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9.スーレシア市の夜宴に出ることになった。(下)

 次なるメニューは(つぐみ)の若鳥。


 羽を(むし)り、皮の上から木の棒で叩いて骨をぐずぐずにし、それを(かまど)で炙り焼きにしたものだ。味付けは塩と胡椒がメインぽい。表面が照り照りなのは蜂蜜を塗っているのだろう。焼き上がりの色がいかにも香ばしい。それはそうとお腹が妙に膨らんでいるのは何でだろう。まさか内臓を抜き忘れたってことはないだろうけど。


 さてこの鶫、小鳥の形が残っていてグロいといえばグロいかも。前世では焼き鳥屋で(父さんに騙されて)スズメを食べる羽目になったことがあったけど、あのときの感じによく似ている。そんなことを思い出しながら頭からかぶりつく。

 首の骨を前歯でぶっつりと食いちぎる。食いちぎったものを咀嚼しようとすると丸のままの頭蓋骨が歯にあたる。そいつをさらにわしわしと奥歯で噛み砕き、あごの力をいっぱいに使って磨り潰す。磨り潰した頭蓋の中からは脳髄の旨味が滲み出してくる。これはこれで悪くないものだ。蜂蜜水割りのワインがちょっとだけ恋しい。

 お次は胴体にかぶりつく。蜂蜜を塗って焼いた皮はぱりぱりで、中の肉はやわらかくしっとりとしている。こっちの小骨はそんなには気にならない。と、若鶫のお腹から(うずら)のゆで卵が出てきた。膨らんだお腹のわけはこういうことだった。




 こうして僕らが食事を堪能している間も屋敷の奴隷たちは甲斐甲斐しく働いている。料理に不足はないか、お客の酒杯が空のまま放置されてはいないかと気の休まる暇もない様子だ。この奴隷たちはお客の手元にも終始注意を払っていて、指先が汚れたままのお客がいればすかさず駆け寄って冷たい水でその指をすすぎ、真白い布で汚れを拭ってくれる。




 前菜の最後にやってきたのは紫胎(ムール)貝の牛乳煮(ミルクシチュー)

 小麦粉でとろみをつけた白いスープの中で黒く細長い殻の二枚貝がぱっくりと口を開けている。貝の他には櫛切りの玉ねぎに乱切りの人参。さっと茹でた青菜(フダンソウ)の色味も食欲をそそる。あとは主人の肝臓を思いやってか玉菜(キャベツ)のざく切りも。

 臥台中央の小テーブルでシチューの鍋が湯気を立てている。それを給仕のお姉さんが小さな椀に取り分け、ピザの台みたいな薄焼きパンを添えて銀のスプーンと一緒に供してくれる。


 まずはスプーンで中の汁を一啜り。牛乳のスープはとろりと濃厚な味わいで、さらに貝の出汁が利いている。一口含めば潮の香りが口いっぱいに広がる。

 その貝を一つ取り、中身を指で摘んで口に運ぶ。肉厚の身肉には適度な歯ごたえがある。味付けはシンプル、というかこの料理には調味料の類は一切使われていないらしい。塩味は貝の身肉に含まれる海水だけだし、あと加えられているものといえば白ワインぐらい。基本は貝の旨味、それから野菜と牛乳の甘み、それだけ。それでこんな絶品シチューができあがる。

 貝殻に残った貝柱も爪の先でこそいでしゃぶる。貝と一緒に煮込まれた玉ねぎをスプーンで掬う。くたりと火の通った玉ねぎは貝から出た汁を吸ってこれまた絶品の味わい。

 薄焼きパンを一口大に千切ってまずはそれだけで食べる。全粒粉からつくった風味豊かなパンだ。GI値低そう。焼きたてと見えてまだほっかりと温かい。ほんのり甘く、なにより香ばしい。二口目からはこのパンを汁に浸し、具を載せながら食べる。

 テフィーはこの一皿で白ワインを二度おかわりした。


 残った貝殻は無造作に床に投げ捨てられる。思えばさっきの半熟卵もそうだった。残った卵の殻は床にうち捨てられていた。

 僕はそういうのがなんとなく気が引けて、事前にテフィーと申し合わせて、一緒に臥台下の一つところにゴミを集めることにしておいた。まあ、片付けする奴隷たちへのちょっとした気遣いってことで? 見ればダロリー夫妻も同じようにしてくれている。




 主菜が来る前に、ここで列席者一人一人がお気に入りの古典詩を吟ずることになった。

 発端はここの家主が古典詩の暗唱をネタに自慢の喉を披露し、では次にとダロリー卿を指名したことだった。卿は北方諸部族の神話に題材を取った叙事詩の一節を堂々、朗々とした声で吟じ、三人目を指名した。こうしていつの間にやらこの場の全員がお気に入りの叙事詩や叙情詩で喉自慢をすることになってしまった。


 僕は五人目に指名されて、中学で習った漢詩をサリトス語に訳して謡ってみたけれど、訳が拙い上に詩吟の心得なんてないので節回しもいい加減で、要するにウケは今ひとつだった。いっそ開き直って日本語でアニソンでも歌った方がまだマシだったかも知れない。


 そうして最後の最後、大トリで指名されたのはテフィーだった。瑞々しい声で恋歌なんてうたいはじめた。

 愛しい相手が浮気性で困っているけれど、惚れた弱みで仕方ないなぁ、みたいなコミカルな内容の詩。ただ、最後の数フレーズだけは一転して切ない言葉が並ぶ。

 それを情感たっぷりに歌い上げたテフィーは満座からやんやの喝采を浴びた。歌い終えたテフィーから何か意味深な視線をもらった気がするけど気にしない。気にしないったらしない。

 ちなみにこの詩は約千年前の作で、その作者は彫像の伝えるところによると髭面のおじさんだったりする。余談。




 いよいよ主菜が運ばれてくる。家主の話によれば今夜の主菜は二品。


 まずやってきたのは海蜊蛄(ロブスター)の網焼き。「熱い! 熱い!」なんて言いながら殻の中から身を取り出す作業も楽しみのうち。こういうのって中身がするりと取れるとなんだか勝った気になるよね。取り出した身を黄色い色のソースに絡めて食べる。

 ぷりっとした海老の身を口に含めばほっこりと甘い。その甘みを引き立てているのはとろりと濃厚な潮の香のソースだ。給仕のお姉さんに聞いてみるとこれは生ウニのソースらしい。白葡萄酒と魚醤(ガルム)を一煮立ちさせ、火を止めたところに潰した生ウニとオリーブ油を加えて和えたものだとか。


 残った海老の殻はやっぱり床に捨てちゃう。奴隷の皆さん、あとはよろしくお願いします。




 食事のトリを飾るのは大物だった。子豚の丸焼きである。正式な招待客九人に対して並んだ子豚は実に三頭。どれも見事な焦茶色に焼けている。主人の食客やお客付きの奴隷の分もコミなんだろうし、家に残してきた奴隷たちへのお土産、と称して持って帰る分もあるんだろう。

 それが分かっていてもなお、目の前に並ぶ三頭の子豚は迫力満点だ。


 給仕役の女奴隷が子豚の背中に包丁を突き立てる。こんがりと焼けた背皮がぱりぱり音を立てながら割り開かれ、そうして開いた皮の間から白い湯気が盛大に立ち上る。肉に包丁を入れればその切れ目から透き通った汁が滲み出る。切り口は綺麗な薄ピンク色。良質の薪を使って遠火でじっくりと、何時間もかけて炙ったというその肉はどこを切ってもするりと包丁が通る。

 こうしてそぎ切りにしたお肉をそれぞれの小皿に移したら、最後に魚醤と蜂蜜(それと若干の香辛料)からつくった甘辛のソースをかけ回す。頬肉など若干の部位については柑橘酢と塩をベースにした別のソースも用意されている。


 この豚肉がまたなんとも柔らかだ。そして一噛みするごとに肉汁の味わいが口の中一杯に広がるのがたまらない。風味の強い魚醤と蜂蜜のソースはこの豚肉の旨味をさらに引き立て、柑橘酢の爽やかなソースは脂身の甘みとよく調和している。

 ついでにいただいた豚足がこれまた美味。塩胡椒をふって焼き上げた皮表面はぱりぱりと香ばしく、中身に歯を立てるとお肉が骨からほろりと外れる。ゼラチン質が口の中でとろとろに蕩ける。その一部が糊のように指先に貼り付く。これも丁寧に(ねぶ)る。骨に残った分も同じようにしゃぶって丁寧に舐めとる。




 料理の最後にデザートが運ばれてくる。

 今夜のデザートは桃の蜂蜜漬け。桃の実を輪切りにして種を除き、蜂蜜水に漬けたものだ。これを氷室でよく冷やして蜂蜜水ごと銀器に盛って供する。

 銀器はその表面に細かな汗をかいていてなんとも涼しそう。桃の果肉に触れた指先にひんやりと冷気がまとわりつく。改めて、今は真夏だってことを思い出してください。冷蔵庫もないこの世界にあって夏に冷たいものを食べられるというのは本当にものすごい贅沢だ。




 ここから先のことはいまいち記憶にない。デザートの後で僕が持ってきたお酒が振る舞われたところまで覚えているけれど、僕の記憶はウォッカの葡萄酒割りを飲まされたところを最後に途切れている。気が付いたときには夜はとっくに明けていて、僕は客室のベッドの上にいた。

 それから夕方までガンガン鳴る頭と酷い吐き気に苛まれながらテフィーの看護を受けることになる。


 後にテフィーから聞いたところによれば、その後は高歌放吟の無礼講になって、僕も周囲に分からない詞ながら斬新な節回しの歌でもって周囲を大いに盛り上げたそうだ。特に「無慈悲な天の使いの命題」は評判がよかったらしい。

 これっぽっちも覚えてないんですけどね。

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