おくびょうなふたり 相模朱里の場合
昨日、お風呂の中で考え事をしていて、お湯が冷めていることに気づかなかった。頭が痛い。熱も出てきて、なんだかふらふらする。真冬に水風呂に入ったと思えば当然の結果だろう。食欲もないけどなにか食べなくては。体調不良といえばおかゆだよね。そうして作ってみたけど失敗だった。生まれてこの方おかゆを食べたことがないし、作るのもはじめてだった。食べてるうちにすっかり冷えてしまったおかゆを相手に格闘していると、私のケータイに友達からメールが届いた。
『ひま。今から相模の家に遊びに行っていい?』
こいつ…私を暇つぶしに使うなよ。ちなみに相模とは私の名字だ。
『今、体調悪いから無理。人を暇つぶしに使うな。あと異性の家に一人で来るなよ』
送信っと。我ながら、最後の文は男みたいだな…。少なくとも女が男に言うことではない。
すぐに返信が来た。
『それって男が女に言うことじゃない?』
私と同じことを思ったらしい。画面を見るのが疲れたので返信せずに放置する。そのあともメールが来ていたみたいだけど、無視した。ソファーで抱き枕を抱きしめながら目を閉じる。
いつのまにか寝てしまっていたようだ。ぼーっとしながら目を開けるとベットにいた。ご丁寧に布団がかかっている。あれ、ソファーに寝ころがっていたはずなのに。キッチンからだろうか、美味しそうなにおいがする。ひょっとして、お母さんが来てるのか。そういえば、近々東京に来るとか言っていた気がする。ベットから立ち上がりキッチンへ向かった。
「お母さん?」
「ごめんね。お母さんじゃないよ」
そこにいたのは寝る前にメールしていた男だった。…え?
「あ、あれえおかしいなー。幻覚が見えるー」
「幻覚じゃないぞー」
「まだ熱があるのかなー。よし、寝よう」
「寝るのはいいけど薬飲んでからね」
「…なんでここに片桐がいるの」
家の鍵はちゃんとかけてた…よな?記憶が曖昧だ。
「相模、メール見ずに寝たでしょう」
「それがどうした」
「そんな堂々と言うことじゃないよ!…見舞いに行くってメールしたんだ」
「ふーん。で?」
なんでお前はふてくされてるんだ。
「下でインターフォン鳴らしても反応なくて」
あ、そうか。このマンション、エントランスのインターフォンで部屋番号を押して住人が解錠しないと入れないんだった。ん?ならなんで片桐は家にいるんだ?
「困ってたら相模のお母さんが来て、見舞いに来たって言ったら開けてくれたよ」
おい、母よ…。一人暮らしの娘の家に男をあげるか、普通。なんか適当に礼でもいって追い返せばよかったのに。
「ま、そんなことより熱はどう?ご飯食べれる?」
寝て楽になったというより余計辛くなったって感じだ。そして、体が弱っていると甘えたくなる。片桐がいるから我慢しているが、そのソファにおいてある抱き枕に抱きついて甘えたい。ソファで寝てしまったときもずっと抱きついていたはずなんだけど。というか抱き枕しか甘える相手がいない自分が悲しい。ご飯…食欲が無くても食べるべきだろう。勝手にとはいえ、せっかく作ってくれたんだし。
「ん。食べるよ。…あれ、お母さんは」
いない。風邪をひいた娘と男友達を二人きりにして。
「あー……鍵を開けてくれたあと、すぐ帰ったよ。」
お母さんがそこまで適当な性格だとは思ってなかったよ…。というか、あれ?お母さんがすぐ帰ったということは、私をベッドまで運んだのは…
「も、もしかして、だけどさ、私をベッドまで運んだのって、片桐?」
おそるおそる聞いてみる。
片桐は平然と答えた。
「うん、そうだよ。あ、別に重くなかったし大丈夫だよ」
何が大丈夫なんだ!?うわああ……最悪じゃん。
「そんなことより、ご飯用意したから少しでも食べたほうが良いよ」
そんなこと、なんかじゃないんだけどな…。テーブルにつくと、そこにあったのは噛む必要のない、温かいスープだった。
「口に合えばいいんだけど」
そう言いながら、片桐は私の様子をうかがっている。なので、ご丁寧に用意されていたスプーンを使って一口飲んでみる。
「…普通においしいよ」
私のつくったおかゆとくらべるまでもなかった。いや、あれは初めてつくったからであってね?料理の腕は悪くない、はず。
「ならよかった」
おいしいならそういえば良いのに、素直じゃないなぁ。なんてにやにや笑いながら、キッチンに戻っていった。いや、私素直だし。
しばらく部屋は私のスープを飲む音と、片桐が洗い物をしている音だけになる。私は昨日のことを思い出す。お湯が冷めているのにも気づかず、体調を崩してしまった理由。その考え事を。私は…あいつのことを…。
私がそろそろスープを飲み終わりそうなとき、片桐がキッチンから顔を出した。
「あ、そういえば相模のお母さんから伝言。彼氏によろしくってさ。彼氏いたの?」
すこし不安そうな表情に不覚にもときめいてしまう。
「いたら、どうするの?」
たずねる声は、たぶん震えていた。
「いるの?いやさ、彼氏もちのやつの家に遊びに行くのは彼氏に悪いなって」
片桐は困ったような顔をして言った。
こいつはそういうやつだった。わかってたことだけど。私は心のどこかで期待していたのだろう。無駄なことだと知りながら。
ひとつため息をついて言う。
「嘘だよ。絶賛彼氏募集中ですー。片桐のこと彼氏と勘違いしたんでしょ、きっと」
確かに嘘だ。彼氏なんて募集してない。片桐じゃないなら、彼氏なんていらない。昨日、ずっと、お湯が冷めているのに気づかないくらい真剣に考えていたこと。その結論。それは他人より遅い、初恋。
「なんだ、そういうことか。よかった」
片桐は安心したのか、笑った。私は全然良くない。
「いいわけないだろ!お母さんに勘違いされた私の身になってよ」
お母さんの勘違いが、本当だったらよかったのに。
「なんなら、ほんとに付き合う?」
片桐は、笑ったままだった。病人にむかって酷い冗談を言うものだ。感情のリミッターがはずれそうだ。泣きそうになる。
「冗談!付き合うわけないでしょー」
私の気のせいだろうか。片桐は、寂しそうな顔をした。
いや、きっと私の願望が見せたものなんだろう。瞬きをしたあともう一度見たときには、いつもどおりの私が恋した、大好きな笑顔だった。
読んでいただきありがとうございます。片桐視点も、今しばらくお待ちください。