第二十六話 外交使節
「氷野春瀬殿下、ご到着です!」
首都の中心で天に向かって聳える統治府の最上階。赤いドームを頭にかぶりながら一人書類を片付けていると、ドアの外で近衛兵が叫ぶ。
「通せ」
がこんといって大きな扉が開く。長いスカートスーツの裾を揺らしながら入室し、頭を深く垂れる。赤いヘアゴムでまとめた二房の銀髪がさらさらと零れ落ちる。ドアが重々しく閉まると、顔を上げた。
「随分、長いお辞儀だな」
黒いスーツ姿の大王真仁がいじわるく言うと、どんよりとした青眼が黒目をとらえる。
「頭が低い位置にある方が、幾分か痛みが抑えられると思ったのだ」
「結果は?」
「二度と飲まん」
それに、あっはっはっと大きな声で笑う。
「立っても寝ても逆立ちしても、頭離さぬ、二日酔い。だな」
「冗談ではないぞ、本当に……」
「いやー、僕が止めても、次々いったからなー。はっはっはっ。まあ、新たなる門出の決意に相応しくはあったか」
「その初段から躓いては……言葉もない」
政界からついに失脚し人生の終わりを覚悟していたところを、再び忠誠を示して救われたのは、三日前の明け方のこと。安心からか、初めてだったにも関わらず浴びるように飲み、早くもまた大王に迷惑をかけ、ひそかに自責の念に暮れながら今までずっとベッドでへばっていたのだ。
「長い二日酔いの余韻を味わっているところ申し訳ないんだが、早速、仕事を任せたい」
本気の声音にむしろ仰天する。
「へ、陛下!? さすがに失脚して日がないのに、それでは他の者に示しが――」
「何か言ったか?」
眉をピクリとさせる。同じことを、である。
「取り消す。申し訳ない」
うむと低く唸り、続きを口にする。
「昨日十二日をもって、軍部はパンゲア政策に協力する方針に固まった。一部保守派の人間はとやかく言っているようだが、すまないが殺戮を弁護する論に耳を傾ける気はない。黙殺させてもらう」
春瀬は顔を強張らせる。どんどんと独善的になって行く姿に、決して良い気持ちは抱けない。
「つまり、事実上、国内からパンゲア反対派は消滅した。満場一致に近い形で、磐石の基盤に基づいて、今後、同政策を推進して行くことになる」
「そうか……」
「そこで、だ。余の一番側にありたいと思ってくれているお前に、名誉あるその一歩目を託したい」
――陛下の一番側にあり続けたい、だな。正確には。
「北条派、もとい、北条派連邦帝国は帝都、都市へ赴き、わが国の平和条約締結の意思を伝え、両国君主間の交渉実施の約束を取り付けて来い」
えっ、というような表情に変わる。
「私が、か?」
「お前ほんと無能だな。誰に言ってるかも分からんか」
いきなり飛んできた辛辣な言葉に胸を抉られつつも反論する。
「し、しかし! 私は保守派だ。それなのになぜ!?」
「だから言っただろ!」
拳が執政卓に振り下ろされる。びくっと肩をすくめてから、恐る恐る見上げる。
「保守派は国内から消滅したと」
恐怖のあまり青い目が丸く見開かれる。完全に大王は独裁の道を行こうとしている。自由な言論を封殺し思想を統制して! 白い喉をこくりと鳴らして、震える声を絞り出す。
「へ、陛下……それは、し、思想や言論の弾圧に、当たるのではないか? 憲法に、違反するぞ?」
不思議そうに見返す。
「そうかい?」
「そそうだ。今の立憲君主制を整え専制を終わらせた春成宰相殿下の子孫として、か、看過できない」
しかし大王は鼻で笑う。
「春成殿下が墓で泣くぞ? ああ、お前の部屋のすぐ外だったな」
そして、背筋をただし太い声で言い放つ。
「いつ、誰が、法律や命令でもって思想・表現の制限や禁止を定めた? または、余が誰かをその思想や言論を理由とし、不当に抑圧・逮捕拘禁したか? 以上のことがなければ、弾圧とは言えんぞ?」
「大した詭弁ではないか」
「だからお前は失脚したのだよ」
ぼそっと止めを刺され、言葉に詰まる。
「まだ何か?」
威圧するように見下ろすと、不器用な元政治家はうつむいて首を横に振った。
「出立は三日後、十六日を予定している。お前の他にも、三十人ほど外交使節団として派遣する。春瀬、お前はその団長だ」
「ず、随分急だな」
「急ぐ事情があるのだ」
回答はこれだけに留め、必要事項を告げてゆく。
「出発に先立って、多摩川記念祭のある十四日を除く明日以降……ああ要は、明後日以降、北条派の制度や文化、マナーについて詳しく勉強してもらう。相手の理解が平和への第一歩と心得て臨め。場所はこの統治府の五階、五〇三中会議室、時間は午前十時から。講師は余の秘書だ」
途端、何か言いたげな顔をするものの、すぐはっとして自重する。それを見て満足そうに頷く。
「学んだな、春瀬。優秀な奴は好きだ」
「陛下――」
「ん? どうした、ぽうっとして?」
「ああいや、何でもない。失礼した」
ふるふると頭を振る。
「連絡は以上だ。下がってよい」
扉が引き開けられ、春瀬は一礼すると出て行く。二人の近衛兵がドアを閉めようとした時、大王がその内一人を呼び込む。
「余の秘書の所在を知らんかね? さっきから見当たらないんだ」
眉をへの字にして問うと、意外なこたえが返って来た。
「秘書官殿は、軍の地下工廠に向かわれました」
「工廠?」
「はい。陛下がご静養中の頃から、頻繁に通われているご様子です」
「何だそれは……聞いていないぞ」
本格的に困惑した様子で漏らす。近衛兵はよもやそうだとは思わず、咄嗟に頭を下げる。
「申し訳ございません、陛下。こちらの確認不足でした。我々はてっきり使用を許可されたものだと思っておりまして……」
見えもしないのに言葉を切るように手の平を向けてひらひらする。
「ま、まあ、とりあえず確認が先だ」
そう言うと玉座を引いて立ち上がる。
「お供いたします」
近衛兵が恭しく申し出るが、首を横に振る。
「いや大丈夫だ。手数をかけることはない」
近衛は御意にと深く腰を折った。




