第三話 悲劇の大王と悲劇の皇女(2)*
「よく覚えている……あの日のことは。あれまでのことだって忘れるものか」
沙織を懐かしむようにため息を漏らすが、はっとして顔を上げる。近衛と陸軍下士官が信じ難い表情で見つめていた。
真吾大王夫妻を殺し、王都陥落の英雄となった沙織は、対帝国戦争における旗印に仕立て上げられ、国内で最も憎まれる人物となっている。それをこうも思い出すように語っては。それも大王が家臣の前で……。
慌てて取り繕って、しかめ面をする。四つの視線が離れていく。
「で、沙織、殿下か。沙織殿下と周黄帝陛下の権力闘争に巻き込まれ命さえ危ういとは、具体的にどういうことだ」
赤い瞳に翳りがさす。
「はい。私は、長らく中立的な立場をとっていました。帝都からははるかに遠い、北海島の邸宅で庭などを作り、ハーブティーをいれ、文芸や楽音にひたります、そのような文化的なことに専らいそしんでおりました」
「話には聞いていたぞ。こちらでも有名だった。特に黄汐の離宮庭園はな。一度見てみたいと思っているんだ」
「恐縮です、陛下」
初めて大王がやわらかい表情になる。彼もまた庭好きで、紅茶党で、芸術に造詣の深い人物なのだ。ただし、親政開始以前、件の離宮をぜひ見てみたいと発言し、敵国皇女に感心するとは何事だと軍部中心に大バッシングされた過去もある。……事実、目の前の陸軍軍人は顔が真っ赤だ。
ちなみに、この皇女が設計した離宮の庭園は一般開放され、帝国中から見物に人が集まり、列島の北の島で寂れていた地元経済を大いに盛り上げた。離宮周辺の街の人々からの感謝の声と、ついでにがっぽりせしめた観覧料に気を良くし、第二皇女は全国を飛び回って各地の離宮や地方の名士の邸宅に、素晴らしい庭園を作り上げていった。
しかし、これが思いもよらぬ事態を招いたのだ。
「私には、権力闘争は無意味に思えました。こうして文化事業に尽力しますだけで各地でお金が動きますし、将軍から市民まで皆幸せになりました」
「だが、それは余から言わせれば、立派な政治だな」
皇女は静かにうつむいた。
そう。中央の抗争から無縁でいようと“造園姫”と呼ばれながら日々を過ごしていたが、経済を動かし、幅広く支持を獲得していく様は、互いの潰し合いに躍起になっていた双子と、それぞれについた家臣からすると、恐怖とも、利用しがいのある道具とも、見て取れたのだ。
便利道具と感じたのは、兄の周の一派であった。北条派連邦帝国では、伝統的に能力の強さを絶対とする価値観があり、そのために遺伝子で受け継がれる能力の純度を最高に保つため、近親相姦が基本となっている。つまり、周の后候補は、双子の姉か、妹の二択だ。姉たる沙織とは対立している。一方で、妹の七海姫は独自のやり方で、こと地方において着々と支持層を拡大していた。
周は七海を自身の后に迎える旨を発表したのだ。これで、七海が持つ地方の有力者と一般市民の支持を引き寄せることに成功したかに思えた。
が、当然、これは沙織派にしてみれば絶体絶命の事態である。七海が周と組むことになれば、支持層の厚みから言って沙織派は完全に不利となる。おそらく沙織本人は反逆者として今度こそ殺され、彼女を支持していた一派にも重い処分が下ることは目に見えていた。
「沙織派の不穏な動きを察知し、難を逃れるため国を出てきたのか……?」
が、第二皇女は首を横に振る。
「自らの意志で出てきましたわけではありません。それは出来ない相談です」
「なぜだね?」
「まだ建設途中の庭が全国にあります。それから設計を打ち合わせ中の邸宅が幾つか、あとは個人的に少し手を入れたい離宮の庭が二つ、三つありまして……」
「そ、そうか」
くい気味に言われ、ようやくそれだけ返答する。
「では、どうして国を出ることになったのだ?」
一呼吸置いて話を元に戻す。と、美貌をさっとうつむかせる。真仁は息を呑んで見つめる。
「……沙織姉様にはめられました。沙織姉様は周兄様があなたをはめたのだと言ってきましたが、それが方便でありますことくらい分かります」
「はめた?」
「はい」
「一体、何があった?」
とその時、騒々しくドアから声がある。
「陛下! 急報です!」
ちらと白髪の皇女を見やる。だが、うつむき気味の無表情は何も言わない。嘆息して入れとこたえる。
陸軍情報科の兵が敬礼して入ってきて、一葉のメモを手渡す。そこには焦りの滲んだ字でこう書かれていた。
「黄帝周は自身の后となる第二皇女を将兵の慰みに与えた。これが彼の強者たるの表しようである」軟禁中の沙織殿下の代理人が殿下の声明を発表。
驚いて七海を振り向く。
「まさか……」
「おおよそ、私の肉体について疑問をお持ちなのでしょう」
「……」
皇女は寂しく笑い、冷然と言い放つ。
「結婚前ですが、傷物ですよ?」
真仁の手が震える。
「だが、周陛下によってではあるまい」
「そうですね。沙織姉様の自作自演だと思います。私に消えて欲しいと思っていますのは、姉様の方ですから」
誰も宿していないと良いのですが――と自身の腹に手を添えて呟く。若き大王は固唾を呑む。
「確認のために訊くが……いや、嫌ならこたえなくても構わんが、その、暴行は具体的にどういった具合だったのだ?」
「“沙織派”の将兵にかわるがわる、どことも知れません地下牢に軟禁されまして、三十と一日、昼も夜も無くどろどろになるまで、と言いましたら分かっていただけますか?」
あまりの話に真仁の顔が青くなる。
「私が帝国から出て行くと本気で思いますまで続きました。一思いに殺してくれました方が楽でしたね。そこをあのようにしたのは……見せしめのつもりだったのかもしれません。あ、臭いませんか、私?」
突然そう言ってすんすんと自分の白髪を鼻に近づける。なぜいきなり髪なのだと驚愕しつつ、真仁は慌ててその手を掴む。
「何も臭いはしない。だから安心してくれ」
真剣な顔つきで断言され、皇女は一瞬ぼうっとする。それから、は、はい……とやっと言葉を返す。王は安堵したようにため息をつくと、手を離した。
「で、帝国を追われた理由は分かった。しかし、必ずしも王国に渡ってくる必要はなかったはずだ」
話を強引に前へ進める。
「むしろ古来より、宮廷闘争などに敗れた権力者は、この列島を出てホモ・サピエンスの世界でせめて静かに余生を送ろうとするではないか」
それどころか、特殊能力を駆使して警察に協力したり、テレビで腕前を披露したりして一財産築くまである。唯一不幸な再就職先は、大学だ。教授として行くのではない。ホモ・オリビリスの人体実験に付き合わされるのだ。もちろん実験体として。
このように――いや、大学は除きたいが、命の危険を感じたら、ホモ・サピエンスの国に逃げおおせるというのが一般的だ。
それだと言うのに、わざわざ敵国を、むしろ殺されそうな敵国を亡命先に選ぶとは、普通ではない。
ところが、白髪の皇女はクールに言い切った。
「陛下が好きなのです」
「……はあっ?」
思い切りまぬけな声が大王の口から出る。近衛兵はありったけの力を腹筋に送り込み、陸軍下士官はぶっと噴き出す。真仁は軽く将校を睨みつけた。
「余が好きとは、その、どういうことだ?」
「『幸福の大陸パンゲアの創造、及び君主の一般理論』」
大王がはっとする。
「余が先年発表した本だな……」
「はい。私は半年ほど前、ある筋から陛下の書きましたこの本を手に入れました」
「そうか」
「『君主の最大の義務は、自らが治める臣民に幸福な生涯を保障することだ。これ以上に優先すべき利益などない。なぜなら自分たちを幸せにした君主を、臣民が恨んだり裏切ったりする道理はなく、進んでその秀でた君主の支配に協力するであろうから。一端で君主が幸福になり、その反対で臣民が不幸になるような政治はもたない。両者の幸福が一致する時、初めて君主の政策は成功するのだ。だからこそ、君主は臣民を最大の国宝とし、これを傷付けようとする全てのものと戦わなければならない』」
「よく……覚えているなあ」
「これだけではないですよ? 『現在の五大陸はてんで違うように見えて、その実はるか古代はパンゲア超大陸という一枚岩だった。ホモ・オリビリスは分断されて数千年になるが、初めから王国と帝国に分かれていたわけではない。ホモ・オリビリスという一つの種が、同じ種があっただけだった。我々に互いを殺しあわねばならないほどの違いがあるだろうか? 気が付くべきだ。不幸の親たる分断を乗り越え、手を取り合って幸せになることが、どれほど賢く理性的であるかに』」
感心して大王はうなる。
「臣民は最大の国宝――良い言葉です。そして、この至宝を守るために、分断を乗り越え平和条約を結びますとは……大胆にして、正義あることだと思います」
得心いったように王が首肯する。
「なるほど余が好きとは、そういうことか」
「陛下。私は陛下の思想に、前代未聞の政策に強く関心を抱いております。ぜひ、そのお手伝いをさせていただきたいのです」
「手伝い? いやそれは……周陛下が許すまい」
許さないどころか、自分の后をさらったと難癖をつけられて攻め込まれでもしたら、全てがぱあだ。君主として慎重になる。
だが、皇女としてもそれ位は承知の上だ。
「陛下。私は帝国にもちろん人脈があります。折衝ごとも決して不得手ではありません。私を使っていただければ、帝国で平和条約締結の機運を高めますといったことも可能にしましょう。兄様には再会しますための遠回りとでも説明します」
「沙織は?」
「沙織? ああ、沙織姉様ですか?」
「そうだ。沙織……殿下は、軍部を中心とした保守派から根強い支持を受けていると聞く。正直言って、王国でも保守派には反対の声も強い。彼女の動向が気になるのだが……」
「反発して戦争を起こさないかと?」
「違う。あいや、その危険も警戒はしているが……皇女には国に戻ってきて欲しくないはずだ。それが仮に条約が無事締結されたとして、兄に嫁ぐとなった際に、彼女はどうなる?」
「不要となるでしょう」
「不要!?」
「はい。処刑されますのではないですか?」
クールに言い切られ、動揺を滲ませる。
「だがしかし、その、そうは言ってもだな、姉妹だろう?」
「陛下。処刑は私が決めますことではありません。黄帝陛下の一存で決定されますことです」
うつむいて暗い顔をする。
「私は……私個人は、姉様にも兄様にも、これ以上傷ついて欲しくはありません。姉様に何も思うところがないかと問われましたら、皆無とは言い切れません。ですが、私は逃げたのです」
「逃げた?」
「はい。私は二人に傷ついて欲しくないと思いながらも、その抗争から距離を置きました。純粋に、怖かったですから……」
小さな手が膝の上で震える。
「目を背けていたのです、私は。肉親が傷つけ合いますことから。むしろ積極的に寄って、どうにか仲を取り持つべきでした――これは私の後悔であり、今の原動力です」
そう言って目を上げる。赤い瞳は爛々と光を宿し、大王の揺るぎない黒い目を見据える。
「このままでは、姉様と兄様と私は、苗字以外の結束を持ちますことは永遠に無いでしょう。しかし、私はそれが嫌なのです。家族は、争わず、仲良くしますべきです。そうは思いませんか、陛下?」
深く息を吐き、数度首を縦に振る。
「仲の悪い家族を、家族とは言わんな。それは牢獄だ。……もはや余に本当の家族はないが、残っているとすれば一人だけいる。大切な、家族だ。できることならまた、隣に立って、昔のように幸せな時間を過ごしたいと、今でも強く願っている。大切な人だ」
「あの人は、権力を追いかけます内に心が壊れ始めたのでしょう。それでも、姉は姉です。家族です! 陛下。家族との幸せを願いますのに、理由がいりますか?」
真仁は笑顔で言い放った。
「理由はいらないな。建前は必要だが」
「建前?」
「ああそうだ。たとえば……臣民の幸福のため、条約を、とかね」
七海が驚いて目を見開く。
「これは似たもの同士ですね」
「確かに。こうも動機が一致することはあるまい」
そう言って笑う。真仁は手を打つと真っ直ぐ皇女を見つめて言った。
「亡命を受け入れよう。そして余の力となれ。平和条約を締結し、臣民に幸福を保障するために!」
「そして、二人の“家族”との幸福を実現しますために」
皇女はやわらかく微笑んだ。
――共存は夢じゃない。僕は暮らしたんだ。共に過ごしたんだ。最高の時間を。無上の幸せの時を! 一度できたことが、二度できぬ道理があるか! 取り戻すんだ、あの頃をっ!
幸福の大陸パンゲアの創造政策――平和条約締結を目指す外交戦略の大転換は、悲劇の大王と悲劇の皇女、一人の女性によって結び付けられた二人の個人的な思惑に乗って、今まさに始まらんとしている。
もちろん若い二人の宣言に、良い表情を浮かべる軍人はこの時、皆無であった。