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第三十三話 外相七海*

「今日はここまでにしましょう、真仁さん」

 六月十三日の午前、近衛騎兵隊本部に併設された剣術道場に響き渡っていた掛け声が止む。

「分かりました。ありがとうございます」

 質素な運動着を着た大王が頭を下げる。腰には大きな鞘がぶら下がり、刃渡り三尺、およそ九〇センチ以上にもなる真剣の柄が覗いている。

「本当に大きな刀よねえ」

 微笑んだ声が言う。

「いつもじゃないですか、仁実さん」

「それくらい凄いことなのよ。真仁さんは背も高いから、その長さでちょうど良いんですけど」

「背の高さですか。一応、歴代大王中、身長が一番高いらしいですよ。この前、中央大学門院の教授が言っていました」

「そうなのですか。それは刀も大きくなるはずです」

 真仁専用に拵えられた歴代最大の大王刀、仁王(におう)(とう)を見詰める。

「ちなみに、ついでにこう尋ねたら返答に窮していましたよ。『余の父は随分腹が出ていたが、あれも一番か?』と」

「真吾はかなり太っていましたからね。自分では世継ぎを作れないことへのストレスが原因で暴食してしまうと言い訳していましたけれど、あの子は小さい頃からよく食べていました。その割に外へは出ず、詩や歌に励んでいましたからね。私たちの父上は国でも家庭でも子供を殴りつける教育法で、使用人も困り果てていましたけど、真吾に外へ出ろと言ったのは唯一賛同できる説教でした」

「深山大王ですか。賛成するのもおぞましいですが、それに関しては認める他ないですね」

「ええ」

 そう返して妖艶に笑む。真仁に剣術を、それも、伊達家の能力を組み合わせた伊達流剣術を指南する彼女は、先々大王深山は長女、先大王真吾の姉にして、真仁大王の伯母に当たる。真吾大王時代、軍功への褒美として大王主治医リョーシェンカの父、ニコライ・セルゲイヴィチ・ラクスマンとの結婚を命じられ伊達家を離れたものの、現在、真仁以外でただ一人の伊達家血統、王家の血筋の継承者である。旧名、伊達仁実、今の名は、家臣に嫁いだ王家の女性の慣例に則り、伊達ノ仁実と言う。

 青髪を頭の上で簪で束ね、黒い目を細くして微笑む様は、人妻ながら実に妖艶だ。特に唇の右下に落とされたほくろなど、一体何人の男を魅了してきたのだろうか。王命に基づいた既婚女性だが。あと、運動着を押し上げる豊満な胸。真仁がしげしげと見詰める。

「そう言えば、真仁さん?」

 呼びかけられ慌てて目を合わせる。

「あの秘書の方は、今日は姿を見せないのかしら?」

「どうでしょう? 今は外務省関係で忙しくしていると思います。しかし、気に入っていますね」

「かわいいですもの。帝国の人であれ何であれ関係ありません」

 満面の笑みでそう断言する。

「かわいい、ですか。綺麗とか美人とか、そういった印象ではないんですね」

「話してみますと、意外とかわいい方だなと」

「そうかもしれないですね」

 ふと微笑むと、稽古場の戸が叩かれ、あどけない声が呼ぶ。

「大王陛下! ご主人さまよりの伝言です。黄帝陛下御一行様があと一時間ほどでご到着あそばされます。ご準備のほうをお急ぎください!」

「了解した。すぐに行こう」

「ご主人さま……?」

 仁実さんが首を傾げるのに真仁は肩をすくめてみせる。

「少々変わった奴でして」

 その説明に、そうですか、と未だ不思議そうに呟いた。




「再びお目にかかれて光栄である」

 氷野邸は応接の間において再び両国の君首が固く手を握り合う。

「こちらこそ、また会えて光栄だ」

 大王の背後には、大母春瀬に加え、政界の実力者である渡財務大臣や、経済企業省大臣、そして外務省大臣など政府の主要閣僚が居並び、歓迎の意を表している。対する黄帝も、やはり政策参与や、財部参与、外交参与ら重役官僚を引き従えている。重々しい空気の中、真仁は周囲を見渡して言った。

「この事実は真理として記憶されるべきだ。千二百年不落を誇るこの氷野城塞市に、初めて帝国の人間が入れたのは、武によってでなく和によってであった」

「太陽の勝利であるな」

「そうだ。北風はもはや遠くだ」

 周陛下に対し力強く頷いてみせる。

「我々の手で、光り輝く夏を掴もう。そして冬を、永遠に遠ざけよう!」

 バリトンボイスが言い切ると、周囲から同意と決意の拍手が巻き起こった。


 六月十三日。ついに始まった第二回会談は、第一回に対し会期が二週間と倍に設定されている。十分に交友を深める時間を取ることともう一つには、今回からようやく身を入れて平和条約締結に向けた議論を始めるためだ。


 事前に外務省では、ホモ・サピエンスの世界で過去交わされてきた平和条約を研究し、それに基づいて盛り込む内容の候補を幾つかあげていた。第一回の際、夜会の中でその概要を帝国側へ伝えてあり、この第二回で双方の具体的提案のすり合わせを行うこととなっている。

 そしてこの最初の意見交換と調整は、君主の仕事ではない。外務省と外交参与らによる話し合いである。

 結果、第二回会談が幕を開けて早々は、やはり両君主は真面目に話し合うことはなく、夜会や王立美術館の鑑賞会、観劇などを行って交友を深めた。


 そして十八日。双方の大臣クラスでの最終的な調整が終わり、やっと君主の出番がやって来た。

 そしてその冒頭の議題は、真仁にとってはいささか意外なものであった。

「貿易の開始を……平和条約に?」

 統治府内の会議室で、資料に目を通しながら尋ねる。と、背筋を正した周は首肯した。

「武力紛争の停止の上でだ、やはりその後、平和を長続きさせるためには共通の利害を持つことが大切であろう。つまり、経済的に相互に恩恵をこうむるとなれば、易々と時代の逆行を許すこともあるまい」

 黄帝の黄色い瞳を見つめる。


 七海が事前に調整をした相手は、もちろんのこと、立場を言えば臣下に当たる人物であった。が、彼女はあくまで、皇女としてでなく外相として臨むという姿勢を徹底し、互いの立場に優劣をつけなかったように見える。だからこそ、帝国側の提案をまず議題とするよう取り決めたのだろう。


 ――いや違うな。

 ふと思い直す。

 ――この順番は、実質譲歩するな印象を与えておいて、その実、王国に有利なように組んでいる。なかなかどうして、キレるやつじゃないか。


 傍らに座る外相をちらと見て内心ほくそ笑み、返答を固める。


「なるほど。いい考えだ」

 その大王の一言で、帝国側に居並ぶ閣僚たちの顔がやや安堵したものとなる。……意外と事前の調整で手こずっていたのだろうか? それとも、周と沙織の抗争によって景気が不安定になっていることを鑑み、いち早くここに手を打って民心をとらえたいという思惑が、焦り気味に結論を求めたのだろうか。

 だが、

「お待ちください」

 一陣の北風が吹く。白髪の外務省大臣が手を挙げる。

「何だね?」

 大王が問うと、クールな表情を一層かたくして意見する。

「経済連携の内容を平和条約に盛り込みますのは、かえって下策かと存じます」

 真仁が声には出さずに驚く。帝国側もだ。ここら辺の調整は、事前に済んでいたのではなかったのか? 黄帝も戸惑って妹、ではなく、大臣に聞き返す。

「ど、どういうことであるか?」

「はい、陛下。貿易を始めますと言いましても、その前に準備しますことは膨大です。場合によりましては、平和条約発効が極端に遅れますでしょう。また、始まりましてから新たな問題が発生しました際、平和条約をその都度改定していきます必要が生じます。そのように流転します平和条約は、不安ではありませんか?」

 両君主がううむと唸る。帝国側の経済参与が声をあげる。

「大臣殿は、どのような問題が貿易において持ち上がるとお考えなのですか?」

「無策であれば、貿易摩擦は必ず起こりますでしょう」

 瞬間、参加者全員がはてという顔になる。

「外務省がホモ・サピエンス世界の経済史を調査しましたところ、懸念として見当たりました現象です」

「それは何であるか?」

「貿易によって自国内に不利益が生じます事例です」

 何と! そんなことが! と長机の周りから声が漏れる。

「たとえば、王国の工業製品を大量に輸入しますとしましょう。伊達派の製品は、国内の豊富な鉱物埋蔵量と、優れた工業力によりまして、安価かつ良質です。一方、帝国の工業は未だ工場制手工業の域を出ておりません。資源の調達もコストが高い傾向にあります。同じような工業製品でも、高価で、質では残念ながら劣ります」

 随分言うが、ここは皇女という実際の立場を利用して上手く反感を持たせず切り抜ける。

「国内の高価、かつ、低質な製品と、輸入されました安価で良質なもの。消費者がどちらを購入し、どちらを見捨てますかは一目瞭然です」

 国が経済を管理する王国側は一部がピンと来ていない表情だが、完全なる市場経済の帝国側は一同顔面蒼白なる。

「つまり……最悪、帝国の工場(こうば)という工場が倒産すると?」

「はい、陛下。倒産し、失業者が町に溢れますでしょう。その失業者とは、この会談の反対派となりますでしょう」

「要は沙織派であるか……」

 真仁と七海はこの発言に一瞬眉根を寄せる。彼らからすれば本意でないことだが、まあ、この状況をあえて作って黄帝を誘き出したのも自分たちなのだから、しばらくは我慢する他ない。

 大王が悩む黄帝に言葉をかける。

「それでは、これに関しては、平和条約とは別に協定を設けてそちらで委細話し合って決めるというのはどうだ? 王国としては問題に対策をした上で、ぜひ行うべきだと考えている」

 そう告げると、周が顔を上げた。

「そうであるな。そうしよう」


 結局、この日の会談は、将来の貿易の実施を確認する経済共同宣言を発する形で無事に終了した。

 議場を出た後、隣で置物になっていた春瀬に真仁は興奮気味に漏らした。

「いや、七海天晴れだな」

 別に悪気はなかったのだが、軽くショックを受ける大母であった。



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