第二話 悲劇の大王と悲劇の皇女(1)*
大王の成人と親政開始を祝う式典の後、雪が舞い散りそうな二月の夜を、王室馬車がかけてきた。立派な赤塗りの馬車を見て、建物の方から近衛兵が駆け寄ってくる。馬車はちょうど大きな門扉の前で停車した。
「陛下、こちらになります」
近衛がさっと車両のドアを開け案内する。突然の冷気に若い王は身震いし、赤いマントで体をかき抱く。
「例の御方は応接室に通しております」
赤い詰襟の軍服に、黒いズボンをはいた近衛衛が廊下を進みながら説明する。大王はうんと低く唸り、床の木目を見つめて歩く。
「陛下、連隊長です」
近衛の案内の声にふと顔を上げる。応接室の前で、連隊長が敬礼をしていた。赤い軍服に、スコットランドより取り入れた紅白のキルトをはく、陸軍将校だ。
「この中か」
敬礼を返すと問う。
「はい、陛下。一応陸軍からも何名か、警護の者をつけております。身辺調査をしましたところ、特に怪しい点は見付かりませんでしたが……」
「おかしな話だ。怪しい点しかなかろうに」
「いえ、陛下。そのような意味ではっ」
「分かっている」
悪戯っぽく言うと、ちらとドアに目線をやる。連隊長がはっと気付き、あらたまる。
「い、今、お開けいたします」
木のドアの向こうには、前線基地としては比較的立派な調度品がそろえられていた。真仁はゆっくりとそれらを眺めると、部屋の中央へ目を移す。品よく宝石で飾られた座卓を挟んで横に長いソファが二つ。その向こう側に、三つの影がある。
黒い肩章をつけた近衛兵が一人。白い肩章の陸軍下士官が端にもう一人。そして、真ん中には――
「お初にお目にかかります、陛下。私は、北条派連邦帝国第二皇女 北条七海です」
黄色いワンピースを着た淑女が立ち上がって腰を折る。揺れるセミロングの白髪は絹のように美しい。正面から見据えた瞳は赤く、さながらルビーのようだ。
正面のソファにかけてから、手を差し出し座るよううながす。皇女は大人しく腰掛けた。
大王が真っ直ぐクールな白い顔を見つめる。
「何と……言ったかな?」
「はい?」
「帝国の皇女と聞こえたが……何かの間違いかな?」
「いえ、私は正真正銘の皇女です。連邦帝国の第二皇女です」
「連邦帝国とは王室同士の付き合いでもあったかな?」
「二千年来の宿敵としますのが、一般的な解釈ではないでしょうか」
「だろうね。残念ながらまだそうだ」
近衛と下士官が戸惑い気味に顔を見合わせる。
「いやなに、帝国からの亡命者自体は珍しいものではない」
「そうですね。黄帝の圧政を逃れますために、人権思想を主張します王国に亡命しますものは、少なからずいます」
「そうだな。で、どうしてその黄帝の妹君たる皇女が、亡命を希望しているのだ?」
受け取った書面は衝撃的な内容であった。いわく、
北条派連邦帝国第二皇女 北条七海を称する者が、本日朝方、単独で国境を越えようとしているところを我が哨戒部隊が発見。警戒態勢を命ずるも、当の皇女が亡命を希望してきたため、亡命者取扱法、及び、軍の帝国要人保護規定に基づき、保護。王立警察に身辺調査を依頼した結果、陛下並びに王国を害するの意図なきを確認した。連隊では処理しきれない高度に政治的な判断を要するものにより、陛下のご判断をいただきたし。
数千年来の敵国の皇女がふらっと一人で国境を越え、亡命したいと申し出るなど異常も異常だ。その帝国との平和条約締結を訴えはしたものの、さすがの真仁にも意味が分からず、とりあえず安全そうならそちらに行って直接話を聞くとしたのだ。
応接室に沈黙が下りる。
「私が亡命を希望します理由は――」
背筋を正し微動だにせず大王が話を聞く。
「そもそもは、陛下のお父上に存しますものです」
「何?」
亡命したいと言っておきながら、いきなり冷たい声音でケチをつけられ、王国側は色めきだつ。陸軍将校など腰のサーベルに思わず手を伸ばすが、それでかえって冷静になった大王が鋭く睨みつけて制する。
「皇女殿下は、歯に衣着せぬ方のようだ」
自身の苛立ちを抑えつつ、皮肉を浴びせる。と、皇女はにっこり微笑んだ。
「それが私の美徳です」
さすがに頭にきたが、ぐっとこらえる。この程度で我慢できなくなっては、平和条約締結など遠すぎる星だ。
「陛下。私はつまり、こう言いたいのです。長女であります第一皇女北条沙織姉様と、現黄帝であります北条周兄様――この二人の権力闘争によりまして、私は命さえも危ういのです」
そこまで言われると、真仁はああ、と漏らしてうなずいた。
真仁は父王にとって待ちに待った王子であった。彼には、なかなか子供ができなかったのだ。
血統を重視する伊達大王国とその王家にとって、後継者問題は常に不安の種である。世継ぎに恵まれない父王、真吾大王政権への支持率は、北陸地方での戦争による支出を原因とした当時の経済不安も合わさって、低迷の一途にあった。王家の他の人間がこの隙にと王位簒奪を計画していたことが明るみに出るほどまで落ち込むに至り、ついに真吾はひとつの決断を下したのだ。
敵帝都への直撃である。
つまり、王国に後継者が誕生しないなら、敵国たる帝国の皇室を皆殺しにしてしまえば全て解決するという主張であった。何も解決にはならない上、とんだ筋肉論破である。
が、当時の臣民は、いやはるか昔から、帝国憎しとなると思考が止まり、真吾の大胆な作戦に喝采と、あと自らの食糧と金と幸福と命を差し出した。
王国精鋭の軍団を投入した前代未聞の電撃戦は、帝国防衛ラインを易々と突破すると、確かに帝都に火を放ち、跡形もなく焼き払った。だが、皇室の人間は一人を除いて全員取り逃がしてしまった。
その一人が、現黄帝の双子の姉にして、父親から次代黄帝として期待されていた第一皇女北条沙織であった。
真吾はすぐにでも彼女を処刑するつもりであったが、まだ年端もゆかぬ幼児だった皇女を見て、その決意が鈍った。彼は未だ物心つかぬ彼女を王室付きの使用人として密かに育てることにしたのだ。そして、ようやっと待望の王子が生まれると、真仁の良き友、良き臣下として沙織をあてがい、二人はほとんど家族のように互いに深く信頼しあう仲となっていった。
が、そんな平和な時代は、この列島では長続きしない。
帝国国内で沙織姫奪還の声が高まってきたのだ。先代の黄帝から覚えがめでたかった者たちは、本来は沙織殿下が帝位につくべきだと主張し、父帝の死後、代わりに即位した周の正当性を否定。対して、先代の時代冷遇されてきた一団はとっとと新たな若い黄帝に取り入り、彼を操りながら沙織黄帝を主張するものどもを弾圧し始めた。
これに対し、沙織支持派の軍部が暴走した。本来、軍は帝権の指揮下にあるのだが、そんなことお構いなしに、真吾と真仁、そして偽りの従者、沙織姫のいる王都を、今度は帝国側が独断で直撃したのだ。
難攻不落の山城だった王都は、わずか三十分ほどで火山のように燃え上がることとなった。
事前に潜入していたスパイが、沙織に真実を話し、王宮の内側から混乱を起こすよう説得していたのだ。
彼女は――真仁の目の前で、自身を誘拐してきた真吾大王とその妻を、能力の一撃でもって屠ったのだ。