第三話 伯爵領市の救出
「……ということがあったのだ。対沙織派戦争の最中に、君主である我々にも臣民にも逆らう発言を、他の者がいる前で行い、挙げ句の果て撤回を拒むなど、陛下の近くに置くにはあまりに危険な人物だ」
翌朝、春瀬は朝食後に大王の部屋を訪ねると、宣告したとおり昨晩の信じ難い言行を事細かに知らせ、鋭く警鐘を鳴らした。白肩章、白帯に四つずつ赤いハートが並ぶ一対の総帥位胸章と八つの銀ボタンが輝く赤詰襟に、白ズボン、黒の軍靴と軍服を着込む真仁は、背もたれに身をゆだね、周辺の地図を前に黙って話を聞いていたが、終わったことに気が付くと、椅子をぎしりと言わせて背筋を正す。
「だからと言って、お前に余の周囲の人事権をやる気はないがな」
一言目に皮肉を言われて面食らう。
「へ、陛下。私は冗談で言っているわけではないぞ」
「僕もだ、春瀬」
真剣に言い返され、青い目が見開かれる。
「危険だから何だと言うんだ? それは暗に余の秘書を解任しろと迫っているのか?」
「そ、そのようなつもりは……」
「――そうか。だが、仮になくとも、少なくともそう聞こえるのだ。もし誤解されたくないのなら、言葉を激情に預けるな。言葉はロゴス、すなわち、理性なんだから」
黒の瞳がちらと見上げてくる。その視線一つで春瀬は完全に沈黙した。
「まあ、注意はこれくらいにして――そうだな。お前の指摘にこたえておこう」
そう言うと、膝の上で両手を組む。
「内心で何を思っていようが、正直どうでもいいと思っている。政府の方針や民意に沿わないことでも構わない。しかし、他人に対しそれを表明することに関しては、無神経でいてもらっては困る。あくまで表では、公を意識しなければならない。表だけで良いから……」
「良いのか、それで?」
「仕事をしてくれれば文句はない。第一回会談前にお前を北条派にやった時もそうだっただろう? 愛国軍事主義思想を持っていることを承知で、しかし忠誠ゆえに仕事は果たすと考え責任者として派遣した。まあ、もちろん立ち居振る舞いも含めて大きな意味で職責となる。基本的に七海は本当によくやってくれているが、今回だけは口頭で忠告だな。お前の言うように公人としての意識が欠けていたと言わざるを得ん」
そうか……と春瀬は押し黙る。
真仁は想像以上に深い分断を思い、内心でため息をついた。
とその時、開け放った真仁の背後の窓の向こうから、鋭い鳥の鳴き声が聞こえてきた。ふと座ったまま目線を外に移す。
「さながら警笛だな」
「汽車の警笛の方がよほどうるさかったぞ」
ほとんど移動の一日だった昨日を思い出し、春瀬が眉をしかめる。それを横目に見て苦笑いすると、再び窓の外を見る。
雲を幾つか流す青空の黒い点が、次第に大きくなってくる。ぴー! っとやはり機関車のようにけたたましく鳴きながら、まっすぐこの窓を目指して――。風を切り息せき切って飛んで来て、黒点はやがてツバメになりそのまま部屋へ飛び込んできた。そして、淡く発光したかと思うと、床に黒くて光沢のある特殊スーツを着た美少女がひざまずいていた。
「伊保間空、ただいま戻りました」
栗色のおかっぱを揺らし、緑の瞳が大王を見上げる。が、真仁は一瞬、汗ばんだスーツをどうしようもなく押し上げる大きな胸に気をとられ、反応が遅れる。
「あ、ああ。お帰り」
「相変わらず助平ですね」
目を細めて毒を吐かれると、慌てた様子で両手を振る。
「いやそうじゃない。そうじゃないさ。そんなことはない」
じとと睨まれ固まるが、ふっと息をつかれると、肩をおろす。
「申し上げます。西進する敵主力は伯爵領市東の防衛線を突破し、すでに同雲石市の包囲に取り掛かっております」
「何? 防衛線を突破だと?」
春瀬が眉をひそめる。
「敵は雲石市の東側を守る北山田・東岩防衛線の部隊を撃破した模様です」
「夜襲か……」
春瀬が朝の空を睨んで呟く。真仁も苦しそうに顔を歪めるが、君主の務めとして次の言葉を搾り出す。
「しかし、敵は本当に我々がいるとは思っていないようだな」
「普通いるとは思えない。わざわざ偵察しようとも考えないだろう」
「ならばそれが好機というわけだ」
痛む心を押し殺し、せめてもの思考を進める。それに春瀬が一つ頷く。
「第二機動軍団は直ちに出撃準備。まずはSL-FVで東岩市を目指す。そこから敵、雲石市包囲部隊を逆包囲する!」




