を折られる。部隊指揮官は信じ難い様子で工兵士官の背中を見つめるが、周囲を警護する歩兵の一部からもせせら笑いが聞こえてくる。

「私への侮辱なら甘んじて受けましょう。戦時において、いわれのある身ですから、誤解がありますのも現実的に致し方ありません。しかし、今のあなたの無礼な態度は陛下の名誉を毀損するものです。それを見逃すわけにはいきません」

「いかなる証拠をもって私を訴えるつもりですかな? 皇女殿下は公平な司法というものをご存じないようで」

 今度ははっきりと歩兵たちの間で笑い声があがる。

 その時、七海は真仁の置かれた厳しい立場を理解せざるを得なかった。何しろこの士官は、七海を嘲笑しつつ、大王を侮辱したことを一切否定しなかったのだ。


 ――親征の決断は、全く正しいものでした。このような造反分子を野放しにして戦功を上げさせれば、直ちに政変へと発展するでしょう。


 あまりの衝撃に何も言えずただ目を逸らすと、手綱を引きチャールズを街の方へと向けさせる。

 一団は無言のまま揃って麓まで降り、街道へと繋がる細い道を行く。最後尾をのろのろ着いて行きながら、七海はもう一度丘の斜面を振り仰いだ。採掘施設を頂点にいだたく宝山丘は灰色の空の下、不気味に大地に鎮座している。遠めにそれを眺めていると、ふと額の奥に何かがこつんと当たった。

 ――おかしいですね。何かが不自然です。

 馬を戻してもっとよく観察しようとするも、今度は額の表に冷たい雨粒を感じて、急いで引き返した。





「今日の作戦で丘を占領する敵もある程度圧迫されるだろう。素直に撤兵に応じてくれることを願うばかりだ」

 同日夜。宝山市の師団司令部に付属する軍高官用の宿泊室に入り、帽子を片手に軍服を着た真仁は言った。

「ある程度などと言うものではない。補給部隊の殲滅は相当な痛手となるはずだ」

 先に来ていたやはり制服姿の春瀬が紅茶を淹れながら訂正すると、同じく軍服の参謀がその後ろに立ったまま困ったように微笑む。

「降参するかはまだ分からないけれど~」

「……しないだろうか?」

 大王が不安げに問うと別の方向からこたえがある。

「敵の戦意はむしろ高まっている模様です」

 その声に三人の目線が吸い寄せられる。発言の主は、雨が降り続く夜闇から目を離し、明るい室内に向き直る。

「鷗に敵の内情を探らせました。彼らに負けを認める気はないようです。外務省として最善は尽くしますが、多少の交戦は想定せざるを得ないかもしれません」

「余程勝つ自身がるのね~」

「そのようです」

 銀箔を施した真っ赤なスカートの裾が揺れる。

 部屋の入口に立ち止まったままだった真仁は数歩左奥に、窓際の七海に歩み寄る。

「あちらは突風の、ダウンバーストの被害を受けなかったのか?」

「いえ、多少は出ているようです。しかし、より本格的に被害を受けたのは、赤天地軍の方です」

「布陣の問題ね~。斜面がより転がりやすいのは当然よ~」

「いずれにしろ原因は明確になったのだ。晴れた日を選んで出撃すれば良いことだ」

 真仁の紅茶にミルクを注ぎながら春瀬が言うと、大王はそれに首肯して彼女の右に置かれたソファに腰掛けた。一メートルを超える仁王(におう)(とう)がソファの外側を騒々しくこする。

「本当に気象現象ならの話ですが……」

「何か言ったか?」

 背もたれ越しに、青い目が七海を険しく睨みつける。が、真仁がすかさず小声でさとす。

「春瀬。お前は誰を睨んでいる? あれは余の秘書だぞ?」

「だが、敵国の皇女だ」

「今我々が戦っているのは、北条派ではない。沙織派だ。連邦帝国内の反黄帝派だ。そこを忘れるな」

「陛下は本当に信用できるのか? あの女が。その沙織殿下を擁護する妹だぞ? 戦争が始まってから、私は心配で仕方がない」

「信用してなければ外務相など任せるものか。お前は少し冷静さを欠いている」

 呆れたようにため息をつくと、斜め後ろから、うふふ~と声が降ってくる。

「殿下がそれじゃあ、その下の将兵たちはどの位不審を覚えてるかしらね~」

 真仁は指摘に眉根を寄せる。ところが、

「馬鹿馬鹿しい」

 そう吐き捨て、紅茶を一口すすった。




 七海は自身の不用意な発言を心底後悔しつつ、思考する。

 ――しかし、あの突風は本当に自然現象だったのでしょうか?

 皇女の勘で能力によるものだと考え、実地調査に赴いたものの何も得られるものはなかった。鷗に外交上の偵察という名目で敵部隊の様子を探らせつつ、これが可能な能力者がいないか調べさせているものの、彼女の能力では受動的な探索に留まらざるを得ず、未だ目処はついていない。

 ――何かうまいものがないでしょうか。

 思い悩んでいると、不意に正面の窓をこつこつ叩く音がする。いつの間にか下がっていた視線を慌ててあげると、

「いひゃーーーっ!!」

 奇妙な叫び声とともに大きく後ろ向きに転倒した。

「どうしっおっとッ!」

 心底驚いた真仁が体を跳ね上げ紅茶を自分の手に引っ掛け、春瀬の怒声が部屋に響く。結衣も目を丸くして床に倒れこむ外相を食い入るように見る。

「ま、窓に、ひ、人の顔がっ、浮いてっ!!」

 春瀬が仕方なく席を立ち同じ窓を覗きこむ。一同が恐る恐るその様子をうかがっていると、彼女はいきなり鍵をはずして開け放した。

「陸! そこで何をやっている! 伊保間隊は全員自室待機を命じていたはずだ!」

 すると、闇の向こうから若い男の声がする。

「あー、ごめーん。ちょっと散歩にいってたんだよねー」

「命令は自室待機だ!」

「まあまあ、母さん。お土産持ってきたからさー、許してよー」

「何?」

 舐めくさった声に、一転真剣な眼差しを向ける。と、屋外からとんでもない言葉が飛び込んできた。

「森でさー、死体拾ったー」

「捨てて来い!」

「落ち着け、春瀬。捨ててどうする。葬ってやれ」

 もはや錯乱した殿下に真仁はすかさず突っ込む。

 春瀬がため息をついて外に出て行く。

「陛下……」

 着衣を整えた秘書が呼ぶ。大王が振り返る。

「一つ、ご相談が……」



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