3.嘘実証明
たくさんのものを得たのだと、気が付いた。本当だったら気づいていて、当然だったかもしれない。
カナは時々、ボーっとして空を見る癖がある。何もそこに浮かんでいない、青空が好きだった。どこまでも透き通った、青空を見上げることが好きだった。カナが異常に目覚めたのは中2の頃で、人の心を覗く力を得た。さらにいえば、人の嘘を見抜くことができるようになった。知識としては、カナ自信以上のことはよく知っていたけれど、自分の身に宿るとは思ってもいなくて、驚いたのを覚えている。そもそも、未だに『異常』が宿る仕組みが、わからないのだ。異常を身に着け、何か変わったのかと言われればそんなことはなくて、特に何か変わったわけでもなく。幸いなこと、というべきなのか、カナの異常は弱めのほうだったらしくて、日常生活にさほど影響を及ぼさなかったのは救いだったのかもしれない。異常のみせる嘘の裏、隠された本音。惑わされながらも、自分をしっかりと確立していたから。けれどそれでも、確かに影響はあったのだけれど。
―ルカを“とらえた”のは、いや、“とらえられた”のは突然のことだった。
今も良く、覚えている。
高1の夏。蝉の鳴く声。響き渡る音。滴り落ちる汗。放課後の教室には、二人の姿しかない。
冷たく冷えた、瞳が自分を射抜いていた。
異常によって、カナは人間を信じれなくなっていた。上辺では確かに笑っていたけれど、それが本当に笑えていたのか。もしかしたら、いびつであったがためにルカはカナの『異常』に気付いたのかもしれない。カナは今、こうして向かい合ったからわかる。ルカに、上辺だけの笑みなんて見せる必要なんてないのだ。
だから、カナは表情を緩ませることなく、ルカと目を合わせていた。逸らすこともなく。
全てを、見通すかのように、値踏みされているような、ルカの瞳。
そのときに強く感じたのは、恐怖でも、なんでもなくて。
あなたを、迷子の子供のように思えてならなかったのだ。
*
「あのぅ、きぃ先輩」
薬品の臭いが鼻孔をくすぐった。うとうとしていた意識が急激に覚醒をして、ゆっくりと目を開く。揺らぐ視界の先で、セミロングの髪が揺れた。そして、少女の顔をとらえていた。なんとなく時計を見ると、昼を過ぎ、現在は夕方、つまり放課後らしいことがわかる。もうそんなに経っていたのか。一日の殆どを眠って過ごすきぃは、ぼんやりとそう思う。
「…どうしたの?」
乾いた唇がぽそり、と低い声を漏らす。夕暮れの時、夕日の光が眩しくて仕方がなかった。少女、アカリは言いづらそうに言いよどむ。きぃは小さく吐息を零して、ゆるゆると起き上がった。体が酷く怠くて、重かった。今日はあまり体調がよくないかもしれない。
――まぁ、そんなところ、ルカはともかく、誰にも悟られはしないけれど。
きぃは、病弱だとか、そういうのではないのだから。それは今、アカリにも何も関係ないことだ。
「……最近、カナ先輩の様子が、ちょっとおかしいような気がして。きぃ先輩ならなにか知っていると思って…」
私より、長くソリット・スクアにいるから。
そう言い紡ぐアカリに、きぃはなるほど、と一つ頷く。どうも、コウもそうであるけれど、あの一件以来やたらと頼られるようだ。自分は特に何かしてやったつもりもないのだが、何かと慕ってくる。別に悪い気はしないからいいんだけど。
(優しいだけじゃない、ってことか…)
おそらくほとんど無意識なのだろうけれど、些細な変化に気づくのは純粋に感嘆してしまう。
「きぃ先輩、心当たりはありませんか」
「さぁ……コウくんの方が、知っているかもね。あそこは俺たちより長い付き合いだから。カナちゃん本人に聞きづらいことだろうし、尋ねるならコウくんの方がいいだろう。間違ってもルカくんには聞いちゃだめだ」
アカリのちょっとしたおせっかい。別に邪魔をするつもりはない。
それに、あの、コウの一件以来彼も変わったようだから、彼女のやろうとすることなすこと、全てマイナスにいくというわけでもないようだ。それはたぶん、彼女が思っている以上に。現にコウは、最近では明るくアカリのことを話してくれたりする。コウの話は結構楽しい。まるで弟のような感覚だからで、やはり、どうしても案じてしまう。
アカリはきょとんとして問い尋ねてきた。
「ルカ先輩に…?え、何でですか」
きぃは首に絡められている鎖を払った。ジャラン、という音と共にそれは首の後ろに回り込む。
「はぐらかされるだけだよ、ルカくんには。」
本当、を知りたいのであれば。
確かな言葉で、本当、を知りたいのであれば。
決して、ルカにきいてはいけない。
ぱたぱたと、駆け足にアカリの姿が遠くなる。その音を境目に、きぃは体をベッドに投げ出した。
(ルカくんは身内には酷く甘いからね…身内の不利になるようなことは口出しはしないだろう…たとえ、その対象が身内であっても…身内になるまでは酷く冷たいけれど)
そう思うと、彼が認めた、アカリという――異常を持たない、少女。
異常のない、異常。
(どうして――ルカくんは、すぐにでも追い出さない…?)
もちろん、それには彼女の記憶が厄介である、ということも関係しているのだろう。だけど…それ以上の何かがあるような…
(…いや、考えすぎ、か…)
さすがに、考えすぎ、だろう。…アカリは、たまたま、四月に、あの部屋に入った。それだけだ。巻き込まれた。そう、それだけ。
……。
ふと、閉じた瞼の奥で一人の影が見えた。
《――あきらめるな!絶対にぼくが助けてやる、それまで、待っていろ》
《いっとくけどな、ぼくは助ける。きぃのこと、絶対に、助ける!》
絶対に、あきらめない!!!!
そう、力強く、鼓膜を打ったその声。
きぃは目をつぶる。めを、つぶる。降りかかる幻影を振り払うように、世界を閉ざす。
声にならない、1人の名前が小さくきぃの唇から紡がれた。




