第十六話 縁談
白煙を地下トンネル内に吐き出しながら走り続けること一時間超。列車はけたたましい汽笛を鳴らし、あまり代わり映えのしない薄暗いホームに停車した。再び白雲を車輪辺りから盛大に噴き上げる。大王と秘書はそれぞれ正装で列車中央部の真っ赤に塗られた御召車両から降りて来る。ホームにはサーベルを右肩に当てて敬礼する現地の大王近衛兵が花道を作り、そのすぐ手前で降り立つ大王一行を出迎える男がいた。上下を黒スーツで揃えた男性は、健康的で丈夫そうな体つきだが、隠しきれない年の波が顔や手に皺をなしている。
「元気なようで何よりだ」
ステップを完全に降り切ると、大柄な中年男の顔を見上げて微笑む。
「久方ぶり、という程でもないか」
「ええ。大父降誕祭でお招きいただいて以来です」
「と言うことは、二月八日か。意外と久しかったな」
「陛下と私とでは、時間の流れ方が違うのですよ」
「そうかもしれん。ともかく、突然の訪問になって迷惑かけたな。感謝するよ」
「いえ! とんでも御座いません! 陛下のご訪問なら前日に言われましても」
「そうか。じゃあ、今度からは前日に言おう」
そして、はっはっはっと鷹揚に笑う。どなたに対してもマイペースな方ですね、と七海は背後に控えながら思うが、割とお前が言うなである。
「会談の準備はもう整っていますので、どうぞこちらに。煤で汚れた肺を、霊峰の麓で浄化なさって下さい」
霊峰? 七海が首を傾げるも、主人は気付かず、ただ世辞を交わす二人の後ろを訳も分からず着いて行く他なかった。
霊峰富士。
天を突く青い山肌の光は、いつの時代も人を魅了する。
大崎家はそんな霊峰の麓に領地を持つ名家である。建国当初から陸軍軍人一族として名高く、軍部、こと陸軍において最大級の影響力を持っている。すなわち真仁に似せて言えば、軍部の大きな支配権所持者である。
ところが現在、大崎家は重大な危機に見舞われている。
大崎家一五一代当主城矢は、邸宅の豪華な応接室に大王と秘書を通し、二人に一段高くなった上座の豪奢な椅子をすすめ、自身は下座に置いた質素な椅子にかけた。落ち着いたところで、大王が口を開く。
「大崎家の危機はいかになっている?」
開口一番どきりとさせられ、名家の当主はあわあわ返答する。
「い、依然危険な状況です。この家にはご存知の通り、三人の娘しかおりません。このままでは二千年近い歴史を誇る当家もお終いです!」
能力は雄絶対優位で遺伝していくことが分かっている。したがって、男児が生れなかった時点で能力は継承され得ず、これをもってお家断絶となってしまうのだ。家名を引き継げば婿入りでもいいなんていう話は通用しない。ホモ・オリビリスの世界では、血に住む能力と家名は同一のものだ。能力が継承されなければ、家名も継承されない。
切迫した様子の当主に、けれど、真仁がかすかに眉をひそめる。
「最近聞いた話では、傍系が見つかったということだったが……?」
「ああ、それは事実で御座います、陛下。ですが、六百年ほど前の当主の弟に連なる血でして、いくらなんでも遠過ぎます。仮に迎え入れても、正当性の保持には甚だ疑問が残ります」
「六百年……まあ、確かにその年数では、新大崎家とでも名前を変えないと難しいだろうなあ。傍系も傍系。今の大崎家をそのまま継ぐにはいささか弱すぎるだろう」
「はい……ですが、大崎家に希望があるならば、当主として藁にも縋る思いなのです。大崎家はただの家名ではありません。様々な歴史、伝統、誇りある立場も含めて大崎家なのです」
根も葉もない言い方をすれば、大崎家が相続してきた輝きとともに利権も守りたい、ということだ。当主としては男児を生めなかった上に先祖伝来の特権まで失っては、死んでも死にきれない思いなのである。
七海が固唾を呑んで見守る中、真仁は努めて平静に話す。
「そうか――二千年来の忠臣、それも名家の忠臣を見捨てるなど、全臣民の大父として恥ずべきことだ」
「へ、陛下!?」
当主がきらきらと顔を輝かせる。大王はそれに明るく頷いて続ける。
「忠臣を救うため、大崎家の娘を、大王妃に迎えよう」
「大王妃に!?」
思わず黄帝妃候補の秘書も椅子の上でびくっと反応する。大王だけは堂々としたものだ。
「伊達家と繋がれば、その六百年前の分家を跡取りとしても外戚として力を保てる。さすれば、無理な相続でも周囲の文句は通るまい」
「し、しかし、陛下の正妻第一候補は、氷野春瀬大母殿下だと言われています。それを横取りするなんて畏れ多くてとてもとても」
「春瀬? んまあ、個人的には悪くないが、政治的に何の意味もない。あんな政界からいつほっぽり出されるか分からん奴を余の嫁としても、メリットがまるでない。逆に、大崎家との婚姻をこちらから打診するのは、余がそれだけ力を認め、注目しているからだ」
「で、でですが、先代真吾大王陛下は私の姉を娶りました。すなわち、陛下は従姉妹と結婚なさることになります。いささか血が近過ぎるように思えるのですがっ」
「確かにあまり一般的ではないが、前例は幾つかある。躊躇う理由にはならないと思うが? そもそもなぜ余の誘いを固辞する? いささか無礼ではないか?」
すると、大汗を噴出して慌てて否定する。
「そ、そんなつもりでは! 魅力的な提案に目が眩んでいるのです。ただ一つだけ、伺いたいのですが――陛下は大崎家のパンゲア政策に対する態度をご承知の上でおっしゃっているのですか?」
大崎家は陸軍軍人一族として名を挙げていることから分かるように、パンゲア政策には猛反発している。一族の誇りにかけて、この「軍隊潰し」に同意してはならないと火を噴いている。
が、規格外の大王は、やることに異常な思い切りがある。
「お前まさか、余と外戚関係になっておいて、パンゲア政策には都合よく反対しようと思っていたのか?」
一番反対しているところを賛成に覆せば、他の以下に続く反対派も右習えで鞍替えする。簡単なことではないが、一発で確実に済む方法だ。軍部の実力者を押さえて懐柔するとは――。挙げ句、今回の取引は、見返りが悲願達成ときた。神か、そうでなければ、大王にしか叶えられない夢だ。
当主は頭を抱えてたっぷり悩む。縁談を受け入れれば大崎家は断絶しない。だが、その先に先祖がずっと走って来た戦場はないかもしれない……。一族の血を、誇りを捨ててでもとにかく繋ぐか。それとも、一族の名誉を守って散るか。たっぷり悩み、悩み続けた末、当主は慎重に検討したいと返答するに留めた。