2.無能有私
水を飲みきるのを待ってから、カナはそっと問いかけた。小さく吐息をこぼすきぃに、先程は肝が冷えたと思い直す。
「大丈夫?」
「…ん」
恐らく、走ったのだろう。
いくら異常を、その体に封じてあるとはいえど、影響がなくなったわけではない。元々浸みていた異常が今も尚、彼の器官を蝕んでいるのは事実なのだから。そしてそれは、きっときぃも知っていた筈。
「ルカくんを、探さないと。」
「……ルーちゃん……」
「彼の願いは危険なものだ。止めないといけない……」
思い出したのか。
……やはり、アカリが、何かをしたのか。
「きーくん……どういうこと、なの?何が起こってるの?」
教えてほしかった。自分だけ、疎外されているような感覚は、嫌だった。力になりたいのだ。友達の、力に。
「それは、僕から説明します」
あ、と、2人はそちらを見上げる。彼はどこか悲しげな色を宿して、そこに佇んでいた。
「ルカ兄のこと、アカリのこと。……ごめんなさい、僕、ずっと、知っていたんです。ルカ兄が何をしようとしているのか、全部…」
「コウ君……そ、か。……そういうことか」
きぃは目を瞑る。元から、コウはアカリ側につくとか、そんな問題ではなかったのだ。ルカは、あらかじめコウに全てを話してあった。
優しいコウは、自らの過去も顧みて同時に、ルカを捨てることなど出来やしなかった。
「ルカ兄は、叶えたいんです。《この世界から異常がなくなること》。そのために、アカリの【無能有私】が欲しいだけなんです…!」
嘘だ、と、カナは言う。
「嘘!!アカリちゃんは無能有私なんて持ってない!!!アカリちゃんは異常者じゃない!!!」
「カナちゃん、」
静止のような声も振り切って、カナは強く否定する。
「アカリちゃんが、無能有私…?そんな…だって……。」
ルカが無能有私を得るためには、継承をしなければならない。そのためには、アカリの死が必要である。それは知識として認識していた。
だとしたら、ルカは、アカリを殺そうとしているのでもいうのか。
そんなこと、ありえない。信じたくない。
コウは唇を噛みしめて、目を伏せる。
「けれど、実際に彼女は無能有私だったのです。」
「やめて、」
「そうでなくては、こうして僕等がルカ兄のことを思い出した理由が見当たらないから」
「やめてよ…!!!」
「認めてください、彼女は無能有私だ、そして、ルカ兄は彼女を殺そうとしている…!!!僕等は、ルカ兄からアカリを守らなければならない!!!」
「やめてよ!!!」
聞きたくない、そんなこと、聞きたくない。敵対だなんて、そんな。
嫌だと耳を塞ぎたい。塞いでしまいたい。これは夢なんだって、信じていたい。
「カナちゃん」
きぃが小さく言う。大分顔色は良くなったと思う。だけど、まだ、まだまだずっと辛そうだった。それでも、ほんの少しだけ、微笑んで。
「……今、レイが向かっている」
「…れーちゃんが…、アカリちゃんの、とこに?」
あの少女は、誰よりも責任感が強い。そう、ときぃが頷くのを、カナはぼんやりと見つめる。思考を放棄したくなった――…何も、考えたくなくなった。
多分、ずっと前から気づいていたのだ。
カナは誰かにすがることでしか生きていなかった。これから先の、進路だってそうだ。ルカについていく――そんな風に、ルカの後ろを歩こうとしている。嘘つきな自分は、信じることで、必要異常な信頼を抱いて、その人についていこうとしている。
けど、きぃやコウは違うのだ。レイも、違う。彼らは皆、自分の足で、自分の意志で、自分の道を歩いている。
ルカの傍に居続けていたのは、自分なのに、彼のことを気づけなかったのは、どうしてか。
気付こうと、しなかったからではないか。目を背いていたから…そして、今も、目を背けようとしている。
「……、………れーちゃんは、アカリちゃんのとこにどうやって行ったの?ううん、違う、どこにいるの?」
「カナちゃんは、ソリット・スクアと同じ階の部屋、資料室を知ってるだろ」
資料室。
もちろん、知っている。この夏にはそこを片付けもした。しかし、基本的に近づくことはあまり許されていない。というのも。
「あそこ、…キライ。気持ち悪いよね、ちょっと」
なんとなく、異質な気配がある。
「それは、あそこ一帯が異常の力で出来ているからですよ。」
コウは自らの博識を披露する。異常の力。確かに、あそこはおかしい。ドアがなくなっていたり、その部屋そのものがなくなったりもすることがある。この学園の中で、一番の異常な場所であろう。
「え、…異常?」
「詳しくはよく伝えられてないんですけどね…ルカ兄と似たような異常によって、あの部屋は異常を纏っているだとか。とにかく、ルカ兄を含めたアカリ、それからレイ先輩はそちらにいらっしゃいます。」
「俺とレイは一緒にいた時に、《思い出した》。それからすぐ、事態を察知した。…けど、俺がこんな状態だから」
そう言って、軽く微苦笑を滲ませ、
「レイは先に向かった。だから、今頃は…」
迷っている暇などない。
背かない、向き合う。
「行こう。」
カナは強く呟いた。大切な友達のところに。
そこでボソリと、コウが困ったように言った。
「でも、《鍵》かかっちゃってて入れないんですよね……」




