7.スーレシア市の夜宴に出ることになった。(上)
スーレシア市の夜宴に出ることになった。ダロリー卿にたっての頼みと言われたら断れない。
なんでも先方が僕の持ち込むお酒に興味を持ったらしく、次の宴にはどうしても連れてこいとうるさかったらしい。サリススン郷からスーレシア市までは徒歩で片道三日かかることもあり、今まではそのうちそのうちと何かと理由を付けて延べ延べにしていたのだけれど、卿に近くスーレシア市に別の用があることを聞きつけられて、いよいよ断り切れなくなったんだとか。それでも僕と連絡が付かないなら仕方ないと言えたんだけども、間の悪いことにちょうどその頃、僕はテフィーにお休みをやってサリススン郷に帰していたんだ。そしてダロリー卿は嘘が苦手だったりする。
そんなわけで今日は宴の当日。夕方からのご馳走に備えてお昼はサンドイッチで軽く済ませた。
塔を照らす夕日はすっかり西日に傾いている。こちらの太陽に合わせた時計では日の十二ちょっと前。日本時間に合わせて使っている時計では日の九つごろだ。ちなみにスーレシア市やサリススン郷は日本時間とほぼ同じだから時計も兼用で使っている。
僕の塔は極地方に建っているので太陽の運行に合わせた時計はあんまり意味がない。最初の頃こそこちらの太陽時に合わせて生活していたけれど、瑠璃子ちゃんや歌穂ちゃんと関わるようになってほどなく白夜の季節に入ったこともあり、今はもっぱら日本時間に合わせた時計に従って暮らしている。
それはさておき、そろそろ準備を始めないといけない。
招かれた夜宴はスーレシア時間で日の十一からだからもう二時間ぐらい暇があるけれど、僕だけならともかくテフィーの準備を考えると少し余裕を見ておかないとね。
夜宴の前にはまず一風呂浴びて身を清めておくのが礼儀です。
塔の大浴場の洗い場で石鹸とスポンジ、シャワーで垢を流し、さっぱりしたところで浴槽に浸かる。しばらくしたら外の露天温泉に移動する。外には地平線の彼方まで真っ白く輝く氷原が続いている。湯の中に肩まで沈める。頭にタオルを載せて空を見上げる。今日は雲一つない青空だ。
ふああっ。極楽~、極楽~っ♪
ちなみにスーレシア市の人たちもお風呂が大好きだ。市にはいくつもの共同浴場があって、昼下がりの今ごろには入浴客でごった返すそうな。浴場付属の運動場で汗を流し、サウナで垢を浮かせ、それを垢すりべらで奴隷に擦り落としてもらって、最後に温浴槽と水浴槽を順に回って残った汗を洗い流す、らしい。これはこれで気持ちよさそうだけども、僕自身は利用したことがないので実際のところはよく分からない。
お風呂から上がったらしばらくは浴衣姿でくつろいで、ぼちぼち汗が引いたところで正装に着替える。
とはいえ僕の方はいつもの赤錆色の長衣に着替えるだけで済む。一応は向こうの季節に合わせて風通しの良い亜麻の長衣を選んだりはしているけれど。あとはこれに愛用の魔法の杖を持ったらおしまい。
一方、テフィーについてはさすがにそうもいかない。いっそメイド服のまま連れてってもいいかなぁ、とか思ったりもしたけれど、当のテフィーがそれでは嫌だという。まあ、嫁入り前の――それもいいとこで育った――子女がスーレシア市で太ももを晒していたらさすがにまずいか。
というわけで、まずは足元まであるパステルブルーのワンピースドレスを用意し、これをバストの下で紐で締める。さらに頭から足首まで届く薄絹のショールを被る。この長丈のショールは今の季節、日傘の代わりとしても機能する。
服が決まったらお次はアクセサリー。首には長さの違う白金のネックレスを三重にかける。三本ともピンクダイヤモンドをふんだんにあしらった、いかにも高そうな代物だ。ついでに同じ取り合わせの耳飾りに指輪、腕輪を身に着けてもらう。腕輪は右手に一本、左手に二本。
ここまでやれば帝都の貴婦人を向こうに回してもそうそう引けを取らないはずだ。もっとも、複製召喚で呼び寄せる手間だけで言えば、プラスチックの安物もこのプラチナのアクセサリーも大して変わらなかったりするんだけれどね。
髪も結い上げるのが正式なのだけれど、こういうのは僕じゃ無理なので瑠璃子ちゃんと歌穂ちゃんにお願いする。
僕としては浴衣に合わせて結ってくれたときみたいにさくっとやってもらえばいいと思っていたんだけれど、ご本人たちがそれじゃつまらないと言い出した。
鏡を前に女の子が三人、あーでもないこーでもないと悪戦苦闘している。いや、悪戦苦闘は間違いかな。あれはどう見ても楽しんでる。三人寄ればなんとやら、きゃっきゃうふふとかしましい。
ようやくできた髪型は、古風な衣装に合わせてしっかり結い上げていながら、毛先にちょっと遊びがある、なんとも僕好みの代物に仕上がっていた。
最後にテフィーが耳の後ろあたりを指先でちょんとつつく。と、そこに百合のような小さなつぼみが現れ、それがあれあれと思う間もなく育っていく。気が付けばそこには紅い大輪の花が咲いている。
「テフィーちゃんすごーいっ。本物のお姫さまみたいっ!」
とは歌穂ちゃんの言。でも、歌穂ちゃんだって(もちろん瑠璃子ちゃんだって)、そんじょそこらのご令嬢なんかには負けないと思うんだ。
「お土産お願いね。前にあそこの市場で食べたクレープみたいなお菓子、あれもう一度食べたくて」
と、こちらは瑠璃子ちゃん。いっつも思うけど、瑠璃子ちゃんてダイエットダイエット言ってる割に……。いやなんでもないです。適当にお肉がついててくれた方が僕としても嬉しいし。
二人を日本に送り還したら僕らもスーレシア市に出発。
僕の塔から火流れ山にある転送用魔法陣に転移して、そこから空飛ぶ杖に跨ってひとっ飛び。五分ほどでスーレシア市に到着っ。
夏の日差しは夕暮れどきでもまだまだ強い。気温だってまだそれなりにあるだろう。とはいえ空気がカラリとしているので感覚としてはさほど暑く感じない。
空をぐーるぐーると回りながら招待されたお宅の門前に着陸する。大理石の白壁に囲まれた大きなお屋敷だ。
同じ屋敷の玄関先ではちょうど一台の臥輿が停まったところで、そこから一組の夫婦が降りてきた。この「臥輿」というのはなんというか、天蓋付きのベッドに担ぎ棒を付けたものというか、御神輿的なベッドというか、まあそんなようなもの。
降りてきた夫妻は誰あろう、ダロリー卿とその奥方様。
ダロリー卿はあくまでもドーズ流を崩さず、尻丈の革の上着に麻で編んだズボンを履いた姿で臥輿を降りた。豊かに蓄えた金色の口髭と顎髭がまたよく似合ってる。金造りの腰のベルトに佩いた直剣を門番の奴隷に渡す仕草も堂に入ったものだ。
奥さまの方はテフィーと同じくサリトス流でまとめてきた。色鮮やかなドレスの上に美しく襞を整えたショールを纏っている。アクセサリはちょっと控えめ。
「ご無沙汰しております、ダロリー様」
「おうおう、ヴィローハザ殿も息災のようで何より。こちらこそ、テフィーが何かと迷惑をかけてはいないかね?」
「はいお父さま。日々、万事遺漏なく勤めてございますわ」
「そうですね、テフィーはよくやってくれてます」
ダロリー卿はうんうんと満足げに頷いて「これからも娘をよろしく頼む」と目を細めた。
今でもときどき朝の目玉焼きを焦がしたりすることは言わないでおこう。
「今日は余計な手間をとらせてしまって申し訳次第もない。本来ならこのようなつまらないことに術師殿を巻き込むべきではないことぐらい心得ているのだが」
「構いませんよ。術師なんて基本的に暇ですし、星銀貨の入手先が増えるのも悪いことじゃないです。異世界の武器を売れとか言われたら困りますけど、お酒ぐらいならいくらでも都合しますとも」
先方は自分が飲んだことのないお酒一本につき金貨十枚出すというので、きつめの蒸留酒やら大吟醸やらを適当に見つくろって十本持ってきた。これで星銀貨一枚と引き替えてもらう予定。
星銀貨は魔力ある金属でできているので僕の魔法では複製できず、ゆえに僕が唯一利用できる貨幣だ。超高額貨幣なので滅多に使わないけど。
臥輿を担いでいた奴隷たちはここの屋敷の人たちだったようで、空になった臥輿を担いだまま先に屋敷の中に戻っていく。入れ替わりに案内役の奴隷がやってきた。