prologue
ひらり、ひらり。
―これは、何の花だったっけ。凄くきれいな花だ。美しい青色の花びら。
ひらり、ひらり。
―パタッ。
落ちた先で、じわりじわりと、すぐに赤く染まっていく、青の花弁は…紫色へと変色する。その花弁に、ぽたりと水滴が落ちた。それは一度あふれてしまうと、止まらないかのように、何度もそこへ落ちていく。
「…どう、し、て」
長い黒髪、私が大好きだった、長い黒髪が、地面に倒れて、赤く汚れてしまっている。私が大好きだった、可愛らしい笑顔は無表情に、でも切なげに泣きそうだ。私が大好きだった、その小鳥のような声は、もう聴くこともできない。
目の前のソレは、もう、動かないから。
ひらり、ひらり。
「…どうして、…」
嫌だ。どうして、何で、嫌だ、嫌だ、―拒絶と、否定と、そして何より、絶望が、頭の隅から隅まで、多い重なっていくようだった。頭の中がやがて真っ白になり、目の前は変わって真っ暗になる。
遠くから、サイレンの音が聞こえてくる。
―どう、して?
そのサイレンの音と、目に映る眩いほどの赤が、鮮明に、鮮明に残り続けていた。
≪異常者≫。Persona insolita (イタリア)、Unusual person (英語)。
ここ、日本には、そう呼ばれる者たちが存在する。この者たちは周囲からも認知されており、けれど、そんな数が多いわけではない。そのため、この呼び名は軽蔑や畏怖の念も込められている。
異常者、とは、異常な人間、—つまり、特殊な体質、能力を持った人間のことを指す。
異常者たちは政府の監視が行き届くような、できるだけ人権を尊重した空間内に置くことが優先されるため、異常者であったと認識されると彼らは一つの場所に集められることが多い。
異常者にもそれぞれ、個人差があり、先天的なもの、何らかのきっかけにより目覚めるもの等——……
——少年は、扉をノックする音に目を向けた。
手に持ったコーヒーがふわりと漂う一室は、書類を見るには少しばかり薄暗い。そんなことを意にも介さず、彼は「入れ」とぶっきらぼうに言い放った。
開いた扉の先、可憐なショートヘアーの少女が顔を見せる。
…見せて、「あれー」と眉を寄せた。
「…ルーちゃん?いないのー?誰もいないし」
いやいや。ちょっと待て。少年はコーヒーを置いた。一緒に書類も置いた。
誰もいない。
そんなはずがないだろう。なんせ、実際ここに彼は、少年はいるのだ。おい、と眉を寄せ、少年は少女を睨みつける。が、少女がこちらに気付いたような素振りは見せない。
少年はバンッ、と力強い音を立てて机を叩くとその反動で立ち上がった。コーヒーがピチャンと音を立ててわずかに跳ねる。
「———おい!!!」
「———うわぁ?!!び、びっくりしたぁ!!いるんだったら言ってよ?!」
「返事しただろうが!!気づけよ!!!」
「ルーちゃんが影薄いのが悪いの!!!なんなの、ステルス効果とか日常でほしいの?!」
「それこっちのセリフだかんな!!!」
お互い、顔をそらすことなく、むしろ睨みつけて怒鳴りあう。…といっても、これは日常的な会話の一環であって。まぁ、懲りないのが彼ららしいのだけれど。
やがて、少年は椅子に座りなおす。これ以上の口論は時間の無駄だと判断したのだろう。
「…で、何のようだよ」
「うん、あのね、新入生なんだけれど——……」
異常者と異常者ではないものが、集う、飛翔高校もまた、例外ではない。
殆どの者は、飛翔高校が異常者が通っている高校であるとは知らない。それはふつうのことである。
—ゆえに、彼女、咲良灯も、知らなかったのだ。
新しい風が、少年の居る薄暗い部屋の、ほんの少し開けている小さな窓に入り込んだ。
春の匂いはもう、目の前だった。